尖閣諸島



明の上奏文「尖閣は琉球」明記 中国の主張崩壊


2012年7月、長崎純心大学准教授石井望は八重山日報に寄せた論考で主張した、「1561年、明から琉球王朝に派遣された郭汝霖が、帰国後に明の皇帝に提出した上奏文『石泉山房文集』で、大正島を琉球と呼んでいた。つまり、明は尖閣諸島を琉球王朝の領土であると公式に認めていた」と。

Guo Rulin
Shiquan Sanbanggulsa Papers

嘉靖四十年夏五月二十八日始得開洋行至閏五月初三日渉琉球境界地名赤嶼

July 2012, associate Professor Nozomu Ishii(Nagasaki Junshin University) claimed in the discussion of the Daily Yaeyama, It's written as "In 1561, Guo Rulin returned from the Ryukyu Kingdom, submit a report to the emperor, and he reported "琉球境界地名赤嶼(Sekisho the realm of the Ryukyu)". In other words, the Ming had been recognized the Senkaku Islands is the territory of Ryukyu Kingdom." in the 石泉山房文集(Shiquan Sanbanggulsa Papers).

July 2012, associate Professor Nozomu Ishii(Nagasakijunshin University) claimed in the discussion that contribute to the daily Yaeyama, will report to the throne that Wilson thou Guo is a mission that was sent to Ryukyu from Ming in 1561 "was submitted to the emperor of the Ming after returning home he claimed that since it is called Ryukyu, and was "officially recognized the bright and is the territory of the Ryukyu Dynasty Senkaku Islands" Taishojima = (barrier) 嶼 red ", in" Proceedings of Sanbang Ishizumi ".

Associate professor


 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。

 尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。

 上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。

 石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。


 石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分かった。

 その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことが、すでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。

 中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠づけていた。

 石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。

●=門の中に虫


転載完了12.10.04

尖閣、中国主張の矛盾追及 「70年代まで触れず」と政府


 政府は、沖縄県・尖閣諸島の領有権問題で中国が、1970年代初めまで日本に一度も抗議していなかったことを「中国側主張の最大の矛盾点」(政府筋)と位置付け、過去の中国共産党機関紙「人民日報」の記事を論拠に追及していく方針を固めた。外務省関係者が4日明らかにした。

 中国側の「われわれは長期にわたり釣魚島(尖閣諸島の中国名)の主権を守るために断固闘ってきた」(国務院新聞弁公室)との主張を崩し、国際社会の支持を広げる狙い。各国の首脳や外相との会談で積極的に言及するほか、インターネットを通じた発信を強化するなど海外世論への浸透を急ぐ。


Japan to question inconsistency in China's claim over Senkakus


File:人民日報1953-03-18.jpg|thumb|240px|Anti-American struggle by the people in the Ryukyu Islands(琉球群島人民による反米闘争) [[People's Daily(人民日報)March 18, 1953]]
Japan plans to question China's inconsistency in its claims over a group of Japanese-controlled islands in the East China Sea as a way to drum up international support for its stance amid the heated territorial row, Foreign Ministry officials said Thursday.

Japan will aim to disprove Beijing's claim that it has long fought to protect its sovereignty over the islands by stressing that China did not lodge any protest against Japan concerning the sovereignty over the islands until the early 1970s, they said.

The government plan comes after Tokyo's recent shift in its public relations policy to actively promote its position on the territorial row, reflecting China's growing assertiveness over its claim.

Prior to the policy shift, Japan has been reluctant to publicize the dispute, given its position that the Senkakus are an integral part of the country and therefore no dispute exists.

It is "the Chinese side's greatest contradiction" that it did not object to Japan's sovereignty over the islands until the 1970s, a government source said.
[http://english.kyodonews.jp/news/2012/10/186275.html KYODO NEWS(共同通信)] Oct. 4, 2012



米「尖閣、日本に残存主権」=歴史的経緯踏まえ判断-71年6月の沖縄返還協定前


 【ワシントン時事】1971年6月の沖縄返還協定調印直前、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当)が尖閣諸島を沖縄の一部とみなし日本の「残存主権」が及ぶことを確認していたことが、2日までに分かった。カリフォルニア州のニクソン大統領図書館がこの時のやりとりを記録した音声資料を保存していた。
 「残存主権(潜在主権)」は、外国施政下にある地域に潜在的に有する主権を指す。オバマ政権は現在、日中が争う尖閣問題では「主権問題に関与しない」との立場を取っている。
 音声資料によれば、ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官らは同年6月7日午後、ホワイトハウスの大統領執務室で約20分間、10日後に迫った沖縄返還協定の署名と当時の中華民国(台湾)が日本への返還に反対していた尖閣諸島の地位について検討を行った。
 キッシンジャー補佐官はこの中で、45年に日本が台湾から撤退した際、尖閣諸島は「沖縄と共に残された。51年のサンフランシスコ講和条約で、沖縄の日本の残存主権はわれわれによって認められた。その時にこれらの島々に関する大きな決断は成された」と主張した。
 中華民国の反対をめぐっては、講和条約から71年に入るまで尖閣諸島に関する「特別な交渉は一切行われていない。既に(中華民国から)手放され、自動的に沖縄に含まれた。これが(今日までの)歴史だ」と指摘。ニクソン大統領も、沖縄返還交渉を「台無しにすることはできない」と応じ、同補佐官の意見を支持していた。(2012/10/03-15:47)


US Confirms Senkakus as Japan Territory before Inking Okinawa Reversion Pact
"Senkaku Islands, there is a residual sovereignty in Japan" - America was judged based on the historical background.(June 1971, before the Okinawa Reversion Agreement)





(トーク用)
日付も、時間も、3人の首脳の署名も、追認もない。カイロ宣言は、ただの声明文に過ぎない。
そもそも、カイロ宣言は第一次世界大戦について言ったもの。日清戦争とは何の関係もない。
まして、ポツダム宣言などもっと関係ない。
第一、ポツダム宣言は日本人の「基本的人権」や「言論・思想の自由」を保障している。中国人は暴動で無実の日本人を傷つけ、ポツダム宣言を自ら破壊した。中国がそれを言う!?
There is "no date", "no signature(of the 3 leaders)", and "no ratification". The Cairo Declaration is merely a "Joint statement".
Originally, the Cairo Declaration is a statement for the WWI. Has nothing to do with the Sino-Japanese War.
Above all, Potsdam Declaration is unrelated.
First of all, the Potsdam Declaration is also a declaration and to guarantee the "basic human rights" and "freedom of thought & speech" of the Japanese people.
When the riot, Chinese harm to innocent Japanese, the China have broken the Potsdam Declaration themselves. Look who's talking!?~~~~



感謝状

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C
1920年:中華民国駐長崎領事・馮冕より魚釣島に漂着した遭難者(福建省恵安の漁民)の救護に対し、当時の石垣村長・豊川善佐、石垣村衛生係雇・富田孫伴こと玉代勢孫伴(たまよせそんばん)、尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎の子息の古賀善次らに感謝状が贈られる。 それには尖閣諸島のことが「日本帝國沖繩縣八重山郡尖閣列島」と明記されていた。 この感謝状は全部で4通あった。中国側からの通報によれば7通という説もあるようだが、確認はされていない。現在4通の内の1通は石垣市立八重山博物館に寄贈され現物が保管されている。またこれとは別に、手が加えられていない(八重山博物館のものは掛け軸にする際に周囲が切断されている)当時の石垣村長である豊川善佐宛の感謝状が現存していることが2010年11月28日に判明している[52][53]。これにより2通目の感謝状の現存が確認された。
Letter_of_thanks_from_ROC_consul_to_Ishigakijima_in_1920.jpg



2012/08/16 転載完了
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081602000121.html
http://megalodon.jp/2012-0816-1640-42/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081602000121.html
沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)上陸を目指していた香港の団体「保釣行動委員会」の抗議船が十五日午後、魚釣島に到着し、メンバーら七人が上陸した。沖縄県警はうち五人を入管難民法違反(不法上陸)容疑で、第十一管区海上保安本部は船に戻った二人を含む九人を同法違反(不法入国)容疑で現行犯逮捕した。
On August 15, 2012, Hong Kong protest ship has arrived in the Senkaku Islands, and 5 members out of 14 members landed. Japanese 11 Regional Maritime Safety Headquarters was arrested them by violating of Immigration and Refugee Law.<ref>{{Cite news | url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081602000121.html | title=尖閣上陸で14人逮捕 入管法違反容疑 首相「厳正に対処」 |trans_title=14 members arrested in the Senkaku landing |language=Japanese | work=東京新聞(Tokyo Shimbun,Japan) 中日新聞(Chunichi Shimbun, Japan) | date=2012-08-16 | accessdate=2012-08-16 }}</ref><ref>{{Cite news | url=http://www.reuters.com/article/2012/08/15/us-china-japan-diaoyu-idUSBRE87E0BJ20120815 | title=China demands Japan release activists over island protest | work=REUTERS | date=2012-08-15 | accessdate=2012-08-16 }}</ref>



2012/08/16 転載完了
1971年の主権主張開始後、3度目の外国人上陸
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120815/chn12081522020006-n1.htm

中国と台湾がそれぞれ尖閣諸島の領有権を主張し始めた1971年以降で、日本人以外が上陸したのは3回目の事例です。
Since 1971 in China and Taiwan began to claim of sovereignty over the Senkaku Islands, non-Japanese landed is the third case.<ref>{{Cite news | url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/120815/chn12081522020006-n1.htm |author=河崎真澄,吉村剛史 | title=1971年の主権主張開始後、3度目の外国人上陸 | work=産経新聞(Sankei Newspaper, Japan) | date=2012-08-15 | accessdate=2012-08-16 }}</ref>

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最終更新:2012年10月10日 14:07