北鎌尾根



1 怖いもの知らずのバリエーションルート 1989年
 9/21(木)23時丁度そぼ降る小雨の中、新宿センタービル前から夜行バスで出発

 9/22(金)信濃大町もやはり雨だった。7時50分発の七倉行きバスに乗るまで、大町駅構内で仮眠を取る。七倉を出たのが9時。私一人だけである。高瀬ダムの岩の壁を直登して右のトンネルを抜けたら、烏帽子岳へ向かう橋のたもとに出てしまった。往復で20分はロスしたようだ。地図を持ってこなかったのは大変なミスだ。

 長い車道歩きが続く。雨は次第に強くなる。湯俣の30分ほど手前にきれいな避難小屋があった。ここで軽く昼食を取る。三畳ぐらいしかないが、これなら快適に泊まれるだろう。

 晴嵐荘に着いたのが、13時半。大町駅で一緒だった三人パーティが食堂で酒を飲んでいた。実はプロガイドの率いるパーティなのを後で知った。

 晴嵐荘の建つ広い河原には、露天風呂があり、三つ四つあるのだが、実際はそのうちの一つだけが良く利用されているようだ。ただし少しぬるい。一番手前のはひょうたん型になっており、小さな頭の部分は内湯の源泉になっていて、温度が高く、手を入れると熱い。大きい部分は、雨が降って冷水が入ったと見えて適温になっていた。物好きにも傘を差して入ってみた。足下がぬるぬるして、歩き回るたびに黒い湯あかが浮かんできた。

野天風呂あり
湯俣温泉 晴嵐荘

 夕食がカレーライスだけというのにはガッカリした。北アルプスのドまん中とはいえ、温泉付きの山小屋である。ある程度のメニューは期待していたのに・・・・。

 たまたま東京電力の施設管理作業で、関係会社の社員が多勢宿泊していた。山荘内はにぎやかである。夜行のつかれはそれほどなかったが、明日の行動を考えて早めに就寝する。

 9/23(土)出発は七時丁度。夜中時々目をさまし、外を見ると星が美しく輝き、月も顔を出しているかと思うと、次には、曇って何も見えなかったりと、はっきりしなかったが、今朝は雨も完全に上っていた。例の3人パーティを先にやり、十分後あとを追うかっこうになった。すでに後ろ姿はない。今回地図の用意をしてこなかった。ルートファインディングはうまくいくだろうか?


 水俣川を渡って、その左岸を行く。ルートは、はっきりしている。10分程行くと、慰霊碑が建つているところで道は二つに分れた。愚かにも、行きつ戻りつをくり返して、ここでも30分ぐらい損をしてしまった。急な道を登っていく道は冬につかう稜線上の道だったのだ。

 気を取り直して、あせらずに更に進んで行くと、川岸のヘツリに出たところで、先行の3人パーティに追いついた。ザイルを渡して岸壁をトラバースするところだった。流水が岸壁を伝って落ち、通行を難しくしている。二人が渡り終えた後、私にもザイルを使わせてくれた。水面上五メートル位いの所で、下を見ると少し怖い。慎重に足場を取り横にはっていくと、結構うまく渡れた。ホールドは手足ともすべることなく、ザイルには一応手をあてているだけで、重心を預けないですんだ。

 ガイドにお礼をいうと共に、このあと皆さんの後をついていく了解を求めたら、あっさりと許してくれた。けつきょくは、この時点から今回の山行は単独行ではなくなっていた。先行者の後をただつけていくだけで、ルートファインドの必要もなくなったし、様々の危険に対する緊張感からも解放されたわけだ。しかしながら、明日予定している独標はおろか、本日の幕営予定地、北鎌沢出会いまでですら、ルートファインディングがかなり難しかったことを考えると、まさに救世主に会った思いである。水俣川左岸ぞいのヘツリや笹やぶの道も、ところどころはっきりしない部分があった。一人だったらどう歩いたか、自問自答の連続である。やがて壊れかけた橋を一人ずつ慎重に渡ると、千天出会である。ここは広い河原だと予想していたが、実際は暗い感じの狭いキャンプエリアだった。うっかり千丈沢を確認することなく、いつのまにか天上沢右岸を歩いていた。

 まもなく、徒渉点に着いた。両岸にワイヤが渡されているだけで、橋のおもかげは全くない。案じていたとおり、きのうの雨で沢は激流となり、徒渉できる状態ではない。ケルンが積まれて徒渉点であることはわかるが、この激しい水流をどうやって渡ることが出来よう。

 ガイドさんはあちこち調べて、結局さらに上流へかすかな踏跡をたどることになった。暫くすると踏跡もなくなるが、なおも強引に右岸をいくと、大きな倒木が両岸をつないでいる所にやってきた。ためしに体重の軽い私が腹ばいになって倒木上を渡り切ると、次々と水にぬれることなく全員渡り終えた。ずぶぬれの徒渉を覚悟していたが、幸運だった。やはり、ガイドさんの判断に助けられたことになる。

 天上沢の左岸を2時間も行くと、広い河原に出、北鎌沢出会はすぐである。途中後からきて、追い抜いていった4人の若者のパーティが、出会いから少し行ったところで休憩していた。今日はどこまで行くつもりか? 時刻は13時半。まだ早いが、水場を考えるとやはり、この場所にテントを張った方がよい。ガイドさん一行も、先行パーティがこの先の北鎌沢のコルを占領することを考えて、今日はここ迄と決断したようだ。従って明日も、私はこのパーティのやっかいになれるわけだ。

 河原で流木を集めて、焚き火が始まった。すぐに酒が入る。皆陽気な人達だ。なかでも、私と同年配とわかった佐藤さんは、にぎやかな人で話題も豊富。どこかで見たような顔だとおもったら、案の定、ヤマケイの表紙に写真が載ったこともあるという。作家だったかしらん?沢歩きを良くするという。もう一人の公務員風の若い人は、といっても44才だそうだが、おちついた感じの人で体もがっちりしている。京都北西部の宮津という所から来たという。

 そのうち青年2人が到着してテントを張り、焚き火にあたりにきた。社会人なりたてだそうで、なんとかという山岳会にはいっているとのこと。さもありなん、若い二2人でここまで来れたわけだ。

 ガイドさんの用意してきたテントは、小さなツェルトで、3人寝るのに少々狭い。私のテントに佐藤氏を泊めることにした。我がテントに2人はいったのは初めてのことだ。残暑厳しいとはいえ九月も下旬である。朝方はかなり冷え込んだ。夏用のシュラーフだったが、羽毛ズボンと羽毛ベストを持参したので寒い思いをしないですんだ。佐藤さんは薄いビバーク用シュラーフしか用意してこなかったので、ずいぶん寒かったらしい。

北鎌沢出会いでキャンプ
幅1mのテントに2人
北鎌沢を登る

 9/24(日)快晴。夜中冷えこんだわけだ。満天の星だったからだ。今日は大陸の高気圧が日本の上空にひろがり、最高の天気。出発は六時。北鎌沢右俣をいく。やはり2~3日前からの降水でかなり上のほうまで水が出ている。2時間足らずのがんばりで、北鎌沢コルに到着。丁度五~六人用テントひと張り分の平らなスペースがあった。幕営したあとはない。天上沢側に大天井岳、千丈沢側に鷲羽岳、黒岳。三俣蓮華山荘が小さく見える。絶好の登山日和り。


 ここからは稜線上を上下して低木帯を抜け、岩稜帯にくると、独標がついに姿を現す。周囲の景観は素晴らしい。これより更に2時間くらい岩稜のピークを上下して、独標の基部に到着した。独標のトラバースは道がはっきりついており、案ずることもなかった。しかし、かなり険しい難路がこの先続く。慎重に一歩一歩進んでいく。そしていつのまにか、独標をまわりこんだ先のピークにたつた。独標の頂上はパスしてしまったようだ。少し残念な気がしたが、今やパーティの一員である。わがままは許されない。

独標
 槍がその全容を現した。まだまだ遠く、きびしい上下が待ち受けている。30分ぐらいで行けそうな近さにみえるが、2時間はたっぷりかかる。途中一ケ所でザイルを使った。 北鎌平を通過し槍の基部につくと、もう終りは近い。緊張感からも解放されて、皆満足感がただよう。しかし、槍を少し攻めたところで、ガイドさんは念の為かザイルを出した。ガイドとしては当然だが、ちょっと物足りない気がした。フリーで山頂に立ちたかった。実際ホールドは沢山あるので、高度感さえ克服すれば、ザイル無しでも容易に山頂に立ち得たと思う。

北鎌平からの槍
槍の頂上にて

 山頂には一般ルートから来た登山者が数人いた。なんとも面映ゆい気分である。山頂からの展望は雲海を下に見て、なかなかのもの。つい先月ここに登ったばかりなのに、また違った感慨で見渡すことができる。


 予定ではテントを張るつもりだったのだが、槍ケ岳山荘に泊まることになった。有り難いことに、佐藤さんが一万円貸してくれた。山荘には3~40人の人が泊まったようだ。夏のシーズンを過ぎても、山が好きな人は沢山いるのだ。酒盛りが始まった。北鎌尾根を踏破した喜びが又こみ上げてきた。


 9/25(月)今日も好天に恵まれた。槍沢を下り、上高地からタクシーで松本へ。京都の山田さんは12時半の夜行寝台列車で帰る。時間をつぶすのが大変だ。ガイドさんは聖蹟桜ケ丘、佐藤さんは国立にお住まい。一緒に“あずさ“で帰る。





2あこがれのバリエーションルート 1993年8月

 朝7時の「あずさ」で信濃大町駅まで。バス待ちの間、駅2階の食堂で昼食。バスは市街を抜けると他に乗客はいなくなった。七倉が終点。陽射し暑い。

 あいにくタクシーは出払っていた。無線で呼んでもらおうとタクシー会社に電話したら、高瀬ダムまでは無線は届かないと言う。三〇分あまり待ってようやく下山客を乗せて降りてきた。客は中年夫婦で、竹村新道から湯股に下ってきたとのこと。急な道だったという。ところで七倉から高瀬ダムまでタクシーが入るようになって、長いトンネルや車道歩きをせずにすむようになった。解禁になったのは去年のことで、以来、入山者がかなり増えたそうだ。前回は夜行電車で来て大町を朝一番のバスで発ち、七倉から歩いたのだった。

 高瀬ダムから二時間半で湯股に到着。内、トンネルや車道歩きが一時間、山道が一時間半。湯股の晴嵐荘は管理人のお爺さんが歓迎してくれた。北鎌へはガイドと中年婦人の二人連れが今朝向かったそうだ。相部屋の客は東京電力の下請けの業者が一人。一年中殆ど山に入っている由。彼が採取した茸のみそしるが旨かった。めずらしく九時の消灯時間まで食堂で話し込んでしまった。

 翌朝は六時に出発。曇り空でもわずかに青空が見える。順調に水股川左岸の踏跡をたどって最初の難関、岩壁のへつりの場所に来た。前回はここでガイド一行に追いついて、はからずもロープを使わせてもらったのだった。岩壁に滝のような水が落ちていたが、今回はそれがない。前回はかなり上部にフットホールドを求めてトラバースは容易だったと記憶している。一番上のテラス状の草つきの岩上をたどって向こう側にクライムダウンする手もある。もうひとつ、水面直上をへつって行くルートも考えられる。しばらく、それぞれを目で追った後、水面直上をへつることにした。小さな岩を靴底のフリクションでよじのぼり、オーバーハングした岩に体をぶつけないようにして、じりじりとへつって行く。中ほどまで来て適当なホールドが見つからず、息もつけなくなり一瞬焦る。もう後戻りは出来ない。目の上の岩を力一杯押さえ付けるようにして体を支え、かろうじて足を運んでホーッ、一息つく。あとはタイミングをはかって滑らないように岩を蹴って砂上に飛び下りた。肩で大きく息をしたものだ。

 その後はまずまずの踏跡を追って水俣川左岸を行き、壊れて傾いた橋を慎重に渡って間もなく千天出合。テント場を下に見ながら右岸を進んで、とうとう徒渉地点に到着した。第二の難関である。ざっと見渡しても、やはり飛び石づたいに渡れそうにない。前回は倒木がうまい具合に沢を横切って向う岸に届いていたので、四つん這いになってでも何とか水につかる事なく渡ることが出来た。ところが今回は水量が多く倒木の先端は、もはやこちらから届かない所に有る。比較的易しそうな場所を探して行きつ戻りつ、結局残置ロープを伝って15メートル程を徒渉することに決めた。意を決して沢に入ると水流は以外に強く、一瞬バランスをくずして息を飲んだが、ロープのおかげで事無きを得た。ただ、靴は履いたままでも靴下は脱いでおくべきだった。終わってからの後の祭り。靴下を絞る手間だけ余計であった。しかし、ともあれ無事徒渉し終えてホッとした。これで九割がた今回の山行は成功したようなものだ。いや、九割五分かも…。

 北鎌沢出合には十一時に着いた。この広い河原にテントをはった四年前を思い出しながら、ゆっくりと昼食。ここに到着した時には既にガイド一行の一員となっていた。皆で流木を集めて焚き火をし、心行くまで山の秋を味わった。今思い出す一こま一こまが懐かしい。四人で一緒に北鎌尾根から槍の頂上に立ったのだ。なのに単独制覇にこだわって又一人でやってきた。メンバーの一人は私を指して、過激なる中高年とよんだ。さもありなん、業が深いというか、意地っ張りというか…。

 日が差すと丁度良い温度。ただ曇りがちの今日は寒いくらいだ。そのお陰でここまでそうたいして汗をかかずにすんだ。さあ、あと北鎌沢右股の登りを二時間半がんばらねばならぬ。あの時、この沢がクリアできれば丹沢の沢は登れると言われた。しかし、そんなに難しかった記憶はない。今また急な岩ゴロの登りを難無くこなし、確かに体力的にはきつい登りだと感じながら、それでも二時間ばかりで本日の幕営予定地、北鎌沢のコルに着いた。水場は結構上の方にまであり、途中前回と同じような遥か下の地点で給水した為、かなり損な重量を担いだ事になる。考えてみれば前回より一ケ月も早く来たのだ。水量は全体的に多いはずであった。何はともあれ、明日の給水が楽なことは何よりである。五分も下ればOKだ。コルからは西に水晶岳、赤牛岳などが見えた。コルは狭く、まだこれから上がってくるかも知れない人たちのために、出来るだけ端っこにテントを設営。あと二張りの余裕をつくっておいた。

北鎌沢のコルから水晶岳
北鎌沢のコルにテントを張った

 *1 左岸 水が流れて行く方向に向かって左側が左岸。

 *2 出合 沢と沢が合流する場所。この場合は千丈沢と天上沢の合流点。

 *3 徒渉 沢に入って歩いて渡ること。水量が多く流れが早い所ではよほど注意しないと押し流される、危険。


 二十七日の早朝は夜来の雨がまだテントをたたいていた。様子を見ていたら六時ごろに止んで、変わって今度は風が出てきた。十一号台風の影響である。長野県は直撃されることはないにしても、厳重な注意が必要だとラジオは報じていた。大型の台風で、しかも予想より進み方が遅く、銚子沖に上陸したのが昼近くになってしまった。ラジオの予想を聞きながら出発か、停滞か案じている間に時間は経ち身動き出来ないまま今日一日が終った。

 次の日もガスが垂れ籠めて、どうもはっきりしない。しかし、風は無いので決行である。独標基部まで一時間半。特に問題になるような所は無かった。天気も段々良くなってきた。独標の登りは一旦トラバースしてから始まる。完全に反対側に回り込むとルンゼの深い切れ込みがあって往生してしまう。良く見ると足元の岩上に支点が出来ており、ロープがあれば懸垂下降できるようになっている。ただ、下に降りてからザラザラの上り返しが大変である。前回はここを避けたのを思い出し、トラバース・ルートを少し戻って見た。すると、直登ぎみのかすかな踏み跡が続いているのが見つかり、浮き石に注意して登って行くと、まもなくトラバースする踏跡が明瞭に続いていた。恐らく前回はこれに従ったがために独標を巻く結果になったと思われて、暫く逡巡した後、これを見送って上部へ進んでいった。

 独標の先の鞍部にたどり着き、更に左に戻るように回り込んで登ると遂に頂上に到着した。いつの日か独標頂上にとの夢が実現して感無量である。選ばれた人のみが立つ事が出来る頂上、そんな思いがどこかにあった。千丈沢側の岩の間に天幕一張り可能な余地がある。天上沢側にでると草つきの平地が広がって、ここにも幕営は出来そうである。ただし、こちら側は少し風が強くなる。一番上の岩の上には登山靴が片方置き残されて、年月日と何やらが書かれていた。槍の穂先を見やると、数人の人影が針のよう。先月登った針の木岳から野口五郎、鷲羽岳にかけての稜線、槍の左手には前穂のギザギザが見えた。

 名だたる独標を征服して満足ではあるが、どうもまだ払っきれないものがある。このひっかかりは停滞した昨日になってもたげてきたもので落ち着かない原因となっていた。今回の山行の難関は先ず第一に沢のへつり一か所、次に独標の登り、第三に槍の穂先の直登。この内、第一第二の難関は克服出来た。残るは第三の難関である。果たして登れるだろうか? 殆ど垂直に近い岩をクライミングしなければならないのだ。槍の穂先への最後の最後の土壇場なのである。途中の難関ならば早いとこクリアして、あとはのんびりと歩きたいところなのに、この北鎌尾根の最後に難関が控えているのでは不安はずっと引きずることになる。しかし、不安はそれだけではない。今朝は湯をわかしていたらストーブの火が突然消えてしまった。ガスを使い切ってしまったのである。半分しか残っていないカートリッジ一つしか持ってこなかった準備の甘さから、肝腎な時に手痛いことになった。腹拵えも十分出来ず、今日一日のスタミナが心配となった。

 さて、独標に続く岩稜はこの先まだ気を許せない。ルートは殆どが千丈沢側についている。槍がだんだん近づいてきた。一カ所嫌なトラバースがあったが無事切り抜けて、やがて北鎌平に到着。さすがにかなり疲れてきた。ここでビールでも飲んで暖かいカレーライスなど食べたら、元気になって不安など吹っとんでしまうだろうに…。槍はもう目の前である。もうやるっきゃない!


 北鎌平から大きな岩ゴロを一旦右側から巻くようにして登って行き、槍の基部に到着。なるべく稜線上から、これを攻撃して行く。小さな鉄板標の脇を尚も真っ直ぐに上がって行くと、左へ回り込むようペンキ矢印しがあった。前回ガイドさんがロープを出した所だ。これを回り込むと槍の頂上に憩う人達がすぐ目の上に現れた。そして階段状の岩を攀登って、あっけなく頂上に飛び出した。

槍の頂上に飛び出した

 槍の穂先直下の登りは前回の時より易しくなったように思える。ルート整備でもしたのだろうか?四年も経つとその間に相当の人が登降したものと思われ、自然にしっかりした道となってきたのかも知れない。全体的に確かに歩きやすくなっている。北鎌尾根の終了点に立ってみると、それまでの不安が消えると同時にその分逆に物足りない気分がおそってくるとは悲しい性分である。

 それはとにかく、こうして槍の頂上に立って来し方を振り返ってみると、独りでやり通した感激が沸いてくる。一日停滞して台風をやり過ごし、本日は良い天気に恵まれた。ルートファインディングが適確にできたのも、この晴天のお陰である。ガスがかかってルートの見通しがきかなかったら、こうは順調に進めなかったことだろう。山頂では十数人の登山者が、それぞれに山頂の憩いを楽しんでいた。私が北鎌尾根から登ってきた事など全然、意に介してない様子だった。バリエーションルートの存在自体を知らないのかも知れない。

山頂の祠
槍ヶ岳山荘
穂高への縦走路
常念岳と西鎌尾根
槍の頂上から

 時刻は十一時。槍ヶ岳山荘で望み通り、缶ビールにカレーライスを注文。やっと御飯にありついた。シーズンは終りに近いのに相変わらず登山者は多い。山荘の前でゆっくり槍を見上げていると、穂先を登る人は時間を追って増えてゆく。陽射しはまだ真夏のそれで、風は冷たいがヤッケ(レインスーツ上衣)を着てちょうど気持ち良い。

 十二時になって下山開始。槍沢ロッジ、横尾山荘、徳沢園、明神山荘と各山荘で休憩して上高地には五時半に到着。さすがに疲れた。小梨平にテントを張ってから、カッパ橋前の五千尺ホテル二階のレストランで生ビールを傾け今回の山行を打ち上げた。


 *4 ルンゼ  岩と岩の谷間のガラ沢。

 *5 ルートファインディング 一般路でもガスがかかったり悪天だったりすると道を失いやすい。人が余り入らない所では地図と磁石で道形を確認しながら進む。        

                                          (1993年8月歩く)

  • この文章は、当時に書いたものですか、それとも当時のメモから書きおこしたものですか。
    私も、昔の取材して絵を描いた土地の紀行文を、書いてみたい気になりました。 -- 岬石 (2017-02-11 19:22:46)
  • この文章はそっくり当時のものです。東芝のルポを使って記録しておきました。
    その後、富士通のPC、タウンズFMで記録し、Windows3.1が発売されてからは独自のHPを開設してアップしてきました。ブログを始めたのは15年くらい前からでしょうか。
    ただ、デジタルで直接書き下ろすようになってからは、長い間にはバックアップメディアが壊れたりして失った記録もあり、やはり手書きの信頼性にはかなわないとも思っています。
    さて、岬石さんも絵の取材で紀行文を数多残してらっしゃるようですね。本の形で残しておくことは後々の人にとっても大事なことと思います。期待しております。 -- inada (2022-04-14 14:09:29)
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最終更新:2022年04月14日 14:09