偽原 光義プロローグ

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dangerousss3

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プロローグ

39歳。元魔人公安。
かつては正義を愛し、正義に生き、正義の為に戦う、魔人公安屈指のエリート刑事であった。
特にナイフの腕にかけては右に出るものはなく、あの真野五郎にも引けを取らぬとまで謳われた程であり、
その腕前で多くのテロリスト魔人や悪行魔人を狩ってきた。
そして幼馴染の妻と結婚し、可愛い一人娘を得て、幸せな家庭を築き、彼の人生は輝かしい絶頂の中にいた。
あの事件が起こるまでは。

ファントムルージュ・クライシス……。

2013年初頭に起きたこの事件は、彼の人生の全てを変えた。
関西地方にのみ、公開された映画、ファントムルージュ。
ハンターを題材にしたある国民的漫画を原作にしたその映画はしかし、見たものの精神を破壊し尽くし、
生きる気力を根こそぎ奪い、絶望、怒り、哀しみ、あらゆる負の感情を湧き起こさせる、
人類がかつて味わった事のない世界最悪の映画であった。

更にその映画がもたらすものは、精神への凌辱だけではない。
その映画の破壊力に耐えられない並の人間は、たちどころに触手、モヒカン雑魚、ビッチ、レイパー……
破壊欲と性欲の権化となり、ありとあらゆる災厄を周囲にまき散らすようになる。
そして彼らに犯された人間もまた、ファントムルージュを味わい、やはりその姿を変質させる。
人から人へと際限なく侵食していく恐怖こそがファントムルージュの真髄であった。

これがもし全国、そして全世界規模で公開されていたら2019年のバンデミックを待たずに
世界は滅んでいただろうと言われている。
このおぞましい事件は、後にファントムルージュ・クライシスという名でその顛末を知る一部の人間の間で呼ばれ、
世間一般にも都市伝説的に広まっていった。
そして偽原 光義もまたこのファントムルージュ・クライシスの深い犠牲になった一人だった……。

ファントムルージュが全国で公開されるという悪夢を、官憲が手をこまねいていて見ていたわけではない。
この映画が全国規模の公開に踏み切られなかったのは、その凄惨さを事前に察知した
魔人公安たちが全力で被害拡大を防いだからである。
当時公安のエリートであった偽原もまた、ファントムルージュを防ぐべく、その日最前線へと駆り出されてた。

「全国規模で、かつてない凶悪な魔人能力によるテロが行われようとしている。命を賭して阻止に当たれ」

かつてない緊迫した指令。偽原 光義はこの任務に全力を傾けることを誓った。
例え、その日が家族との約束した日で あったとしても……。
だが、偽原は知らなかったのだ。いや、想像もしていなかった。
彼が、今阻止しようとしている巨悪が、彼と、彼の愛する家族が、その事件の日に見に行こうと約束していた、
まさにその映画であった、ということを。

だがそれも、無理もない。
その映画の原作となっている国民的漫画は練り込まれた重厚なストーリーと、
緻密な人間描写によって絶大な人気を集めた偉大な漫画だった。
それが、世にも恐ろしい、表現のしようもない、災厄を撒き散らす映画に変貌しているのだと、誰が信じられよう?
そしてその映画のタイトルは、現場の捜査官達の心情を慮った上層部によって伏せられていたのだ。

(その漫画のファンは公安にも多く存在していた。
それがかくも無残な姿に歪められたことに対する精神的ショックを和らげるため、
また何よりその映画に興味を抱くことによる2次被害を防ぐためである)

だから偽原が、家族がファントムルージュを見に行くのを止められなかったことも。
自分が今立ち向かおうとしている巨大な闇がファントムルージュであることを知らなかったことも。
そして公安の全力の活動にもかかわらず、ファントムルージュが関西でだけ公開されてしまったことも。
全て、悪魔が用意したとしか思えぬ最悪の偶然であった。

その日偽原は、ただ「皆の平和の為だ」と言って、約束を守れず、
泣きじゃくる娘のことを気にしながらも、忠実に任務に赴いていた。
一体どうすれば娘は許してくれるだろう、虎のぬいぐるみでも買って帰ればいいかな、と心の中で娘を想い、
これからの残酷な運命を想像もしていなかった。



「なんだこれは……一体これは……なんなんだ」

偽原の目の前に広がるのは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
無数の触手たちが、女性に絡みついている。
女性たちもまた、触手に絡みつかれて喜びの嬌声を上げている。
その交わりの傍らではモヒカン頭の巨漢たちがところ構わず奇声を上げながら棍棒を振り回し、破壊の限りを尽くしている。
そして、その地獄絵図を照らし続ける映画館のスクリーン。

「俺、○○になら裏切られてもいいよ……」

そのスクリーンが映す光景に、しかし目を取られているものは今や誰一人いなかった。
既に観客たちの精神は、数時間も前にその映画に、ファントムルージュによって砕かれていたのだ。
今ここにいるのはもはや人間であったことすらも忘却してしまった、哀れなファントムルージュに囚われた亡者達だった。

「クソッ、一体何がどうなってやがるっていうんだ!」
「これが……これが世界に終末をもたらすという映画だっていうのか!」

上層部からその危険性を繰り返し教えられてはいたものの、それでも偽原はたかが映画にそんな力が
あるものか?と半信半疑だった。
だが、この光景を見ては事態の深刻さを信じざるを得ない。
偽原はもうやむなしと、映画館に溢れ返った哀れな人ならざる者たちをこれ以上の被害拡大を防ぐため、
残さずそのナイフ捌きで狩っていった。
そして、何とか館内の駆除が終わる頃、映画のスクリーンは再びオープニングの場面へとループしていた。
そしてスクリーンに映し出されるその映画の題名……。

「ファントムルージュ…………だと……」

この時、ようやく偽原はこの惨劇を生み出した映画の名前を認識した。
それは偽原とその家族が、今日楽しみにしていたはずの、約束の映画。

「あ、ああ、ああああ……、と、知世っ、すみれっっっ!!」

彼は愛する妻と娘の名前を叫び、そのまま全力で、今日家族と一緒に行く約束をしていた、道頓堀の映画館へ駆け出した。
街には、既に魔人公安が鎮圧しきれなかった、映画館から抜け出た触手やモヒカン雑魚達、そしてそれらに感染し、
自らもまた変貌した人外たちで溢れていたが、それらを切り捨て、振り切って、彼は走り続けた。
間違いであってくれ、無事でいてくれ、何度も心でそう叫びながら。



道頓堀は、血の河と化していた。
紅く染まった道頓堀川を亡者の群れが泳いでいる。
ここも既にファントムルージュに侵された後であったのだ。
あまりの光景に一瞬目を奪われる偽原。しかしすぐに映画館へと一目散に向かっていく。
既に絶望的な気持ちでいながらも、なお家族への想いが彼を突き動かしていた。

遂に映画館へ辿り着き、門を潜る偽原。たちまち湧き出るモヒカン雑魚達の群れ。
それらを切り捨て、ファントムルージュが公開されているはずのシアターへ向かう。
シアターのドアを開き、踏み込んだそこには……。

「アアアアアアアアーーーー!!ファ、ファントムルージュゥゥゥゥ!!」

一人の女性が奇声を上げながら、映画館の中心で裸になって椅子の上に縛り付けられている。
そして、その周りで多数のモヒカン雑魚たちが、楽しく両手を上げながら、裸で踊り狂っている。
その異様な饗宴に立ち尽くす偽原。だが、その中心に立つ女性は、まさに今偽原が探し求めていた女性の一人。

「と、知世っっ!!」

血相を変えて女性の元へ向かう偽原。
その肩を掴み、必死に呼びかける。
だがすぐに気付く。その眼には既に生気が宿っていないことに。

「ファ、ファントムルージュ。イヤダ。ワスレタイ。イヤダ。ミタクナイ。イヤダ。ワスレタイ。ミタクナイ。シニタイ」


ただひたすらに、もはやまともな言葉にもならないうわ言を繰り返す自らの妻。
すぐに偽原は悟る。既に妻の精神も完全に破壊されてしまったのだ。ファントムルージュによって。
他の者たちのように身体にまで変調をきたしていないのは。せめてもの救いなのか、それとも……。

「スクリーン、スクリーンニスミレガ……デモヤダアソコハファントムルージュファントム……」

スミレ……その言葉の意味をすぐに理解した偽原は振り向く。
それは彼が何より愛する娘の名前。
それがスクリーンに……いた。変わり果てた姿になって。

スクリーンに纏わりつく無数の触手。
その先端が嬲るのは中心にいる一人の少女。
娘、すみれはスクリーンの中央に磔にされ、全身がズタボロに傷つき、見るも無残な姿に変わり果てていた。
その背後にて無情に流れ続けるファントムルージュの映像。

「わぁぁぁぁぁぁー!!」

形相を憤怒に変え、スクリーンへ駆け出す偽原。
たちまち周囲で踊り狂うモヒカンとスクリーンに絡みつく触手を振り払い娘の元に辿り着く。

「すみれっ!しっかりしろ!すみれぇっ!」

娘を地面に降ろし、必死に呼びかける。
だが、娘の表情も妻と同様、既に色を失いかけていた。

「お、お父さん」
「すみれ、無事だったんだな……。良かった」
「お父さん、ごめんなさい。私ね。生きていちゃいけなかった」
「何を言ってるんだ。すみれ」
「でも私良かったの……だって」
「お父さんが、あんな映画を見ないですんだんだから」
「す、すみれ……すみれぇぇぇぇ!!」

それが親娘の最後の会話となった。

事件は、終わった。
魔人公安達の命がけの戦いによって、ファントムルージュの全国公開は阻止され、
被害を受けた関西も、何とか犠牲は最小限に食い止められ、ファントムルージュにより溢れた暴徒達も鎮圧された。
だが、事件が残した深い爪痕は、その映画を知った者たち、そして映画の犠牲になった者の関係者達に深く刻まれた。
そして、それが新たな悲劇と悪夢を生み出してゆく……。

「これが、これがファントムルージュか……。知世とすみれを奪った……」

偽原の手の中にある1枚のDVD。
そこには「ファントムルージュ」という簡潔なラベルが貼られている。
ファントムルージュの映像は事件の後、決して世間に出ることのないよう、
公安の手でありとあらゆる媒体から抹殺された。
だが、人間の好奇心とは決して抑えられるものではない。
その伝説の映画は残念ながら一部の人間によって闇世界へとばらまかれ、
こうして海賊版DVDとして、出回っている。
そして新たな被害を生み出している。
偽原が手にしたのもまた、そうして闇に出回ったものを押収した1枚。

「俺は、俺は立ち向かわなければならない。二人が苦しんだ、この映画に」

あの事件によって娘は死亡。妻は精神が完全に破綻し、もはや二度と回復の見込みはないという。
偽原は己だけが助かったことに、あの映画を見なかったことに苦しみ、自分を責め続けた。

「俺が、俺だけが苦しみを味合わないわけにはいかない! 俺は見る。この映画を」
「そして打ち勝って見せる!」

だが、その考えのなんと甘いことか。
偽原はまだ本当の悪夢を知らなかった。

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!!」

その目の前に映し出されたのは偽原がかつて味わったこのない苦痛と絶望……、
いや、もはや言葉で表現するのもおこがましい、惨たらしい、この世に非ざるものであった。
恐るべきことに妻と娘を失った、あの時の気持ちにも匹敵する、
いや、なおも凌駕するのでは?と錯覚するほどに、深い哀しみと怒りと喪失感が偽原を襲った。
自分は生きているのでは無かった。この映画を観る前に、妻と娘と一緒に死んでいるべきだったのだ、
そう思った。

(ごめん、ごめんなあ。知世、すみれ。お前たちにこんなものを味合わせて)
(すみれ。すまない。すまない。お前の忠告を聞かずに。こんなものを見てしまった。俺は最悪のお父さんだ)
(俺は、俺は……今分かった。正義も、愛もこの世界には存在しない。こんな映画が生み出されてしまう世界には)

こうして彼もまたファントムルージュに憑り衝かれた一人となった。
偽原の中にあった正義も、理想も、愛も、全てファントムルージュによって砕かれた。
彼は公安を退職し、何もかもを捨て去った。
そして現実から逃げるためか、それとも自分で自分を罰するためか、彼の生活はかつてとは真逆の、
堕落しきったものとなった。
酒、煙草、公安時代に押収した大量の麻薬……自らの身体を破壊するものに手を染め続けた。
そして極め付けはファントムルージュのDVD、愛する家族と自らの魂を砕いたその映像を、彼は見続けた。
来る日も来る日も見続け、そして自らの精神を追い込んで行った。
当然、彼の容貌は変貌し、頬は痩せこけ、目は虚ろな真っ赤に充血した状態。
体重はかつての半分にまで落ち、まるで減量しすぎたボクサーのようである。
彼を見たものは、彼が生きながらにして、既に死んだ人間である、という印象を抱くだろう。

そうしてファントムルージュの呪縛に取りつかれた彼にとって、2015年に東京が滅びようと、
2019年にパンデミックによって、世界の三割の人間が死のうと、全ては遠い世界の出来事であった。

(バカバカしい……何かバンデミックだ。そんなもの、妻や娘が味わったあの地獄に比べて、どうだというのか)
(この世界は俺にとって、とっくに滅びている。あの時に)

そうして今日もファントムルージュのDVDを見ては、その先に映る妻と娘の面影に咽び泣く偽原であった。
だが、その日は少し違った。
ファントムルージュ視聴を終了し、普通のTV画面へ戻った瞬間、あるニュースが彼の目に飛び込んできた。


――滅び行く運命に負けぬ、世界最強の存在を求む。
――勝者には、何でも望む事をひとつ、我々が叶えよう。


「滅び行く運命に負けぬ……だと?」

その言葉は、数年ぶりに彼の魂を刺激した。
彼の中に湧き上がる底知れぬ怒りと激情。
深い深い闇が彼の心に広がっていった。

「馬鹿な……その存在は、本当にアレに打ち克てるというのか!!?」
「フ、フハハハハハ!!アハハハハハハハ……!! 笑わせる、笑せる! そんな存在があるなら、妻と娘の死とはなんだったのか!」
「良いだろう、思い知らせてやる。 真の滅びを……地獄を。未だ真の恐怖を知らぬ馬鹿どもにな」
「俺に……ファントムルージュに勝てるものがいれば、そいつが最強だと認めてやろう。だが、もし一人もいなければ……」
「世界は、真の滅びを知ることになる!」

そして、彼は立ち上がった。
既に朽ちかけていた体にも力が戻る。世界に真の滅びを、ファントムルージュを知らしめるという執念が、
彼の全身を突き動かしていた。
哄笑が部屋中を覆う。彼はかつて愛用していたナイフと、ノートPCやスマートフォンを始めとした、
いくつかの映像を写す媒体を手に、会場へと向かった。
そして彼が立ち去った部屋のTVからはいつまでもファントムルージュが流れていた……。








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