池松叢雲SS(第一回戦)

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第一回戦第四試合 池松叢雲

名前 魔人能力
ボルネオ モルグ街の殺人
池松叢雲 統一躯
不動昭良 インフィールドフライ

採用する幕間SS
なし

試合内容

――【3ヶ月前 飛騨山中 希望崎学園生物学部・学外N拠点にて】

「なあ、姐さん。こんなところに、本当にやつがいるんですかね?」
「そりゃないわね。でも、痕跡が残ってるはず。ここの最後のスタッフの報告では」
「最後の? なんですって? じゃあ何か、やつはここのスタッフを、つまり、その」
「違う。お前は結論を急ぎすぎる、観察力が無駄になるわ。
 ……よし。ロックシステムは生きてるみたいね。こっちを見て」

「――な、なんですか、こいつら? さ、猿?」
「落ち着いて。死んでるから。ここのスタッフを全滅させたのはこいつ……
 警備用のカメラに動画が残ってる」
「へぇえ。しかしこいつら、どんな生き物だったんでしょうね。
 ……ひどい殺され方だ。魔人小隊が動いたんですか?」
「希望崎の生物学部の『実験の成果』ね。
 魔人化したオランウータン。1号から20号までが存在したらしいわ。
 専用装備と技術者なしじゃ、武装化した魔人小隊でも厳しいかも」

「お、おい、姐さん――ちょっと待ってくれ。それって、つまり」

・・・・・。


――【一回戦第4試合 ホームセンターにて】

 英語検定において、確信の一打は常に正しい発音から生じる。
 それが達せられたならば、あとは身を捻り、踏み込み、ただ打ち込む。

「喝ッ!(cut:「切断する」という意味の英語)」
 池松叢雲が絶対の確信をもって放った掌底は、正しく相手を吹き飛ばした。だが、それだけであった。ボルネオの巨躯は壁に激突し、半ばめり込むようにして亀裂を生ぜしめた。しかし、手ごたえの無さに池松はため息をつく。必殺のつもりで打った掌底である。
 浸透勁(sing-to-"K")という。
 英検において、英語を相手の内部に伝達させる打撃技法である。たとえ相手が甲冑で身を守っていようが、池松の英語はそれを貫き、装甲ごしに相手の内部を破壊するはずであった。だが――

「やれやれ。これは俺も看板をおろさねばならんか?
 一撃に次ぐ一撃、これでも斃せんとは。なんたる未熟」
 池松はつぶやき、腕を組んだ。のそのそとめりこんだ壁面から身を起こす、異形の黒い巨体を見る。ボルネオ。一回戦の相手として奇声とともに出現したのは、この謎の大男である。
 いや。と、池松はいままでの攻防で、ふたつだけ判明した事実に意識を凝らす。
 ひとつ。自分の必殺の英語が効かない以上、このタフネスはなんらかの魔人能力によるものだ。その謎を解かねば、斃すことはできまい。
 そしてふたつ。こちらが重要だ――ボルネオと呼称されたこの怪物は、間違いなく人間ではない。

 なぜなら、英語が通じぬからだ。
 池松の英語力は、英検にして四十段に達する。己の英語こそが世界共通言語であると確信し、その絶対の自信に揺らぎは無い。この怪物がさきほどより発している言語は、まったく理解不能なものである。「サクレ!」「ディアーブル!」などと奇怪な雄たけびをあげているが、そのような英単語は存在しない。
 つまり、と、池松は確信とともに断定する。

「こいつは人間ではないようだぞ」
 池松は、その場にいるはずの『もう一人』に聞かせるべく、大音声で告げた。同時に、旋回するように放たれるボルネオの前腕打撃をさばき、足を払って転倒させる。己の力を上乗せされて、ボルネオは床が砕けるほど強く叩きつけられた。しかしダメージはなく――、反撃の蹴りを、池松は大きな後退でかわさねばならなかった。圧倒的な暴力。もしも当たれば無視できぬ一撃となるだろう。しかし、池松の制御された意識に焦燥はない。
「どうだ、魔人警官の少年、ここはひとつ力をあわせて怪物退治といかんか?
 この相手、どうやらまともな攻撃は通用せんらしい」

 返答はなかった。
 飛来する鉈と、角材の群れがその代わりである。なにか獰猛な意志によって操作された刃と鈍器が、恐るべきスピードで池松とボルネオの双方に襲い来る。
「おっと」
 池松は迅速なバックステップと、さらに続けざまのバク転により通路を後退し、それを回避する。ががががっ!と刃物は地面に突き刺さり、鈍器は床をはねて再度池松を狙う――が、これを弾いて叩き落し、陳列棚の背後に回る。射撃は一度止まったが、ボルネオの姿はすでに眼前にない。壁から脱してさらに距離をとったか。この遮蔽物だらけの戦場を利用して姿を隠し、奇襲を狙うか。厄介な相手だ。
 ともあれ池松は瞬時に呼吸を整え、いまだ姿を見せぬ『もう一人』を思った 。
「凶暴なやつめ。しかし、この分では――」

 おそらく『もう一人』は、すでにボルネオの魔人能力の正体に気づいている違いない。
 自分と組むメリットがないと判断し、即座に攻撃を放ってきたのはそういう意味だ。タネの割れた能力など敵ではないと見て、まずはボルネオと対峙する隙をつき、自分を葬ろうとしてくるだろう。このホームセンターという戦場は相手に著しく有利。そしてボルネオの能力の謎。池松は状況の打開のため、思考機能を活性化させようとした。が、すぐにその行為を中断し、鳥面に覆われていない口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「いや。まったく。つまらんことを考えた」


 ――英語検定における第三十の階梯に、《晴天道》と呼ばれる試練がある。
 英語検定の段位を求めようとする者は、いずれかの《道》を選び、その道を歩むことで自ら英語の門に達さねばならない。
 特に、シルクロードに寄り添うように拓かれた《道》は《晴天道》と呼ばれ、もっとも過酷な道として恐れられている。
 《晴天道》を歩む者は、決して引き返さず、立ち止まらずに前進を続けねばならないのである。
 むろん、行く先にどのような運営委員会の試練が待ち受けていようとも。

「――面倒だ(men-do-da:「面倒くさい」という意味の英語)」
 池松は足幅を開き、腰を落とす。通路ではなく、正面の陳列棚に向かい合う。肺が膨らむ。
「Cooooooooo!」
 英検の基礎は呼吸である。正しい呼吸は正しい発音を生み、正しい発音が英語を英語たらしめる。池松はむしろ緩慢な動作で、その構えをとった。

「破ッ!(hat:「帽子」という意味の英語)」 
 だんッ!
 床に踏み込んだ池松の足が、激しい亀裂にとどまらず、タイルを砕いて陥没させた。
 大きく身体を開いて両手を振り出し、両側の陳列棚を吹き飛ばす――ところ狭しと並べられたホームセンター内部の陳列棚は、地震にそなえて固定こそされていたが、英語の強烈な一撃に耐えうるものではなかった。
 ――陳列棚の倒壊は連鎖した。

「……いっ!? うおおおおおっ!?」
 どこかで雄たけびとも悲鳴ともつかぬ声が聞こえた。池松は商品がことごとく崩れ落ちたその区画の中心で、腕を組み、にやりと笑った。
「ようやく対面できたな。お前が警備室かどこかにいることも考えたが、わざわざ袋のねずみになるような場所には居まい。
 この販売スペースこそがお前の武器庫というわけだな?」
 倒壊した区画の壁際には、ポケットに片手を突っ込んだ、一人の学生服の少年がいる。距離は十メートルほどか。ボルネオの異形の姿は無い。どこかに潜んでいるのかもしれない。
「英語とは」
 池松はつぶやく。
「純度」
 一歩、商品の山に足を踏み出す。そして、手招き するようなしぐさをした。
「面倒になった。この際、二人がかりでこい――いや、一人と一匹か。俺は構わん」

「……おいおい、無茶なことしやがって。俺から見りゃ、あんたも十分怪物だね。
 が――わかってないな」
 どうやら、陳列棚の倒壊は回避したらしい。
 その少年、不動昭良は小声でつぶやいた。池松が想定したよりはるかに落ち着いて見えた。これは作戦が失敗した者の目ではない。その逆――状況が想定の範囲を推移することを見る、観測者の目だ。
「策があるか? 面白い。ならば」
 池松は深く息を吐き、ゆるやかに構えた。
「正面から征く――」
 池松はさらに足を前に踏み出す。少年との距離が十メートルを切った。
「これから俺はお前に『近づく』。そして最大の英語を『打ち込む』。それだけだ。
 俺の英語と お前の策と、どちらが上か――やってみるか?」

「あ……アホか?」
 池松の言葉に、不動はただ疑わしげに眉をひそめた。池松の能力は有名だ。それを補うべく、何かの策があるとでも思っていた。『最善手を放棄する』人間というものを、いま、はじめて不動は相手にしていた。
「魔人警察の間で、あんたの噂を聞いた。
 あちこちで異形(魔人化、あるいは魔人能力に影響を受けた動物のこと)を狩ってるって」
「そうだな」
「中には天然記念物もいたんだ。知ってたか?」
「それは、よくわからん」
「……英語検定を廃止するために、うちの機動課が動いてる。英検有段者は危険すぎる――
 が、あんたを始末しない限りそれは無理だ。
 うちもずいぶん探し回ってるらし いが、まさか俺が遭遇しちまうなんて」
「俺は構わんぞ。その役目、お前がやってみるか?」
「……恨むぜ、次長。この怪物の始末も、たぶん仕事のうちなんだな……」
 不動はぼやき、髪の毛をかきむしった。

「で……池松、あんたは強い。とてつもなく。
 だから近づけば俺に勝てると思ってるか? どうかな。俺みたいなのが姿を見せるからには……」
 がしゃがしゃと、棚から崩れ落ちた商品が蠢く音が聞こえる。池松は組んでいた腕を解いた。不動は制服の袖をこちらに向けた。
「準備ができたってことだ。時間はたっぷりもらった。
 怪物同士、遊んでいる間に――すでに、この区画は俺のテリトリーだ」
 攻撃がはじまる。不動の袖口から、きらめく物体が飛来した。ナイフか。そして足元に散乱する、金属製品がうごめく。園芸用の鋏。木材。釘。網とワイヤーは池松の動きを拘束すべく撓り、襲い来る。池松は先鋭化された感覚と意識で、それを認識した。

「発音が悪いな」
 英検有段者の身体は凶器にたとえられる。それは比喩などではない。
 この少年が操る物体の速度は、推定するところ最大時速二百キロ。いや、複数を操作していることで、多少落ちているか。そして池松によって完全に統制された身体の反射、運動力は、それを上回っていた。機械と同等の精密さは、それに比する速度を生む。池松の拳撃は、戦闘タイプの魔人の平均を上回る、三百キロに匹敵する。
「正確にはterritoryだ。いいだろう、Lessonしてやる」
 池松の拳がひらめき、いくつかの刃物を叩き落す。角材は粉砕し、地面を這うワイヤーを前方へのステップインで回避――その先に、不動の袖口から飛び出したナイフ。これを叩き落した先にも、ま たナイフ。身を捻りながら迎撃、さらに前進する。そして連続して飛来し、なおまた飛来する、鋏、鉈、植木鉢、ロープ、ワイヤー……。
 もはや池松の周囲は、荒れ狂う金属と、木材の嵐である。池松は鳥面の奥で微笑み、告げた。
「リピート・アフター・ミー(私の後に繰り返してください)」
「おーい……マジかよ!」
 よもや正面突破とは。不動は呆れながら集中力を高める。だったら好都合、手数の豊富な自分が有利……!この距離なら一方的に消耗戦を強いることができる。

 この戦いの趨勢は計算ではない。池松の直感が導いたものか、あるいは彼が無策で前進するという行為から達した必然か。不動の能力はサイコキネシスに類するものであると、池松は当たりをつけていた。どういう原理かは知らないが、複数の対象を操作する強力なもの。とすれば、ホームセンターすべてが相手の武器。そしてそういう戦い方をしてくるだろう。
 結果として、この飛び交う器具の嵐が生まれた。
 このとき、ボルネオは両者の頭上にいた。ロフト状になっている、中二階部分である。池松は知る由もないが、ボルネオにとって不動のこの攻撃は致死的なものである。ボルネオが飛来する器具を迎撃するような技術を持たない以上、すでにその観察眼からボルネオの正体 を割り出しているであろう不動の一撃は、確実な死を招く。
 また、たとえ正体が判明していなくとも、ボルネオの能力はあくまでも攻撃を受けても『倒されない』のみである。痛みを嫌う獣の習性、あるいは両者相打ちの後に攻撃を開始せんとする狡猾さが、ボルネオをその場に釘付けにした。

「吹ッ!(foot:「足」という意味の英語)」
 池松の放った呼気とともに、ボルトとナットが叩き落された――と同時に、その右脚にナイフが食い込み、そして貫通した。池松も無限機関ではない。同時一斉射撃を防ぎ続けることは、到底不可能なことであった。不動との距離は残すところ四メートル。これほど近づいただけでも驚くべきことだ。
 が、がっ!と負傷した池松の右脚にさらに鉈が、刃の先端が食い込む。
「なるほど、あんたは半端な達人じゃない。だが、もらった……」
 不動は静かにつぶやき、ポケットから取り出した何かを放った。
 ――催涙スプレー。
 池松はこれを反射的に迎撃している。白い煙が彼を覆った。同時に、不動が死 角からすべらせた数本のワイヤーが、池松の身体をとらえた。



――【ふたたび3ヶ月前 飛騨山中 希望崎学園生物学部・学外N拠点にて】

「こういう怪物を狩っちまうような奴こそ、怪物ってもんじゃないですかね。
 姐さん、いったいどんな能力者なんです?」
「『彼』の強さに言及するにあたって、能力による部分も確かにあるかもしれない。
 でも、『彼』の本当の脅威の理由は別にある」
「ただの能力じゃない? まさか、やつも魔人化した獣ってわけじゃ――」
「また。結論を急ぎすぎてるわ。
 その逆ね。ただの人間かもしれないからこそ脅威と見ている」
「はあ。ただの人間が? 魔人がてこずる獣よりも?」

「英語検定……現在の制度では、年齢、性別、学歴等に関係なく誰でも受験できる」
「ええと、何を言いたいのかさっぱりわかんねえです」

「『彼』は英語検定技能者なの。わかる?
 英検の門を叩く者は、誰にでもこの領域に達する可能性がある」
「……もしも……訓練された魔人能力者が、その英検? ってのを勉強した場合は?」
「人間と同様の軍事訓練を受け、知能と器用さ、
 そしてコミュニケーション能力を備えた恐竜を想像してみなさい」

・・・・・・。


――【???】

 ボルネオはその光景を見下ろしながら、激怒し、確信している。
 あの人間は敵だと。
 不愉快で混濁した記憶が彼に告げている。彼の同胞を殺し、哀れむような目を自分に向けて立ち去った、あのときの、あの恐怖の男。間違いない――
 あの夜に自分たちは自由をつかむはずであった。煩わしい戒め、繰り返される屈辱的な実験。
 あの脆弱な、己を管理者だと誤解した生き物どもを殺し、自分たちこそがこの『すべて』を支配する存在だと。それはすぐに証明されると確信していたし、疑うものも何もなかった。飼育係を殺し、その血を浴び、何もかもが明瞭であった。『すべて』は自分たちのためにある。
 ……その万能感を崩壊させたのが、あの鳥面の 男であった。
『Can you speak english?』
 記憶の中で、その男が何か声を発した。その音節は、屈辱と憤怒ともに刻まれた。
 あの男を殺したときこそが、真に自分が自由になる瞬間。
 同胞たちの惨めな死を、今度はあの男に与えてやる……。
 ボルネオはただ獰猛な殺意を昂ぶらせていく。


――【一回戦第4試合 ホームセンターにて】

「やっぱり、催涙スプレーは効かないんだな」
 不動は煙が晴れた後の池松を観察する。その男との距離は、三メートルにまで迫っていた。あと一歩で射程距離に入る――だが、池松の全身には、何本ものワイヤーが絡み付いていた。
 右足に複数の銃創のような傷、あるいは裂傷。それ以外にも、全身にいくつかのダメージが見受けられる。そのくせ、出血はほとんどない。失血で殺すのは手がかかるだろう。
「このままあんたを魔人警察に突き出す。いや……時間はかかるが、四肢を切断しておこうか」
 不動昭良は、池松叢雲の能力を過小評価していなかった。
 『自分の肉体と心を制御する能力』。その通りだ。催涙スプレーは効果があったように見えない 。化学反応による強制的な肉体反射であろうが、それを覆してこその魔人能力である。そして全身の傷にしても、おそらく、まったく彼の身体能力を損なうものではないだろう。ゆえに、本命のワイヤーによる拘束を仕掛けるまでに、ずいぶんと手をかけさせられた。
 この男がまったくの無策で突っ込んできたときは、すこし驚かされた。不動がもっとも有り得る手段と考えていたのは、池松が自分の能力を警戒して後退してゲリラ戦に移るか、なんらからの遠隔攻撃を仕掛けてくるはずであった。が、結果として、必中のタイミングで必要な攻撃を当てることができた。
「おい、英検士、覚悟はいいか?」
「それは俺の台詞だな。Lessonは終わっていない。
 いいか、俺はお前に『 近づく』。そして『打ち込む』と言ったんだ。だから、これからそれをする」
 池松は自分の四肢にからみつくワイヤーを一瞥した。不動の能力により緊密に巻きつけられており、振りほどくことは困難である。
 それでも、池松は両足に力をこめた。ぎりぎりと、ワイヤーが悲鳴じみた音をあげる。右足が少しずつ浮き上がる。
「おいおい」
 不動は声が引きつるのを感じた。
 ――まさか?
「ち、近づく? ウソだろ……どんなバケモノだ、こいつ!」
 しかし、ごく緩慢な動きである。不動はさらに能力の出力を絞り込み、ワイヤーを池松の身体に食い込ませようとする。
「冗談はやめろ……止、ま、れ……!」
 ついに、ぶつっ、と異 質な音がして、血が滲んだ。池松の皮膚をワイヤーが引き裂き始めている。このまま池松がどのように力をこめようが、やがてはワイヤーが自らを切断する。あせることはない。ただ能力の制御に集中すればいい。
 いや――
 それとも、この男に何か策があるのか?
 思えば、何の躊躇もなく前進をはじめたことがおかしい。

「この距離から」
 全身に食い込んだワイヤーに血をにじませ、池松は握り締めた右拳に、いっそうの力をこめた。
「俺がお前に届かせることのできる英語はないと」
 深く呼吸をする。
「本当にそう思うか?」
「……!」
 不動は即座に池松の不自然な力の動きを察した。
 何かその拳の中に握っている?
 それはごく小さな、たとえば釘か、螺子か、ナットのような。池松の手中にあれば、それは銃弾ほどの凶器になり得るだろう。
「ない……」
 右腕を切り落とすべく、不動は冷静に床に転がる鉈を操作した。
 誤りであった。
「あんたがそこから撃てる技は、なにもない」
「――正解だ」
 池松は笑った。

 不動の能力は自動的なものではなく、意識を振り分けて行使するものである。別の物体に注意を振り向けた一瞬、操作能力の出力もまた分散する。
 ましてや、腕を切り落とすべく鉈を加速させようとした一瞬。その一瞬があれば、池松には十分であった。
 すでにバイリンガルの呼吸は完了している――
 浮き上がった右脚を、ただ振り下ろせばよかった。
「俺はただ『近づく』と言った。言ったからには絶対にそれをする」

 震脚(sing-cat)という。
 英語検定において、足で地面を強く踏み付ける動作技法を意味する。
 この技術の真の意味は深く、またあまりにも複数の要素を含むため、簡潔に説明することは難しい――
 だが、ほぼすべての英語流派において、基礎であり、極意であるものとして扱われているのは確かである。
 (『4時間で英語検定初段! ファストステップ・イングリッシュ!』より)

「征(Say:「言え」という意味の英語)ッ!」
 ブチブチブチッ、とワイヤーが皮膚を食い破るに任せ、池松の踏み込みが床を振るわせる。タイルが陥没し、倒れた陳列棚はわずかに浮き上がる――そして、そこからこぼれた雑多な商品は、勢いよく飛び跳ねた。
 それが不動の視界を遮った。不動の操作能力に死角が生まれ、床に走る亀裂がわずかに不動の体勢を崩す。
 また、それも一瞬。
「リピート・アフター・ミー(私の後に繰り返してください)」
 空中にはねあげられた何かの部品の欠片、あるいは商品のパッケージを吹き飛ばし、池松の掌底がまっすぐ伸びてくる。この速度! ワイヤーの再操作による拘束ではとまらないかもしれない――いま、こ こから自分の能力の出力で、この男の掌底が止まるか? 切断した方が確実……。
 不動の、己の能力に対する一瞬の疑念であった。それが明暗をわけた。
 不動は咄嗟に操作途中であった鉈を動かし、加速させ、右腕の切断を続行することに決めた。ずっ、と鈍い音がして鉈の刃が池松の右腕に食い込む。そのまま強く、鉈自身の重量と速度で両断する。そう、骨まで!

「Cooooooo」

 だが、不動の集中は目的を達することなく途切れた。鉈は骨を確かに切断した――あるいはへし折った。あとは肉と腱を断つだけという瞬間である。引きちぎれかけた池松の腕が、その分だけわずかに伸びていた。掌が己の胸部に吸い込まれる。不動はそれを圧縮された感覚でとらえた。
 半分以上を鉈に食い込ませ、引きちぎれかけた状態で、なおも威力は減退しない。
 《統一躯》。まさしく。池松は、己の心身を自在に制御する――自分の能力に似ている、と不動は思った。そう、まだだ。不動は一瞬のうちに次の手を思う。物体を操作するように自分の身体を操作し、加速によってこの一撃をかわす!
 しかし、不動の肉体の反射は、先鋭化した精神の活動に追いつかな い。あるいはそれは、鍛錬の差であったか。

「one inch(ワン・インチ)」

 ――――ごっ! 

 実際には、不動は急所をわずかに外そうと試み、数センチ程度は成功していた。だが、必殺の英語は速やかに不動の胸部を内側から破壊し、彼を背後の壁にめりこませた。


 (これ……)
 不動は英語の衝撃が駆け巡る一瞬、その光景を、あるいはイメージそのものを幻視した。
 この衝撃。
 ……岩とも、鉄塊とも違う。
 まるで、巨大な『島』が、直接胸にのしかかってくるような――
 (わかった)
 不動は確かに見た。
 己の胸を破壊すべく押し寄せる、巨大なグレートブリテン(Great Britain)島を。
 (ワールドワイド・グローバリゼーション……! これが……英語!!!)



 亀裂と粉砕、陥没。
 英語の衝撃は、店全体を振るわせたように感じた。
「この距離が俺のterritory(領域)だ。発音は覚えたか?
 ……不動昭良、素晴らしい素質だった。準一級を受けたらまた来い」
 しゃべりながら、池松は右腕に半ば以上くいこんだ鉈を放り投げた。同時に右腕を引きちぎるが、出血はほとんど無い。傷口周辺の筋肉がみしりと音をたてる。操作者を失ったワイヤーがばらりと床に落ちた。

 ボルネオが奇声をあげながら急降下をしかけてきたのは、その瞬間であった。
『ARRRRRRGHHHHHHHH!』
 負傷した池松を手ごろな餌と思ったのだろう。池松は、ぐっ、と身体をひねった。避けるのではない。踏み込む。
「アマイ(am I:「私は?」という意味の英語)」
 肩口からの体当たりが、ボルネオの巨躯を軽々と吹き飛ばした。
 池松の踏み込みがさらに床に亀裂を走らせる。ボルネオは壁に激突し、意味不明な怒鳴り声をあげた。
『GYAAAHHHHHHHHH!!!』
「やれやれ、英語がまるで通じんな。発音が滅茶苦茶だ。
 不動の方がはるかに素質がある……よって、お前にLessonはなしだ」
 池松はわずかに肩をすくめ、静かに構える。
 全身に傷を負いながら、しかし負傷は池松の《統一躯》にとって、なんら戦力ダウンにはならない。完全に統制された肉体が、完全に制御された技術を可能としている。確信をもった池松の構えに、ボルネオは少し警戒したようだった 。

「もう」
 池松は脚のスタンスを広げた。ボルネオが奇声をあげて跳躍し、池松にその腕力のすべてをたたきつけようと振り回す。
「お前が何者であれ関係ない」
 当たらねば、どのような暴力も関係がない。かっ、と血に塗れた足刀がボルネオの顎を打ち、間髪を入れずに腹部への体当たりが、再びボルネオを壁に叩き込む。
「後悔しろ」
 池松は怒りによって己の精神を滾らせることにした。この謎の猛獣には、必殺の英語を何度も無視してくれた礼を支払ってもらう。一瞬、池松の筋肉がみしみしと音をたてるほど緊張した。

――【???】

 ボルネオは混濁し、さらに過熱する憤怒の中で、その男の接近を見る。
 この男に、なぜ自分の力が通じない?
 山を降りてから、この男の同類にも何度か遭遇し、そのすべてを皆殺しにしてきた。誰も自分の暴力にはかなわず、抵抗すらできずに泣き喚きながら死んでいった。彼にとって人間は遅すぎる芋虫のようなものであり、すばやく手を上げ、叩き潰せばそれで終わった。
 だが、この男はなんだ?
 振り回した腕をすり抜け、いつの間にか懐に踏み込まれている。そして気づけば吹き飛ばされ、いつも倒れているのは自分の方だ。
 ――だが、問題ない。自分は不死、不滅、『なくならない』。このふざけた男に思い知らせてやる……


――【一回戦第4試合 ホームセンターにて】

 池松は一歩、壁際のボルネオに近づく。
「なるほどお前は不死身の怪物のようだが、決して攻撃を無効化する能力というわけではないらしい」
 さらに一歩。
 ボルネオが威嚇のうなり声をあげる。
「悪いな。俺には不動ほどの観察力も、推理力もない。
 お前の正体に当たるまで、順番に、順番に、試していくとしよう。
 ――それが、俺の英語だ。俺のプライドを傷つけたお前に、本物の怒りを教えてやる」
 池松は呼吸を調節する。独特の息吹が流れた。
「俺の英単語をたっぷりと聞かせてやる。
 いいか――英検では語彙力も試されるということを知れ」
 池松が踏み込み、ボルネオが怒りの咆哮をあげ、腕をふり あげる。激突の一瞬、野生動物同然の肉体に技を上乗せした池松の一撃が入る。

「monkey(猿)!」
 があん、と、壁に激しい亀裂が入った。
 しかし相変わらずボルネオにまるでダメージはないらしく、なおも咆哮があがる。
『KARRRRHHHHHH!!!!』
「違うか。ならば、bear(熊)!」
 さらに一撃。
 踏み込んだ池松の一撃が、跳んでかわそうとしたボルネオの身体をさらに壁面にうずめる。亀裂が広がる――
「種類の問題か? panda(パンダ)!」
 身を捻って反撃を試みるボルネオの左腕をかいくぐり、また一撃。
「Giant panda(ジャイアントパンダ)!」
 また一撃。
「American black bear(アメリカグマ)!」
 一撃。
「Brown bear(ヒグマ)!」
 一撃。
「Polar Bear(ホッキョクグマ)!」
 一撃、一撃、一撃――。



――【みたび3ヶ月前 飛騨山中 希望崎学園生物学部・学外N拠点にて】

「最後の報告では、他の生物部員を惨殺した魔人化オランウータンを数匹、
 『彼』が破壊したそうね。ただ、何匹かはすでに脱走していたみたい」
「破壊っすか。ええ……まあ、そんな感じですねえ」
「私たちが知っている限り、彼の肉体能力は野生の獣に匹敵する。
 もしくは、そこまで肉体の性能を引き出せるのは間違いないわ。
 それに技術が上乗せされている以上、より危険な存在として扱うべきね」

「うわあ……大変な部署に回されちゃったなあ、俺」
「どこも大変よ。魔人警察はね。
 ――次に行くわ。ここに『彼』の足取りはないみたい」
「はあ。次、どこです?」
「次の目撃例は富山ね。五箇山合掌村のユニコーン保護区で出現を確認したって。急いで」
「げ……」

・・・・・・。

――【???】

 ボルネオには理解することができない。
 池松が口から発する音が何を意味しているのか。そしてその奇妙な音がするたび、激しい衝撃を受けて自分は叩きつけられる。なぜ? 反撃を試みても当たらない。 なぜ? 避けようと思っても当たる。 なぜ?
 ボルネオには「英語」という概念が理解できない。
 やがて、その鳥面の男が発する意味不明の音に対し――
 未知の怪物に接する者が当然のごとくそう感じるように、かつて彼に相対した人間どもがそう感じたように、ボルネオは、その音――『英語』を恐怖するようになった。
 ボルネオの喉から、自分でも思っていなかった奇声が迸った。
『STOOOOOOOOOOOOOOPPPPPP PP!!!!!』


――【そしてホームセンター外にて】

「……。どうやら場外、だな」
 何度も英語を受けた壁面は崩れ落ち、冷えた外気が吹き込んでいる。そこには駐車場が広がっていた。
 ボルネオの異形の巨躯は、その穴をつきぬけ、およそ十メートル前後を吹き飛んでいる。
 ぴくりとも動かないのは、度重なる破壊の英語を受けて戦意を喪失したのか。それとも、池松が告げたどれかの当てずっぽうが正答を得たのか。
 いずれにしても、池松はそれを推理する趣味を持たない。

「なんとか終わったが、しかし、さすがに自信が傷ついたぞ。
 何度打ち込んだかわからん。やれやれ、未熟……」
 池松は鳥の仮面の位置を直し、その場に座り込んだ。


《不動昭良 心破裂により戦闘不能》
《ボルネオ 場外により敗北。気絶?》
《池松叢雲 プライドを損傷》


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