雪風(駆逐艦)

登録日:2009/05/26(火) 21:35:22
更新日:2023/12/13 Wed 11:16:34
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読み ゆきかぜ

1938年8月2日起工
1939年3月24日進水
1940年1月20日竣工
1947年7月6日賠償艦として台湾へ
名を丹陽と改め、台湾海軍旗艦として就任
1966年11月16日除籍
1969年の暴風雨で破損し、その後解体処分

排水量約2000t
全長118.5m
最大速度35.5n


大日本帝国海軍所属、陽炎型駆逐艦8番艦。
陽炎型は海軍休日後の制限の一切ない状態から、特型駆逐艦から得た経験を元に洗練されて完成した、水雷戦の究極形に近づいた艦隊型駆逐艦である。
特型やそれ以前の設計の駆逐艦の更新を目指し19隻、改陽炎型の夕雲型駆逐艦を入れると38隻が建造された。
大和型建造の隠蔽を狙ったのか、陽炎型建造の名目ですごい金額の予算が割かれたという話もあったり。
太平洋戦争の激戦において常に最前線を走り抜け、僚艦・姉妹艦が次々と沈んでいく中終戦まで戦い抜く。
なお、前述の陽炎型・夕雲型合わせて38隻のうち、終戦まで生き延びたのは雪風ただ一隻である。

栄光に満ちた連勝街道・フィリピン攻略戦に始まり、暗転の始まりであるミッドウェー海戦、ソロモン海を巡る長き死闘・ガダルカナル島の消耗戦、
帝国海軍機動艦隊の栄光が無に消えたマリアナ沖海戦、シブヤン海・サマール沖を駆け抜けたレイテ沖海戦、戦艦大和の沖縄特攻・天一号作戦や空母信濃の護衛、輸送船団護衛といった駆逐艦の本分?たる任務等、様々な海域戦場で活躍する。 

常に激戦区・最前線・潜水艦の潜む地獄を駆け回りながら、一度も船底を海底に着けるどころか目立った損傷もなく戦果を上げる姿は「戦場の幸運艦」として僚艦達の士気向上にもつながった。
紙一重で砲弾を避けるのは序の口。時には直撃したロケット弾が不発だったなどという、運が良いとしか言えない事案がある。
もっとも戦争初期はアメリカ軍の精度が低かったため魚雷や爆弾の不発は珍しくなかった*1。雪風の場合まず滅多に当たらない。そしてようやく当たると悉く不発するのだ*2
雪風の素早さと幸運を打ち破った唯一の弾が味方の誤射なのだから、戦った相手からしたら堪ったものではない。

これは雪風自体の運もさることながら、陽炎型駆逐艦の優れた設計、
それを操る乗組員の不断の努力の結果でもあろう事は想像に難くない。
天一号作戦における艦長の目視による正確な着弾予測と、外を見ている艦長の蹴りに合わせて左右に艦を繰る操舵員のコンビプレーは有名である。
一般の乗員たちも、訓練をすれば雪風がいつも一番早くて正確だったという。
聯合艦隊司令部も雪風と搭乗員に厚い信頼を置き、駆逐艦用の新装備は雪風に優先して配備させていた(初霜、時雨など他の幸運艦にも回っていた)。
海軍にあって、雪風乗員の雰囲気は家庭的なものだったといわれ、これが人数の少なめな駆逐艦においては良い方向に作用した意味もあろう*3

ちなみに雪風には「仲間の幸運を吸い取る死神」と言うあだ名もあったとされる……が、これは戦後の都市伝説らしい。
雪風は太平洋戦争で120~130回出撃し、うち約100回は雪風も仲間も無傷だったことが戦争中の記録から判明している。
それに対して雪風と一緒に出撃したら味方が全滅した記録とか、雪風を死神と呼んだ兵の証言は全く見つからない*4
このあだ名をもっともらしく書いた本は2000年以降に発売されたものばかりなので、相当最近になってつけられたものだろう。
しかもこのあだ名を真に受けて本に書いちゃうのはアニメやゲームの関係者ばかりで、軍事の専門家は全然相手にしていないとか。雪風のことを調べたらあり得ないあだ名なので当たり前だが。

終戦後は武装を全て撤去され、復員兵の輸送に従事。
一万人以上の将兵を本土に帰還させたのち、賠償艦として中華民国へと譲渡された。

なお、この中復員兵の中にはかの高名な妖怪「水木しげる」の姿があった事は有名な事実である。
雪風の幸運伝説は外地の邦人にも轟いており、他の復員船に乗ることになった者の中には「雪風に乗りたかったなあ」とこぼす者もいたとか。

中華民国に渡った後はアメリカ仕様の新装備を施し、中華民国艦隊旗艦・丹陽(雪風は風水的に陰の気が強すぎるとして改名)として、台湾海峡・東西冷戦の最前線に立つ。
人民解放軍との戦いでも戦功を挙げ、幸運艦雪風は名を変え国籍を変えても健在であると知らしめた。
しかし、1960年代に入るとさすがに老朽化が目立ち、1964年の観艦式では旗艦を務めたが翌年末退役。
1938年の起工から27年、雪風の戦いは幕を下ろした。

その後は練習艦として余生を過ごすも、最初で最後の不運か、1969年に台風で船底を破損し、解体処分となった。
伝説と謳われた希代の幸運艦は、ついに戦場で沈むことなくその生涯を終えたのである。


  • 後日談

台湾との話し合いの結果、「雪風を日本に返還する」という話も持ち上がったのだが、老朽化の為か、あるいは台風の時の破損で航行不可に成ったためか、台湾で解体された。
舵輪と錨は日本に返還され、江田島の海上自衛隊幹部学校で、スクリューは台湾に残り、海軍軍官学校にて後進を見守っている。



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最終更新:2023年12月13日 11:16

*1 やがて日本軍は米軍の技術をナメきってしまい、精度が改善された後期には痛い目を見ることに…

*2 雪風はロケット弾の不発×1、魚雷の艦底通過×1、機雷の遅延爆破×1で助かる幸運があった。この他に敵砲弾の不発×1、ロケット弾の不発さらに×1があったという証言もあるが、受けていなかったという証言もあるため、これらは未確定である。

*3 一方で、同型の駆逐艦磯風は一般兵が上官にリンチを加えて船から追放するくらい跳ねっ返りが多かったため、自ら鉄拳制裁を奮う強面の艦長が着任した後は逆に纏まったと言う。この磯風の艦長は前任の船だと上手くやれなかったと言うから、集団を纏めるコツは判らないものだ。

*4 唯一とされる「死神と呼ばれた」と言う証言も、あちこちで「雪風のせいで仲間が沈んだ」という印象操作をしていたあるウィキペディア利用者によるデマだったというろくでもないオチがついている。