赤羽ハルプロローグ

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dangerousss3

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プロローグ

荒涼とした男だった。
まるで若いチンピラのような印象を与える、刺々しい金髪。
革ジャケットの下には、お世辞にも趣味の良くないチェック地のシャツ。
履き古したスニーカーは薄汚れていて、猫背気味の隙の多い歩き方も、その形容には見合わない――
しかし淡青のサングラスの中で、ぼんやりと公園を見つめる双眸だけが、どこか虚ろで、荒涼としていた。

時刻は5時を打って、敷地を囲う林には薄赤い帳が降りはじめていた。
犬を散歩中の老人も、携帯電話に目を下ろす少女も、
ベンチを占拠していた肥満の男も、彼に目を向けることはなかった。
ありふれた、夕刻の住宅街の風景。

その男は右のこめかみを掻くと、何を思ったか進路をふらりと外れ、
何気ない仕草で、茂みの中へと姿を消した。


その背後で、少女が静かに立ち上がった。
老人は男の後を追って、コースを外れた。
肥満体の巨漢が、気配もなく追撃を始めていた。

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赤羽ハル、という男を語る時、その名前が挙がることはない。
魔人の存在する社会に身を置く限り、他者に名を知らせるリスクは想像を絶する。
それが彼のような魔人暗殺者であれば、尚更であったろう。

彼の訪問を知らせるものは、その犯行現場に必ず存在する現金とされた――
ごくありふれた、貨幣。紙幣。被害者自身の血にまみれた。
それこそが、魔人能力『ミダス最後配当』を保有する彼の『凶器』に他ならない、と。

6年前まで、そうだった。
その時何かが起こり、暗殺組合は解体された。彼の預かり知らぬ所で、赤羽ハルは敗残兵となっていた。
ひたすら名を伏せて手を汚してきた彼の手に残ったのは、金でもなく名声でもなく、
組織壊滅の責を原因も理由も分からないままに被せられた、6000億円の負債だけであった。

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「ポーン」

背を向けたまま、男――赤羽ハルは呟く。
軽薄な笑みを隠しもしない。

「『ポーン』っていうんだってさ。あんたらみたいなの……ハハッ。
 昔いた組織で『そう』だったんだ――。どういう意味か分かんないんだよね。今だに」

ゴリュ、と螺旋状に空気を抉って、肥満漢の足蹴りがジャケットの背を狙う。
赤羽はコマのような半回転でそれを流して、左の手元からは銀色の光線が立て続けに3本、男の腹へと突き刺さっていた。

「使い捨ての歩兵だから?」

肥満漢の腹から、チャリチャリという音を立てて、軽い金属が落ちた。
日本政府発行貨幣――『100円硬貨』。

「ま、さ、か……」

襲いかかる猛犬をその回転で正面へ捕らえ、赤羽は再びそれを撃ち込んだ。右拳から4発。
2発めで毒を仕込んだ牙ごと殺人獣の頭骨は爆砕して、遠く猛獣使いの老人の眉間も、残り1発が砕いた。

「簡単に弾けるから『ポーン』じゃあねえよなぁ!?」

身を沈め、一瞬懐中に消えた左手には、既に皺だらけの紙幣が握られていた。1000円札。
シャリ、と氷を削るような音とともに、横合いから忍び寄っていた少女の顔半分が霞んだ。

否、事実その顔面はその時、古紙幣の一撃で切り飛ばされて、半分になっているのだ。
少女の手の携帯電話は側面を展開して、ダート射出機じみた機構を覗かせていた。

「……? 喋れねえの、あんた達?」

心底不思議そうな顔で軽口を叩く暗殺者であったが、この場合異常がどちらであるかは明白であろう。

首を傾げながら……寸前に迫っていた、巨漢の拳をステップで避ける。
最後の一撃を放とうと動いた少女に親指で弾いた10円玉で引導を渡しつつ、
くぐるように肥満漢の胸部へと拳を当てる。

先の3発では威力が足りないのであろう。3人では最も厄介な手合いだ。ならば。

「『900円』」

ゴギュリ、と鈍い音が赤羽の拳の内側で響いた。
巨漢の両腕は、頭蓋を挟み潰す寸前で、ダラリと垂れる。

「……。『1100円』」

ギシ、ギシ、と。2連続で巨体が震えた。

「『1200』。『1300』。……『1400』」

滝の如き血流が土を濡らした。
肥満漢の巨肉からはジャラジャラと14枚の硬貨が落下して、
この時3人の暗殺者はその機能を停止した。

――日本銀行拳。

「ハハハハッ……! 弱いくせに、生意気なんだよお前ら!
 口が無いのか、クソ低能め! ハハハハハハハハハ!!
 ……さぁー、て」

ひとしきり笑った後、冷徹な瞳に戻って、つぶやく。

「どうするのか、スゲェ興味あるよなぁー?
 3人も無駄に潰した誰かさんが……この、埋め合わせをさ」

声は虚空に向いている。

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扉の開く音に反応して、椅子に座る女性は顔を向けた。
……もっとも、その双眸が視力の機能を果たさなくなって久しい。

女性の両目は、包帯で痛々しく塞がれている。
……両腕も、両脚も。
椅子は電動式の車椅子であった。

「はーい智広さん、おみやげーっ」

「ありがとう……おかえりなさい、ハルくん」

女性――白詰智広は穏やかな笑みを浮かべる。

「今日は新鮮な拳銃を拾ったからさ。撃って欲しいのがあったら、言って」

「あはは、何言ってるのもう。お姉さんをからかわないでよう」

「そろそろお姉さんって年でもないんじゃねーの。……シチューでいいよね?」

机の上には、スーパーで買った野菜に混じって、回転式拳銃が置かれている。S&W M10。
今日の『敵』の得物だった。怨恨か営利かは、赤羽の知るところではないし……思いを馳せる意味もない。
組織の後ろ盾を失った彼にとって、襲撃は日常であった。

「……ハルくんのシチューも」

静かに、智広がつぶやく。

「そろそろ、食べられなくなっちゃうかなあ」

「だろうね」

白詰智広は、病に――俗名、新黒死病に侵されている。
四肢の末端を切除したならば、消化器系に障害が出始めるのも、そう遅くはない。

智広は、赤羽ハルの過去と現在の稼業について知らない。
自らの親がどのような経緯を経てで、彼女の身柄を『負債』として赤羽ハルに託したのかも。
彼と出会った時には既に、病は視神経までもを侵していて……だから顔を見たこともない。
元殺し屋は彼女の命が尽きるまでその傍にいなければならず、それが魂を代償とする契約であった。

(そろそろ死ぬんだよなぁ)

シチューの味見をしながら、赤羽ハルは乾いた感情で思う。
そうなればひとつの負債から解放される。少しだけ、自由になれると。

「ねぇ、ハルくん」

「なーに」

「ありがとうね。いっつも、美味しいよ。
 食べられなくなっちゃう前にさ、たくさん言っておかないと思って。
 ハルくんのお陰で……お父さんが死んだ後も、一人ぼっちじゃあなかったから」

「いいから。やめなって」

本心だった。

「……美味しい料理を作れるハルくんは、きっと優しい人だよね。
 いいおよめさんが、見つかるといいよねえ」

「ハハハハッ、智広さん。そーいうのはさ」

2つの深皿が、拳銃の乗るテーブルに並ぶ。

「食べるまでは分かんないだろ」

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「……ケホッ!」

何か異質な感覚が、ドロリと肺に侵入した。
咳き込み、喉を押さえる。
視界には新手の敵はいない、ように見えた。四方には。

見上げる。赤羽の予測通り――地面に伏せる3つの骸を見下ろして、それは『浮かんで』いた。
幼児がクレヨンで殴り描いたような『顔』が、白い仮面に描かれている。
首から下をすっぽりと覆う黒いマントが、ゆらゆらと空気に揺れている。

《こんにちは》

嗄れた声が、赤羽ハルを見下ろした。

「どーも。どうして同時に襲わなかった?
 細かいことが気になるアレでさ。 ……ってか」

チャリ、と手の中で小銭が鳴る。死の音。

「殺していいよな?」

《22枚》

「……」

《今の戦闘で、22枚――使いました。間違いありませんね?
 私は此処から降りてはいきません。無論拾う暇も与えません。果たして……
 残弾が続くかどうか、興味が有ります》

ゆらゆらと揺れる。いかなる原理で浮遊をしているのか。
赤羽の呼吸も、先程から異様である――。
この黒マントが発する雰囲気ではなく、物理的に『そう』なっているのだった。

立て続けの金属音を発して、殺戮者の指から10円硬貨が飛んだ。
この至近距離において銃撃に違わぬ威力を誇るはずのそれはしかし、翻ったマントに全弾が叩き落された。

「……なんだそりゃ……」

《知る必要は、ありません》

マントの内側からは、小さな黒い塊がゆらゆらと降下しつつあった。
――ハンドグレネード。
これもやはり、何故か地に落下することなく……ゆっくりと高度を下げていく。

《接触信管です。体に当たれば爆発します。地面に落下しても同様。
 ……さて、私の『機雷』が浮かぶ中で。硬貨の残弾を切らしたその状態で。
 先程迄のような余裕の軽口を叩けるかどうか――私、非常に興味が有ります》

ブラフである。

仮にも3人の捨て駒を用意して臨むほどの手練が……
赤羽ハルの魔人能力『ミダス最後配当』を知らぬわけもない。
それは触れた物質を即座に『換金』する、殺戮金融。
物質ある限り、赤羽ハルは無限の残弾を補充できる。

『弾切れ』を強調する語り口も、あえて3人の捨て駒を無駄に散らした事も、
全てそれを知らぬと赤羽に思い込ませるための、弁術であった。

《さあ、存分に喋って頂いて結構です》

取り出した拳銃は、赤羽に動きを強制するための仕掛けである。

《お喋りな暗殺者さん》

「……あんたも大概だ」

『機雷』は接触信管ではなく、遠隔信管である――
機械の反応よりも、魔人能力の効果が及ぶ方が早い……と、判断するだろう。
だが。空中に漂うそれを『換金』で分解しようとする一刹那に、それは起爆する。

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「ね、初詣ってまだだったよね?」

「……連れてって欲しい? 俺はそこまでやさしくないんだけどなー」

「いや、ハルくんが……行ってなかったな、って思って。
 三が日は私が発作で、大変だったから」

「……」

そうだったか、と思い起こす。赤羽の記憶力は良い方ではない。
彼女の病状は、前払いで雇った闇医者に任せきりだ。

そもそも神仏に頼る質ではなく、その点で赤羽ハルは凡庸な暗殺者であった。
初詣など、二十数年の人生で、考えに上ったことなどあるかどうか。

「だから……えっと、私が代わりに行ってきた……から。
 裏の神社のだけどこれ、ハルくんにもお守りがあったらいいなーって。
 ……あはは、迷惑なゴミかもしれない、けど」

細い手首が危うげに紐を引っ掛けて、ポケットの中のものを取り出す。

小さな、赤い御守だった。
厚紙を飾り布で包んだ程度の、ありふれた造りの。

「ハハハ、そっかー」

四肢が腐って、車椅子を動かす震動だけでも激痛が走る体で――
それも盲目の枷をも負って、たかが『裏の神社』に向かうことが、どれだけの労苦か。
思い至らぬほど、赤羽は想像力に乏しい人間ではなかった。

「ありがとうね。智広さん」

白い首筋を撫でると、智広は、ひゃあ、と子供のような声を出した。

「やっ、やめ……もう! 変な時にからかわないでって……!!」

「智広さんは可愛いなあ」

「わ、私のほうが年上なんだから……!
 可愛いとかっ、い、言わないでよ……!」

恥ずかしいんだから、と俯く様を、暗殺者は――やはり冷めた心でしか、見ることができない。

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白い爆光が夕闇を過剰に照らした。

手元に残った残り6枚の硬貨を迷いなく『機雷』に叩き込んだ赤羽の判断に、ほう、と感嘆を漏らす。
この距離で起爆すれば、即死とは行かずとも重大な破片傷を負う……と考えるものと思ったが。

「……密度?」

《……》

「で、いいよな? あんたの能力――。空気の密度か何かを上げて……
 能力の範囲を『水中』と同じ状態にしてるんだ。
 だから『泳げ』ばそーやって空中に浮かぶ事もできるし、俺の呼吸を阻害することもできる。
 ……空気密度が増してるから、『硬貨』くらい大きな弾じゃあ、空気抵抗を突破できない」

《あなたは馬鹿ですか?》

本心からの言葉だ。
どこの暗殺者が、『敵の能力を見破った』ことを態々その敵本人に伝えてやるというのか。
先のような、実力差に大きな開きのある戦いではない。
異様だった。非合理だった。故に――

(何故。生き残った)

恐ろしい。何故『こんな暗殺者』が、6年も生き延びてきたのか。

「お喋りな暗殺者には、2種類あってさ」

ジャラジャラと、煙の向こうから硬貨の音が湧いた。
『最後配当』だ――。ボールペンか何かを換金したか。
まだだ。まだ撃てない。煙が晴れた時に撃たねばならない。すぐに。
こちらは上を取っている。銃弾の形状ならば……硬貨と違う。抵抗を貫いて、致命傷を与えることができる。

「お前みたいに誘導やブラフを仕込むために喋るタイプと……特に何もないのにベラベラ喋る三下がいる。
 で、俺は『後者』だ。欠点ってのは直しにくいもんだよなぁ?
 でも逆に言えば、それが染み付いていれば染み付いてるほど、そいつの個性と言えるんじゃね―のか?
 ……少なくとも俺は、『だから』誘導とただのお喋りの違いが、分かる。『お喋り好き』だからなあ」

立て板に水の如く、与太を喋り倒す。
こんな暗殺者が存在していいのか。

「軽口を叩けって言ったか? お望みなら言ってやろうか?
 ……30円」

影が見えた。黒マントは引き金を引く。

「お前を、30円で、殺す」

銃声が響いて、それは過たず、赤羽ハルの胸を貫いた。
肺。急所であるはずだった。

「ごほっ……」

《――銃、》

「そう。銃だ」

反応は遅れた。まさか――、『凶器』を必要としない事が利点の、
硬貨を全て銃弾に変える、そんな日本銀行拳の使い手たる赤羽ハルが。

M10――回転式拳銃を隠し持っている、とは。

熱い錐を差し込まれる感覚が、黒マントの胸に走った。
まだだ。まだ空気抵抗と、マントの防弾性能ある。
傷は浅い。次は殺せる。まだ一発撃ち返せる。

「.38スペシャル。一発の価格は」

まだ。

「『30円』だ」

――まだ。

その思考を永久に回転させたまま、黒マントの暗殺者は絶命した。

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「ハハハハハッ……やっぱ女の子へのおみやげには物騒すぎか?」

くるくると拳銃を弄んで、赤羽ハルはそれを捨てた。
墜落した黒マントの胸部は禍々しく爆ぜて、赤い肉を覗かせている。
――銃弾が爆裂したのだ。

『ミダス最後配当』……の、時間差発動。
体内に撃ち込まれた直後、0.2秒を置いて、銃弾は『換金』された。
3枚の10円玉が体内で暴れ回り、爆ぜたのだ。

「……」

銃撃を撃ち込まれた胸に手をやる。
白詰智広の御守。

「……やっぱさぁ、智広さん」

ザ・キングオブトワイライト――望みを叶える副賞ならば、彼女を治すことができるだろう。
正常な体を取り戻し、もう一度光を与え、彼女にもう一度、人らしい生を与えることができるだろう。

赤羽は、迷いなくその副賞を使うに違いない。
6000億円の借金……それを消し、彼自身を救うために。

「俺は優しくなんかないって」

ご都合主義の奇跡など起き得ない。
厚紙の御守で銃撃を防げた筈などない。
銃弾を防いだ、歪んだ硬貨。
御守の代金に丁度等しい4枚の100円玉は、赤羽の罪を責めるように鳴った。








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