北アルプス3





白山・焼岳1990年

 7/29(SUN)~30(MON) 夜行列車。上野22:44発、特急北陸。二十数年ぶりの寝台列車にとまどう。興奮して眠れないが、横になっていられるだけでも充分な休養になる。

 金沢駅からバスに乗って白山登山口へ直行。乗客は他に二人だけ。終点の別当出会いは多くのハイカーでにぎわっていた。ガスがかかっていて少し肌寒いところが何とも言えず、やっと山に来たんだなぁとうれしくなる。

金沢駅
別当出合

 売店でカレーライスを詰めこみ、水筒をつめたい水でみたすと出発。さすがに夏山、そして名山である。中学生の団体やら、一般の団体客で登山道はもう数珠つながり。霧がかかって暑い日差しをうけないだけ登りには好都合。たがいに追い越し追い越されて、甚の助ヒュッテの先十五分程のところで、左に室堂への道を別けて南竜ケ馬場へ向かう。急に静かになった。この辺に来てようやく花の白山の面目躍如。とくにニッコウキスゲが美しい。ハクサンフーロ、トウチソウ、シモツケソウ、ハクサンボウフウ・・・。


 南竜ケ馬場センターロッジで申し込みをしてキャンプ場へ。沢をわたった丘の上の好適地だ。クロユリを見つけた。ハクサンコザクラ、ミヤマキンポーゲ、ミヤマダイモンジソウ、モミジカラマツetc。

 テントを張り終わってから、別山への縦走路をたどってみた。ときどき霧が張れて別山の尾根がみえてくると、このつぎは是非、白山を南北に縦走してみたいと思ったりした。やや乾燥した湿地帯に出るとニッコウキスゲやイワイチョウが咲き競って、岩の上ではおじさんが一人気持ちよさそうに昼寝をしていた。



 テントにもどると酒だビールだ。

 7/31(TUE)昨夜は星空でちょっと寒いくらいだった。さすがに2000メーターを越した高地である。まわりのテントからも軽いセキが聞こえていた。しかし気持ち良い朝の冷気の中を山頂めざして歩き始める。室堂へはお花ばたけコース、縦走コース、展望コースと三本あるが、展望コースを行くことにした。しばらくはニッコウキスゲの群落を見ながら小さな沢を渡ったりして楽しい。すこし高度が上がって別山尾根が雄大に展開されだすと、急登が連続し苦しい登りとなる。展望台で一休み。ご来光を見てきた帰りと思える人たちがカメラを構えていそがしかった。もうひと踏ん張りでハイマツの平地に出ると、斜面に残雪をまとった御前ケ峰がその全貌をあらわした。雪渓からながれてくる冷たい沢水に手をひたして、そのまま左手へ道をたどると室堂センターに到着。



 室堂はすでに大勢の人でいっぱいだった。早速、神社にお参りして山頂へ向かう。キャンプ場を四時半に出て、時刻は七時。すでに陽はたかく暑い。階段状の登山道の脇には、ハクサンフーロやイワギキョウが、紫やブルーのきれいな色で迎えてくれる。三十分たらずで御前ケ峰山頂にたった。りっぱな奥宮がたっていた。室堂のにぎわいがウソのように静かな山頂であった。さまざまな池を火口にして、そのまわりに御前ケ峰、剣が峰、大汝峰と続く景観は迫力がある。火口池のまわりにはまだ残雪があった。そのためか風は冷たく、ずっと立つていると寒い。ヤッケをだして着る。東の空のかなたには北アルプスが浮かんでいた。槍の穂先がはっきり見える。右に乗鞍岳、そして御嶽山。シャッターを何度もおした。




 目の前の剣が峰へはルートができていないようだ。ガレた急斜面はよほど気をつけないと転落する危険がある。登りたかったがムリはやめて、一般ルートの池めぐりを行くことにした。ただ、大汝峰だけは予定どうり登った。ほとんど岩の山である。翠ケ池を前景にした剣が峰と御前ケ峰は写真になる。七倉山と四塚山が青っぽく印象的に北への縦走路上に座っていた。

 室堂にもどって食堂でラーメンを食う。充分やすんでから下山することにした。大倉尾根を平瀬へ抜けるつもりである。きょうは途中の白水湖畔のキャンプ場まで。 急だが杭で手入れされた階段をおりて行くと、南の斜面にお花畑があらわれた。タカネナデシコがたつた一本だけ登山道脇に咲いていた。タカネマツムシソウはこの時期すこし早いのではないか? 紫のこいアザミ、髪の毛を編んだようなイワオウギ…。大倉避難小屋で休んでから更に高度を落すと、ミヤマアキノキリンソウ、オタカラコウ、マルバダケブキ等々。
 十四時前には大白川避難小屋に着いた。苦しい下りだった。売店で缶ビールを買い一人で乾杯。ひとまず1・5キロ離れたキャンプ場までもうひとがんばりし、テントを張ると引き返して売店脇の露天風呂にどぶん。売店でまたまたビールをあけると、カレーライスそしてソーメンを注文。いやいや大変な餓鬼ぶりである。




 テント場は静かだった。管理人の、頭をまるめたオバさんの話しでは土曜、日曜は100人を越すキャンパーでにぎわうとのこと。キャンプサイトは、それぞれが樹林に囲まれて点在し、ゆったりした気分でアウトドアライフを過ごせる。それに何よりも手入れがゆきとどいていて気持ちがよい。

 8/1(WED)朝一番のマイクロバスは09:55発。今朝下りてきたばかりの二人が同乗した。そして、この三人で白川郷を見物することになる。明善寺の合掌造りの庫裏がハイライトだった。その後、名古屋にでるという二人と別れて牧戸でバスを降りる。バスステーションのオバサンのすすめで、荘川の里をみてまわることにした。じりじりと照りつける太陽の下、車道を十五分ほど歩いて到着。小一時間じっくり見てまわった。驚くほど豊かな生活をしていたというのが実感。

 高山駅に到着して、すぐに平湯経由の新穂高温泉行きバスをさがすと、今まさにドアを閉めて出発するところだった。したがって、ここで食事や買い物ができなかったためキャンプするのが時間的に難しくなってきた。バスの運転手さんに聞いて、結局中尾温泉の旅館を探すことにした。時刻は六時、さいわい山本旅館に投宿することができた。


焼岳





 8/2(THU)06:15分出発。帰りがけに焼岳をやろうというわけである。ところが焼岳そのものは素晴らしい山だった。ついでに登る山なんかでは決してなかった。いくどか足がふるえたではないか!!!中尾峠から見上げた焼岳は人をよせつけない厳しい姿をしていた。岩とガレをいかにして登ろうか一抹の不安があった。しかし実際には古いペンキマークがよく案内してくれて、すべらないよう足下に気をつけさえすれば良かった。最上部の大きな岩塊の基部を右にまわりこんで、なおも急な斜面を注意していくと頂上に出た。焼岳山頂と書いた標識がたっていた。展望はもちろん360度。奥穂、前穂の吊り尾根、左にちょこんと槍の穂先。上高地を谷間に霞沢岳、六百山・・・。あとから若い人が上がってきた。互いにシャッターを押しあう。火口を見下ろすと、エメラルドグリーンの小さな池があった。その手前にガスが吹き上げていたが、浅間山の噴煙と比べると規模は小さかった。火口壁をぐるっと回りこんだ向かい側の高まりは、こちらより幾分高そうである。しかしルートはなく足場も相当わるそう。ここはおとなしくあきらめて当然。





 快晴の夏空のもと無事に登頂できたことを神に感謝せねばならない。この山はいまだ活動つづける活火山である。登山禁止となっている。何かあったら関係者に迷惑をかける事になる。十五分も楽しんだろうか、とにかく下山することにした。より慎重に十分に注意して下る。





 峠の小屋で一休みしたあと、上高地へ下る。朝の、中尾温泉からの登りはすずしかったが、この下りは暑さにまいった。車道に出てバス停へ向かうと、今回の山行も終りである。







爺ケ岳東稜1991年
 連休ということもあって新宿にはいつもより少し早く六時に着いたのですが、なんと整理券を求める人達が既に長蛇の列をつくっているではありませんか!! 列の最後尾について暫く並んていますと、私の後ろが瞬く間に長い列となつていきます。まもなくあずさ一号の自由席は満席になった旨アナウンスがありました。この分では何時の特急に乗れるかわかりません。とっさに六時二十分発の甲府行きの普通列車で行くことにしました。こちらの方は座席もなんとか確保できて、やれやれです。ところが車掌さんに聞きますと、あずさ一号の方が先に甲府に着くというので八王子で降りるはめになりました。うまくは行かないものですね。ぎゅうぎゅうづめの特急電車にとにもかくにも乗り込んで、信濃大町に予定時刻に到着したのでした。 駅の二階食堂で定食を食べてからタクシーで鹿島まで行きます。若いお兄さんが大谷原まで行くのに便乗しました。車内で話しを聞きますと、鹿島槍東尾根の方は人気コースで面白くないので天狗尾根をやると言います。単独でザイルもなしで登攀するというのですからかなりのエキスパートなのでしょう。

 爺ケ岳東尾根登山口は民宿の裏手にありました。あいにくのお天気で雪が結構たくさん降っています。スパッツを付けて出発です。雪の登山道には真新しい靴跡が続いていました。きっと今朝早く登っていったのでしょう。途中どこかで追いつけるかも知れません。それはともかく、いきなり急な道をよじ登るような感じで進んでいきます。この辺は根雪は解けて降ったばかりの新雪です。従って非常にすべりやすいのです。木につかまりピッケルでバランスをとりながら、ゆっくりと高度をかせいでゆきます。

 三〇分あまりも頑張りますと、枝尾根に出ました。急な斜面の登行を続けてきたので、既に車道がはるか下の方に見えます。そろそろ傾斜も緩やかになり歩きやすくなってきました。樹林の中をひとり静かに進んで行きます。ひとしきり激しく降った雪もいつかやんで視界が広がって来ました。いまや東尾根本稜に出ています。予定では一九七八メートル峰まで頑張るはずでしたが少々疲れてきました。足がつりかげんです。三時半を回ったところで先行パーテイにおいつきました。テント設営中でした。そして更に暫く進んだ所で先頭のパーテイが、これもテント設営中です。私もトレースがなくなる手前でギブアップ。一七六七メートル峰を越した少し先の辺りです。湿った雪のため、気に入ったテントサイトができるまでそれほど時間はかかりませんでした。

 入山した日が悪いと翌日以後好天が期待できますが、まさに今回がそれです。素晴らしい天気です。日焼け留めを顔に塗りたくって、有明の月の残れる中、いざ出発です。四人パーティは一足先に発ちました。すぐ上の雪壁を登りきると、突然雄大な銀世界が飛び込んで来ました。中でも鹿島槍ケ岳がその白い肌を美しく見せています。三月に五竜岳から眺めて感激したばかりですが、この山は爺ケ岳側から見た方が山容が一段と整っていて私は好きです。左手に赤沢岳、スバリ岳、針ノ木岳らしい峰々が連なっています。しかし、ちょっと手強そうです。果してあの針ノ木峠まで行けるのかどうか心配になってきました。

 一九七八メートル峰の手前で若いお兄さんに会いました。一時間に二十メートルしか進まない苦しいラッセルで、とうとう引き返してきたそうです。深い雪の亀裂も見られたといいます。先行の四人パーティはそんな事にお構いなく、どんどん急坂を登って行きます。私もなんら躊躇することなく後に従います。そのうちお兄さんもやってきました。二本のストックでどんどん行きます。よく見ますと四人パーテイもお兄さんもアイゼンをつけていません。実に見事です。私はといいますと急登が始まる手前でしっかり付けました。そろそろ森林限界にきているというのも装着した理由です。

 雪稜に乗っこす所で、とうとう雪との本格的な闘いが始まったようです。なかなか先に進みません。そのうち先頭のリーダーらしき人が降りてきて、いったん右に回りこんで凍結した急雪壁をよじ登った方が得策と判断し、アイゼンをつけるように指示しました。私もそれに従いひとあし先に雪稜に出ることに成功しました。ホッとする間もなく更に上をうかがいます。狭い雪稜を時には雪深いハイマツに足を取られたりしてずいぶんと難儀なことです。一九七八メートル峰に上がると景観は一層素晴らしく、ここで休憩、昼食とします。流した汗の代償です、とっておきの缶ビールが何とうまいこと。 二四〇〇メートルの森林限界に達するまでかなりの時間が必要でした。既に四時間かかっています。爺ケ岳の山頂は目の前で、夏道でしたら三〇分もあれば十分と思われるのですが、まだまだラッセルが続きます。ストックをにぎったお兄さんの話しでは、今年の正月に来た時も山頂まで深い雪に悩まされたそうです。厳冬期でさえこんな状態だとすると風があまり当たらないめずらしい稜線です。私も何度か先頭に立ってラッセルに一役買いました。そして、ついに山頂です。山頂への最後の一歩は四人パーティとストックのお兄さんに譲ろうと暫く待ってみましたが、十二時になってもお兄さん一人しか上がって来ません。しかたなく皆さんに感謝しながら山頂に立ちました。もう、この頃にはガスがかかって午前中の快晴の空がうそのようです。種池小屋も冷池小屋も見えません。いまや迷うことなく冷池小屋をめざします。針ノ木峠は又の機会に譲ることにしました。 爺ケ岳の稜線に出ますと急に人影が多くなりました。さすがにゴールデンウィークです。冷池小屋の前はキャンパーでおおにぎわい。私もテントを張る予定でしたが、やはり疲れました。雪を解かして水をつくるのもおっくうです。暖かい小屋に泊っておいしい御飯を食べたくなりました。

 鹿島槍東尾根で事故があったもようです。雪崩に巻きこまれたようです。他の尾根では滑落事故もあったといいます。お昼近くヘリコプターの音が聞こえましたが、荷揚げのためでは無く遭難救助の為だったのですね。無事を祈りたいと思います。 この小屋は向かって左側に入り口(受付け)があり、一畳ほどの土間でヤッケや靴をぬぎ、それをポリ袋に入れて各人の寝室まで持っていくことになっています。戸を開けて中へ入りますと一二畳ほどの談話室があり、更に右のドアから奥には寝室が続いています。寝室は中二階となっており、ハシゴで三階へ上がれます。下の一階へも降りることができ、左側にトイレ右に自炊部屋があります。ぐるっとまわった奥の部屋が広い食堂になっています。自炊部屋の脇も出入り口となっており、受付けを通らずに外へ出ることができます。談話室を除いて全体的に暗い感じがするのは山小屋では仕方のないことかも知れません。

 翌日はゆっくりとスタートです。鹿島槍往復はすでに諦めて爺ケ岳の南尾根を下ろうというわけです。小屋の外に出ますと殆どの人が鹿島槍をめざしています。今朝も良い天気でこのまま下るのはもったいないくらいですが、ただ爺ケ岳南峰まで稜線歩きが楽しめます。剱岳とずっと友達でいられるのです。

 南峰に到着しました。種池小屋がすぐ下です。当然ながら、この時期はまだ夏道のトラバース道はトレースされておりませんでした。雪崩の危険が大きいからです。しばらく展望のパノラマから名残を惜しむと、いよいよ今回の北アルプス後立山山行も終りを迎えます。急な南尾根をゆっくりと下ってゆきます。ショウジョウバカマが一輪、雪の上に頭を出していました。


 バス停におりたったらタクシーが待機しているではありませんか。ラッキーです。信濃大町まで四〇〇〇円也。松本からの特急はやはり大変な混み様で、時間待ちしてでも信濃大町から乗るべきでした。




  • 今日は、「北アルプス3」を訪問しました。明日は「北アルプス4」を訪れます。 -- 岬石 (2017-02-17 19:56:42)
  • 了解しました。 -- inada (2022-04-14 20:04:12)
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最終更新:2022年04月14日 20:04