孫皎

登録日:2010/06/06 (日) 11:54:51
更新日:2023/01/13 Fri 23:57:06
所要時間:約 4 分で読めます




孫皎(そん-こう)とは三国志における孫呉の武将である。字は叔郎。
孫静の三男で孫瑜の弟。孫権の従兄弟である。


若い頃から財を惜しむことなく名士や豪傑と交わることを好み、義侠と武芸を愛する快男児として名を知られていた。

初めて将軍位を得ると二千の兵を与えられ、これを良く鍛え上げ、
曹操の侵攻の際には見事に率いて名声を得る。

続いて老齢となっていた夏口の指揮を程普より交代をして指揮官となり、
また、黄蓋と兄の孫瑜が相次いでなくなると二人の軍も共に率いることとなる。
この頃四市を与えられ、信任を置ける者を派遣して治めさせ、また施しを良く為し見事に統治した。

孫権はこの頃から、軍の指揮系統を2つに分割し、呂蒙と孫皎にそれぞれ分けることを考えて居たが、
呂蒙がこれを拒み、また孫皎も呂蒙に反対せず、実現しなかった。

荊州方面の重鎮となっていた孫皎は219年の劉備との荊州争奪戦にも後詰めとして参戦、
前線の呂蒙、陸遜などの諸将を良く助け、
関羽を捕縛するのに大功を上げ、昇進を見込まれたが病死してしまう。

生前の多大な功績故に息子の孫胤は侯に任じられるが、子がおらず弟に軍は受け継がるものの、
罪を為したが故に地位と軍を没収され、また孫皎の他の二人の息子も孫家内のいざこざに巻き込まれ死んでしてしまい、彼の子孫は絶えてしまった。


孫皎は、孫呉内の名士達と良く交わり、
また能力の有る者を良く取り立て、適材適所に配置し、また良く褒美を与えた為に良く働き、彼の軍は常に精強であった。

また、部下が孫皎に略奪した女を献上した際、彼は女に衣服を与え丁重に送り返した上部下を叱責し、民衆を慈しむように配下の者に徹底させたという。
テライケメンの所業である。

…と、ここまで見ると「あれ?コイツ孫家の割に案外まともじゃね?」と思われるかも知れないが、早合点はいけない。ダメ、ゼッタイ。
もちろん彼も孫家の者故、DQNである

彼のDQNっぷりを表す有名なエピソードがある。

―――ある日の宴席

孫皎「オイ、オッサン」

甘寧「何だコラ」

孫皎「オッサンもうちょいまともに働いてくんねぇかな?」

孫皎「ホラ、オッサンもいい年じゃん?もうちょい真面目にやってくんねぇとさ、ホラ
なんつうのかな、年下への示しがつかねぇってかさ、ホラ」

甘寧「…もう一辺いってみろやクソガキコラァ!」ガタン

孫皎「やんのかオッサンオラァ!」

孫権「おい止めろ、止めんか」

最初は笑っていたが流石に不味いと思った孫権に止められたが、
孫呉の烈将である甘寧にケンカを売ったのである。
楽しい宴席がぶち壊しである、というか孫権が止めなかったら死人が出てもおかしくないレベル。
しかし、よくよく考えると甘寧も同類の人間だったが故に、直ぐに仲良くなったらしい。


活躍を見込まれたが、早く死んだ故に三国志を題材にした作品でも扱いはあまり宜しくない。
キャラ付けされた蒼天航路では、弱っていた廖化を捕らえるが、活躍もその程度で、
スーパー武神モードの関羽にばっさり斬られてしまう。

しかし、三国志大戦では目下大活躍中…だった。
呉のSRとして参戦した当初は、計略の威力も微妙だった上、弓の瞬間威力を上げる「剛弓」も過小評価されていた為に日の目を見なかったが
武力上昇値が向上した故に、現在の厨デッキである大胆バリバリ疾風デッキで大暴れ中で、良い時は武将ランク5位に入るなど大活躍中である。
因みに愛称の「バリバリ」は、剛弓ダメージが入った時に鳴るバリバリーという音からで、更にそれが二部隊に降り注ぐ事から。
故に単体に降らせる駱統の愛称は「バリ」である。

が、新版では
  • レアリティ2段階低下(SR→UC)
  • スペックも3/5/0無特技に(後にエラッタで勇猛・攻城が追加)
  • 兵種まで騎兵に
  • 計略も全く火力に貢献しない「征圧戦法」
と、同一人物とは思えない程別スペックに生まれ変わってしまった。
その為、騎兵に割とパワーを求められやすい呉では採用の芽が全く見えないのが現状。


呂蒙「叔郎殿、あなたは公子だ、追記修正は私が」

孫皎「孫呉の公子はええ仕事してナンボ。商人に化けて追記修正するおもろい役を譲ったんやから」

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 三国志
  • 中国史
  • 孫家
  • 武将
  • 黒虎背剣
  • 観念しなー
  • バリバリ
  • やめて!
  • 孫皎

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年01月13日 23:57