デハ2410形

デハ2410形/モハ2410形/デ10形 クハ121形



製造初年 1935(昭和10)年
製造メーカー 日本車輌製造
車輌定員 120名
全長 自社発注車:18,600mm
譲渡車:19694mm
全幅 2,620m
全高 3,590mm
車両重量 Mc:25.4t~26.6t
Tc:20.2t
駆動方式 吊掛式
制御方式 抵抗制御(間接非自動制御)
出力 100kw×2
台車 Mc:住友金属製DT-12相当品
Tc:日本車輌TR-27
在籍車輌 Mc:14両
Tc:4両

 姫澄鉄道の輪姫線電化時、それまでの蒸気機関車牽引列車に変わって旅客輸送を担うべく1935(昭和10)年6両が導入された電車。
 輪姫線電化と小織トンネルの掘削工事、さらに1933(昭和8)年失火で全焼した姫澄駅の再建費などに出費を強いられた姫澄鉄道
の懐事情に合わせて製造された車輌であり、その設計には当時導入されたばかりであった鉄道省キハ42000系ガソリンカーの設計が
流用されている。

 車体はキハ42000系のそれをそのまま流用したような半流線型の半鋼製車体を有しているが、実際には姫澄鉄道の輸送実情に合わ
せて18mに車長を短縮している。車内は当時としては標準的な木製のセミクロスシートを採用していた。
 電気機器には当時の国電で標準採用されていたものを使用しており、台車は鉄道省標準のDT-12相当品を採用していた。このDT-12
は所謂ペンシルベニア式台車と呼ばれて、私鉄ではその保守性と構造の脆弱性が敬遠されたのだが何故この台車を採用したのかは
不明である。(一説によれば姫澄鉄道の車輌課員が日本車輌の社員の口車に乗せられたとも云われている)

 デ10形は1935(昭和10)年の電化時に電動車6両が納入され、その後輸送量の増加や能登北線の電化、ダイヤの過密化に合わせて
1939(昭和14)年までの4年に1年に1~2両のペースで6両が納入された。
 1943(昭和18)年の北陸鉄道への統合によってデ10形はモハ2410形と改称される。
 1950年代になって能登半島有数の港町である姫澄を有していた姫澄線・能登北線のの旅客量増大によって車両不足に陥り、その
打開策として国鉄が持て余していたキハ42000系を買収し、廃車となった国電のDT-12台車とモーターを組み合わせた制御電動車の
モハ2423,2424の2両と、ガソリン機関を下ろして制御車化改造を行ったクハ121形の4両を新たに加えている。

 戦後はスピードメーターや扇風機の設置、ジャンパ線回りの改造などが順次行われて姫澄線、能登北線の主力車として活躍して
おり、全車が姫澄電鉄に移管され、制御電動車称号のデハへの変更、また順次塩害と雪害によって老朽化した車体の抜本的な修繕
工事が行われている。

 軽量構造ながら意外にしっかりとした作りの車輌だったために長期間に渡って運用され続けたが、600V線用の車輌であったこと、
そしてなによりも老朽化の進行から1989(平成元)年の1500V昇圧を期に廃車された。

 現在は南姫澄車両基地に記念車としてデハ2411号が保存されている。

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最終更新:2012年12月01日 17:49
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