北アルプス2






唐松岳1988年7月
 東京地方は青空の快晴です。あまりに良い天気なのでかえって明日以降が心配になります。ただし、天気情報では南からの高気圧の影響で、この二、三日は良い天気が続くという事です。列車が松本から大糸線に乗り入れるころから少し曇り始めました。それでも沿線の山並みは雪をつけて見るものを飽きさせません。しかし、背後のもっと高い山々は上部を霧でまとい、その勇姿を見せてくれません。白馬駅からはタクシーでゴンドラリフト乗り場アダムへ。ところが何と、ただ今運転見合わせ中と看板に大きく書いてあります。山は強風が吹き荒れて今日は動きそうにもないとのことです。出鼻をくじかれた格好でがっかりしました。

 歩いて白馬駅まで戻りました。せっかくタクシー一〇〇〇円もかけたのに…。さてどうしたものか、思案にくれます。信濃大町まで戻って、そこからタクシーで扇沢へ行き、爺ケ岳をやろうと一旦は決めてキップまで買ったのですが、八方で民宿に泊り明日リフトに乗れたら乗ろう、だめだったら歩いて登ろうと考え直しました。白馬駅の宿泊斡旋所で六〇〇〇円でクーポン券を買い、再びタクシーにのって宿へ直行です。宿の女主人にすすめられて夕食までの間、近くの温泉で汗を流すことにしました。八方温泉第一郷の湯にはいりましたが、他にまだ二か所の大衆温泉浴場があるそうです。

 夕食後月が出て明日に期待を寄せたのですが、果たして翌朝は雨でした。それでも登るということで女主人に車で送ってもらい、ゴンドラに乗り込みました。風はずいぶんと収まってリフトに乗る分には何ら危険はありません。ただ、雨のため見通しがきかないのが残念です。ゴンドラリフトの終点でヤッケに身を包んでアルペンリフトに乗ります。ようやく雨も小止みになり、八方池山荘に着く頃には殆ど上がりました。そのかわりガスがかかって視界が良くききません。

 塾年夫婦が昨日一日閉じ込められたと言って、スキーをはいて出て行きました。そのまま下山するのだそうです。私も無理はしないで引き返すべき時は躊躇しないよう心に決めました。雪はしまっていて歩きやすく、冬期とちがってラッセルに苦しめられることは無さそうです。この分では行程もかなり捗るのではないでしょうか。目の前のピーク八方山に苦もなく到着。続いて第二ケルンへと慎重に周囲に目を配って歩いて行きます。ガスに巻かれた時、どう動くかを常に念頭に入れているのです。


 八方ケルンに着く頃には下界の方は晴れ出しました。西の空が明るくなっています。どうやら天候は回復しだしたようです。しかしまだ、唐松岳やその稜線は見えて来ません。雪に覆われて形状のわからない八方池を過ぎてヤセ尾根をたどります。下の樺を過ぎ上の樺まで来ますと次第に雪が深くなり、先程付けたアイゼンをはずしてツボ足で進みます。 丸山ケルンで中食を取ることにしました。風が強く冷たいですが、視界はだんだんと広がり、この分では唐松山荘まで行けそうです。時間もたっぷりありますし、気分も落ち着いています。ここからアイゼンを装着して出発です。ヤセ尾根が続き、強風で雪煙りが上がっています。突風に気をつけてバランスを崩さないようにしなければなりません。急斜面とヤセ尾根を何度かクリアーして、ようやく稜線に出ました。足下には山荘です。しかし、眼前に剱岳が待っているはずでしたが、あいにくのガスで何も見えません。時刻は一四時。登り切ってみると、それ程難しい登行ではなかったように思えます。それでも快哉を叫びたくなるほど、一仕事成し遂げた気分です。ここのところ、どうも負け犬でした。八ヶ岳では一度ならず二度までも敗退しています。

 小屋の周りをぐるりと回ってみてツエルトが張れそうな場所を探したのですが、なかなか良い場所はありません。適当な所で妥協して強い風の中、やっと張り終えて一息ついたのが二時間半後の四時半でした。雪洞を掘ったわけでもないのに時間をかけすぎています。頂上往復の時間もなくなってしまいました。雪を融かして夕食の準備を始めます。風が一段と強くなってきました。テント内空間が次第に狭くなってまいります。

 夜中依然として風は衰えません。それでも新しく買ったばかりのモンベルのツェルトはこの風に耐えています。月が出て明るく照らし始めました。外に出て景色をみたいところですが、風が強いので起き上がる気にもなれません。



 朝五時、もう外は白み始めました。あわててシュラーフをまるめ、水作りです。簡単な朝食を済ませて、七時には唐松岳頂上めざして出発しました。文句言い様のない快晴、そして大展望。剱岳、立山連峰が白く連なっています。三〇分後には頂上に到着しました。白馬三山、反対側に五竜岳がどっしりと構えています。南に妙高、火打・・・。


 ようやく風も穏やかになり、良いお天気に恵まれました。おとといなどは強風の中ゴンドラリフトが動かなくて、登山中止とまで思っていたのがウソのようです。唐松岳頂上から見ると、白馬三山への縦走はそうむずかしそうに思えません。ただ、不帰峰一、二、三があり、これをどう乗り越えるかです。遠見尾根の五竜岳へはどうでしょう。最後のツメの部分が難しそうですが、何とかなりそうな気もします。来年のこの時期には遠見尾根を五竜まで往復してみようと思います。


 いつまでも展望に飽きませんでしたが、三〇分位で降りることにします。山荘に戻ってツェルトをたたみ、九時には稜線に別れをつげました。下山は慎重に慎重に、急斜面やヤセ尾根は特に注意して通過します。時間は充分あります。大パノラマをたっぷり満喫しながら、そして写真を撮ったりしながらゆっくり降りて行きます。

 丸山ケルンまで来るとアイゼンを脱ぎ、まず無事に戻って来れたことを喜びます。第二ケルンを過ぎてから若い男女がスキーをかついで登ってきました。山麓で民宿を営んでいるそうです。名刺をもらいました。石神井ケルンではスキーヤーが大勢休んでいました。ここから先はもう下界です。スキー場の左脇を尾根づたいにグリセードを楽しんでいましたら、ゴンドラリフトの乗り場を大きくそれてしまい、登り直しが辛いものとなりました。 八方の第二郷の湯で四〇〇円支払い入浴。





霞沢岳1989年5月

5/8(月)晴れ。仕事明け直行。一〇時あずさ、一六時一五分上高地着。
 ゴールデンウィークを過ぎても河童橋は若人に人気がある。予定通り小梨平でテントを張る。さすがにテントは数張りしかなかった。ここから眺める穂高の景観は圧巻である。キャンプの届出を済ませて食堂で夕食。野菜イタメを注文する。すごいボリュームだが値段も八二〇円と安くない。満腹になってテントに戻りすぐ横になる。日中は暑かったが、夕刻になってからは過ごしやすい温度。七時にはシュラーフにくるまって眠ってしまった。


 5/9(火)曇り後雨。四時一四分起床。外は既に明かるい。野鳥のさえずり・・・。明け方はやはり寒かった。それでもズボンをはいただけでフリースジャケットまで着ることもなかった。

 出発は六時。明神六時四五分。早朝の散歩者数人。バードウォッチャーも。徳本峠への道に入って暫くで働き盛り中年の四人パーティを追い越す。私より年は若そうだが、特に急ぐ事もなく落ち着いた山歩きを楽しんでいた。上に行くにつれて雪の量も増す。去年訪れた時と殆ど変わらない量だ。心持ち少ないといった感じである。最後の急雪壁の登りもたいして苦しむことなく、徳本峠に八時四五分到着。小屋で五〇〇円也のビールを買ってベンチで中食。

 九時四〇分出発。小屋のお兄さんの話しだと、殆どの人がジャンクションピークまでいって戻ってしまうそうで、霞沢岳までは足を延ばさないようだ。小屋のすぐ上の展望台は雪に埋まっていたが、大きな双眼鏡だけが掘り出してあった。いよいよ、かすかに残る踏跡を追って稜線づたいに進んで行く。今回は薄曇りでも見とおしがきくのでルートは分かりやすい。去年はガスで視界がえられず、敗退の理由のひとつだった。しかし所々トレースは消えペンキやリボンも見当たらない。かまわず稜線どうしに下って登りかえすとようやくペンキマークが目に入ってきた。時々深い雪に足を取られ、呼吸が一段と荒くなる。島々側が急崖で雪庇ができており、右の斜面を幾分トラバースぎみに登って行く。丁度二時間で当面のピーク、ジャンクションピークに達した。しかし、ここでルート探しに大変苦労することになってしまった。島々側の見通しは良いのだが、目指す霞沢岳の見当がつかない。樹林越しに見える青白くそびえたつ峰々が、何時の間にやら穂高の峰と区別がつかなくなっていた。まさか、あんな遠くのあんな高い山が我が霞沢岳ではあるまいと・・・。突破口を求めてあっちをウロウロ、こっちをウロウロ。地図とにらめっこして大きなため息をつくこと三〇分、コンパスを持ってこなかったことを後悔したりで、もうさんざん。わずかに来た道を引き返してみたら、雪面すれすれの木の根もとに赤いペンキ印しがあるではないか!! あんなに遠くのあんなに高い山が実は霞沢岳そのものだったとは。しかも雪を沢山まとって何と近寄りがたいことよ!!


 ここからはペンキ印しが随所に見え、かすかにトレースもある。全体に下降が続き尚かつ小さなピークを三つ四つ上下すると、霞沢岳がぐんと近づいてきた。霞沢源頭と黒沢源頭の鞍部あたりにテントを張るつもりだったが、午後二時を過ぎて雨がポツポツ落ちてきた。どうやらその鞍部の二つ手前の小ピーク上の適当なところで幕営することになった。樹林帯のちょっとした斜面に素晴らしいテントサイトができた。目の前には穂高が高い。テントの中で一杯飲って横になっていると、突然ものすごい雷様。ピカーッと光って、すぐに大きな轟き。大粒のみぞれ。生きた心地がしなかった。三〇分も暴れまわってようやく通過していった。

 5/10(水)晴れ。四時半起床。なんと快晴のお天気!! まだ明けやらぬ二時頃、オシッコで起きたときは闇夜で星一つなかった。それに昨夜の天気予報では曇り時々晴れ、午後雷雨と言う事だった。心が踊るうれしい登山日和。六時出発。一〇分ばかりで左霞沢右黒沢の源頭に到着した。左右が切れて狭い頂稜を行く。目の前の小高い台地を乗っこすのにひと汗かいた。

 いよいよ六百山から霞沢岳に続く白一色の稜線が姿を現し始めた。狭い稜線を辿る長い道程に見える。果たしてあそこまで行きつくことが出来るのだろうか? アイゼンを履き左側の雪庇に注意して主に右側をトラバースぎみに徐々に傾斜を強めて行く。ようやく核心部にかかって、闘志が湧いてきた。まず稜線に乗っこすまでのルートを目で追ってみる。三ケ所が要注意箇所だ。

 急な雪壁に取り付いて1ピッチ無事通過できた。滑落したら深い谷底へアウトだ。フランス製のサングラスを今回始めてつけてみた。それほど暗くならず、まぶしさも感じない。まあまあというところか。第二ピッチ。ますます傾斜がきつくなる。一歩一歩慎重にのぼる。もう、ここまで来たらビビッてはいられない。ピッケルとアイゼンワークに全力集中だ。これを過ぎるとようやくあと一ピッチで稜線に出られる。傾斜は更に増してきた。しかし、これに近い登行はつい先日八ヶ岳で経験してきた。意を強くして、さあ前進。わずかの雪庇を崩して頂上に踊り出たのが八時。テントを出てから二時間もかかっていた。


 看板にK1ピークとあった。風が強い。目指す霞沢岳は、このK1を下ってまだはるか先だ。急に闘志がなくなって、これで満足しようかとも思う。すでに体はだるくなって動きもにぶい。三六〇度のすばらしい展望が得られたというのに、満たされた気分になれず、緊張感が解けない。小休後、結局行ける所までいって引き返そうと立ち上がった。気持ちとは裏腹に足はどんどん先へ行く。急な雪壁のくだりを難無くクリアーすると、それがまた自信になって更に先へ進む。どうやら闘志もわいてきたようだ。

 狭い雪稜がつづき右側の斜面をトラバース登行して行く。下は急傾斜の谷である。夏道の露出した岩のピークを右側から巻くと、ようやく霞沢岳頂上と書いた看板が見える所まできた。しかしながら、ここからが頂上になかなか着けないのだ。実際には時間的にたいしてかかっているわけでは無いのだが、疲労が激しく焦りも手伝って時間が長いように感じたのだろう。


 何度かゆるんだ雪に足をとられ激しい呼吸を繰り返して、ようやく待望の頂上にたった。九時六分、感激の一瞬である。四方に万歳を叫ぶ!!穂高はもちろんのこと焼岳が目の前に大きくその奥に笠ケ岳が懐かしい。あの長い稜線を去年の夏歩いたのだ。乗鞍岳も全山白一色だ。細長い頂上を先端まで往復し四〇分の休憩で下山開始。疲れてはいるがK1までは難無く通過。固くしまった雪にアイゼンが心強い。只、K1ピーク直前で両足がつってしまった。回復するまでの苦しかった事といったら無かった。再びK1の頂上にたって、今度は幾分かの余裕で展望を楽しむ。帝国ホテルと上高地温泉ホテルの赤い屋根が小さく見える。すごい高度感だ。

 K1の下降が一つのポイントである。足下の小さな雪が崩れて次第に大きな雪崩になって行くのを目の当たりに見る。恐ろしい。一歩一歩慎重に下っていった。この後更に二つ三つ雪崩を誘発してしまった。いずれも表層雪崩で、通過した跡は爪痕のようであった。この時刻になると雪もやわらかくなり、滑落の危険も大きくなる。朝アイゼンを装着した場所に戻って初めて今回の成功を喜ぶことができた。あらためてトレースしてきたルートを見上げると、実に恐ろしい。急傾斜のあんな高い所まで点々と続いているではないか!!良くやったものだ。由美子、由起夫、久美子チャン、ありがとう!!自然と涙が出てきた。

 テントに戻って祝杯をあげる。一二時半にもどったから、六時間半の長いアタックだった。今日はゆっくり休むとしよう。

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 5/11(木)雨の中テント撤収。アタックの昨日が快晴だったのには神に感謝せねばならない。徳本峠小屋のお兄さんに登頂の報告。






五竜岳~唐松岳1991年3月

 3/21(木)7時00分発特急あずさ一号神城駅十一時下車。みんなスキー客ばかりです。さて、タクシーはと見ると一台もありません。客待ちしているマイクロバスの運転手さんに聞いて見ました。テレキャビンに乗る人はどうぞ乗ってください、バス代無料ですよと教えてくれました。有り難い、遠慮なく乗せてもらうことにします。

 五竜、遠見スキー場に着きました。テレキャビンを降りると黒菱平です。スキーヤーで一杯のゲレンデ。思いザックを背負ってピッケルを持った私の格好は、どう見ても場違いな感じで落ち着きません。ずいぶんとガスッていてリフトの上の方は見えないのに、みんな怖くないのでしょうか。まずはレストランで腹ごしらえとしましょう。カレーライス 700円也、結構いい値段ですね。

 もう一本リフトに乗るとわずかで地蔵の頭直下まで来ました。リフトは緊張しました。下から五メートルくらいあるんですから。スキーヤーは平気のようです。急な雪の斜面をゆっくり登って行きますと地蔵の頭のケルンです。さすがに三月の山はまだ雪が多い。去年は五月だったですが、この辺は地肌が出ていました。スキーをはいたツァー組みが仲間の到着を待っています。

 雑木林の五〇メートルばかりの急登を頑張ると、ゆるやかな上りとなり、いよいよ遠見尾根を行くことになります。小遠見山が見えます。とりあえずそこまで頑張りましょう。雪の上のトレールには新しい足跡がついていました。山岳用のスキー靴です。しばらく高度をかせいだ後、急に視界がひろがりました。眼前に五竜、唐松の稜線が姿を現したではありませんか!! 雲は低くたれこめて、スキー場を覆っていたのです。さすがにまだ三月、稜線は白一色です。去年五月の連休にこの五竜をめざした時は悪天のため登頂を断念しました。飛雪を伴った強い風に負けてしまったのです。今回はそのリターンマッチです。良い天気が続きますよう。


 前方にスキーをつけて登って行く人がいます。いつのまにか足跡がなくなり二本のトレールが続いていました。今日はこの人と一日を共にすることになりそうな予感がします。でもなるべく彼の山旅を邪魔しないようにしたいと思います。


 小遠見山の山頂につきました。すばらしい眺めです。鹿島槍ヶ岳がすごい迫力です。北の方を見ますと、妙高がその特徴ある山頂をのぞかせています。その左に真っ白に化粧して寄りそっているのが火打山です。そして焼山、雨飾山と続きます。この二つの山はまだ登っていません。登山禁止の焼山はとにかく、雨飾山は深田百名山のひとつであり、いずれ登ることになるでしょう。実は入山口と下山口にそれぞれ温泉があり、ひそかに私の胸の内に温めている山なのです。妙高の右には乙妻山、高妻山が目の前に大きく見えます。こうして並べて見ていますと、あの時更に足を延ばして登っておけばよかったなと悔やんでしまう山が一つ二つ必ずあるものです。でも何時か登れる楽しみにしておくのも悪くはないでしょう。

 スキーの君は既に中遠見山の登りにさしかかりました。小遠見の山腹をトラバースして先を急いでいるかに見えます。私も遅くならないうちに、少なくとも大遠見に着いていなければなりません。優れた展望台から降りることにします。

 中遠見山の山頂は平で広くなっていました。雪に埋められて平になったのでしょう。その平な一角で一所懸命雪を掘っている人がいました。先刻のスキーのお兄さんでした。おや、どうしたのでしょう。まだ二時前です。行動を打ち切るにはもったいない時間です。立ち止まって話しを聞きました。実はこの場所は鹿島槍の北壁を撮影するのに最高なのだそうです。特に朝日がさしてきた頃の効果が最も素晴らしいと言います。北壁に対峙して写真に夢中になるというのも、悠々自適というものです。ところが私は山に来てまで先を急ごうとしています。どうしても山を縦に走り抜けたいのです。気持ちが若いというのではなく、未熟ということなのでしょうか。

 彼の話しによりますと、西遠見山まで行けば鹿島槍の双耳峰が見えるそうです。まだ時間が充分あるから行ける、見た目ほどには遠くないと言います。そしてお天気も明日の午後までは保証してくれました。午後から崩れるのでしたら、今日のうちに出来るだけ高度を稼いでおきたいものです。明日悪天で行動したくないからです。いま暫く鹿島槍の天狗尾根や東尾根の話しなどして彼と別れました。

 大遠見山の去年の幕営地は雪でうまっていました。二重山稜だったのが、まん丸になっていました。途中二つのテントが張られていました。時刻は四時をすぎてます。私もキャンプサイトを探さねばなりません。でも、そこは雪山です。夏山ほど難しくはありません。鹿島槍南峰が見える平坦地でザックを下ろすことにしました。


3/22(金)今朝はまずまずの天気です。六時きっかりにテントをたたむことが出来ました。西遠見山の登りでは雷鳥を見ました。グエッグエッと声は悪いのですが、白一色の羽に眉毛を赤くして実にかわいらしい鳥です。冬毛の雷鳥は三、四年前に乗鞍岳で見て以来です。大いそぎでザックからカメラを取り出してパチリ。うまく撮れたでしょうか。高校生らしい二人パーティに追い抜かれました。ずっとワカンを履いてきて、白岳の急な登りでもそのまま押し通していました。雪は適度にしまっており、ワカンの必要はないのではと思いますし、急な斜面で、もしバランスをくずして転倒でもしたら足下の自由がきかなくなります。転滑落の危険がきわめて大きいと言わねばなりません。それならばむしろ何もつけない方がずっと安全でしょう。もちろん私の場合は西遠見の下りからアイゼンをつけました。今回の山行でワカンを携行するかどうか迷いましたが、いかに豪雪地とはいえ春山シーズン・インの北アルプスです。しかも連休とあって、きっと学生を初めとして多くの岳人が入山しているに違いないと考えて持って来なかったのです。多少のラッセルは覚悟していましたが、思った通り殆どその必要はありませんでした。


 出発して一時間ほどで白岳の山頂に着きました。ずいぶん苦しい登りでした。高校生パーティは一人がかなり遅れています。縦走路を確認したあと、すぐに五竜山荘に向かいます。きゅうな下りをアイゼンをきかして降りて行きますと、山荘は雪深く半ば埋まっていました。念の為、冬季解放小屋があるかどうか探してみましたが、やはり完全に戸締まりされています。北アルプスでは登山者はマナーが大変悪いと言われております。羽目板は剥がして燃やしたり、そこいらじゅうに汚物はたれほうだい。何のために山に来るのか分かりません。有名山地には大勢の人が集まりますので仕方のないことかも知れませんが、悲しい事ですね。それはとにかく、少々疲れました。屋根裏の適当なスペースで一休みです。後から三人パーティがやってきました。顔付きを見るとベテランのようです。思わずプロの方でしょうかと聞いてしまいました。それぞれ職を持った社会人ですよとの答えです。若い女性がメンバーの一人で、なかなか足と腕のそろった実力あるパーティです。

 三十分ほど休んだ後、ザックはその場所にデポし、カメラだけを持ってさあ出発です。でも足がなかなか動きません。どうも体調が良くないようです。すぐにあの三人パーティに追い付かれ、道をゆずることになります。五竜岳の登りは急雪壁のトラバースから始まりました。はるか下は谷です。怖くないはずはありません。さすが三千メートルの稜線です。冷たく強く吹き付ける風に足もとはクラストしています。しかしアイゼンの爪は良くきいています。滑り落ちることは先ずありません。岩やズボンのすそに引っかけて転ばないように注意すれば良いのです。続いて急な登りです。ピッケルのピックを雪壁に突き刺して手掛かりにし、足をけりこんで体をずり上げます。ゆっくり動作を行わないと長い行程を続けることは出来なくなります。そうは言っても、垂直に近い壁を登っているという意識が働いて、自然と早まってしまうものです。何度も呼吸を整えた後、またトラバースを経て最後に最も急な雪壁を登りきると、やっと頂上に飛び出しました。狭い頂稜の一角です。鹿島槍がすごい。今日これから行く唐松岳への稜線も手にとるように見えます。そして、おお! 北に立山、剱岳が浮かんでいるではありませんか。とにかく素晴らしいの一言です。


 三十分も眺めていたでしょうか、それでも飽きることはありません。ただ、今日はまだ先があります。そろそろ降りなければなりません。さて、下りは登り以上に注意が必要です。手掛かりと一歩一歩を確実に、そしてリズミカルに降りて行ければたいしたものです。最近はどうも恐怖感が少し薄れ気味で、確実さを無くしている傾向がなきにしも非ずです。あらためて気をつけたいと思います。

 登り一時間半が、下りは三十分で小屋に戻ってしまいました。我ながらうまく下りたようです。小屋の脇で昼食休憩とします。出発を十一時に決めて、小一時間の憩いです。たつた今下りてきた五竜岳を仰ぎ見て、あんなに険しい所をたどったのを、いつもの如く人間の力はすごいなあと驚嘆するのです。まもなく、三人パーティが姿を現しました。豆つぶのようです。

 五竜の登頂に大満足した後は、白岳の山腹を左にトラバースして縦走開始です。稜線漫歩といきたいところです。しかし、ちょっと甘かったようです。白岳と五竜の登りでかなり疲れてしまってます。長い休憩をとった割に疲労は回復していません。逆に冷えたせいか両足がつってきました。そろそろ天気もあやしくなってまいりました。剱岳にガスがかかってきています。痛みをこらえて先を急がねばなりません。大黒岳を越えて牛首山の登りにかかる所は多少ラッセルがあり、エネルギーを消耗します。そして、これをクリアすると次に岩稜の登降です。多少難しい岩場の通過でも、ふだんならばかえって刺激になって山行を豊かにするのですが、疲労が激しい今日はなんとなくいやな感じがします。疲れで足があがりませんと、何でもない岩にアイゼンのツァッケを引っ掛けてしまったら大変なことになります。それにしても牛首山はすぐ目の前なのに、何度も小さな登降をくりかえしても山頂に届きません。とうとう雪が吹きつけてきました。視界もぐっと悪くなってきています。今や焦りを通り越して投げやりな気分が台頭してきました。ハァーハァーと荒い息にまじってため息も出てきます。こうした状況が一番危険な時なのです。急なガケを降りる時なぞ手掛かり足掛かりがはっきりしない内に体を移行させてしまいました。下は千侭の谷だというのに、もう落ちてもいいやと一瞬思ったりします。恐らくこんな時に遭難してしまうのでしょう。山登りに一番必要なのは、考えられるあらゆる手を尽くした後は目的を達成するんだという強い精神力、あるいはちょっとおおげさにいえば必ず生きて帰るんだという強い意欲だと思います。

 肩で荒い息を繰り返しながら、やっとのことで牛首山の山頂に着きました。ここまで来ればもう唐松岳山荘小屋に着いたも同然です。この山は山荘との高度差があまりないのです。五分もくだればOKです。既に二時を回っていました。三時間も苦闘したわけです。予想以上の苦しい縦走でした。

 前回は山荘の西側にツェルトをはりましたが、今回は反対側に風を避けました。テントの中で息をついても、食欲は全然出て来ません。山で極度に疲労すると、何を食べてもおいしく感じません。喉を通らないのが普通です。気分が悪く吐き気がずっと続くようでしたら、なるべく早く下山するにこしたことはありません。高山病にかかっていると思われるからです。平地に戻って一晩眠ればすぐに直ります。食欲も戻ります。しかし、そのまま高山に滞在しますと、たとえ一晩眠って休息十分でも食欲は出て来ないのです。高山病にかからないようにする為には、一気に高度差を稼がないことは言うまでもありませんが、極端な疲労を招くほど行動しないことです。

 雪は夜になってかなり激しく降ってきました。テントのまわりは五、六十センチも積もってこのままではテントがつぶされてしまいます。濡れたダブルヤッケ上下を着て思い切って外に飛び出しました。両手をスコップにして雪かきです。これまた重労働です。

 再びシュラーフにもぐりこんでヤレヤレと思っていたら、皮肉なことに雪は雨に変わりました。夜半に雪が雨になるなどとは初めての経験です。三千メートルの稜線ならではのことでしょう。とにかく、テントが雪に埋まる心配はなくなりました。存分に眠ることができます。

 朝はゆっくりと六時に起きました。いつもなら、テントをたたみおわって出発している時間です。雨は小降りになっています。八方尾根の偵察に出てみました。降り積もった雪の下はアイスバーンとなっているので、面倒でもアイゼンをつけます。山荘の裏を上り切って、尾根への下降口まできました。視界は五十メートルぐらいです。不安ですが少し歩いてみて、行けそうな気がします。コースを間違っても日程に余裕がありますので、戻ることができるでしょう。

 雪を溶かして水を作り、紅茶にしてテルモスに入れます。大福一つと紅茶一杯を胃袋にやっと流し込んで、出発は八時になりました。唐松岳山頂はガスで見えません。残念ですが今回は登頂をあきらめました。もし下山でルートを失い、体力をよけいに必要とした場合を考えて余力を残しておこうと思ったからです。

 ラッセルを覚悟していたのですが、夜半からの雨のせいか結構しまっています。その上昨日まで大勢の人が往復したトレースがところにより残っています。なによりも要所要所に竹ざおが立つていて大助かりです。思い切ってテントを抜け出して正解でした。それでも慎重に歩を進めて、とうとう丸山ケルンまで降りてきました。ここまでくれば、もう安心です。ザックをおろして大休憩とします。雨もほとんどあがりました。見上げると、私のつけたトレースが一本の線となってガスの中に消えてゆきます。

 上の樺を下山中、中年の三人パーティとすれちがいました。下の樺ではテントが張られています。ようやく尾根全体が姿を現しました。でも上の方はまだ深いガスの中です。陽が差してきました。第二ケルンで濡れたテントをかわかすことにします。このまま下界におりてしまうのが名残惜しく思えたからです。五竜岳に登って唐松岳まで縦走した感激をもう一度反芻してみるのでした。

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最終更新:2013年10月08日 15:25