フォークランド紛争(1982年)

登録日:2012/09/15(土) 17:46:59
更新日:2023/12/13 Wed 14:32:30
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フォークランド紛争

期間:1982年3月19日~1982年6月14日
場所:フォークランド(マルビナス)諸島
結果:イギリスの勝利
交戦勢力:イギリスvsアルゼンチン


フォークランド紛争(英:Falklands Conflict/Crisis)とは、南大西洋に浮かぶフォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)の領有権を巡って、
イギリスとアルゼンチンの間に勃発した領土紛争。
戦闘は3ヶ月間にわたり行われた。

別名、「マルビナス戦争(Guerra de las Malvinas)」


【フォークランド諸島とは?】

フォークランド諸島はアルゼンチン沖、南米大陸南端から500km沖に位置する、東西の2島と多数の小島からなる諸島。

今回の紛争は、この島々の領有権を巡る戦いなのだが、では誰が一番最初にフォークランド諸島を発見したのか?

それには諸説がある。

●1600年にオランダ人が発見したという説
●1502年にアメリゴ・ベスピッチが発見したという説
●1592年にイギリス人が見つけたする説

など様々な諸説があるものの、結局のところ島を誰が見つけたのかは全くわかっていない。

19世紀には当時のアメリカが島を占拠し、中立地帯としていたがイギリスが実力行使で島を奪還。

それ以降は沈静化し、世界が二つの大戦を迎えてからはほとんど忘れ去られた問題となっていた。

大戦終結後、アルゼンチンは国連を通してイギリスに領土問題の解決を迫ったのだが、

アルゼンチン「島を返して欲しいんだけど」

イギリス「うーん、本土からも遠いし維持すんのも大変だしな…いいよ島の主権あげるよ、ただし条件付だよ」

アルゼンチン「いや、無条件で返して欲しいんだけど!」

と、交渉は難航。
以降はずっと膠着状態が続いていた。


【開戦前夜】

●アルゼンチン
1976年に軍事政権が誕生。
対立する左派過激派などの武装ゲリラを徹底的に弾圧したが、同時に過激派とは無関係の市民も巻き込まれていた。
また経済不振も続き、これらのことに国民の不満は高まるばかりであった。

そんな中、1981年にレオポルド・ガルチェリ将軍が大統領に就任。
ガルチェリは国民の不満を政権から逸らすために、フォークランド問題を利用することにしたのだった…

●イギリス
一方のイギリスは先の世界大戦で国力が疲弊、大英帝国華やかなりし頃の面影はなく、次々に旧植民地を放棄していた。

そんなイギリスに1979年、『鉄の女』マーガレット・サッチャー首相が就任。

またフォークランド諸島の価値も、南太平洋の戦略拠点や南極開発の前線基地として高まっていた。

そんなフォークランド諸島を問題に上げて挑発を続けるアルゼンチン、ガルチェリにサッチャーはブチ切れ。

そして遂に衝突へ。


【アルゼンチン軍上陸】

1982年3月30日~4月3日にかけ、
アルゼンチン軍は空母「ベインティシンコ・デ・マジョ」を旗艦とする第79機動艦隊と、
陸軍4000名の将兵をフォークランド諸島へ上陸させる『ロザリオ作戦』を遂行。

島を守るイギリス軍の戦力は100名に満たない海兵隊員達しかおらず、瞬く間にアルゼンチン軍はフォークランド諸島全域を手中に置いた。

なお、この際にアルゼンチン軍が国際世論に配慮したためイギリス側に死者は出ていない。


【イギリスの反撃】

●反撃開始
アルゼンチン軍の上陸、占領を受けてイギリス政府はただちに反撃を開始する。

4月5日にハリアーを艦載した空母「ハーミーズ」を艦隊旗艦とした計49隻から成る機動艦隊である第317任務部隊がポーツマス港より出撃。
ちなみに対空ミサイルは当時、米軍が開発したばかりの「AIM-9サイドワインダーの改良型」AIM-9Lが搭載されていた(最新技術を供与する代わりに実戦データを採って欲しかった模様)。

4月12日には潜水艦隊がフォークランド諸島周辺海域200海里を海上封鎖した。

ここで問題となったのがフォークランド島にあるジェット戦闘機を運用できる空港で、そこから陸上機を飛ばされてはたまったものでは無いため、イギリス軍ではまず滑走路を爆撃することを優先目標となる。

●英国面作戦『ブラックバック作戦』
とはいえ、大西洋は太平洋と比べると島が圧倒的に少ないため、爆撃機を飛ばすとなると6000km離れた基地からとなってしまうのだが、イギリス軍の保有する爆撃機、バルカンでは4000kmが限界であった。
普通はここで諦めるが、そこで諦めないのが英国面の英国面たる所以である。

「片道6000kmとなると空中給油しても燃料がすっからかんになってまう、とはいえ給油機にも航続距離限界はあるしなあ...せや!空中給油機に空中給油したらええんや!」
安直か!

かくして、爆撃機1機に対して空中給油機12機
と言う過保護にも程がある爆撃任務が行われた。
結果は大成功であり、空港は使用不能となり、上陸任務に大きく寄与することになる。

そして4月20日に開始された『パラケット作戦』にて、特殊部隊SASSBS及び海兵隊を投入して、4月25日にまずサウス・ジョージア島を奪還。
その後の5月14日~16日にかけて再びSASやSBSが逆上陸作戦を実施、後続のために橋頭堡を確保することに成功した。

また、イギリス陸軍は『グース・グリーンの戦い』と呼ばれる戦闘にて、
イギリス陸軍空挺連隊第2大隊450名vsアルゼンチン陸軍歩兵連隊1600名という数的不利な状況で交戦。
大隊長の中佐含む17名が戦死するが、経験豊富なイギリス側はアルゼンチンに勝利し、グース・グリーンを確保した。

しかし、陸軍が経験と装備で勝利を収める一方、イギリス海軍はアルゼンチン空海軍航空機により、
『第二次世界大戦以来』と言われるほど艦艇を多数撃沈され、喪失している。

海軍ェ…(がコレには理由がある。余談へ)

その後も苛烈な戦闘が続いた後に、6月14日に島の首都ポート・スタンレーが陥落、アルゼンチン軍9800人が投降。

首都陥落を受けたアルゼンチンのガルチェリ大統領は15日に戦闘終結を宣言、イギリスも翌20日に停戦宣言し3ヶ月に及ぶ戦闘に終止符を打った。


【戦後】

敗北したアルゼンチンのガルチェリ大統領は失脚、軍事政権もほどなくして崩壊した。

一方の戦勝国イギリス、サッチャー首相は戦前の不人気が一転、支持率は上昇し経済も活発化したのだった。

両国はしばらく国交断絶状態が続いたが、1990年2月5日に正式に関係を修復。

が、領有権の主張はお互い譲らず近年再び対立が激化している。

その理由の一つに、フォークランド諸島の北にある油田開発がある。
イギリスが行う油田開発にアルゼンチンが猛抗議、さらに南米諸国や中国までアルゼンチンの味方をしていると来たからさぁ大変。

どうなるイギリス…


【フォークランドから得る教訓】

さて、このフォークランド紛争だが、冷戦中の西側国家同士の戦争であり、様々な教訓が生まれた。

また、同じ島嶼を巡る領土問題、及びその防衛奪還という点で、日本も参考にすべき点が多い。

●大口径火器による長距離狙撃の有用性
イギリス軍が島に逆上陸を仕掛けた際に、アルゼンチン軍が陣地からスコープを付けたブローニングM2重機関銃でこれを狙撃、イギリスに甚大な被害をもたらした。
イギリスは重機関銃の弾より遙かに高価なミラン対戦車ミサイルをアルゼンチン陣地に撃ち込む事で解決したが、費用対効果は最悪。

後にアンチマテリアルライフルと呼ばれる、大口径長距離狙撃銃の存在が見直されることとなった。
また「歩兵部隊は陣地破壊用に高価なミサイルだけではなく安価な携行ロケット兵器も用意した方がよい」という教訓も与え
以降の幾つかの携行ロケット兵器には陣地破壊用途が仕様に盛り込まれる様になった。

●民間船の徴用
この紛争にて、イギリスは7,000マイルも離れた敵国近くの離島の奪還という作戦を成功させたが、
これには海軍艦艇のみならず民間船を徴用して国家の総力を挙げて戦ったという背景がある。

また、この民間船徴用は中国人民解放海軍が模範とすべき見本としており、
各種運用ノウハウの構築や民用船舶動員準備法や国防動員法など国内の法整備法整備が活発に進んでいる。

●護衛艦の艦橋材質の変更
この紛争でイギリス海軍艦艇が多数撃破されたが、炎焼し易いアルミ合金を艦の部品として使った艦艇も原因のひとつとする説がある。
そのため海上自衛隊は、当時建造中だった『はつゆき型護衛艦』の艦橋材質をアルミ合金から圧延鋼に変更している。


【余談】

フォークランド紛争は、史上初めて原子力潜水艦が使用され、同時に初めて戦果を挙げた戦争である。

また、この戦争でイギリス海軍に大損害を与えたアルゼンチン空軍のパイロット達には、あの某爆撃機乗りの教え子が多数在籍していたらしい。閣下ェ....!
エグゾセミサイルの名をメジャーにした戦争でもある。

空母ベインティシンコ・デ・マジョは風力、火災事故の影響等から本来の能力を発揮出来ず、後方に展開していた。
もし前線に展開していた場合、戦後初の空母vs空母の戦いが行われていた可能性がある。

アルゼンチン巡洋艦ヘネラル・ベルグラノは第二次世界大戦時のアメリカ海軍巡洋艦フェニックスを購入、改修した軍艦。

さすがに旧式化は否めなかったので海軍のシンボルとして使用されていたが、撃沈された時はアルゼンチン海軍の士気は大幅に低下したと言う。

アニヲタ的余談としてフルメタル・パニック!リチャード・マデューカス中佐が、
世界で(公式記録上)初めて戦果を挙げたチャーチル級原子力潜水艦コンカラーに副長として乗艦。
参戦している。
またMASTERキートンでは主人公の平賀=キートン・太一が元SAS隊員であり、この紛争に参加し勲章を授与されていることもあってか、フォークランド紛争にまつわるエピソードがいくつか描かれている。


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最終更新:2023年12月13日 14:32