3の1 布団(ふとん)の上、仰向けになリ目を閉じる。

イメージする。ここはプラネタリウム。
プライベートプラネタリウム。
ドーム中央で、私は眠っている。

最新型プラネタリウムは、
ドーム中央にあった投影機が消え去り
ベッドが備えられている。

ドーム内壁面はLED素子で覆われ
明滅により星々の動きを模(も)す。

布団の上に仰向けになっている私は目を閉じ
プライベートドームのベッドに
寝そべっているのを妄想する。

私の身長は1m67。
ベッドは長さ20メートル。
プライベートドームは半径30m。

普通に横たわると臍(へそ)がベッドの中央になる。
ベッドの中央がドーム(半球)の中心に重なる。

私は両眼で夜空を観察するが
ここ、プライベートドームでは、
腹のあたりで宇宙を観る。

両眼球中心を結ぶ線分を底辺とし
臍(へそ)を頂点とする二等辺三角形。
臍を固定したまま二等辺三角形を相似で小さくする。

点になるまで。

これで、イメージの世界での、ズレた感が消えた。
私の身体がベッド(長さを持つ列車)の中央に在(あ)り
プライベートドームの中心にも位置する。

私の身体の大きさは点。
ドーム内壁面を覆(おお)いつくす無数に近いLED光源。
LED素子が放った無数に近い光子が、

私と位置を同じにする刹那(せつな)。の、ちょっと前。
無数の光子群が、私を包む。点としての私を包む。
このとき私は、再び私の形(かたち)を取り戻す。

1つの気泡。無数の光子で構成された1つの泡(あわ)
の中に眼っている私をイメージする。
ベッドも万年床の布団もない。
ただ私が横たわっている。

このボイド (a void) の中で立ち上がり、夜空を見渡す。
無限に小さいシャボン玉の中に閉じ込められた妖精のように。

シャボン玉は、カルデラ湖の凪(な)いだ波面のちょい上。
そこ(底)から、星々に魅せられる。昔の人みたいに。
天動説ができる前。

宇宙を仕組み(システム)に堕とす前。
そこに自分はいない。ただ、星々を結び、
その動き、現れ方をオリオンと蠍(さそり)に。

見えたものを神話に記述した。



これから俺がやるのは、それとは違う。
記述は神々を讃え、航海の安全を願うものから、
支配へと向かった。その意を汲むものであり、

だが、ちょっと違うのは、神々へ到達せざるもの、
戦争屋のものである。でも、これでは筆が進まない。
ちょっと隠そう。それでも目一杯出して。再び眠りに。

アポロンからヘルメスへ。
あとはジム的にやるよ。トレーニング、トレーニング。




水平線しか見えない大海原。ぽツンと船一艘でもいいし、
山々に囲まれた盆地の平野部でもいい。

空全体が見渡せるとこ。昼間、快晴であった。

大海原の帆船は風がなければ動かないし、
風があって動いても、大海原では目印になるものがなにもない。
確かに舳先(へさき)は上下し、水飛沫(みずしぶき)が盛んになる。
進んでいることは状態の観察で確認できる。船尾のカルマン渦にも。

ローカル線に乗って、線路沿いの電柱がビュンビュン、次々と通り過ぎるけど
遠くの田んぼの電柱はなかなか位置を変えない。
窓枠からすぐには見えなくならない。

それと同じで帆船の進んだ距離くらいじゃ、太陽の見え方は変わらない。
帆船が動いても動かなくても、大海原では同じこと。

帆船の乗組員が動いていると感じるものは太陽だけ。
太陽が昇り、太陽が沈む。それだけ。

なぜ、帆船の乗組員は太陽が移動していると思えたのであろうか。



凪(なぎ)の間、帆船の乗組員は思索家でもあった。

帆が風を受け、船が動いたのか地球が動いたのか。
「小さな歯車」と「ものすごい大きい歯車」が互いを回転させる。

どちらも回転しているが、

「歯車の歯」と「歯車の歯」が互いにぶつかり、押し合うところに注目すると、
注目し続けると、動いていない。フレームから外に出る気配もないし、
互いに相手をぐるりと一周する気配もない。

もちろん、「小さな歯車」をフレームの中心に置くと、
「小さな歯車」は、回転すらやめてしまった。
その動かない、回転しない「小さな歯車」の周りを「大きな歯車」が廻る。

別に、「小さな歯車」が本当に回転をやめてしまったわけでもない。
「小さな歯車」を動かそうとモーターは唸(うな)っている。

相対性を考慮して、今度は「ものすごい大きい歯車」をフレームの中心に置く。

フレームってのは、思索家が注目している範囲。



小学校のとき、(ほんとは私が小学生であったとき。)
屋上に上がって、実験をした。太陽の光がスリットを通過するとどうなるか
観察する為に。

その前に教室で、豆球の光がスリットを通過するとどうなるかの観察をした。
スリットというのは、厚い画用紙にカッターで数センチx数ミリの長方形の穴。

スリットを通過した豆球の光は拡がった。
屋上の太陽の光は拡がらなかった。

太陽系を遥か離れたところから、豆球程の大きさに感じられる太陽を俯瞰する。
太陽の光は拡がっている。

太陽からの光子1つに注目する。きっと直線に進んでいる。
@@量子力学的に、21世紀の物理学として、これはマズい表現なのだが
@@光子がボールのように取り敢えず空間を進んだイメージ。
豆球からの光子1つに注目する。きっと直線に進んでいる。

光子群の方向性の揃った状態のものがレーザーとかだろうが、
そのことではなくて、実験が注目した範囲と、実験者の行動可能範囲が、
もしかして、ローレンツの呪縛を解く鍵なのではないだろうか。



さあ、続きをやろう。実験者の行動可能範囲で解答を出していいのは小学生迄。
それでも小学生は、観察を正確に記述した。


盆地の中心、平野部で動かず太陽の動きを昼間、観察した。
観察者の立つ地面も、観察者を囲む山々も動いていない。

太陽が山の向こう東から昇り、山の向こう西へ沈む。
なぜ、太陽が移動していると思えるのだろうか。


夜、快晴。夜空は星々に覆われている。天の川が見える。

プラネタリウムで解説者が夕景の星々の話を終えたあと、
真夜中の星々に話を移すとき、コンピューターのプログラムに
時間進行を速(はや)める命令を出す。

暗闇の中、平衡感覚が失われ、
天蓋に映し出された高速に移動する星々の光を見続けると、
まるで自分がボールの中で転がっている感覚に襲われる。

これは昼間、太陽が高速で東から昇り、西に沈んでも
ただ動いてるだけとしてしか捉えられないのに、
襲われるなんて。分析的判断から、背を北にしていたら、
@@北半球での話。
左から右に太陽が移動したの対象物の記述なのに、

なんだ、この暗闇での感覚は。
対象物の記述より、自分の平衡感覚が失われた恐れ、
いや、ほんとうに床面が席ごと回転して、このまま続けば
真っ逆さまに落下する恐怖。

対象物から、俺の身体的存在への記述を
俺の意識的判断より感覚が圧倒する。圧倒して記述を開始する。

なぜ暗闇の星々は、(観察)対象物の記述と感覚は判断せず、
観察対象は緊急を要する己の身体だと切迫した命令を、
俺の動揺は出したのだ。

@@なぜ暗闇の星々を、と、修正しない。


少し落ち着こう。時間調整を速めた星々は急速に動く。
東の空、山が見えるあたり、または水平線になるとこだけを注目しよう。

星々が昇るを目が追い、首が追い、喉が上がる。限界までくると、
追っていた星々をあきらめ、新たに出現する星々に目を移す。
ズー、ガタン。ズー、ガタン。
幼児の手押し車のカム歯車。

誘導されるこの繰り返しには、床面がひっくり返ろうと回転している、
のではないかの、恐怖の確認は働いていない。


では、西の空、山が見えるあたり、または水平線になるとこだけ注目。
星々が沈んでいく。暗闇の中へ。いつのまにか、星々が消えて逝った
方向だけを見ていて、首を上げるのを忘れている。

星々の光に誘導されても1度きりなので、複数の光が沈んだ後、暗闇へ視線。
暗闇を見続けても、自分の方が回転しているのではないかの恐怖の疑いは想起
しない。

暗闇ばかり見ててもしょうがないので、再び西の空を見ようと、意識的に首を
上げる。東の空のときは、首が天を見上げる無理な恰好だったから戻したのとは、
ちょと違う。

どうやら天蓋全体で、星々が動いていることが関係しているようだ。
天蓋のどこでも星々が動いている。いや、北極星は動いていない。
@@緯度35度くらいの東京あたり。

北極星あたりを今度は見続けてみよう。ちょっと自分も右回りしたくなって、
首が右肩に近くなるが、床と椅子がひっくり返って自分が落下する
という恐怖はない。

星座の1つに注目しても同じだ。部分に対しては分析的余裕がある。
また、動かない部分、回転の中心が見えると、
絵図らが回転してるだけで襲ってくるようには思えない。

船に乗って酔わないためには、甲板に出て、遠くの水平線を見るようなものか。

夜空全体の星々が急速に動き出した瞬間、見る範囲を制限する前に、
でんぐり返しの方向に、自分は前のめり。首が無理な方向から
東の空に戻るような。意識によらず、そのとき星々が反対方向に動く。
でんぐり返しを自分で意識してるならともかく、
これじゃ、遊園地の恐怖マシーンで実際に天地逆さまにさせられるのと
同じ状態だ。



ちと長くなったが、分析的余裕があるとき、人は対象を部分としてしか
見ていない。扱っていない。ローレンツの呪縛を解くためには、
その分析的余裕を失うところから始まる。

対象を隷属的檻(おり)の中に入れて観察するところから、
檻を外し、観察する己と同じ扱いにする。これが新たな実験空間だ。

そもそも、座標と睨めっこして、ローレンツの呪縛と量子力学の実体を
見ようとするのは、観測行為に過ぎない。
方眼紙の格子、その枠は与えられた安全装置に過ぎない。

では、ようこそ。戦争屋の世界に。






Fri Dec 28 03:24:45 2012

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最終更新:2013年01月05日 22:58