税金のない国:ユートピア宣言

2016-06-28

  近年、ピケティの富の再分配が大きく取り上げられ、貧富の格差が世界的規模で増大している実態が問題視されるようになってきた。累進課税を徹底し、富める者から大きく税を取り立てようとの論調である。ここで述べる私の論調は、それとはまったく逆であるが、税金のない国づくりを考えよう、それこそ自由の国ユートピアではないか、今こそ、ユートピア宣言をしよう、というものである。しかし、無法国家を提唱するものではない、自由で税金制度が存在しないが、厳しい法律により人間の尊厳が十分に守られた国家を目指そうというものである。自由と厳しい法律、全く相反するようにも聞こえるが、自由とは無秩序ではない、責任を伴うものでなければならない。そして、厳しい法律と個人個人の責任ある行動によって初めて自由というものを獲得することができる。

 さて、政府の仕事をする役人50人と一般国民100人からなる小さな国があるとしよう。一般国民は農業、漁業、林業そしてその他の多くの産業に従事し仕事をしている。政府はもちろん紙幣を印刷し、国内で紙幣の流通を促している。一見すると、普通の国である。市場に出かけると、盛んに紙幣を使って売買が行われている。農業従事者は栽培した作物を市場に流し、紙幣の形で収入を得る。漁業従事者は釣り上げた魚を市場に持ち込み、林業従事者は建設会社に木材を販売して収入を得る。すべての国民は公務員も含め全員が働いて収入を得、生活している。しかし、一つだけ違っている。そう、この国には税金はないのである。政府の役人50人分の給料はいったいどこから出ているのであろう。全く不思議である。しかし誰も文句をいうものはいない。すべての国民はこのことを十分理解し、納得して生活している。うすうす感づいている読者もいると思うが、公務員の給料はすべて政府が印刷して支払っているのである。しかし、政府の収入がないではないか、そんなことで国が維持できる訳がない、とお考えの読者もいよう。からくりは、単純である。一般国民は仕事をしてお金を稼ぐ、政府は紙幣を印刷して国内に流通させる。そして、すべての公務員に造幣局で印刷した紙幣を給料として配ることによって通貨の価値を下落させることが税金なのである。一般国民の中の農業従事者は、公務員50人分を含めた150人分の需要を見込んで農作物を栽培し、漁業、林業、その他の産業もそのことを見込んで仕事をしているのである。政府の役人は、常に需要と供給のバランスを考慮し、すべての産業と密に連携をとりながら指導をしているのである。しかし、ただひとつ問題がある。インフレなのである。造幣局は常に印刷して公務員に給料を渡し続けている。公務員は市場に出かけて様々な買い物をし、紙幣を市場に流す。市場にある紙幣は増え続け、決して減らないのである。それゆえ、通貨の価値は下落し、決して上がることはないため、国民は貯蓄しない。貯蓄しても、しばらくすると価値が下がってしまい使えなくなるからである。そのため、稼いだお金はすべて使ってしまおうということになり、市場はいつも活性であるが、お金持ちはこの国には存在していないのである。造幣局も大変である。毎年通貨の価値が下がってしまい、金額の増えた紙幣のデザインをいつも考えることになり、デノミもときどき行いながら、紙幣をリニューアルすることに大変な労力を費やしている。国民は働くことで収入を得、働かざるもの食うべからずであるが、何らかの障害を抱えた人々への対策も政府が主導しきちんと行っているのである。まさに、平等社会である。ひとつだけ、インフレという問題に目をつむれば、そしてすべての国民がそのことを理解し、納得していることである。

 上記の小さな国の例は極端な考えかもしれないが、税金というものは何のためにあるのであろうか?そのことを考えるよい材料である。上の例は、お金の出口がないためにインフレが起き、貯蓄することが無意味になり、お金持ちが存在しない、ある意味、平等社会の出現を煽ることになった。ならば、お金の出口を作ろう、そして極端なインフレを起こさないよう調整しようというように考えることができる。そう、それが税金なのである。貯蓄しないのであれば巨大資本は生まれない。巨大資本がなければ経済の発展はなくなるかもしれない。そのように考える人もいるであろう。資本主義社会の発展は巨大資本が大きな影響を与えてきたと考えている人もいるであろう。私もそのことを否定するつもりはない。おそらく、文明社会の発展は富の集中が起きたことが大きな要因かもしれない。ならば、貯蓄に意味をもたせるべきであろう。お金を貯めて将来のために役立てようと考える人も多いであろう。とすると、やはり税金は必要である。しかし、それは、インフレを抑止するための税金であって、国家予算を賄うためではない。ましては公務員の給料を賄うためでもない。税金を集めるのも、広く薄くであるか、あるところからどっと集めるのか、方法は様々であろうが、公平性が重要であり、それ以外はどうでもよいことであろう。つまり、税金は市場に流れる通貨の量を適正に維持するためのものであり、税金の総額はそのことから決定される。国家予算、公務員の給料から公共工事の総額とは関係なく、と言っても全く関係がないわけではなく、執行される国家予算が流通通貨に大きな影響を与えるので、そのことも考慮しながら決定されるべきものであるという考え方ができる。
 税金のない国:ユートピア宣言はここに発せられる。遠い将来の自由の国ユートピアを目指そう。

 現状で税金のない国を作るのは国際世論が許すはずもなく、税金の考え方を根底から覆すものとして糾弾されるのは必定である。私が言いたいのは、今この国で税金のない国を目指そうということではない。私の考えに賛同し、さっそく税金のない国づくりをしますと、どこかの小国が始めたとしても、インフレが確実に起こることがわかっている通貨と為替取引する者はいない。持っていてもすぐに価値が下がるのであるから、価値があまり変わらない金や他国の安定通貨もしくは大豆などの穀物類に変えてしまうことになる。なので、鎖国体制の国ならばいざ知らず、外国と商取引をする場合、この考えは恐ろしく不利となる。やはり税金を課すことで安定通貨を作らなければならないことになる。では、私の宣言は何の意味があるのであろうか?これは、遠い将来において税金のない国を目指そう、そして、税金の存在意義をもう一度考え直そうという標語を世界中に喧伝することではじめてなしえることができる遠大な計画なのである。ピケティの富の再分配を別の形、インフレ誘導の形で引き起こせるはずである。平等社会構築のため、世界中にこの考えを広めよう、そしてはじめてユートピアが生まれる。言葉は独り歩きするという。この言葉が世界中を旅するよう祈ろう。

 世界ユートピア宣言とでも言おうか、極端なインフレ政策は貧富の格差を減少させる働きがあることがわかった。100億円の超大金持ちも10年後にその価値が10億円に、10億円の金持ちは1億円になってしまうとすれば、お金を貯めることに人生を費やすことの虚しさを知り、一日一日を有意義に過ごすことに人々の心は変わっていくであろう。お金の魔力に取りつかれ、一獲千金の野望に満ちた人生を送ることもそれなりに面白いのかもしれないが、成熟した文明社会ではそのような考えを持つ人はいなくなる。しかし、現代はまだ成熟した文明社会ではない。世界の覇権をめぐる各国の動きは激しく、お金の魔力と権力争いはいつ終わるとも知れない泥沼の様相である。このような国際情勢の中で、それぞれの国は賢い選択をしながら、新しい文明社会の到来を予測し、理想的な受け入れ態勢を模索している。我が国においても、世界の潮流を読み、自国に利する選択をしながら、準備を整えなければならない。

以下の項目は、これまで私がユートピアに関連して書いてきたものをまとめたものである。とりとめもなく書き綴っているので、最後まで読み進めないと何のことかよくわからないかもしれないし、まだ未完である。しかし、結論は早急過ぎてはいけない。拙速は禁物である。現代社会を取り巻く国際情勢は様々な問題を抱えている。我々は遥かなる将来を見据えて、子孫たちに道を指し示さなければならない。

1.富についての考察
2.富についての考察2
3.富についての考察3
4.富についての考察4

5.新しい国富論の必要性について
6.新しい国富論の必要性について②
7.新しい国富論の必要性について③
8.新しい国富論の必要性について④


 

最終更新:2016年07月05日 16:27