剣・立山




1 初めての剣岳・立山三山縦走 1986年7月
 7/22 室堂~雷鳥平キャンプ場(幕営)
 7/23 ~剱御前~剱沢キャンプ場(幕営・・・ベースキャンプ)
 7/24 剱岳往復
 7/25 立山三山縦走
 7/26 剱沢キャンプ場~ハシゴ谷乗越~蔵之助平~黒部ダム

7/22(火)下界は曇り、室堂では雨
信濃大町からバスに乗って驚いた。大きなザックを背負っているのは私の他に誰もいないではないか!一般観光客でいっぱいだった。扇沢の駅に着くと、はるばる遠国へ来た感じ。つづいてトロリーバスに乗り黒部ダムに到着。ダムサイトに下りて大きな黒四ダムを見学した。ダムの頭の上を向こう岸へ歩き、ロープウエイ、トンネルバスに乗り継いでようやく室堂に着いた。観光客で大混雑。

室堂は雨。ガスで視界のきかない中を案内板にしたがって歩く。遊歩道をゆき、ミドリガ池、ミクリガ池、そして雷鳥荘を通り過ぎる。雷鳥沢の雪渓ではスキーヤーの色とりどりの姿がガスの晴れ間に見えてくる。中学生や高校生くらいの男女が、急な斜面をいとも簡単に楽しそうに滑っているのには驚かされた。


雷鳥平キャンプ場までは結構歩きでがあって、到着は午後3時。雨の合間に急いでテントを張る。テント場は殆どスキーヤーのものだ。雨は夜間もかなり強い風をともなって降り続けた。最近は軽量化のためフライシートを持ち歩かないが、今回は以下のことをつい忘れてしまった。

フライシートを持ち歩かないときはシュラーフカバー必携
テントの出入り口は傾斜の下部にくるようにセットすること

雷鳥平キャンプ場の水場は雪渓からホースを引っ張ってきた簡単なもので、水量は少ない。順番を待たねばならない。ガスで視界がきかないので、管理所がどこなのかわからなかった。結局、管理料100円を払わず仕舞い。トイレもどこにあるのか分からなかった。


7/23(水) 雨
停滞を考えたが、面白くないので出発することにした。
10時 テント撤収、出発
11時50分 別山乗越
12時30分 剱沢キャンプ場着
テント設営のころは雨も小降りになった。昼食後のお花畑の散歩が楽しかった。
二俣~池の平へは途中ガケ崩れで通行不能、蔵之助平へはOK


7/24(木) 快晴

朝まだき起きあがって外を覗くと、雨は上がって写真で見慣れた剱岳が目の前に迫っているではないか!きょうはどうせ雨だろうから、立山三山縦走でもしてこようと思っていたのが嬉しい誤算である。今年は既に五月の鹿島槍を敗退している。きのうまでは天気予報を聞きながら、どうも立山方面は運がないと嘆いていたが、ウソのように良い天気となった。


4時、5時と少しずつ、パーティを組んだ人たちが出発してゆく。私の出発は5時45分。旧剱沢小屋前の雪渓をトラバースして剱山荘へと向かう。滑落しないように一歩一歩慎重に進む。


一服剱に着いたとき、青年がひとり追いついてきた。このあと、前剱で一緒になった2人連れのうちのひとりを加えて、なんとなく三人のパーティが出来上がった。一人で登るには恐怖感が先に立って仕方なかったのが、これでなんとかいけそうな気になった。山頂に達したときには真夏の強い日差しに照りつけられた。眺望は遮るものなく素晴らしい。下りは上りとは違って楽々と余裕があった。


思うに岩歩きはセンスから云って、自分ながらまあまあと思われるが、切り立った絶壁となると、足がすくんでどうもうまくない。結局はクサリにしがみついてしまう。精神面が弱いために実力が発揮できないのだ。なにやら私の人生そのものにも思えてくる。それが、落ちても大したケガにならないような悪場には、自分でも感心するほどうまく対処できるのだ。


さて、明日は立山三山をやる。時間があったら、ミクリガ池温泉で風呂に浸かろう。


7/25(金)快晴
深夜2時少し過ぎ、まわりの人声にせかされて、シュラーフをたたみ準備なって出発は4時15分。
楽しい稜線漫歩
真砂岳
富士の折立  ここで山座同定に30分過ごす
大汝山  ラーメン600円也
雄山  300円の登拝料

カニ族は高校生が主で、時折、大学生のワンゲルと会う。彼らは薬師か後立山へ縦走する。従って、かなり長期間の山旅である。いずれも後になり先になりして、浄土山の分岐点で別れる。室堂に降りると、いちだんと増えた観光客でターミナルはごったがえしていた。日本そばの立ち食い600円也、うまい。ミクリガ池温泉に入浴800円也。山行中に風呂、しかも温泉に入れるのは最高の仕合せ。


雷鳥沢から再び別山乗越を経て剱沢キャンプ場に戻る。途中、剱御前の山腹を巻いて雪道をトラバースし、剱山荘の手前あたりで山腹を下ってみた。かなりの急斜面で一歩踏み出した途端に滑ってしまった。雪は締まっていてスピードが出て少し焦った。ステッキでからくも制動できたので事なきを得た。この分だと、明日の剱沢雪渓の下降が心配だ。


7/26(土)晴れ
別山を往復してから剣沢雪渓を降りる。

剣沢雪渓は案じていたほどではなかった。誰でも殆ど問題なく通過できる。ただ、アイゼンなしでのスプーンカットの歩行にはバランスに気をつけなければいけない。直ぐ慣れたが。こういう場所でアイゼンなし歩行に慣れておくことは大事である。


長次郎雪渓をアタックするパーティが多かった。
蔵之助平経由で黒部ダムへ。



2 長次郎谷から平蔵谷へ 1993年9月
 時刻はまだ六時半だというのに、扇沢のバスターミナルは観光客で賑やかだった。私と同じように夜行でここまで来たのだろうか?駐車場も一杯だった。二階に上がってレストランで朝食。1,000円也の幕の内弁当とは贅沢だ。団体客の為の配膳がズラーっとテーブルに並んでいた。窓から下を見ると観光バスが次々に到着してくる。

 黒部ダムのたもとで湧き水をポリタンに詰めてから出発する。階段を上り返しトンネルを抜けて旧日電の山道をたどる。こちらは全く静かだ。ダムの下に降りて黒部川左岸を行くと、ハイカーと行き交うようになった。日差しは暑い。 


黒部川ドドと猛りて谷深し
劒の岳はなお遥かなり 

 内蔵の助谷出合からは苦しい登りが始まる。登山道脇にテントが二つ三つ。しかし、ここにテントを張って何をするのだろうか?特に岩場があるわけでなし、沢登りのルートがこの辺にあるとは思えない。時間的にも中途半端で昨日遅くなってテントを張ったにしても、この時刻では既に撤収を終り退去していておかしくない。

 黒部川本流では『下の廊下』を行くパーティが何組みかいた。おばさん連れのパーティも多いのでちょっと心配である。そんなに易しいルートではないはずだ。ガイドブックや写真集で上級者コースとして私もいつかはと、あこがれていたルートである。安易には取付けない、いわば難しいがとっておきの大切なルートというべきものであった。あのおばさん連中は確かに素人離れした雰囲気をもっていた。しかし私以上に技術的にすぐれているとも思えない。どうか何ごともなく仙人池まで元気で行ってほしい。

 内蔵の助平への道は苦しかったが、登るにつれて数年前の記憶が甦ってきた。あの時は今回とは逆に下山にこのルートをとったのだった。ハシゴ谷乗っ越までの登りはもちろん、内蔵ノ助谷出合迄の下りでさえ、真夏の太陽に容赦なく照りつけられてかなりバテてしまった。涸沢に付けられた道にようやく水が流れ出し、飛び石づたいに進むようになってはじめて、僅かな涼気に生きた心地がしたものである。大きな岩の上で何度も日焼け止めのクリームをぬり直したけれど、強い日差しにどれだけの効果があったかは疑問だった。

 女子大生らしい美人を含むパーティが、こちらは二俣経由で仙人池まで行くと言って頑張っている。さすがに健脚で道中は抜きつぬかれつだった。ちょうど夜行の疲れが出てきたころで苦しい登りだった。ハシゴ谷乗っ越に着いて展望台に上がれば、眺望が得られる筈だったが、この頃には西の方はガスがかかって立山を隠していた。一つのリボン票が北の黒部別山への道を暗示している。ただ、ヤブがひどいので積雪期でないと通行は無理だろう。十分後に登ってきた美人パーティはここで大休止を取るようだ。仙人池まで行くには残りの時間を考えると、ここでゆっくりなどしてはいられないはずだが、それも良かろう。道中、憩いの一時が有ってこそ充実した山行になるのだ。

 ハシゴ谷乗っ越しからは石コロの下りが延々と続く。樹林の中で展望もないだけにこれもまたいやらしい。剱沢に着いたのは十四時十分で、ダムからちょうど六時間が経っていた。沢に下りて真砂沢キャンプ場にテントを張る。キャンプの申し込みの際、長次郎谷から剱岳に登る予定と書き入れると、小屋の若い管理人に長次郎谷はピッケル、アイゼンが必要だと注意された。今回は十分考慮した上で両方とも用意はしてこなかった。かろうじて軽アイゼンの片方だけ持参したに過ぎなかった。それとステッキで充分いけるとふんでいたからである。決して強がりは言わずに、行ける所まで行って無理はしないで引き返すつもりだと素直に答えておいた。山岳警備隊も昨日引き上げてしまったので、事故があっても直ぐに対応はできないから、くれぐれも気をつけるようにと彼は心配していた。客は他に誰も見えず、小屋は全体にひっそりとしていた。テント場はじっとしていると、さすがに沢風を受けて寒い。テントに潜り込んで缶ビールを飲っていると、クライマー二人が剱沢を下りてきてツェルトを張り始めた。他にキャンパーはなし。岩の殿堂のキャンプベースもシーズンオフを迎えたようだ。

 翌朝は快晴で始まった。出発は六時十分。長次郎谷の出合に七時着。意外と時間を食ってしまった。雪渓のスプーンカットの上をバランスをとってあるくことは出来るが、なかなか捗らない。ついに我慢できなくなって持参した軽アイゼン一つを左足に付けた。するとやはり楽だ。ドンドン進んで行ける。しかし、すぐに左側の源治郎尾根側の岩に取りついて岩伝いに高度を上げていった。谷を中程まで遡ったところから再び雪渓に出て、これを右へトラバース。今度は八ツ峰側のガラ場についたかすかな踏み跡を拾って行く。斜度が増して緊張感が高まってくる。単独行で、しかも周りに誰もいないと精神の安定が大切になってくる。ややもすると大自然の迫力に圧倒されてしまう。人間が気力で負けていては何も出来ない。集中力を維持しながら勇気をもって進んでいかなければならない。


 熊の岩の右側の雪渓をトラバースする直前に、岩影に大きなキスリング二つとサブザック一つを見付けた。一瞬ドキリとする。中の荷物が一部あらわになって、遭難現場みたいに生々しい。冬期遭難した人の持ち物だろうか?この人たちは生還できたのだろうか? 荷物の引取りが今尚ないと言うのはどういう事だろう? しかし、ここはクライマーが何人も通過していくルート上で、みな気が付いたに違いない。従って関係者に通報ないし報告はなされているはずである。ならば何故???疑問はなかなか解けない。急に寒気と悪寒に襲われた。

熊の岩

 熊の岩は広くてテントも張れる。雪渓の突き出しも近くにあり、絶好のキャンプサイトだ。ここで昼食をとり周りの景観を堪能しながら、これからのルートどりを考える。左俣の雪渓がここから見上げると、ずいぶん急俊だ。長次郎のコルに出るにはこれを詰めて行かなければならない。滑ったらアウトだ。やはりピッケルとアイゼンを持ってくるべきだったか。進むべきか退くべきか?生きるべきか、死すべきか! To be or not to be!・・・

 左手の源治郎尾根がストンと切れ落ちて行き着いた鞍部が直ぐ目の上にある。P2の懸垂下降点に違いない。確かにこちらの谷側は切り立ったガケだ。果たしてP2に立って、長い下降の精神的重圧に耐えられるか?しかし、それは来年源治郎尾根をやる時の問題で、今は熊の岩からの進退を決めなければならない。良く目をこらすと、左股を横切って、この源治尾根に達することが出来そうな部分がある。何度も何度も目でルートを引いてみる。さて、どちらを選ぶか?結局、冒険の少ない左股雪渓を詰めて、とりあえず可能なかぎり進んでみようと腰を上げた。ダメだったら引き返して次に源治尾根の壁を登ってみよう。足場の悪いガラ場に歩を進めながら鋭角の手頃な小石を拾った。熊の岩ではピトンを一つ拾っている。恐らく雪渓の上部は凍っているだろうからステッキは役立たない。そのかわりこれらを両手に握って、若しも滑落したら雪渓に突き刺して止めようと言うわけである。


 最初の内はなるべく雪渓を行かないで、熊岩に続く右側の小尾根ぞいにガラ場を注意して登って行く。ここまで来ると傾斜はさらに強まって、振り返ると息をのむ程だ。かすかな踏み跡らしきは、しかし、ザレ石の落下した跡かも知れない。さて、いよいよ雪渓に足を踏み込む時がきた。ふと右手の壁を振り仰ぐと、急斜面の岩にホールドがたくさん目に付いた。これは何とかなりそうだと、右へ回り込んで岩に取りついてみた。少し上部で一旦、雪渓に下りて再び手掛かりを得て直立する岩を必死でよじる。慌てるな!おじけるな! ホールドはしっかりしている。スロー・アンド・シュアだ。不安定な雪渓で手掛かりもなく苦闘するよりはずっと確実なのだ。やがて草つきを一気に駆け上がって小尾根の頭部に踊り出た。急に視界が広がり、三の窓への稜線が直ぐ目の上にあった。稜線までわずかに登れば長次郎のコルはすぐそこだ。ヤッター!ハー、ハー、肩で大きく息をしたものである。


 目の上、前方に展開するスカイラインに感激していると、その稜線手前を右から長次郎コルへと向かっている三人組みの姿が目に入った。連中は私の姿を先刻とらえていたに相違ない。しかし、等間隔を保ち、淡々と進んで行く。こちらはようやく緊張から解放されると同時に疲労を感じ出していた。両足がつってしまうこともあって、休憩を取ったり、ストレッチングをしたり縦走路になかなか出られそうにない。その代わり彼等が進んでいくルートを注視して、しっかりと瞼に焼き付けておいた。縦走路は稜線のこちら側に在り、二人は左端で回り込んで姿を消した。

 足の痛みが消えると元気がでてきた。広いガレキの斜面をゆっくりと登っていく。振り返れば長次郎谷が急な角度で落ち込んでいる。左側は八ツ峰が尖鋒を幾つも跳ね上げていて魅了するが、この峰は単独では無理だろうなと思う。しかし、反対側の源治郎尾根ならば一人でもなんとかなるのではないか?ここまで来ると余裕の足運びから素晴らしい山行を味わいつつあった。



 勇気を有り難う
 剱の岩と雪の狭間で
 何度あなたの名を呼んだことでしよう
 長次郎谷ひとりで登りました



 青一色だった空に、何時の間にかガスが少しかかり始めた。時刻は十一時。ここまでで時間は結構たってしまった。アイゼンなしの下部の雪溪歩きで時間を費やしたのが原因だろう。それにしても残りの時間は十分ある。疲労さえ大したことでなければ決して焦る必要はない。時々、この先ルートはどうなっているのか、ひょっとしたらロープが必要な断崖に出ることはないだろうか?などと心配しながらも無事長次郎のコルに到着した。ガスがかかって残念ながら西側の視界はない。長次郎の雪溪を見下ろすと傾斜が急で、クライマーはここから楽に下山するというから彼等の技術や経験は計り知れないものに思える。

 先ほど縦走路に登り着いた時に、チラッと剱岳本峰を見たら険しい岩場が恐ろしく思え、果たして私の力量で登り切れるものなのかどうか、不安を消すことができなかったが、今はガスが岩山を覆ってその恐ろしさを包んでくれている。さすがにここまで来ると、ルートははっきりしている。まず道を失うことは無い。実際取り付いてみると、案じたこともなく難しい所は無かった。左側から回り込んで登っていく途中、源治郎尾根がガスを払って姿を現したので、じっくりと観察した。例の懸垂下降点はこうして上部から見下ろすと、それほど難しい下降には思えない。途中にテラスがあるようで、そこで一息つけそうに見える。そしてここさえクリアすれば、あとは剱岳山頂までは問題ないだろう。来年再びここに来るまでに、懸垂下降の練習を一所懸命やっておこう。

八峰
源次郎尾根

 剱岳の山頂には数人が憩いの時を持っていた。一般ルートの反対側からひょっこりと顔を出すなんて私の気分は最高である。先ほどの三人連れは二人が若い女性だった。クライミングギアは既に二人とも取り外して仰々しさがないのは好感を持てる。単独で馬場島から4時間半で早月尾根を登ってきたというお兄さんは広島の出身で、北アルプスは初めて。こんな鎖場のある山に登ったことは今までに無かったという。北アルプス初めてで、いきなり剱岳とは恐れいった。馬場島に車を置いてきたので同じルートを戻るそうだが、さすがに気が重そうだった。それでも食欲は大せいで、コンロで湯を沸かし暖いものをたっぷりと胃に流し込んでいた。

剣岳山頂

 山頂の一時間はあっというまに過ぎた。時刻は十二時四〇分。下山開始。一般ルートだと言っても侮ってはいけない。カニの横バイではちょっと冷っとさせられた。敢えてクサリには手を触れないで大きな岩を回り込む際、足がどうしてもホールドを捜し当てられない。膝裏のフリクションでテラスにずり落ちて何とかなったが、人工のサポートを利用しない場合、一般ルートでも結構難しいものである。

 平蔵のコルに来て気が変わった。この先、前剱、一服剱と続く尾根は既に踏み跡を残している。平蔵谷を見下ろしていたら、この谷を下りて見たくなった。雪渓は細く右サイドからガレをうまく縫っていけば何とかなりそうだ。傾斜も上からみても大したことはない。

 浮き石に注意しながら序々に高度を下げていく。下部の雪渓に入り込むとさすがに緊張した。最初のうちは一つの軽アイゼンが十分効果を見せていたが、下るにつれて雪渓の表面が多少融解しているせいで、小型の軽アイゼンでは爪が雪をしっかりとつかみきれなくなり滑りやすくなっている。三度滑ってその度に夢中でステッキにしがみついて止めた。滑落したらシュルントに陥落か、岩壁に激突か!

源次郎沢

 ベースキャンプには十五時十五分帰着。小屋のお兄さんに報告、感謝。翌日、剱沢を登り返し室堂に下りてトロリーバス、ロープウェイ、そして又トロリーバスと乗り継いで扇沢に戻った。

剣沢乗越から剣岳
剣御前小屋






3 大日三山縦走 1990年8月     

8/29(水) 信濃大町~立山・黒部アルペンルート~室堂~雷鳥荘(泊り)

8/30(木) 雷鳥荘~別山乗越~室堂乗越~奥大日岳~大日小屋(泊り)

8/31(金) 大日小屋~大日岳~称名坂~称名の滝~立山駅、称名荘(泊り)

9/01(土) 称名荘、立山駅~富山~東京



        室堂から



       これがほんとうの山なのです

       空の青すんだ空気

       岩の間から冷たい水がわき出ています

       これがほんとうの水なのです



       室堂から立山を見上げますと

       神々しい気持ちになりませんか

       雄山の頂上まで登って

       神に近づきたいと思いませんか







       室堂平は短い花の季節を過ぎて

       チングルマだけが風に巻かれています

       雷鳥平の残雪はとうになく

       コケモモのみが鐘をならします



       ミドリガ池に神秘を探しましょう

       ミクリガ池に竜神を訪ねましょう

       雄山には今神風が吹き始めて

       立山の夏の終りは神妙です







        雷鳥沢から



       沢の浮き石に躓かないでください

       雷鳥の子が三羽かけてゆきます

       声が悪いなどと笑わないでください

       親鳥がわざと躓いています



       ジグザグの道はゆっくり登りましょう

       たとえ道程が長くても

       悠久の大自然の中では

       一瞬のことでしかありません







       剱沢が霧の中に消えてゆきます

       剱御前が従容として控え

       一服剱の奥に剱岳を隠しています

       霧が晴れるまで根気よく待ちましょう



       アルプス三〇〇〇メートルの稜線です

       雲は形を変え色を変えて神々を包みます

       神々の領域に入ってはいけません

       神々の庭を汚してはなりません







        大日岳から



       室堂乗越から剱岳の偉容を仰ぎました

       カガミ谷乗越から弥陀ケ原を眺めました

       タカネマツムシソウが一輪

       ミヤマキンポーゲが一輪



       ねじりハチ巻きがベソをかいています

       急斜面の苦しい登りはなかったけれど

       長々と続く稜線の縦走は

       あなたには厳しかったかも知れません







       大日小屋のみなさんの優しさに

       赤く燃えるストーブを囲んで

       初めてのあなたは歌を歌い

       夜のふけるまで語らいました



       大日岳の霧が晴れて剱岳のお出ましです

       たなびく雲間より太陽がわずかにのぞいて

       きょう一日の始まりです

       あなたの微笑みに朝の光がいっぱいです






  • 今日は、ここまで読みました。 -- 岬石 (2017-02-11 19:56:03)
  • 稚拙な詩を残しました。 -- inada (2022-04-14 14:40:59)
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最終更新:2022年04月14日 14:40