失敗文 時計埋め込み3

10時間経って放棄。
Sun Jan 06 21:45:40 2013


目黒の写真美術館に巨大なピンホールカメラが展示されていた。
通常のピンホールカメラは立方体の側面1つに小さな穴があり、
外界のいろいろな方向から光子群が穴を通過し、
立方体内面に、逆さになった像を描く。

このピンホールカメラの内部空間に入って
倒立した像を見ることができた。


これをちょっと改造しよう。立方体から半球にし、
半球底面中央に小さな穴を開け、投影面をドーム内面にする。
ドーム中心にある投影機から光子をドーム内面に投射する感じ。

いろいろな方向からやって来た光子群が同時にピンホールを通過し、
ドーム内面に像を描く。

ピンホールを通過し、ドーム内壁面に到達するまでの経路が均等化された。


外界のいろいろなものには遠くのビルや、比較的近くの街路樹があった。
夜空に見える北極星やシリウス。それぞれ地球までの距離が違う。
外界のいろいろなものがピンホールに到達する距離が違うように。

夜空に見えるオリオンの三ツ星。これを見かけ上、線分とする。
天文学によれば地球までの距離は同じではない。

距離が同じであれば、観察行為は、情報遅延があるとは言え、
3つの同時存在を確認したことにある。
地球から等距離ならば円弧上にある。

オリオンの三ツ星は4つの星々の枠内にある。
夜空全体はドーム状に見えるが、その部分範囲だけに注目すると平面に見える。
その平面内にある直線性の線分は見かけ上、円弧には見えず、円弦である。

実際に三ツ星の真ん中の星が、円弦にあり、両端の星が円弧にあれば、
3つの星が送り出した映像が同時刻であっても、地球への到着はズレる。
真ん中の星の情報だけ先に着く。

この円弦を特殊相対性理論の列車が走っていたらどうなるであろうか。
特殊相対性理論の思考実験。列車長さや列車内の光子には注目しているが、
列車が通過した、及びこれから走るところの線路の存在に着目すると、

どうも、映像が目に辿り着く情報遅延を考慮し忘れているに気付く。
ガリレオやニュートンの時代ならいい。光速度一定、
それは見かけのxy座標面内での動きだけではなく、
そのxy座標面と思われる曲率があったりなかったりする面情報が、
ピンホールに辿りつく奥行き方向も考えなきゃ。

まるでアインシュタインの一般相対性理論で、
地球表面と地球中心を考えるときのように。

まったくもってアインシュタインは天才だが、
テレビゲームをしてなかった。
FPSやTPS。

100年後の我々にとっては、当然の世界。


円に内接する正六角形。その上半分。
半円に内接する「3つの正三角形からなる台形」。

円の中心、半円の中心に
光子が落ちてくるを待ち受ける
アリジゴクをイメージするよ。

台形の上底、逆三角形の底辺が円弦になってる。
△▽△

ここに三ツ星を配置する。
真ん中は垂線。半円中心からの垂線は斜辺である半円半径より短い。

ということは、
3次元空間の三ツ星で同時に起こった事象が、地球では、
真ん中の星の事象だけが早く辿り着く。

三ツ星からなる線分を線路に見立て、一定速度で列車を動かしたら、
地球では、だんだん速くなり、真ん中を通過するとだんだん遅くなる。

全体的に情報遅延は事象地点からの距離で発生するけど、
これを経路長分だけ補正しないと。

アインシュタインが要請している普遍性は見かけのことじゃないからね。

逆三角形の両端、台形上底の両端は、地球までの距離、半円半径。
垂線を下したところ、台形上点中間地点は、垂線を半円円弧まで延長すれば、
これも半円半径になるで。

これで等距離化できた。


復習するよ。

部屋の壁に横線、線分をイメージしてくれ。
壁まで1メートルのとこに立っている。

自分の頭部から線分両端への斜線と
壁に下した垂線の長さは揃ってない。

いま、壁にイメージした線分が光った。
まだ光った瞬間には、線分各点を旅立った光子は頭部に到着していない。
だから、まだ光は見えない。

いま、線分中央が光ったのが見えた。
徐々にその光ったのが両端に拡がる。

線分を瞬間点灯しただけなのと点灯し続けるの両方イメージしといて。

観察は記録した。
しかし、これは情報摂取地点での見かけの記録でしかないから、
情報遅延分を補正しなければならない。

壁にイメージした線分。水平方向だったね。
垂直方向を時間軸にしよう。

線分両端からの頭部への到達時間は線分を円弦であり円弧とする半径。
線分両端どちらからも半径分の長さ、下方向に延ばす。過去。

線分中央は円弦の中央。頭部と円弦中央の先の円弧にあったとみなす。
早めに情報が来た分、あたかももっと遠くから来たかのように。
そして、これも下方向に半径分、下げる。


もうちょっと一般化しよう。

頭部は壁との距離1メートルぐらいだった。
壁にイメージした線分はそのままに、壁に近付く。

線分中央に頭部がくっ付く。

このとき、線分であり円弦と見立てていたものを、
円弦の中で最長の直径と見做す。

壁にくっ付いたから、線分は目ではもう見えないよ。
目を瞑った状態と同じだ。

肩の高さに腕を上げ、左右に伸ばす。
左右の腕先が、線分両端に重なる。

ここで再度イメージしよう。
線分両端が光った。

腕の長さを30万キロメートルとしよう。
1秒後に頭部に光が届いた。

線分両端と同時刻に線分中央も光った。
頭部には瞬時にって、頭部のあるところが線分中央。

これを壁の奥、30万キロメートルの半円円弧中心に補正。
頭部と円弦中央を結ぶ、いまは頭部と円弦中央は同じ位置だけど、

さらに、3つの点を、壁にめり込んだ半円円弧を下にズラす。1秒分。



まだやってることがわけわからんのは当然。
未完成。相対性を導入していない。
2人称でもなければ3人称でもない。



















記憶がいつものとこで嵌った。
中途ではやってならんことやってる。

Sun Jan 06 16:48:38 2013
「「「「「「「「「「「「「「「
それでももうちょっとこの段階で遊ぼう。

△▽△
台形上底を、線分長さとして壁にイメージしたり、
台形上底だったところを、台形下底に変換したりした。

いままでは動かなかった線分。今度は線分を動かしてみよう。

アナログ時計360度は12で分割して、5分角が30度。
正三角形は60度。だから、それぞれ頂点を半円中心とし、

左側正三角形底辺は、09と11を結ぶ線分。9時と11時。
中央正三角形底辺は、11と01を結ぶ線分。11時と1時。
右側正三角形底辺は、01と03を結ぶ線分。1時と3時。


11時と1時を結ぶ円弧を列車全長とする。
これの列車が1秒後に60度回転した位置が
1時と3時を結ぶ円弧。

逆にこの列車が1秒前に60度回転した位置が
9時と11時を結ぶ円弧。

































以下も失敗。
上記の文、ずっと昔に頭の中でできてるんだけど、
取り出すときにいつもびっこ。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\


半径30万キロメートルのプラネタリウムドーム。
内壁面がLED発光素子で覆われている。

いま、すべてのLED発光素子が光った。
1秒後、半球底面中央に光子群が到着した。






特殊相対性理論の思考実験を確認しよう。
アインシュタインの見解はダメダメになったが、
思考実験イメージを詳細に検討してみよう。


光速度一定、つまり瞬間に情報は伝わらない世界。

古典物理学では、瞬間に情報が伝わる。
それが光速度が有限になったことで使えなくなった。
というか、情報が遅延する世界での思考実験イメージは
どのように扱わなければならないのだろうか。


列車が等速直線運動しているように見えるイメージ。
数学では無限性の座標上でそれが行えるが、
物理の実験空間では有限範囲内で確認できるだけである。

列車の長さは、いま問わないので、
列車中央にだけ注目する。

列車中央が実験中実験空間内に存在すること。
列車中央が通過した線路区間とこれから走る線路区間が、
実験中、常に存在確認できることが求められる。

列車は基準系に対して動いている。
線路は基準系に対して動いていない。

線路を構成するすべての点(枕木)が同時に点灯、消灯するをイメージする。

数学的存在なら、

情報を得る身体(空間位置)も必要なければ、
情報を得る手段(光速度一定)による遅延もない。


通常空間に直線性の線分を構成する各点から等距離の位置を求めるのは
不可能である。

思考実験で、直線性の線分を構成するすべての点が
同時に点滅するをイメージしている。

日常に於いても、直線性の線分の鉛筆の各部が空間に同時存在していると
イメージしている。

日常では、視点と対象の位置関係が、見えとなってるが、
鉛筆先端から覗くと、長さが感じられなくなる。

鉛筆が最も長く見える方向のとき、
視点から鉛筆に垂線を下すと鉛筆両端へは斜辺となり、等距離にならない。
鉛筆各部に埋め込んだアナログ時計映像が、視点に届いたとき、不揃いになる。

鉛筆各部の同時存在、たとえ遅延情報であっても、
それを同時には受け取れない。


そこで直線性の線分である鉛筆各部から等距離にある点を、
通常空間とは異なるところに求める。

ここでは鉛筆有限長さが、円弧として描かれる。
この円弧を円周の半分としてみよう。

そして、円の中心で目を瞑る。
鉛筆両端を結ぶ半円周と直径。


特殊相対性理論では、基準系の観測者として原点Oにダミー人形が置かれ、
同時に、ダミー人形が置かれたx軸がイメージされる。

実際に線路に立ち、線路の進行方向でもその逆方向でもない、
まるで遠くから線路をもっとも長く見える方向と同じ視線方向を
線路上のダミー人形がすれば、線路の長さを知覚できない。
目を瞑った状態と同じ。

線路がもっとも長く見える方向、線路への視線が垂線になっている位置。
それでいて、線路から離れている位置。

ここからは線路各部は等距離じゃない。
そこで線路を半円周に沿うように曲げて、
観察していた位置を両端を結ぶ中間地点、半円の中心にすると、
線路各部が観察している位置から等距離になり、
しかも、




















線路区間の中央に立ち、目を瞑る。
肩の高さで両腕を左右に伸ばす。
片腕の長さ30万キロをイメージする。
指先で起こった事象が1秒後に首の付け根で確認される。


数学的超越的認識能力は、光速度に制限されないし、
空間内存在である必要もないから、情報をいつどこで得たか不明である。

一方、物理的世界の観察者は、光子によって情報を得る。

半球底面の東に左腕先。
半球底面の西に右腕先。
顔は南を向き、背中は北を向いてる。
首の付け根が、半球底面中心。

足元が下半球の底に接している。
頭頂の先に上半球の天頂がある。

3次元空間の上下方向を時間軸とする。

















線路に立って、目を瞑(つむ)る。
線路は半球ドーム床の直径になっている。
立ち位置は半球底面中央。

3次元空間に半球ドームをイメージする。
3次元空間を構成する点が、いますべて光ったのをイメージする。
数学的空間意識は、これをイメージできる。
同様に半球ドーム空間を構成する点すべてがいま光ったのを。
同様に半球ドーム床直径を構成する点すべてがいま光ったのを。

数学的空間意識は瞬時に情報を摂取する。
しかも空間内の特定位置で情報を摂取するわけではない。

一方、物理的観察者は光子が情報をもたらすまでなにも知らない。

半球ドーム空間の下半分の半球空間を水で満たす。
立ち泳ぎをし、肩を水面すれすれにし、両腕を肩の高さで伸ばす。

片腕の長さがドーム半径とする。首の付け根が半球ドーム中央。
目を瞑る。左腕先から右腕先までの直径がいま光ったとする。




































以下は失敗の記録。
Sun Jan 06 12:01:56 2013

3次元座標空間を構成するすべての点にアナログ時計を埋め込んでみよう。
目を瞑(つむ)る。このいま、空間的に離れてるところで、
同時刻を刻む無数のアナログ時計がある。

これが数学的空間認識と時刻。

4次元空間をイメージするのは難しいので、時間軸を導入するとき、
次元を1つ下げる。

コピー機から連続して排出されるA4用紙が積み重なる光景よろしく、
時間軸を垂直、上下のz軸方向にイメージする。
同じ高さにある埋め込まれた時計は同じ時刻を示す。

もひとつ次元を下げて、黒板にxy座標空間を描く。
時間軸を教室の天地、上下のy軸方向に割り当て、
横方向x軸に長さを割り当てる。

ここまでは、数学で速度が「x軸長さの距離」と「y軸高さが時間」の
傾きで表されていたのと同じ。

数学では無限性のx軸のどこでも同じ時刻。y軸高さが同じであれば。
目を開けてたって、そんなことは当然の知識。
アナログ時計の秒針角度はどれも同じ。

そこを敢えて、目を瞑ってもらおう。
安全の為、まだ目は開いたままで。目ではなく、目蓋(まぶた)かな。

立ち上がり、目を瞑って片足で立つのは平衡感覚がないと危ないので、
両足でしっかり地面につけて。目を瞑る。

腕を肩の高さで左右に伸ばす。身体全体で十字型というか、大の字。

左の指先から右の指先までをx軸の線分に割り当て、首が原点O。
背骨がy軸といったところ。

目を瞑ったまま幽体離脱をする。自分の身体はそこにおいたまま、
三歩後ろに下がる。もっと下がる。ずっと下がる。

肩の高さにある埋め込んだアナログ時計がどれも同じ時刻を指している。
定義から当然だね。


指先から首までの腕の長さを30万キロメートルとする。

幽体離脱した私には、経過時間0で、
左指先も首も右指先も見ることができる。

ガリレオの相対性みたいなもんだ。光速度という、
情報摂取に時間が掛からない世界。

光速度一定ということは、瞬時でないということ。
情報が伝わるには時間が掛かるということ。

経過時間。情報の発生場所と到達場所とで情報遅延があるということ。


丸いアナログ時計。時針・分針・秒針が回る下、文字盤には色や意匠がある。
意匠はアナログ時計の位置が書き込まれている。

原点O、首のところに、左指先の情報が伝わるのに1秒遅延。
「情報発生場所位置と時刻」が、「意匠と針角度」として伝わる。

原点Oのところにいる私は、長さを描けるのであろうか。
なにひとつ私と同時刻の情報が集まらない。

それでいて、左指先と右指先の情報は、
同時刻に、同じだけ遅延した情報として得ることができた。

同様に、左肘と右肘の情報は同時刻に同じだけ遅延した情報として得た。

長さのある両端は、直線性のある線分両端は同じ扱いができた。


では、プラネタリウムドーム。天井に描かれた
円弧のどの部分も同時刻に同じだけ遅延した情報として半球底面中心で得れる。
円弧の両端もその間のどの点も同じ扱いにできる。

今度は円弧の両端を直線性で結んだ弦、線分をイメージしてみよう。

プラネタリウム中心から「弦に下した垂線」と「弦両端への斜辺」は
長さが同じではない。遅延が等しくない。

30センチ定規の両端と中央が同時に存在しているように見える日常の感覚は、
物理学としては使えない。

どうすれば直線性の線分を構成するすべての点が同時存在するとして
扱うことができるようになるだろうか。

瞬間的に空間のあらゆる地点の情報を得ることができる幽体離脱したものが
得るイメージは使えない。情報摂取した位置すら所在不明な幽体離脱は使えない。

かと言って、線分上の実体的な位置で情報を得ても、それは不完全である。


そこで幽体離脱を規格化する。
瞬間的に情報を得れるのではなく、光速度一定と結びつける。
さらに、情報摂取した位置を同時存在して欲しい点群と結びつける。

日常の意識では、30センチ定規や鉛筆は真っ直ぐなものである。
そこには対象だけが存在して、対象を見るものはいない。

日常の見え方では、対象とそれを見るものがいる。
その見え方を、従来、設計図の三面図として正面・側面・俯瞰で描いていた。
対象は一塊として存在するはずで、見る方向だけが問われた。

しかしいま、正面でも側面でも俯瞰でもいいんだが、
対象情報を得るものを点として扱うとき、対象として見られるものが
曲率のある平面に描かれなければならない事態になった。

どうも表現が堅い。


情報を摂取する地点も、情報を送り出す線分すべての点も、
確かに3次元空間にあるんだが、

例えば、線分のすべての各点が、一斉にいま光ったとする。
線分両端を底辺とする二等辺三角形の頂点に観察点を置くと、
底辺中央から両端へ点滅が移動する。

これでは問題が生じる。

特殊相対性理論で思考実験するとき、長さどうのこうのは関係ないよ。
ここで注目しなければならないのは、列車中央は等速度で移動してること。
そして、列車が移動する線路自体は常に存在が観察される必要があること。

直線性の線分両端を挟むすべての点を常に観察できる観察地点が、
3次元空間内にはないことだ。

いままでの思考実験が、設計図の三面図、その正面イメージに頼り切って
失敗したことは最初に示した。アインシュタインのダメダメとして。

だがローレンツの呪縛は、それとは違う。


もう一度30センチ定規なり鉛筆の直線性と有限性を見てみよう。線分。

両眼の間に間隔があるけど、これは無視して一つ目小僧になるよ。
空間の一点に情報が集まってくる。

3次元空間の1点には、
線分を構成する同時存在情報すべては同時には到達しないこと。
列車の線分性よりも、列車が走る線路の線分性、実験空間。
それが重要なこと。実験空間は無限ではなく有限。

この実験空間がある時刻に確実に存在しているイメージが描きだせること。


では逆にいままで直線性を持つ線分と思われていたものは
なんであったのだろうか。

壁を前にして睨めっこ。映画館の平面スクリーンでもいい。
一つ目小僧の眼に光子が飛び込んでくる。
あらゆる角度から、方向性を持って。

どれも同じ速度。

平面スクリーンの端は遠い。中央は近い。
一つ目小僧の眼にとって。

でも、これは数学的空間認識の思い込みだとしたら。

再構成が始まる。

いま見えた光景は、方向性を持った光子群の瞳への侵入角度である。
この光子群を構成する光子達は、いま瞳孔を同時に通過したのだ。
瞳孔通過時の速度はどれも同じ。

ならば、瞳孔位置から1秒前にあたるイメージ空間に光子群発生場所を描こう。


数学的空間認識では、映画館平面スクリーンと瞳孔をどちらも対象として
イメージしている。

だが観察者は、自分自身の瞳孔を対象として空間にイメージしていない。

Sun Jan 06 12:01:56 2013
最終更新:2013年01月06日 21:48