不動昭良SS(第一回戦)

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dangerousss

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第一回戦第四試合 不動昭良

名前 魔人能力
ボルネオ モルグ街の殺人
池松叢雲 統一躯
不動昭良 インフィールドフライ

採用する幕間SS
なし

試合内容

第四試合の会場はホームセンターだった。
ホームセンターと横文字にしてしまうとわかりにくいが、要は何でも売っている店という認識で構わないだろう。
そうは言ってもいわゆる普通の庶民の方々が普段利用するスーパーマーケット、ドラッグストア、コンビニエンスストアといった類の店舗とは違いがある。
スーパーやコンビニで主に扱っているものは日用品……消耗品がほとんどである。
ホームセンターで主に販売するのはそれ以外の雑貨、資材……毎日使う訳ではないが、たまに必要となる物……「どこに売っているんだったかなあ?」と思うような物はだいたい揃う。
まあ、競争激化の現代なので「確実に需要がある」日用品も数多く置いてあることがほとんどだが。
そして今回戦場となるのも、そんな店舗を模した建物だった。
郊外型の、車で来場する(つまり、たくさん買い込むことが可能な)お客様が多そうな店であり、規模も迷子センターに常に2~3人の子供が親の迎えを待っていそうなくらいには大きい。
その、大きな建物の中。
無人の店舗。衝撃で倒れた陳列棚や、散乱する商品の傍らで、掌を打ちこんだ姿勢のままの男が呟く。
「なかなかの英語力だ。学生にしてはな」
黒い道着と鳥の仮面の男。英検完全熟達者……40段という段位に偽りない、万夫不当の実力者。
池松叢雲は、対戦相手である不動昭良のいる方向を見ながらゆっくりと自然体に戻った。
今しがた自身が攻撃し、50メートル以上も吹き飛んでいった少年は、一時的に池松の視界からも外れている。



不動はボロ雑巾になった気分を味わっていた。
身体能力では他の海千山千の参加者に劣っているのはわかっていた。
フィジカルの差は隙を突くことで埋める。それが彼の基本戦術――唯一の勝利の可能性である。
「ぐっ……しかし、ここまで圧倒的とは思わないよ。普通」
つぅっ――と、顔を流れる感触で出血しているのを知覚する。
左体幹からドクドクと伝わる激痛が大きすぎて、陳列棚に頭から突っ込んだ痛みはほとんど感じない。
鳥の仮面の対戦相手……池松からたった一撃を受けただけで数十メートルも吹き飛ばされた。
いや、正直に言えば攻撃を受けたのを確認することもできなかった。
体当たりを体さばきでかわし、敵の右側の死角に入った――と思った次の瞬間、不動の体は回転しながら宙を舞っていた。
タックルと思ったのはただの疾走に過ぎなかったのだ。距離を詰めてからの拳……だか掌底だかが本命だった。
甚大なダメージに体が悲鳴を上げていたが、無視してなんとか立ち上がる。
「くそ……もう一回近づかれたら終わりだ……」
とはいえ彼は運が良かった。
このホームセンターというフィールドは障害物が多く、また彼の能力によって商品を「武器」あるいは「罠」に仕立て上げることもできる。
一発逆転の可能性は常に残されている。逆に言えば、第一試合の野球スタジアムのような見通しのよい場所だったなら、すでに勝負はついていたはずだ。
「物体を動かす能力」――インフィールドフライ。
全開で使用すれば、その速度はピッチングマシーンくらいなら軽く超える。
小石ですら彼にかかれば強力な飛び道具となる。
問題は……
「retireか?」
(もう来たか……)
黒い道着が前方に現れる。
鳥の仮面の男。不意討ちも、姿をくらますこともない。一番広い通路を通り、まっすぐに不動のもとに出現した。
あまりに不動との実力に開きがあったので油断している……そんなはずはない。
「remote control……遠隔操作の能力か。ねらいは死角からの攻撃か?」
「!」
びくり、と動揺が走るのを抑えられなかった。
肯定してしまったも同然だった。不動は軽く舌打ちする。
「発想は悪くない」
撃ってこい、とばかりに無為無策で歩み出す鳥男。その歩みは先ほどとは対照的にゆっくりだ。
一見隙だらけにも見える。が、それは違う。観察するまでもなくわかった。
自然体なのだ。
どの方向からの攻撃にも対応できるように、左右どちらの足でも跳躍できるように重心を配置している。
広い通路をまっすぐに通ってきたのもそのため……見通しの良いところのほうが彼にとっては攻撃が避けやすいのだ。
陳列されている商品の隙間などの死角からの攻撃のほうが警戒されていた。
(くそ、だけどなんで能力がばれた? まだ面と向かっては一回も……いや、まさか?)
すぐに解答がひらめく。
(接近される前に、下準備をした……能力で「弾」を動かして、気づきにくい場所に配置した……)
その様子を見られた。
客一人いないホームセンターだが、商品も、エスカレーターも、自動ドアも正常に動作している。もちろん監視カメラも。
「カメラで見られて……」
「セイカイ(say kind:「正解だ」という意味の英語)と言いたいところだが、惜しいな」
気づけば。もう池松との距離は棚1つ分もない。
「機械に頼るのは性に合わなくてな」
「!」
池松が床を蹴る。
ほんのわずか力を込めたに過ぎない、そうとしか思えない。
しかし、接近してきた彼の長身が視界いっぱいに映る――驚くべき速さだ。
「くっ!」
不動は能力を発動。
左右の棚から、DIYコーナーから調達したノミ、金槌、釘などの大工工具が。
そして、不動のポケットからは文房具コーナーにあったカッターナイフ、はさみ、彫刻刀などが飛び出す。
左右、それに前の三方向からの掃射が、池松を穴だらけにする――寸前。
鳥の仮面の男は跳んでいた。
(上――だが!)
不動は全ての弾を撃ち尽くしたわけではない――空中の男に対して、とどめの一撃を用意していた。
(もらった!)
それは包丁。
時速200キロで撃ち出される無数の刃物の群れ――それを空中で避けきることなど、できるわけがない!
しかし、不動は目を疑った。
跳び上がったとき、池松の体は微妙に回転をかけていて――そして、その脚が今、天井についていた。
「しま――」
「フッ!(foot:「足」という意味の英語)」
呼気とともに射出される池松の体。
不動の呼吸が止まる。包丁が射出されるよりも、池松の踏み切りは速かった。
なすすべもない。男の腕が振り下ろされるのを見ているしかない。
瞬間。
空中の池松に、黒い影が激突した。さすがに対応できず、池松の体が陳列棚に叩きつけられる。
影は、走ってきた勢いのまま滞空して着地……不動のほうを向いた。



「おっとここで乱入です! 池松選手vs不動選手の戦いにあわや決着がつくかというところに! 突如として現れた謎の影!」
実況室。
ネット観戦に興じるサポーターに向けて、雇われ実況の斎藤窒素が声を張り上げている。
彼女の隣りに座る司会兼審判担当の結昨日司は目を閉じて、こめかみのあたりをぐりぐりと揉んだ。
連日の準備に追われて疲れが溜まっている。
そもそも上の代の連中が無計画に会社を立ち上げた時から始まり、この大会まで企画発案以外の総務運営全てがのしかかってきているような状態である。
「……さん、司さん」
ふと見やると、窒素がマイクのスイッチを切って司をつついていた。
「あのボルネオって選手、何者なんですか?」
結昨日映の撮っている映像を見ると、黒い影の腕の一振りで不動昭良が吹っ飛んでいる。
「……知らない」
「知らないって……あの黒いもやみたいなの、何かの能力ですよね? あの下はどうなってるんですか?」
「だから知らないんだよ。あれ以外の参加者23名は全員……まあ、内容のまともさはともかく、情報は調べ上げられてる。でも、あの選手だけは本当に何もわかってない」
そもそも司はエントリーに関わっていなかった。
受付をしていたのはダンジョン狂の女神なので、そこにどういうやり取りがあったかはわからない。
まあ、あの女神のことだから、ダンジョンに生息しているドラゴンやらPジャイアントパンダのようなモンスターだろうと平気で受付を通しそうだが……。
「困るんですよねー。選手が登場したらその人に対する簡単なプロフィールを読むのがセオリーなんですけど。コメントすることがありませんし」
「トーナメントものに一人くらい謎の選手はつきものだろ。そのままコメントすればいいよ」
「そういうものですかねー」
窒素が首をひねる。
司もディスプレイに目を戻した。



「…………つっ」
額からびっくりするような勢いで血が吹き出る。不動は咄嗟に傷に手を当てた。
能力のエネルギーを注ぎ、破れた部分を外から押さえつける。
どこかで聞いた話だが、頭部は浅い傷でも血が勢い良く出ることがあるらしい。
(心臓から遠い位置にあり、かつ重力に逆らって血を送らなければならないために血圧が高くなるとかなんとか……支倉さんが言ってたんだっけ? とにかく心配するほどのことじゃない)
10メートルほど先では、立ち上がった池松に黒い影が飛びかかるところだった。
弧を描くような動きで振り下ろされる影の腕――さっきの不動はまともに食らって吹き飛ばされていたが、しかし、池松はほんの少しだけ前方に踏み出すことでその攻撃を無効化してしまっていた。
彼の掌が突き出され……直後、カタパルトで撃ち出されたかのように影が吹き飛ぶ。
陳列棚に激突して錐もみ回転し、なおも勢いは止まらず壁に叩きつけられる影――それがすぐに起き上がる。
「…………なっ!? ウソだろ?」
「なるほど……ヤツの英語力もなかなかだ」
突っ込んでいる暇もない。
「WOOOOOOOOOOOOOOHHH!!」
見た目は黒いガスの塊のようなそいつが吼える。
正体不明。明らかになっているのは、トーナメント表に書かれた「ボルネオ」という名前だけ。
雄叫びを上げながら突撃するボルネオの攻撃は今度は直線的だった――輪郭がとにかく曖昧なせいで繰り出す攻撃を読み辛くしている。
しかし攻撃はまたも池松の道着にかすることもできず……わずかに体を捻って避けた池松が、その動きのまま長い脚を影の後ろに当てた。
直後。
ボルネオの体が蹴り飛ばされる……今度は不動のいる方向へと。
物凄い音がした。不動のすぐ横、倒れている陳列棚にボルネオが頭から――厳密にはどの辺りが頭なのかわかりにくいが、不動は頭から突っ込んだと思った――激突した。
そして、影はまたも立ち上がる。何事もなかったかのように。
「GYAAAAAAAHHH!」
「ぐ…………うっ!」
癇癪を起こしたのか、影が無茶苦茶に腕を振るった。
池松のように見切って最小の動きでかわすことなどできない、全力の回避行動で逃れる。
池松とボルネオに一度ずつ吹き飛ばされ、不動のダメージは深刻な状態にきている。
それでも動きのキレを保っていられるのは、「インフィールドフライ」の念力で体の動きをサポートしているからだった。
無理な制動をかけたせいで再び額から勢いよく血が噴き出た。思わずめまいがするが、こらえる。
(一瞬でも気を抜くわけにはいかない……追撃が来る!)
しかし、危惧とは裏腹にボルネオの動きが止まった。
正面から不動の血がかかったせいで不意を突かれたのかもしれない。その隙に全力で距離をとる。


「Strength……強大な『力』だな」
池松の、鳥の仮面の下の口が呟く。
ボルネオが暴れたせいで床にはヒビが入っている。
一歩間違えば、不動の体は木端微塵になっていただろう……純粋なパワーなら池松よりも上かもしれない。
その上、池松の攻撃2発がクリーンヒットしていながら、全くダメージがあるように見えない。
(しかしそれはない……あのクラスの攻撃を食らって、倒れないだけならともかく、無傷というのはおかしい……)
ボルネオの動きが変わった。
今度は池松を睨みながら動き始める……池松の位置を中心に、円を描くような軌道でじりじりと近づく。
対して池松はあくまで自然体を崩さない。
「察するに、この靄が防御の能力ということか。それならそれでやりようはある」
この状況、池松にとって最も嫌な展開はボルネオの攻撃とタイミングを合わせて不動が攻撃してくることだったが、それもなさそうだった。
不動もボルネオの能力が防御タイプだということを悟っていたからである。
そして自分ではその防御を破る方法が全く思いつかないがゆえに――不動は迂闊に池松を攻撃することができない。
手を出して不動とボルネオだけが残った場合、不動に勝ちの目が見えないからだ。
池松としてはどちらかと言えば不動のほうを先に相手したいところだったが、現状ではさすがに自分を狙っているボルネオから意識を逸らすことはできない。
「それでは……さっさと片付けるか」


(ありゃあ、どう考えても人間じゃないね)
実況席で結昨日司は腕を組む。
画面を見ながら。
(そしてただの4つ足の獣でもない……ぱっと見わかりにくいけど、腕が長すぎる)
伊達眼鏡を指で弄びつつ、彼女は映像から捉えた特徴をもとに推量する。
(分類としては猿。動きと腕の長さから見て、ゴリラとかチンパンジーじゃないから、怪しいのは……オランウータンか)
そう結論づけると同時。映像に変化があった。
ボルネオの体を構成する黒い靄……それが半透明になり、その中身が見えた。
魔人化し、生来とは比べものにならないほど屈強に、そして凶暴に変化させられたオランウータンの姿が。
(ああ、なるほど……「正体を知られると効果が解ける」という制約つきの能力か……そして、正体を知られない限りはクリスタルを使う前のFF4のラスボスのごとく無敵、と)
司は横目を使う。
隣で解説に興じる斎藤窒素を見る限り、変化に気付いた様子はない。
ボルネオの正体に感づいたのは司だけであり、それ以外の者に対してはまだその能力の効果は健在ということのようだ。
おそらく観客を含めた全ての関係者の中で、正体に気付いているのは、ボルネオ本人を除けば彼女ひとり。
(次に見抜くのは誰かね……)
結昨日一族内でもピカイチの勘の冴えを持つ彼女だからこそ気付けたようなものだ。ほとんど偶然にも近い。
まず「正体を推理する」という思考が出てこない限りはそこに到達することすらできないのである。
そして、実際に危機に晒されている時に「あれの正体は何か?」と普通は考えたりはできない。
必然的に「勝つ方法」にばかり思考の焦点は絞られてしまうのだ。
(1回戦じゃ望み薄かな……?)
画面を見る。
池松とボルネオの影が交差し、そして――


「ゴーアヘッド(Go ahead:「行きなさい」という意味の英語)」
池松の全体重を乗せたカウンターがボルネオに突き刺さった。
甚大な衝撃のはずだが、もちろんボルネオ本体にダメージはない。
しかし。
「通らずとも無効化しているわけではない……のは明らかだったからな」
吹き飛ぶ黒い影――そして、池松の打突はただ吹き飛ばすことを目的としていた……ホームセンターの入り口自動ドアの方向。
つまり外へ。
英検40段の男の渾身の一撃である。轟音とともに自動ドアは固定部分から折れ、ボルネオの体躯が激突した部分は無残に割れて辺りに破片を撒いた。
池松の狙いは単純明快――「場外負け」だ。
今回の戦場はホームセンター周囲1メートル。その範囲より外に出た者は失格となる。
自動ドアとの衝突があったとはいえ、その勢いを殺すまでには至らない。
無敵の防御能力を持つボルネオ、場外――に出る寸前。
「何……?」
ぴたりとその動きが停まった。
まるで見えない壁に阻まれたかのごとく、全く理不尽に。黒い闇が吹き出し、ボルネオは静かに着地する。
ここに至って、池松は自らの誤算を悟った。
ボルネオはただ鎧のように能力を纏い、攻撃を防いでいるのではなかった。
ただ攻撃を受け止めるタイプの能力ではなく、「発動中は決して倒すことができない」というルールを作り出す――いわゆる論理能力だったのだ。
ボルネオの纏う気配が変わる。
一瞬とはいえ、池松の表面に動揺が出たのを気付いたのだろう。そんな彼を池松は睨み返す。
(あくまで能力を破らなければ勝てないというのならば。能力を維持できなくなるまで組手を続けるまでだ)
ボルネオが消耗し切るまで攻撃をいなし続ける――その間、池松は一撃も攻撃を食らわずに。
完全に無理難題だったが、彼には迷いはない。
しかし、ボルネオは飛びかかってくることはなかった。彼は池松を迂回するかのように走り出した。
「……? 何のつもりだ?」
何を考えているのか、気付くのに時間はかからなかった。


「はっ、はっ、はっ……」
息遣いが乱れる。
ボルネオが場外負けを防いだのを見た瞬間に、不動は走り出していた。逃げた。
能力を破らなければボルネオには勝てない。
ひとまず隠れ、落ち着いたところで能力の正体を推理するしかない。
(あの2人が戦ってる今しかチャンスはないんだ。考えろ……どうすればいい? どうすればヤツに勝てる?)
ちらりと後ろを振り返る。
――――猛烈な勢いでダッシュしてくるボルネオの姿が見えた。
「何だとおおお!?」
疲労に蝕まれた体を叱咤し、スピードを上げる。
が、気休めに過ぎないのはわかっていた。
敵は魔人化した動物。フィジカルの性能差は歴然である。
そう。
不動もまた敵の正体に迫ってはいた――結昨日司と同様の思考により、ボルネオが類人猿であるというところまでは辿り着いていた。
だが、あと一歩。オランウータンであるということまで看破してはいない。
細部まで特定する必要が感じられなかったからだ――そして、正体を看破しない限りボルネオの能力は有効に働き続ける。
まさしく無敵。
(……なんでこっち来るんだよ。そういえば動物は逃げるヤツを追いかける……ようになってるんだっけ? ああもう!)
実を言うと、ボルネオは逃げ出した不動をただ本能的に追いかけているわけではなかった。
先刻までの激突から池松に自分への有効打がないことを見抜き、先に不動のほうを始末することにしたのだ――打算に裏打ちされた選択だった。
「…………くそっ!」
広いとはいえ、あくまで屋内のこと――スピード云々よりも先に、逃げ場がなくなる。
不動はドアを蹴り開けた。
「従業員用通路」と書かれたそのドアの先は商品の搬入口になっている。その先は外につながっていた。
これ以上進めば場外負けとなる。行き止まり――では、実はない。
不動は飛んだ。
能力「インフィールドフライ」の力を開放し、自分自身に注ぎ込む。すなわち「空を飛ぶ」
「……あった! 窓っ!」
鍵はかかっていない。
先ほどの従業員通路もそうだったが、どうやらこの場所を戦闘会場にする際に鍵は全て外されていたらしい。
飛びこむと、そこもやはり従業員専用の場所――事務所だった。書類やパソコンを乗せた机が並んでいる。
(撒いたか……?)
窓を覗き込むと。
ボルネオがかなりのスピードで壁をよじ登ってきていた。
「なっ、うわあああああ!?」
ぴしゃりとガラス窓を閉め、鍵をかける。
わずかに数秒後。ぬっとボルネオの体が窓に映り――その手刀がガラスを貫いた。
やけに手際よく、隙間から手が伸び、鍵が外される。慣れた手つきだった。もはや人間と変わりない知能だった。
ガラス窓がスライドする。
次の瞬間――
「GYAAAH!?」
ボルネオの顔面に大型の机が直撃した。さすがに堪え切れず、ボルネオが落下する。物凄い音がした。
「……あっぶねえ」
不動は額の汗を拭った。
見下ろすと、ボルネオが一緒に落ちてきた机を蹴り飛ばしているのが見えた。
やはりダメージは全然ないようだったが、すぐに登ってくる様子はない。同じ手を警戒しているのだろう。
不動も精一杯威嚇しつつ――効果があるのか自信はなかったが――次の机を用意する。
(ううう……くそ、しかし机の数も限りがあるし……どうすればいいんだよホントに……)
池松ですら倒し切れなかった怪物を相手に、打つ手などあるのか。
それでも捨て鉢にならないよう自分に言い聞かせながら、不動は思考を始める。
(場外負けでもダメだっていうんなら、他の反則をさせて勝つとか……たとえば、勝敗確定後の戦闘が反則だから……)
すでに敗北した相手に対して、ボルネオが攻撃を仕掛けるよう仕向ける。これは立派な反則である。
(が、ダメっ……ダメだ。それは、先にあの池松叢雲を負かすってことじゃないか……無理)
嘆息する。
となるとあとは場外に適当にエサでも放り投げてボルネオ自身に場外の線を越えさせるくらいしか思いつかない。
が、やるかやられるかの瀬戸際でそんなことに引っかかるような動物などいないだろう。しかもボルネオの知能はただの動物よりも数段上らしい。
手詰まりを感じていた。
それでも簡単に投げ出すわけにはいかない――たとえ負けるにしても、全力で足掻き、ベストを尽くしてから負けたかった。
「…………」
何かヒントがないかと藁にもすがるような気持ちで見回すが、さっきと変わらない事務所の風景があるだけで、糸口も見えない。
「…………」
不動は何台かあるパソコンのキーボードに触れた。スリープモードが解除され、見慣れないアプリケーションの画面が現れる。
それはそのままに、マウスを動かし、インターネットブラウザを立ち上げた。
明らかに電波がつながっていない異空間に存在するこのホームセンター……しかし、ネット回線は繋がっているようだった。
この会場を設営した女神の、こだわりの再現度だった。


窓が開いた。
わずかな隙に、不動はボルネオの登攀を許してしまっていた。
重い事務机を二つ三つと能力で動かし、ボルネオにぶつける――が、弱い。
「UBASHAAAAAAA!!」
軽々と殺到する机を弾き飛ばすボルネオ。なんだか怒り心頭のようにも見えた。
その隙に再び不動は逃げ出す。来た道は使えない。ドアを開け、2階を駆け抜ける。
階段を一足飛びに飛び降りる。多少無茶な動きでも、彼の能力はそれを可能とする。
それでも急制動で力がかかるのは避けられない。傷が熱を持ち、ずきずきと痛む。冷や汗が流れるのを感じる。
逃げながら考える――この試合、無様に逃げてばかりいる自分のことを。
観客は面白くないだろう……逃げ回ることしかできず、物を動かし、ぶつけて攻撃するしかできない自分。
魔人警察からの参加者なのに、全くいいところがない。期待には応えられない。
しかしこれが彼の戦い方なのだ。
困難な状況で、解決への糸口が見えなくても、倦まず弛まず、粘り強く、ただ自分にできることをする。
先入観に囚われず、小さな可能性も見落とさず、ひたすらに観察し、洞察する。
そして――彼は目的の場所まで辿り着いた。


ボルネオは標的を追う。
悪魔の薬品と、閉じ込められた孤独な生活、実験に次ぐ実験の日々により、彼の脳は東南アジアにいた頃よりも肥大していた。
もはや樹上にいた頃の温厚な彼ではない。
脳内で分泌される伝達物質が彼を駆り立てる。引き裂き、叩き潰せと。
姑息に逃げ続ける標的、ヒトの子供の動きが止まった。
そこは先ほど彼が吹き飛ばされた場所――ホームセンター入口の自動ドアの前だった。
ピピピピピピ……と、不快な電子音が鳴り響く。
ボルネオには知る由もないが、これは不動が故意に防犯ゲートを作動させたためだった――もちろんボルネオにとってそんなことはどうでもいい。
逃げるのを諦めたのか、はたまた疲労で限界を迎えたか、標的は動かない。
一撃で殺す――そう決め、最後の一跳びをしようとしたボルネオの耳に、不動の声が刺さった。


「おまえの正体は、『オランウータン』だ」


実況席の斎藤窒素は見た。
ネットでリアルタイム観戦していた観客も見た。
ボルネオの体を構成していた黒いもの――それが粉々に霧散する風景を。
不動の宣言によって、その場を見ていた全員がボルネオの正体を「認識」し、能力が解除された。
そこにあったのは、平均よりもかなり体の大きいオランウータンの姿だった。
「やっぱりさ、ネットって偉大だよな……まさかヒットするなんて思わなかったよ」
先ほどの事務所で、ボルネオが登ってくるまでの僅かな時間でインターネットブラウザを立ち上げ検索したところ、インドネシアの島の名前が引っかかった。
期待があったわけではないし、展望があったわけでもない。
ただもはや打つ手がなかったがために、何の気なしに行った検索だった。
ボルネオの名がその島に由来したものであったがために――その島に住む類人猿の情報から、不動はその解にたどり着いたのだった。
――そして。
不動はその答えを自分だけで確保はしなかった。
すでに不動にはボルネオの本当の姿が見えていたが、あえて一階に移動し、その正体を宣言した。
その理由は、答えを共有するため。
タグ付きの商品まで使ってわざわざ防犯ゲートまで作動させたのは、ボルネオを呼ぶためではなく――


「――ミゴトダ(me god that:「見事だ」という意味の英語)」


オランウータンに蹴りが入った。身じろぎする余裕すらなく――今度こそボルネオは飛んでいく。粉砕された自動ドアのあった場所を抜け……場外へと。
能力が切れた千載一遇のチャンスを逃さず、砂竜をも屠る池松の蹴りが炸裂していた。
たとえ吹き飛んだ先が場外でなかったとしても、ボルネオはもう戦闘不能だろう。
「まさかあの能力を破るとは。どうやらお前を見くびっていたようだ」
「……偶然ですよ。偶然」
ボルネオが脱落したので、あとは1対1の勝負である。
2人は同時に動いた。
池松の拳が突き出される前に、不動は能力で飛行、手近な棚の間に着地する。
正面からぶつかっては敵わないのはわかっている。そして、戦闘経験も相手の方が上――そして、ダメージは自分の方が大きい。
短期決戦を狙うしかない。
池松の姿が見えた。
不動は仕掛けを発動させた。
不動と池松の間、宙空に無数の盾が並ぶ。
否、盾ではない。
キャンパスノート。大学ノートとも呼ばれる、何の変哲もないただのノートだ。
不動の能力は対象を固定する効果は有していない……この壁も紙の強度しか持たない。池松の進撃を止めることはできない。意表を突くことができれば十分だった。
本命は敵の後方。
先ほど拾った自動ドアの破片……手のひらに乗るくらいの大きさのガラスの切片がふたつ、ブーメランのように舞う。
最初に使った包丁のような派手さはない……が、「インフィールドフライ」の高速を上乗せすれば、ガラス片は人体など容易く切断する鋭利な刃となる。
視認することすら困難なガラスカッターによる、背後からの攻撃。
「やはり。見事だ……が」
池松の取った行動は不動を驚かせた。
ガラスカッターを察知しただけでも驚きだったが、その次の行動は完全に予測の範疇を越えていた。
池松は体当たりを仕掛けてきた。
今までのような掌底や蹴りによる攻撃ではない。どちらかと言うと、ただ前方にダイブしただけという感じだ――が、それゆえまともに不動は体当たりを受けてしまった。
「……!」
そして、遅まきながら狙いに気付く。
ガラスカッターは池松の背後方向から、不動のいる方へと動かしている。
つまり、このまま高速で撃ち出せば、2人が密着しているこの状況では、池松ごと不動自身も切り裂かれる。
「く――」
池松が体勢を立て直し、掌底を不動に触れさせるまさに一瞬前、不動は必死に床を蹴って後方に逃れた。
ガラスカッターは池松には当たらなかった。
左右の棚が倒れる。ガラスカッターが命中したらしい。
不動の為し得る中で最強の威力を持つだろう攻撃は不発に終わった。
そして。池松叢雲は自然体で目の前に立っている。
「まだ奥の手はあるか?」
「…………」
基本的に不動の戦法は事前に準備を整える必要がある。
最初に池松と会敵する前に仕込んだ工具、文房具、包丁そしてノート……弾は全て撃ち尽くしていた。
残るは……
「I wish I were a bird.」
「……?」
池松と比べると拙い発音だったが、不動はそう口にした。
「……昔のジブリ映画の地上波放送のビデオをこの間見たんですけど――しかも今時VHSで。その時、CMにこの英語が出てきたんですよ」
「……」
「でもおかしいですよね? 特におかしいのがbe動詞なんですよね。普通、"I"に対応するbe動詞は"was"じゃないですか?」
「それは仮定法だ」
中学英語では出て来ない分野なので、知らなくても無理はない。
「仮定法は、本来ありえないことを表す時に用いる構文だ。その際、動詞は通常の直説法とは異なる変化をする」
言いながら池松は一歩踏み出した。……否、踏み出そうとした。
しかし、前に進むことはできなかった。足が床を蹴る、その感触がない。
「これは……」
「なるほど、ありえないことを表す……ですか。うちの課長の口癖は、『魔人の犯罪にありえないことはない、あらゆる可能性を考慮しろ』なんですけどね」
池松の体が床から数cmほど浮き上がっていた。
いくら池松と言えど、空中で自由に動くことはできない。それは最初の交錯のとき、天井を蹴って方向転換したことからも明らかだ。
「鳥になりたい……っていうより、空を飛びたいとは実はちっちゃい頃から思ってたんですよね。だから、能力が発現したときもすぐに試しましたよ」
不動の能力「インフィールドフライ」は、生物にも通用する。
能力で1階から2階へ飛び上がった時のように――そしてそれは、他者に対しても例外ではない。
「触れて能力のエネルギーを注ぎ込む必要がある」という縛りはあるものの――しかしそれは先ほど達成した。
ガラスカッターを避ける際の池松の体当たりで接触した際……長いとは言えないが一瞬というほど短くもない、エネルギーを注ぐのに十分な時間だった。
「――ぐ……!」
池松の体が見えない力に押される。
先ほどボルネオが通過したのと同じコースを辿り――しかし違うのは、ボルネオよりも遥か手前の位置で、池松は2本の足で着地したことだった。
しかし、ホームセンターから1メートルのラインは確実に超えていた。
場外だった。
「なるほど……迂闊だったな。触られた時点で俺の負けは決まっていたということか」
「まさか、その触れるだけのことがこんなに大変だとは思わなかったですけど……ね」
できればこの勝ち方はしたくなかった――手の内を晒したくはなかったが、仕方なかった。
池松叢雲という男は、不動の力を大きく超えていた。手段を選んではいられなかったのだ。
次戦以降は警戒されて、この勝ち方は使えないだろう。
「どうした。お前の勝ちだ。胸を張れ」
声に促され前を見ると、池松が鳥の仮面を指でほんの少しだけずり上げていて――
「コングラッチュレーションズ(Congratulations!:「おめでとうございます」という意味の英語)」
こうして1回戦は終了した。


●ボルネオ(場外)vs ●池松叢雲(場外)vs ○不動昭良


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