儒楽第プロローグ

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dangerousss3

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プロローグ

東京。
それは5年前のあの日、核爆弾により壊滅しながらも不死鳥のように再生した都市。

魔人。
それは、壊滅初期の混乱の最中、一番の中心であり爆心地であったものたち。
今もなお、雛鳥のように巣の中で羽ばたく幼き復興都市の頂点に、のうのう居座り続ける異分子共。

WLビルの高き偉容をバックミラーに映しながら、男は車を走らせる。
未だ整わず凹凸の残る道路でありながら、黒塗りの高級車は搭乗者に揺れを感じさせることはない。
運転手の男、森田一郎は、バックミラーに手を掛けそれが映す景色を変える。

後部座席には、一人の少女が収まっている。
黒いゴシックロリータドレスに身を包んだ少女、七葉樹落葉。
灰色の髪を弄びながら、心ここにあらずという風体で外の景色を眺めている。

――ご両親が亡くなったあの日から、お嬢様の心が安らいだ日はないだろう。
森田一郎にとって七葉樹落葉は、絶望の景色に咲いた控えめな花であった。
痩せた土と泥水のなかで、一輪、力なく残っただけに過ぎない花。
それでも、それが枯れないでいるうちは、森田一郎が生き続ける理由になる。

そんな、花だ。




――――




「それで森田。大会も開催直前というタイミングになって、わたしに会わせたい男というのは、一体どんな男なの」

バックミラーに視線を移すと、七葉樹落葉は外を見たまま。
まるで独り言のような語りかけである。
森田は、それがどれだけ不本意であるか強調する口調でもって返す。

「これから会う男は、あるいはわたしがお嬢様のために用意できる、最強の駒となり得る存在です」
「へぇ……最強の駒ね。まるで夢のような話じゃない?」

落葉は、含みをもたせた視線を森田に向ける。
――わたしたちは、それを求めて大会を開くのでしょう?
彼女は言外にそう言っているのだ。


「お嬢様。東京はあの惨状から、復興できたと思いますか?」


落葉は森田の質問に答えず、続けて話すよう促す。

「東京は復興しました。人の心が荒み、建物は崩れ去っても、今ここには新しい秩序と新しい社会が存在します。これから向かう先に居るのは、その新しい秩序と新しい社会の一端を作り上げたモノ」

「森田……あなた、それがどういう意味かわかって言っているの?」
少女の放つ怒気と鋭く細められた眼光が、運転席の男を貫く。

「はい。

 ―― 儒楽第

 東京の暗黒、その一翼だった(、、、)男。ブラックマーケットの長です」




――――




黒塗りの高級車が、それに似つかわしくない廃墟へと滑りこむ。
周囲に人の住む気配はなく、風の音が響き渡るのみ。

「こんな廃墟に、魔人を捕らえておけるものなの?」
「いえ、お嬢様。ここは入り口に過ぎません」

車を降りた森田と落葉が言葉を交わす刹那、
それまで一切気配の無かった二人の背後から、

「失礼。ここに如何様なご用件で?」

と、誰何の声が掛かる。
ぎょっとして振り返った落葉は、そこに、一瞬前までは確かに存在していなかったはずの男の姿を見た。

禿頭で、スーツ姿の男。流暢な日本語を話すが、顔つきは西洋人を思わせる。
年の頃は、だいたい森田と同年代だろう。
背丈は2m弱。威圧感と共に見下される屈辱に、落葉は耐えねばならなかった。

「イチロー・モリタだ。南瀬に話は通してある」
スッと割って入った森田が、短く受け答えする。
禿頭の男は、どこかと通信したあと、背後の暗がりに手を振り、何かの合図を送った。

つられて落葉が視線を向けると、暗がりに一瞬、光る何かが見えた気がした。
ゾッと、怖気が走る。
自分は、今、敢えて殺されなかったのだと、後から気づいた。
――スコープの反射光。
タイトロープを渡るかのような感覚。
落葉にとっての命綱は、目の前に立つ森田一郎、ただひとつ。

落葉は大きく息を吸い、覚悟を決める。
ロープを渡りきる。それだけの価値がここにはあるはずなのだ。

「南瀬がここまで迎えに来るそうです。ご案内致します」
禿頭の男はそう言って、頭を下げた。




――――




廃墟の中、
巧妙に隠されたエレベータに、人影が3つある。
森田一郎、七葉樹落葉。そして新たに現れた男、南瀬弘市である。
廃墟に不釣り合いなほど小奇麗なエレベータは、ゆっくり下へと降りていく。

依頼主(クライアント)はご存知と思いますが――」
南瀬の視線が森田と落葉の間を行き来する。
「ここは、目高機関が所有する魔人用の監獄施設のひとつです。

 森田氏からの個人的な(、、、、)依頼により、我ら魔人派遣会社ハンキレンがその警備を努めさせていただいております」

「――森田。
 あなた、とっくに消されてるはずの死刑囚を、機関から掠め盗ったわね?」
「これは正当な取引を経たものです、お嬢様」
誤解しないで欲しい、と森田は言う。

「この度開かれる、魔人同士の殺し合いの祭典。それに、あの男を参加させてはどうかと具申したのです」
「悪事を吹き込む、というのよそれは」
苦笑いを隠せない落葉。
「随分な綱渡りをさせてしまったわね……」

「いえ、お嬢様。これは絶好のチャンスと考えます。
 わたしどもの目的のためには……」
森田が口を開きかける。
迂闊なことを言うな!と落葉が視線を走らせると、それに気づいた南瀬弘市は
「ご心配には及びません。我らは決して余事を他人に漏らしません」
と、宣言する。

「我らハンキレンは社会的信用の上に立つ組織であり、契約を何より重んじます。
 僕はもとより、末端構成員に至るまでそれは変わりありません」
南瀬の眼差しには、重い重い力があった。

「魔人と人を繋ぐのは、社会という名の契約に他ならないのですから」




――――




エレベータが目的の階層に到着する。

「これより先、儒楽第を拘束するための監獄となります」
森田と落葉の二人に先行して歩き出した南瀬が、この施設の警備について説明する。

「儒楽第を、安全に、確実に、確保しておくために、
 4人一組のチームが二班、このフロアの警備をしております」

ひとつは、施設の周囲に配置され、人の出入りを注視するβ班。
敵意あるものの侵入や襲撃を阻止する哨戒任務と、万一儒楽第を取り逃がすことになった場合のストッパーとなる包囲殲滅任務を兼ねる4人。

もうひとつは、言葉通り儒楽第を直接、護衛監視するα班。
儒楽第を無力化し内部からの逃走を未然に防ぎつつ、外部からの暗殺者、あるいは救出にやってくるものたちを撃退する任務を担う4人。


「男一人を捕らえておくだけにしては大仰ね」
「いえ、お嬢様。儒楽第という存在に対しては、この程度が必要だということです」
落葉の感想に、苦虫を噛み潰すような顔をする森田。

1対8。

それが儒楽第という男に対して、森田が懐く恐れと期待の値。
「あの男には、それをするだけの価値がある。裸繰埜を討ち果たせるだけの可能性が、彼のものに秘められているのあればこそ」




――――




セキュリティが解除される。
扉の前に立つ警備の若い男が、南瀬、森田、そして落葉を中へと誘う。

「こんな辺鄙なところへ客人とは珍しいな」
酷く皮肉げであり、低く嗄れた声が奥から響いてくる。

灯りの乏しい室内を、2つに切り分ける檻がそこにはあった。
檻の奥、
天井から床まで伸び、部屋と一体となった巨大な椅子と、そこに拘束される男の姿。
歳は50に届くかどうか。
長期に亘って拘束されているからであろう、無造作に伸びた黒髪。
その陰から覗く、暗い眼光。

「彼が、儒楽第です」
森田が、落葉に対して、そう小さく伝えた。

「客人に対してもてなしができないのが、酷く残念でならない。ここは俺の部屋じゃあないんでなぁ。なぁ、そうだろう?」

落葉が懐いた第一印象は、
なぜ、こいつはこれほどまでに余裕なのだろうか、というものだった。


「お前が、儒楽第か」
落葉は一歩前に出て、高圧的な口調で話を切り出すことを自分に強いた。

「わたしは七葉樹落葉。七葉を総べるものである。お前と取引するためにやってきた」

儒楽第は、若干不思議な顔をして、答える。
「七葉樹……? こんな小娘が俺をこうして捕らえてるってーか。笑えねぇ冗談だ」

「ハッ、冗談でもなんでもない。わたしがこうしてお前を捕らえ、こうしてお前を生かしてやっているのだ」
努めて軽々しく、なんとでもないように。
自分は、お前を如何様にもできる立場にあるのだと主張する――




――――




――森田と落葉の、車中の会話。

「わたしに、その儒楽第と取引しろというのか」
「はい。お嬢様には、"この度の大会の主催者"であるというお立場がございます。
 それを盾に、少々強引な手を使って、場を整えました。
 銘刈耀の目を通さず、機関の干渉を受けず済む場所で、
 件の男と交渉が可能となるのです」

「わたしが矢面に立つ限りにおいて、機関の息がかからぬ手駒が手に入る、ということになるわけか」
落葉の言葉に頷く森田。

「お嬢様には七葉の長として、先日のブラックマーケット掃討作戦の指揮をとったのは自分である。そしてまた、死を待つだけの男に幾ばくかの猶予を与えているのも自分であると、振舞って頂きます」

一呼吸、
「"一から八千を読む"武闘家にして、経済を支配する知略家。儒楽第は、間違いなく機関に対抗するための切り札に成り得ます」

「森田……」
落葉は小さく俯き、問いかける。
「わたしに、それができるだろうか」




――――




「へぇ……魔人同士で戦う、見世物ね」
「七葉樹が主催する、"大会"です。勝ち抜き、頂点に立ったものには、賞金と願いをひとつ聞き届けるという副賞が与えられます」

「胡散クセェ話だぜ。それで、俺に何を求める?」

「わたしのために、戦いなさい」
「はぁ? 俺に、てめぇの軍門に降れと?」

「そうです。ことは、微妙な均衡の上に成り立っています」

儒楽第は現状、目高機関と森田一郎との間で、謀略の綱引きの道具にされている。

「お前が生き残る道は、もはや私に従い、己の有用性をわたしに示し続けるところにしか存在しない」

「甘い。大甘な策略だ。
 つまるところ、それはてめぇの後ろで突っ立ってる、そこの男の入れ知恵だろう?」

落葉は、視線だけで振り返る。今も落葉の後ろに控える、有能な男。
――森田。どうすればいい。

「えぇ? どうだい、そこの若いの。俺に何か言うことは無いのか?」

後ろに立つ森田は、無言を貫く。

「どうせ、小娘一人いいように操って、うまい汁を吸うだけの男だろう?
 まぁ、わからんでもないよなぁ。小娘を上手く支配するなんてーのは、
 赤子の手を捻るほどチープな快楽だもんなぁ。
 えぇ? どうだよ。この娘の身体はどんな味がするんだ?
 俺に教えてくれよ」

儒楽第の声が響く。
落葉は、胸の奥から湧き出る怒りを止めることができなかった。
自然と言葉になる。


「森田は、そんな男ではない!」


儒楽第の目が細まる。
落葉の言葉は止まらない。
「森田は、至らぬわたしに仕える、有能な部下だ。
 わたしの意思を支え、わたしの手足となって動く、最高の駒だ。
 断じて、お前が思うような男ではない」

一瞬の静寂の後、儒楽第は口を開く。
「へぇ……てめぇは、そういう怒り方をするのか。ハン、羨ましい限りだ」


ため息がひとつ。
「命を預ける相手としてはまったく足りないが、てめぇとの取引は飲んでやろう」


「なに……?」
瞠目する落葉。

「上に立つ人間として、最低限備えるべき心得は、きちんと持ってるようだからなぁ。
 だから、これは取引だよお嬢ちゃん。
 俺は、てめぇらの言う通り、その大会に参加する。
 俺が勝ったら、お嬢ちゃんが俺を開放する。そういう取引だよ」

「その言葉、確かに聞いたぞ」
それまで黙っているだけだった森田が、口を開いた。

「ああ、言葉の通りだよ。俺は"条件を飲む"」
儒楽第の目が、森田を射抜いた。

「ただ、まぁ、少しばかり俺から出す条件も飲んでくれや」

儒楽第が発した言葉に良いとも悪いとも言えず、周囲が凍りつく牢獄の中で、
儒楽第は、

「髪、切らせてくれや。鬱陶しくてしかたない」

そう軽口を叩くのだった。




――――




落葉が去った後、一人残る森田は、儒楽第に問いかける。
「なぜ、条件を飲む気になった?」

「なぜかだと? そんなもんは決まっている。
 ――てめぇが、俺の出した条件を飲んだからだ。それ以外の何物でもない。
 むしろ俺の方が問いたいくらいだ。

 こんな茶番に何の意味があった?
 俺と、てめぇの間にはもう既に取引があった。
 条件を出しあい、あとは互いがそれを飲むか飲まないか、それだけだったはずだ」

「これこそ、必要な手順だったからだ。
 お嬢様は、七葉樹の頂点に立ち続けるという避けられぬ運命に縛られている。
 わたしには、そこからお嬢様を救い出すことは叶わない。
 だからこそ、お嬢様には強くなっていただきたいのだ」

「いじましいもんだよなぁ。
 だからこそ俺はてめぇに、"てめぇの主人を見せてみろ"と条件を出した。

 まさか、本当に俺の前に連れてくるとは思わなかったが」

「だからこそ、の取引だ」

「取引。実にいい言葉だ。
 しかし、後悔するなよ、森田一郎。契約の軛が外れた瞬間、
 俺は必ず、てめぇと、てめぇが大事にする主人を噛み殺す。
 それこそ、俺の家族(ファミリー)をぶち殺した、てめぇに対する復讐だ」

「受けて立つぞ、儒楽第。お嬢様のために存分に働いてもらったあと、
 その時必ず、わたしがお前を手ずから殺す」








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