北穂東稜

北穂高岳東稜から穂高岳縦走 コジラの背の通過は牛若丸の如く  1991年9月

ほぼ諦めていた山行だった。大雨や洪水による被害、強風による被害などで”やま“どころではなかったからだ。会社から帰ってきてニュースを聞くと台風は既に通り過ぎたという。すぐに電話に飛びつき中央線と松本電鉄の新島々線が動いていることを確認するや、大急ぎでザックに荷物を詰め家を飛び出した。

 11時50分発の急行南小谷行きは思いもかけず、特急“あずさ”の車両と同じで大満足。その上、台風の影響で客は少なく悠々と座席を独り占め。松本に着くと新島々行きがうまく接続してノンストップで終点まで。更にバスも勿論、すぐに出発して上高地には六時前に着いた。さすがに北アルプスの玄関口、バスターミナルには大勢のハイカーが出発の準備をしていた。売店が開いたのでパンとジュースを買い朝飯しにする。

 今日の行程はムリなく涸沢までとし、一時間ほど歩いた明神館でカレーライスを食う。缶ビールで御機嫌。霧雨がふってきたが台風を考えれば上等のお天気といわねばならない。新村橋を渡ると急に静かになった。涸沢へのパノラマコースで最近人気がでてきたコースである。今回はこのコースを登ることと、北穂から西穂への縦走が目的の一つにもなっている。しかし何と言ってもメインは北穂の東稜を征することにある。ザイルも持ってきた。場合によっては使うことになるかもしれない。


 奥又白沢の広い河原で休んでいると、一旦抜いた二人連れが追い付いてきた。互いにカメラのシャッターを押し合っているうちに福岡から来た青年と分かった。涸沢までの今日の行程をずっと一緒に過ごす事になる。

 屏風のコルまでずいぶんシゴかれた。夜行の疲れもあり、しかも時々日が照りだして気温が上がってきた。一息入れて軽く食事を済ませると屏風の頭めざして登り始める。去年涸沢からの帰りに登り残してしまい今回は是非にと思っていた山である。二人連れもかなりバテたようだがあとから付いてきた。すこし上がると槍が見えてきた。上部にはコブが三つあってそれぞれがなかなかの景観である。天気はすっかりよくなり涸沢や槍のカールが大きく印象的である。


 そのあと涸沢までは一時間もかからなかった。暗くなるまで余裕があったのでヒュッテ手前の大岩でザイル操作の練習をしてみた。明日悪場に出会って必要な時はザイルを使おうと思っているので、練習ぐらいはしておきたいと考えたからだ。簡単な懸垂下降を繰り返して感じをつかむとザイルをまるめて引き上げることにした。今宵の宿は北穂側の涸沢山荘に決めた。二人連れも一緒になり隣り合わせの部屋を与えられ、まずは缶ビールで乾杯。連休なのに個室に入れたのは幸運だった。



 翌朝青年たちは山荘の食事を待たず五時前に出ていったようだ。北穂から大キレットを越えて槍の肩まで行く予定になっていた。私の方は出発は六時。一人ゆっくりと北穂沢をジグザグに詰めて行く。このコースは五月の雪壁は登ったが夏道の南稜はまだ歩いたことはない。ガイドブックに書いてあった通り、大きく左にそれて南稜に向かう地点から反対に右へ北穂沢のガラ場をトラバースする。東稜の全体を眺めて、どこから取り付いたら良いかなかなか決めかねたが、登り安そうな地点を追っていったらわずかな踏み跡が現れ、これを慎重に拾っていくとようやく稜線に続くルートが読めるようになった。まずは一安心。南稜の一般ルートにも人影が見えてきた。


 ガレた急な斜面をうまく登り、ついに稜線にたどりついた。いよいよ東稜の本番である。スロー・アンド・シュアを何度も口に出し、気を引き締めてスタートだ。やせた岩稜の上を一歩一歩よじたりして進んで行くが身のすくむ程の高度感はない。東側の一般ルートはどれかと目で探してみるが、はっきりした踏跡は発見できなかった。また北穂池も見つからなかった。上部に行くにつれてガスが少しずつ晴れて、南稜の方はスカイラインを描き出した。しかし、大キレットから槍への稜線はまだはっきりしない。

 いよいよ核心部が近付いたのを感じながら狭い岩稜をバランスをとって進んで行く。通称ゴジラの背と言われている所だ。岩稜上から西側に回り込んで大きな岩を登る箇所がきわどくて、ちょっと緊張した。そしてその先から一番の難所クライムダウンが始まる。ルートを目で追うと東側は高度感はなく、ハーケンが一本打ってありザイルで懸垂下降できるようになっている。垂直な岩はホールドがまるっこくなってつかみずらい。ただし、途中わずかなテラスで息をつけそうだ。思い切って靴のフリクションをきかせて降りてみた。慎重にテラスで息を整えてクラックに右足を預けると一気に下まで降りた。東稜はかくして走破された。


 ところが、東稜のコルに立って本来のクライムダウンのルートが別にあることが分かり登り返そうかとも考えたが、東稜を征したことに変わりはないだろうと残念だが先へ進むことにした。本来のルートは一〇メートル程のほぼ垂壁で、最初の部分が西側の谷底に身を浮かす格好になりスリルがある。ただ、ホールドは十分あるので落ち着いて下りれば何のことはないと思われた。

前穂北尾根と涸沢カール

 東稜のコルからは小屋めがけて直線的に登って行き、途中から右にトラバースして大キレットの一般縦走路に合流、ついに北穂高岳山荘に到着した。時刻は九時半だった。小屋で買った缶ビールをあけ、来しかたを感慨ぶかく眺めて良くやったなと我ながら感心すると同時にホッとしたものだ。しかし北鎌尾根と比べると尾根の規模が違うだけに、そして今それほどの疲労を感じてないだけに充実感がいまひとつというところか。それはとにかく槍、穂高のバリエーション・ルートの入門コースを二つクリアした。あと残るは前穂北尾根ひとつ。これはちょっと手強い。来年のシーズンまでには十分準備しておく必要がある。やはりクライミングの初歩的な講習は受けておくべきだろう。

穂高岳山荘

 北穂の山頂に上がり、ぐるりを見渡してから穂高岳山荘に向けて出発。このルートは距離はないのに岩場の上下があるので時間が結構かかる。西穂から槍に縦走した経験はあるが逆縦走は初めてなので慎重に進んで行く。いつのまにか涸沢槍を通り過ぎ最後の難所をよじ登ると涸沢岳山頂は目の前にあった。山頂着十一時半。ここは相変わらず風が強く冷たい。すぐに眼下の山荘へ下りていった。山荘でラーメンを注文した。さてこれからどうしよう。明日から天気は崩れそうな気がする。人に聞いてみると明日も今日とほぼ同じような天気だという。今から西穂まで陽のあるうちに行けないことはないが、かなりの強行軍で相当疲労する。一般縦走路とはいえ、悪場は延々と続く。疲労からバランスを崩すことも考えねばならない。今日このまま下山するにしても四、五時間はかかる。疲れ切って家に帰るのも味気無い。結局この山荘に泊まることにした。明日天気が余程悪くなければ縦走を続けるつもりである。


 宿泊の手続きをして二階の部屋にはいるが、時間のつぶしようがなく階下におりてストーブにあたることにした。常連顔した小母さんたちが声高に話しに夢中である。文庫から新田次郎の本を取り出して読む。山荘でこんなにゆったりとした時を過ごすなんてめったに無いことだ。

 夕方になるとだんだん人が増えてきた。部屋に戻ってはなしを聞くと、この分ではフトン一枚に三人寝かされる、仰向けにはなれず横向きで寝るしかない、今夜は眠れそうも無いだろうと言う。寝返りも打てないなんて私としては初めての経験で恐ろしくなってきた。こんなことなら下りてしまうんだったと今更後悔しても始まらない。シュラーフを持ってきているのが唯一の救いだった。

 同室の一番乗り氏は大柄で立派な体格をしており自分から船員だといった。槍沢から槍、穂を縦走してきて、明日は横尾から蝶ケ岳に登り燕岳から中房温泉に下山すると言う。一回の山行でずいぶん欲張った計画を立てたものだ。船に乗って海ばかり見ていると無性に山を歩きたくなる、という彼の言葉には実感があった。お昼に山荘に着いて宿泊の手続きをしてから奥穂をゆっくり往復してきたので遅くなったそうだ。この人も福岡の人だ。

 二番乗り氏は膝を痛めてやっとのことで山荘にたどりついたと、話しとは反対に平然とした顔で言った。岐阜県在住の保険屋さんである。昨夜車で来て二時間仮眠をとっただけで登ってきたというからずいぶんな強行軍だ。睡眠を十分にとってないと無理が生じ体をこわす事になる。車は新穂高温泉に置いて白出沢から直接この山荘に登ってきたのだそうだ。ガラ場の歩行はどうしても足に負担がかかる。それも長時間の登行だけに遂に膝を痛めることになったのだろう。この人の話しの中で参考になる点があった。歩き始めて一〇分たったら必ず靴の紐を結び直すという。そして三〇分ごとに休憩しその都度結び直すのだそうだ。お陰で靴擦れやマメなどのトラブルで苦しんだことは無いとのこと。

 そして私が三番乗りで、八畳のこの部屋には二四名が押し込まれることになっている。名古屋の近く稲沢市の市役所に勤める青年は元気がよく、自転車で北海道を周遊した実績がある。今はそれがオートバイに変わり、あるいは軽四輪キャブバンに生活道具を乗せてあちこち見聞するのが楽しみになっている由。友達は皆立派な乗用車を持っているが貯金もしなければならないのでそんな余裕は無いと笑っていた。上高地に車を置いてあり、明日西穂まで縦走する予定は私と同じだ。

 食事の用意ができたアナウンスで皆食堂へ行く。内容はまずまずだった。部屋に戻って寝る支度をしていたら保険屋さんがフロントで聞いてきたらしく、この部屋には一六名がはいるのでタタミ一畳に二名ですんだと話してくれた。かくして寝返りも打てない恐怖の夜は避けられた。



 次の日は朝のうちこそ霧がかかってどうかなと思われたが、奥穂の山頂に立った頃青空が見え出した。槍も姿を見せはじめた。六時に山荘を出たばかりである。朝の冷気が取り分け気持ちよい。名古屋の青年と福岡の住宅公団の係長氏が同行することになった。馬の背を慎重に越えてジャンダルムの基部から私の誘導で直登し、その山頂に立った。既に素晴らしい景観が展開していた。青年はとりわけ大喜びである。私は三度目の山頂だった。

 コブの耳の岩畳にはテントが一張り。ロバの耳直下ですれちがった四人のクライマーの根城だろう。ジャンの東壁をやるといっていた。天狗のコルに降りていく途中、プロのガイドに率いられた五、六人のパーティに追い付いた。全員ロープでつながれている。去年の二月の八ヶ岳阿弥陀南稜を思い出した。あの時は全員足がそろっていたので、すべてコンティニュアスで通り抜けた。今までの山行で女房殿と一緒だった以外、唯一のパーティ参加であった。その時に物足りなく感じたことは今でも覚えている。山登りは自分で計画して自分の目でルートを確かめながら自分の足で登り、様々な危険に対処しながら無事下山することである。山登りには各人各様の楽しみ方がもちろんあってしかるべきで、それをとやかく言うつもりは無いが、私の山登りの目的がそこにあるとすると、どうもパーティに加わってバリエションルートを登ったところで、それは単に引っ張り上げてもらっただけのことで自分の意志と力の結果ではないと思えて仕方無い。体力がなくなって難しい岩場などを歩く自信がなくなってきたら、その時は花や野鳥を愛でる山行をすればよいと私自身考えている。

天狗岳山頂にて

それはともかく、国内でどうしても登っておきたいルートがある。北鎌尾根をもう一度、前穂北尾根、それに鋸岳縦走の以上三つである。いずれもバリエーションルートの入門コースで来年ぜひとも踏破したいと思っている。今回の山行で念願の一つだった北穂高岳東稜を完登できたことはこの上なく嬉しいことだった。 さて、天狗の登りは垂直の一〇メートル位の登りから始まる。クサリがついているがこれに頼るようでは岩登りなどやめた方がよい。ガイド一行の苦闘した後から軽く天狗岳山頂に立った。ここで小休して写真を取り合う。そしてガラ場を下って登り返すといつのまにか間の岳山頂に立つ。狭く細長いこの山頂での憩いは楽しいものだった。北に笠ケ岳の勇姿を見ることは出来なかったが、この稜線上の景観は見事であった。


 西穂高には西穂山荘からの往復ぐみを含めて数人が眺望を楽しんでいた。更に独標まで来ると、もう下界に降りたようなもの。大勢のハイカーで足の踏み場もないほど。十二時には西穂山荘に着いた。去年火事で焼けたあとに立派な山荘が建っていた。まだほんの一部の営業ということで、それでも一階が食堂で二階には五〇名が宿泊できると言う事だった。とにかく食堂で缶ビールを買って三人で乾杯した。


西穂山荘

 上高地バスターミナルはやはり混雑していたが、名古屋のお兄さんの車で楽が出来た。坂巻温泉で一浴し塩尻駅まで送ってもらう。感謝。




  • 私は、山は未経験ですが、山の魅力は充分自己投影して感じます。 -- 岬石 (2017-02-10 18:59:57)
  • 山に触れれば創作意欲も湧くのでは? -- inada (2022-04-14 14:17:58)
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最終更新:2022年04月14日 14:17