デハ700形

デハ700形



製造初年 1960(昭和35)年
製造メーカー 日本車輌製造
車輌定員 96名
全長 13,230mm
全幅 2,240m
全高 3,800mm
車両重量 15.2t(冷房搭載後)
駆動方式 吊掛式(701~710)
直角カルダン式(711~717)
制御方式 抵抗制御(間接自動制御)
出力 30kw×4
台車 住友金属FS-78A(701~710)
住友金属FS-252(711~717)
在籍車輌 17両

 1950年後半、モハ2620形とモハ2650形ボギー車の投入によって老朽化著しかった木造単車群の駆逐は一段落した様相を
呈していたが、まだまだ姫澄市内線には昭和初期製造の小型な鋼製単車が跋扈しており、それらを代替する車両を姫澄市
内線は切実に欲していた。
 だが北陸鉄道全体としてはモハ2620形やモハ2650形のそれぞれ20両近い大量増備の上にさらにまだ車両を欲するのかと
その目は冷ややかであり、さらに未だに1951(昭和26)年のモハ2600形発注に端を発した無断電車発注事件の遺恨は深く
残っており、北陸鉄道は電車の発注を拒否し続けてきていた。
 その状況が一変したのは1960(昭和35)年、度重なる労使紛争によって疲弊・混乱していた北陸鉄道に対し見切りをつけ
た旧姫澄鉄道をはじめとした能登半島北部の北陸鉄道系の鉄道の旧経営陣たちが中心となって北陸鉄道からの鉄道・バス
部門の離反独立を決定。これによって姫澄電鉄が誕生したことが原因だった。
 姫澄電鉄は老朽化し、小型故に使い物にならなくなりつつあったこれらの鋼製単車を置き換えるべく、1960年から翌年
にかけての間に新潟鐵工所に17両の車両発注を行った。これがデハ700形である。
 その車体は軽量廉価な低コスト電車として製造されていた都電8000形電車を範に取った車両であった。だが車体の作り
は都電8000形同様のお粗末なものではなく、製造コストと重量はそれまでのデハ650形よりも低下しながらも、だがしっ
かりとした作りを実現していた。北陸には都電8000形を手本にした車両は富山地方鉄道や現万葉線のデ7000形電車が有名
であるが、デハ700形はこれらよりも少し丸みが強く、どちらかと云えば後に登場する函館市電710形電車に近い。
 足回りはデハ650形で標準化した30Kwモーター4個の高出力な配置で、台車は近代的なプレス鋼製のFS-78A台車が用い
られた。
 車内は蛍光灯を採用したことやデハ650形よりも窓を大きくとったことから、従来車よりも明るい雰囲気となっており
全金属製の内装が姫澄市民からは少し寒々しいと言われたこともあったが概ね好評であった。
 ただし、主制御器に間接自動制御を用いたため従来車と運転の感覚が大きく異なると一部のベテラン乗務員には不評を
買っており、その軽量車体もあいまって『トタン電車』と嫌われていた。

 と、ここまで語ってきたのは1960年に製造された701から710までの所謂『前期車』であり、1961(昭和36)年に製造さ
れた711から717までの7両は、より高い水準でのサービス向上と市内線車両の質の向上の二つを目的として、足回りに直角
カルダン駆動のFS-252台車を用いた高性能車としてデビューしている。
 この7両ものカルダン車の投入は地方の軌道線では異例の出来事であり、新生・姫澄市内線を象徴するために姫澄電鉄が
鉄道線のロマンスカー・デハ2440系とともに企画したものであった。
 使用されているFS-252台車はもともとは標準軌の大阪市電3001形電車で使用されていたものだが、狭軌の姫澄市内線では
これに長軸車輪を渡して1067mm軌間に対応させていた。また冬季の運行で雪による障害を考慮した結果、本来装着されてい
た電磁吸着式のトラックブレーキも廃止されている。

 乗客からは比較的好評で迎えられた当車だったものの、複雑な直角カルダン駆動を採用したことから他都市の高性能路面
電車と同じく整備サイド・乗務員サイドからの不満の声は大きく、また車両自体も南姫澄の工場にいることが多かった。
 だが、7両の大量増備が功を奏して日々の整備によってカルダン駆動の整備ノウハウは蓄積され、また徐々に若手運転士を
中心に高性能車を使うコツを覚えた運転士が出てくると、高性能車を含めた本形式は一躍その活躍の場を広げたのである。

 旧姫澄市街軌道の鋼製単車やモハ120形を駆逐するのを目的として配備された車両のために新製配備の際には多くが常音寺
車庫と紙屋町車庫の二車庫に集中配備され、旧姫澄市街軌道線でのみ使用されていた。

 1971(昭和46)年にはワンマン化改造が全車に実施され、この時、側面方向幕が自動化された。また高性能車には霧里線
走行用の続行表示灯と霧中知らせ灯が車体前面に装備されたのであった。上小路線と青葉線の廃止時にも車齢が比較的若い
ことや収容力が大きいことから廃車は発生しなかったのである。
本形式は1989(平成元)年から冷房化が実施され、現在も廃車を出すこと無く市内線で活躍を続けている。だが、製造半世紀
を経過したために老朽化も進行しているため、当面の車両代替の計画は一応は立てられている模様。

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最終更新:2012年09月25日 18:44
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