霧里線

霧里線


距離 13.3km
軌間 1067mm
電圧 600V
路線 錦坂以降単線
閉塞方式 スタフ閉塞式
運行系統 11系統(霧里海岸・赤沢車庫~大手門)、12系統(霧里海岸・赤沢車庫~鉄砲町)
受持車庫 赤沢車庫
最高速度 60km/h

鉄砲町-七飯-錦坂-篠畑-稲荷前-赤沢車庫-赤沢-下郷高校前-下郷-松葉-見崎-見崎団地-霧里中央-霧里海岸

下線付き停留所は交換駅

路線概要


 姫澄市街の外縁である鉄砲町町電停から霧里町方面に伸びた郊外路線。錦坂電停以降は全線が単線
の専用軌道を通る姫澄市内線で最も異色の路線である。
 元々は霧里軌道と云う名前の会社の路線で、霧里町と姫澄を結ぶインターアーバンとして開業した
路線であり、1929(昭和4)年には見崎から鉄砲町までが建設された。本来は姫澄市街軌道の鍛冶町線と
駅前線に乗り入れて姫澄市街地や姫澄駅まで至る予定だったが、姫澄市街軌道の了承を得られずにやむ
を得ず唯の連絡運転となっていた。だが1943(昭和18)年の北陸鉄道買収によって姫澄市近郊の軌道
線は新たに成立した姫澄市内線に一本化され、この時に念願の他路線との連絡線が建設され、直通運転
が始まった。
 1962(昭和37)年には霧里海岸まで路線が延長され、その翌々年には霧里町そのものが姫澄市に吸収
され、名実ともに姫澄市内線の仲間入りをしたわけである。

 路線そのものは高速運転に対応できるだけの状態までに整備されているが、複線化のための土地買収
の期を逃したままに周辺が開発されたたにめ今だほとんどの路線が単線であり、姫澄市内線では唯一
スタフ閉塞や続行運転などの特殊運行を行なっているのである。
 更に赤沢以遠の地域では複雑な霧里地区の海岸地形に起因する海からの濃霧が発生し、この路線を
走る車両は続行運転用の続行表示灯と霧中知らせ灯と呼ばれるオレンジ色の灯火かフォグランプが
標準装備されることが義務付けられるようになった。
 そのため霧里線の走行車は全て『霧里改造車』と呼ばれる霧中知らせ灯と続行表示灯が装備された
改造車かフォグランプを装備した新造車によって担われているのである。

 現在はデータイムでも15分ヘッドの運行、朝夕には10分ヘッドでの運行が行われており、更に専用
軌道での高速運転が前提となっているためにすべての車両が高速・高加速なカルダン車となっている。

路線風景


 まずは鉄砲町停留所を出発すると電車は北西の霧里方面へ進む。七飯停留所、錦坂停留所付近まで
緩い坂を進む併用軌道区間となっており、周辺は新市街の電車通りらしい賑わいを見せ、条例により
旧市街に建設できない高層マンションに雑居ビル、開業頃からの各種商店、コンビニエンスストアな
どが電車線の回りに連なっており、周辺も住宅街が続いている。この辺の停留所は停車時に車両がずり
落ちないようにきつくブレーキを締めることが義務付けられており、運転手を悩ませる箇所だ。

 錦坂を過ぎると路線は平坦に戻って単線区間に入る。ここから停留所はプラットホームと屋根つきの
立派なものとなり、赤沢までは家の軒裏を電車が走り抜ける風景が続き、一種の爽快感を覚えさせる。
 栄町停留所を過ぎて行けば篠畑停留所。名前の通りにこの辺は開業時は篠竹が生い茂っていた場所
だったが、戦後の市街地の拡大によってここも住宅地化された。
 稲荷前停留所付近には赤沢稲荷と呼ばれる稲荷神社が設けられており、この辺りは周辺に神社が少
ないことから初詣時期には赤沢、篠畑、栄町などの地区から電車に乗ってお参りにやってくる人が多く、
そのために大晦日から正月にかけての深夜運転で賑わうのである。
 赤沢の外れに位置する赤沢車庫停留所は霧里線の心臓部である赤沢車庫と赤沢変電所が路線と隣接
して設けられており、2両分の退避設備と付近住民の生活路と一体化した引込線が設けられている。
開業当初は車両が7両も入れば良いほどだった赤沢車庫は1970年代に拡張され、現在は22両の車両を
収容できる車庫線と大規模な検車場が設けられている。
 赤沢はかつての霧里町の主要地区の一つであり、現在も霧里地区では特に賑わいを見せる地区の一つ
である。そのため赤沢停留所は軌道線では珍しく駅舎が存在している。この駅舎は1929年の開業以来
のものであり、周囲にはその頃に出来た商店や郵便局、更にスーパーや飲食店、パチンコ店などが立ち
並んで賑わいを見せている。

 赤沢を過ぎると車窓は住宅街から田園へと変わってゆき、電車は開業当時を思わせる水田地帯の中を
進む。霧里線にとってはここからが本領発揮であり、霧中知らせ灯の点灯や時速60km/hでの高速運転は
この区間から行われる。
 下郷高校前停留所は下郷高校の開設に合わせてに建設された新しい停留所で、下郷高校直結のために
長期休みの時期を除けば霧里線で最も乗降利用者数の多い停留所の一つとなっている。金管楽器を抱え
た学生たちはこの停留所で下車し、車内はとたんにすっきりとしてくる。
 下郷停留所や松葉停留所はどちらも田園の中にぽつんと存在する停留所で、赤沢以東に比べると賑わい
は無いが、霧里の原風景に近い古い民家と田園風景が広がっており、落ち着いた雰囲気を見せる。
 姫澄港の他に姫澄市に存在するもう一つの港、見崎漁港を有する漁師町見崎に存在する見崎停留所は
赤沢地区ほどではないが古い町並みを残していてなお賑わいを見せており、この停留所も木造駅舎を
有している。ちなみに開業当時はここが終点で、漁港へ伸びる鮮魚を積み込むための貨物線もあった。

 見崎以遠は1962(昭和37)年の開業区間であるものの、複線化はされておらず先程までと同じ単線が
続く。
 見崎団地停留所は1972(昭和47)年に石川住宅供給公社が建設した見崎団地の前に設けた停留所であり
下郷高校前停留所と並んで利用者の多い停留所の一つである。駅前には生協とコンビニエンスストアが
立っており、その奥に四階建てのコンクリート団地8棟がそびえている。ここから終点までは少し急な
坂がはじまり、電車の踏ん張りどころだ。
 終点霧里海岸停留所は霧里海岸海浜公園の直前でレールが終わる停留所であり、絶景と名高い霧里
海岸が一望できる海浜公園まで続く。冬には公園は閉園するが、それでも周辺に民家があるのとカキ
養殖場が崖下に存在するために変わらずに電車は運行される。

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最終更新:2012年09月26日 18:53