FCバルセロナ

登録日:2012/01/10(火) 00:03:16
更新日:2023/06/17 Sat 20:19:56
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バルセロナは、サッカークラブ以上の存在だ。

バルセロナは日曜日にチームがプレーするのを見にいくためだけの場所ではない。

そういった全てを超えたものであり、私達が内側に強く秘めているスピリッツであり、

そういった全ての上に(クラブ)カラーがあるのだ。



───第32代会長ナルシス・デ・カレーラスの就任演説より


FCバルセロナはスペイン、そしてカタルーニャを代表するフットボールクラブである。


主な獲得タイトル

リーガ・エスパニョーラ 24回
国王杯 28回
チャンピオンズ・リーグ(以下CL) 5回
UEFA カップ 4回
スーペル・コパ 11回
UEFA スーパーカップ 4回
クラブワールドカップ 3回


【スタイル】


美しく勝つという独自のコンセプトで内容を重要視した戦い方(ポゼッション・フットボール)をスタイルとしている。
このスタイルは1980年代後半に監督として帰ってきたヨハン・クライフによって土台が築かれた。
当時、彼が率いたチームはドリームチームと称され、今のバルセロナの歴史でも語り継がれる偉大なチームとして有名。

ちなみに、この時にチームの中心的ポジション、ピボーテでチームのタクトを振るっていたのが、後にバルセロナに第二のドリームチームを作り上げることになるジョゼップ・グアルディオラ(以下ペップ)である。
クライフの練習や発する言葉は斬新かつ革新的であり、それ故選手と折り合わないことも多々あった。

練習でラグビーボールを使ったり、記者会見で試合の戦術を問われ、「バルサがボールを持ち続ける」と言ったり。
この記者会見のコメントは当時、記者たちに爆笑されたそうだ。

しかし、その試合でバルサは圧倒的にボールとゲームを支配し見事内容と結果を両立することに成功している。
この頃からバルサのもう一つのコンセプトである育成が重要度を高めてくる。
ペップやアモール、セルジといった下部組織(カンテラ)の選手が若いうちに昇格させられレギュラーに抜擢させられた。
この時代にチームレコードとなるリーガ4連覇と初のCL(当時はカップ)優勝を成し遂げている。

その後新たにクライフと同じオランダ人であるファン・ハールが招聘された。
この時代にリーガの連覇を達成するもののオランダ人を優遇し、地元のカタルーニャ出身*1の選手を冷遇したため、サポーターの怒りの声が反映されチームを追われる。
ちなみに、このファン・ハール政権下にやって来たオランダ人は本当にギャグの集団である。
個人的に良かったのはコクーぐらい。
彼はもう一度バルサを率いることになるが、不振であっさり解任された。
しかし、後のチームの柱となるシャビやプジョルなどを昇格させるなど、やることはやっている。

そして、次の黄金期はライカールト時代。
かの有名なロナウジーニョがチームの王様だった時代である。
バルサ時代のロナウジーニョはまさしく世界一のプレーを披露。暗黒時代と呼ばれた不遇の時代に終止符を打った。
チームのスタイルである美しいフットボールをたった一人で体現していた。
この時、チームはリーガ連覇とドリームチーム以来となるCL優勝を果たす。

しかし、このロニー・バルサの時代も長くは続かない。
彼の在籍した5年間のうち後半は最悪であった。

素行の悪さが目立ち、練習も遅刻が増え、チームもイニエスタメッシといった新しい世代の逸材が頭角を現し、
ロニーはベンチを暖める機会が増え、彼のトレードマークであった笑顔も失われていった。

最後のシーズンにライカールトは監督を辞任。
新しい監督を選出する際にフロントはチームのご意見番という立場になったクライフの進言を仰いだ。

既にフロントは監督人事を二人の人間に絞っていた。
一人はカタルーニャ出身でかつてドリームチームの中心選手としてプレーした37歳の新米監督。
もう一人はかつてバルセロナで通訳兼アシスタントコーチとして在籍し、監督になってからはポルトガルの名門ポルトをチャンピオンズ・リーグ優勝に導き、イングランドのチェルシーを50年振りとなるリーグ優勝に導いたポルトガル出身の名将。

結果、クライフの進言によりかつてカタルーニャのアイドルだった新米監督がバルセロナの監督に就任し、
もう一人のポルトガル人の名将はイタリアの名門インテルを率いることになる。

そして、これが新たなドリームチームの始まりとなった。

ペップは就任会見でこう語る。
「ロナウジーニョ、エトー、デコこの3人が来シーズンもバルセロナにいるとは思わないで下さい」
実際にエトー以外の二人はチームを去っている。

チームが元々持っていたコンセプトである、美しいフットボールをペップは再びバルサにもたらした。


【シーズンの歴史】


【08-09シーズン】

序盤は躓くもののチームは圧倒的な内容と結果でリーガとヨーロッパを席巻。
シーズン終盤のクラシコではサンティアゴ・ベルナベウの地で2-6という歴史に残るスコアでマドリーの追い上げを阻み優勝を決めた。
このシーズン、リーガだけで100ゴール以上奪いメッシ、エトー、アンリの3トップは3人だけで72ゴールという驚異的な成績を残している。

ヨーロッパの舞台でもチェルシーとの歴史に残る一戦などを制し、
当時クリスティアーノ・ロナウドやカルロス・テベスを擁したマンチェスターUを内容で圧倒し2-0で完勝。

チーム3度目となるビックイヤーを獲得しリーガ、国王杯を含めてスペイン勢初となる3冠を達成している。


【09-10シーズン】

エトーをインテルに放出し、そのインテルからイブラヒモビッチとマクスウェルを獲得。
チームを更に進化させようと着手する。

期待されたイブラヒモビッチは序盤戦はチームレコードとなる新加入選手の連続得点記録を塗り替え、
クラシコでも途中出場ながら価千金の決勝ゴールを決めるなどメッシと共に新たなチームの柱だった。
しかし、ウインターブレイクが終了しシーズンが再開するとゴールから遠ざかっていく。
シーズン終盤は控えに下ろされ、リーグ優勝のピッチには立ったもののペップとの確執が噂され、一年目にして移籍の噂が絶えなかった。

そして、皮肉にもCL優勝を目指してインテルを飛び出したものの、そのシーズンにCLを制覇したのはインテルであった。
アイスランドの火山噴火というアクシデントもあり、その辺は不運でもあるのだが…

そんなシーズンでもバルサはリーガのタイトルを死守し、
クラブワールドカップなどの優勝を含めてフットボールクラブ史上初となる年間6冠という歴史的快挙を成し遂げる。

バルサは相思相愛だったスペイン代表FWビジャを獲得。
多くのサポーターはメッシ・イブラ・ビジャの3トップを期待し、フロントもイブラの放出を否定し続けたが、
夏の移籍マーケット最終日にイタリアの名門でかつて在籍したインテルの最大のライバルであるミランに移籍した。


【10-11シーズン】

このシーズン、ライバルであるレアル・マドリーに世界一の名将がやって来た。
ジョゼ・モウリーニョ
前述のバルサで通訳兼アシスタントコーチを務めたポルトガル人指揮官である。
ペップ - モウリーニョ

この戦いは言わずもがなだが世界中で注目されることになる。
内容と結果という両極端のスタイルを信条とする二人が顔合わせたカンプ・ノウでのクラシコは衝撃的な結果を迎えた。

当時の順位はマドリーが勝ち点1バルサを上回り首位の座に座っていた。
それまでの雰囲気から多くのメディアがマドリーの有利性を語っていた試合前。

そして、試合結果は……



5-0



自信に満ちていた白い巨人をカタルーニャの戦士たちは全ての面でマドリーを上回っていた。
試合前の雰囲気と試合内容のギャップに全世界が驚愕した。
モウリーニョでも止められないのかと…



『マニータ』



日本語に訳すと掌という言葉だが、その形通り選手とサポーターは掌を掲げ5ゴールという歴史的大勝を祝った。
試合後、ペップはこう語っている。




この勝利をレシャックとクライフに捧げたい。彼らが私たちの進むべき道を示してくれたからだ。
この勝利は、チームが15年間かけて成長させたフットボールのスタイルがもたらしたものだ。




そこからバルサは爆竹の15連勝。
リーガのタイトルの行方は決まったとまで言われた。

そして、シーズン最後の山場
クアトロ・クラシコ

CLの2試合、国王杯決勝とリーガ。
合計4試合が短期の間に連続として行われることとなった。

結果

第32節 1-1
国王杯 0-1
CL 0-2
CL 1-1
リーガのクラシコはお互いのエースがPKを沈めドローに。

国王杯は延長までもつれこんだものの延長後半にロナウドにヘディングを叩き込まれ国王杯優勝を逃す。

CLはお互いの因縁を深める結果となった。
1legにバルセロナのダニエウ・アウベスに対するタックルでペペが一発退場。
しかし、このタックルは当たってないというのが大方の見方で、
あれだけ痛がっていたアウベスがピッチに戻ってからも運動量豊富に走り回っていたことから、審判の誤審や懐疑的な目で見られ、
チームの関係を悪化させる出来事となる。

この結果、CL決勝に進んだバルサは2年前と同じマンチェスターUを下し4回目となる優勝を果たした。


【11-12シーズン】

このシーズンは念願だったセスク・ファブレガスを獲得し3-4-3移行を目指すなど進化を続けている。
しかし、アシスタントのティト・ビラノバに悪性腫瘍が見つかり離脱、アフェライとビジャもシーズン終盤まで離脱する大怪我を負う。

クラシコでもマドリーとは1勝1敗の互角。

バルサはシーズン6冠という新たな記録を目指したが、達成ならず。
そしてこれが、ペップ最後のシーズンとなった。


【12-13シーズン】

ペップ退陣後、アシスタントマネージャーだったビラノバが監督に就任。
前半戦は無敗で折り返すものの、12月に大きな悲劇に見舞われる。



ビラノバの耳下腺の悪性腫瘍、再発。



そのため、後半戦のほとんどをアシスタントのジョルディ・ロウラが監督代理を務めることになる。
シャビの談によると、ビラノバの離脱により戦術練習が減り、最終的には最大の売りだったプレッシングの練習もなくなったとのこと。
……これが後にバルサの首を絞めることになるのは言うまでもない。
さらに守護神バルデスが2014年までとなっている契約を延長しないと明言、国王杯、リーグ戦のクラシコで連敗とますます不穏な空気が立ち込め始める。

CLではミラン戦の0-2から4-0という大逆転劇を見せたが、準々決勝パリ・サンジェルマン(以下PSG)戦の1legでメッシが負傷。
2legで1点ビハインドのところを途中出場のメッシが救うが、この試合に出たことがメッシの怪我を悪化させる要因になってしまう。
以降彼は細かい怪我を繰り返すようになり、実際にこの後、翌シーズンのスーペルコパのアトレティコ戦までフル出場した試合はない。

そして迎えた準決勝バイエルン戦…




1leg 4-0 2leg 0-3



信じがたいレベルの歴史的大敗
バイエルンは4年前のCLで大勝した相手だっただけに、当時の雪辱を何倍にも返され、
なおかつ当時のバルサを彷彿とさせる圧倒的な強さで三冠を達成されるという皮肉な結末に。
結局リーガはマドリーの自滅もあって獲得できたものの、黄金期の終わりを匂わせる結果になった。


【13-14シーズン】

黄金時代をもたらしたペップが因縁のバイエルンへ行き、ブラジルの神童ネイマールがやってきて盛り上がるプレシーズンの最中。
再起を誓っていたビラノバが病気療養のため電撃退任
あまりにも突然の事態に、「セルタからかつての主将ルイス・エンリケ(以下ルーチョ)監督を強奪するのではないか」との噂も流れたが、
ほどなくして元パラグアイ代表監督ヘラルド(タタ)・マルティーノが就任。
ちなみにタタは、メッシの地元ロサリオのクラブニューウェルス・オールドボーイズでは選手としても監督としても伝説の存在である。

とはいえ就任したのは難しい時期だったこともあり、クラブはCLでベスト8敗退。
コパ決勝ではアトレティコに破れ、さらにビラノバが4月25日に闘病の末息を引き取るという悲しい出来事が起こる。
最終節までもつれ込んだリーガでもアトレティコとの直接対決で引き分けに終わり、07-08シーズン以来の無冠に終わる。
さらにCLではマドリーがデシマ(10冠)を達成するという悔しい結果に……


【14-15シーズン】

ルーチョを監督に招聘し、ウルグアイのエース、ルイス・スアレス、クロアチアの司令塔イヴァン・ラキティッチ、新たな守護神テア・シュテーゲンを補強し捲土重来を目指したシーズン。
ルーチョは当時監督としての実績は10年のバルサB昇格と翌年の2部3位、1部残留を目標としていたセルタを9位に導いたことぐらいで、実力は未知数と言われていた。

リーガでは8節まで7勝1分けと好調な出だしだったが、CLのPSG戦、アウェイクラシコで敗れてから不穏な空気が漂い始める。
その後はクラシコ直後のセルタ戦を除き好調だったものの、「ポゼッションによる試合の支配」を目指しながらやってることは真逆のカウンター、
さらに序盤は全く出番がなかったシャビを先発起用するなど迷走が始まりだす。

スタイルに迷い、状況を変えられないルーチョに対してメッシはだんだんと不満を募らせ、クリスマス休暇明けについに爆発してしまう。
チームに合流した後のミニゲームで、ファウルの笛を吹かなかった主審役のルーチョに食ってかかり、ソシエダ戦の先発から外される。
さらに苦手アノエタが舞台だったとはいえ、メッシとネイマールを欠いたバルサは敗戦。
そして試合後、メッシはあろうことか翌日の練習を無断欠勤。まさに一触即発の事態である。
しかし、クラブのアイドルにして世界一のスターと対立しては誰もが彼の側につくと判断したルーチョはシャビらの説得もあって、迷いを捨てた。
自分のやり方に固執せず、選手たちの要求を飲むことを決めたのである。

これ以降、メッシはピッチ上のリーダーとしてエゴを捨て、過去数年で最高のパフォーマンスを叩きだし、ネイマールも爆発。
前線はスアレスも含めて「MSN」の異名を取るほどの圧倒的な破壊力を発揮するようになっていった。
チームの状況も一気に好転し、CL準決勝ではペップ率いるバイエルンを3-0で圧倒。さらにリーガ、国王杯制覇。
決勝ではユベントスを下しCL制覇。ペップバルサ1年目の08-09シーズン以来の3冠達成である
カップを掲げたのは、このシーズンでバルサを去ることが決まっていたシャビ。これ以上ないほどの有終の美を飾った。
さらに言うと、CLではアヤックス、アポエル、マンチェスター・シティ、PSG、バイエルン、ユベントスと各国王者を倒しての優勝
まさに正真正銘のチャンピオン、王者の中の王者である。


【15-16シーズン】

長年の功労者だったシャビがチームを去ったこのシーズン。
リーガやCLでは序盤不安定な戦いが続いたが、セビージャ戦以降は39戦無敗の記録を打ち立てる。
年末のクラブワールドカップはネイマールは負傷、メッシは尿管結石で初戦は欠場したものの、決勝のリーベル・プレート戦では無事にMSNが揃い踏みし、0-3で撃破。

しかし代表ウィーク終了後の4月、クラブはまさかの大ブレーキ。
カンプ・ノウでのクラシコは1-2の逆転負け。
加えて、この試合は先月に亡くなったクライフの追悼も兼ねていたこともあって極めて後味の悪い結果になってしまった
さらにCLはベスト8敗退。リーガでもソシエダ、バレンシアと連敗が続き、アトレティコやマドリーに一気に差を詰められる。
が、ここからスアレスが4試合14得点という、毎試合ハットトリックをやっても追いつかないほどの大爆発を見せ、リーガ首位を守り抜いた。
そして国王杯決勝。守備の要マスチェラーノが前半で退場、スアレス負傷、カード乱舞という逆境を乗り越えセビージャを延長での2ゴールで撃破。
2冠達成を成し遂げたのであった。


【16-17シーズン】

このシーズンは、不動の右SBであったダニエウ・アウベスがユベントスに去った一方、これといった新戦力の補強がなく、戦力面にやや不安を抱えた状態でのスタートとなる。
それでも、序盤こそ7試合で2敗とやや苦しんだものの、順調に公式戦で白星を積み重ねてゆく。しかし「MSN」を筆頭とした主力への依存は顕著で、その証拠としてサブメンバーが主体となった格下との戦いをいくつも落としている。
この点は、「Bチーム」を用意して取りこぼしを減らしたジダン率いるマドリーと対照的であった。
結局、国王杯を獲得し、リーガでは終盤のアウェイ・クラシコをメッシの劇的逆転弾で制したものの前述の取りこぼしが響いてマドリーに勝ち点3及ばず、このシーズンは一冠止まりとなった。

そしてこのシーズンから、バルサは毎年CLで奇跡に遭遇するという奇妙な運命に巻き込まれてゆくことになる。良い意味でも悪い意味でも……

その始まりとなったこのシーズン、グループリーグを余裕で首位通過し、1回戦でPSGとの対決を迎えたバルサに衝撃の結果が待っていた。



1st leg 0-4



CLのノックアウトラウンドでは、信じがたいレベルの大敗。アウェーとはいえ2012年以来の4点差負けで、さらにアウェーゴールを奪えなかったことも痛かった。過去に4点差が逆転された事例はなく、早くも絶望ムードが漂っていた。
そして迎えた2nd leg。なりふり構わず攻めるバルサは、開始3分でスアレスが1点を返すと、クルザワのOG&PK献上で1点差まで詰め寄る。しかしここでカバーニに決められてしまい、さらに3点が必要となって万事休す。そのまま残り5分となり、PSGの勝利は決したかに思われた……

しかし、ここから奇跡が起きた

まずは88分、ネイマールの完璧なFKが決まる。さらにその3分後、ロングボールに抜け出したスアレスがマルキーニョスに倒されてPK獲得。これが決まってあと1点。そして追加タイム5分。パワープレーを敢行したGKテアシュテーゲンが倒されてFKになると、この流れからネイマールが送ったロングボールに唯一反応したセルジ・ロベルトがダイレクトボレーで流し込んだ。


6-1


まさかまさかの大逆転である。
ラスト7分間で3点をもぎ取るという奇跡としか言いようがない展開によって、バルサは見事準々決勝進出を果たしたのである。4点差をまくられたPSGの立場やいかに……
迎えた準々決勝ではユベントスと対戦。またしても敵地での1st legで0-3と完敗し、再びホームでの大逆転を目指したものの、ヨーロッパ屈指の守備陣を前に完封され、2年連続でのベスト8敗退となった。


【17-18シーズン】

ルーチョの任期満了に伴い、新たにアスレティック・ビルバオからバルベルデを招聘したプレシーズンの最中。移籍市場を揺るがす大きな出来事があった。
史上最高額の2億2000万ユーロによるネイマールのPSG移籍である。
代役としてコウチーニョを獲得したとはいえ、「MSN」の一角を失ったことには少なからず不安の声がささやかれたが……

結論から言うと、このシーズンのバルサは破滅的なまでに強かった

新たに4-4-2のシステムを導入し、コンパクトに陣形を保ちつつボールをキープするという戦略が見事なまでに的中。公式戦わずか2敗*2という異次元の強さを見せつけた。しかしそのうちの一つが……(後述)
リーガでは敵地でのクラシコで圧勝、37節に舐めプした挙句の馬鹿試合に敗れて無敗優勝こそ逃したものの、他を全く寄せ付けずに制覇。国王杯も決勝で5発かまして難なく4連覇を達成した。

そしてCL。
グループステージでは前年に敗れたユベントスを粉砕して余裕のトップ通過を果たし、1回戦でもチェルシーを圧倒して迎えた準々決勝ローマ戦。
ホームでの1st legでは、相手のデ・ロッシとマノラスが立て続けにOGを献上したこともあり、4-1で快勝。
ところが2nd legでは開始6分に先制を許すと、後半開始早々にデ・ロッシにPKを沈められ、1点差に迫られる。
そして82分。CKをマノラスに叩き込まれ、ついに逆転を許してしまう。その後の猛反撃も及ばず、そのままタイムアップとなった。
ローマからしてみれば、1st legでOGを献上した男たちが、2nd legで自らゴールを取り返しチームを勝利に導くという、これ以上にない胸アツ展開での逆転勝利となった。
一方、前年に奇跡を起こしたものの、今度は自分たちが奇跡を起こされてしまったバルサは3年連続のベスト8敗退。ほとんど完璧だったはずのシーズンに、大きな汚点を残す結果となってしまった。

またこのシーズンも主力と控え陣の力量差は健在だったが、昨年Bチームで試合を取りこぼした反省か、いかに過密日程でも一切ターンオーバーをしないという暴挙に出た。
先述のローマ戦は11日で4試合という超過密日程の4試合目であり、選手たちのコンディション不良は明らかで、バルベルデ監督のマネジメントへの疑問の声も上がった。


【18-19シーズン】

長らく中盤を支えてきたイニエスタがJ1のヴィッセル神戸に去った移籍市場の終盤。ある選手の獲得をめぐり、事件が発生した。
その当事者は、ボルドーのFWマウコム。
彼はローマへの移籍に合意し、既にメディカルチェックも受け、あとはローマに到着するだけだった。ところが土壇場になり、バルセロナがローマよりも高い移籍金を提示。すると、あろうことかボルドーはマウコムのローマ渡航を阻止し、バルセロナに向かわせてしまったのだ。
当然、この裏切り同然の行為にローマ側は大激怒。訴訟も辞さない姿勢を示し、一触即発の事態となった。

そんなトラブルこそあったものの、いざシーズンが始まれば、ロペテギ新体制がうまく機能せず自滅を繰り返すレアルを尻目に着々とリーガの勝ち点を積み重ねる。
そしてホームでのクラシコでは5-1という近年稀にみる大差で圧勝し、ロペテギを退任に追い込んだ。
さらにリーガでのアウェー戦と国王杯のホーム&アウェーの日程が同時期になった結果3連戦となったクラシコ後半戦でも共に快勝し、結果ロペテギの後任であるソラーリのクビも飛ぶことになった。

結局勢いそのままにほとんど首位を譲らず、リーガを制覇。国王杯も決勝に進出し、CLでは鬼門となっているベスト8で快勝して4年ぶりの準決勝にコマを進めた。
相手はサラー・フィルミノ・マネという、かつての「MSN」を彷彿とさせるほどの強力攻撃陣を擁するリバプール。もう片方の対戦カードがアヤックス対トッテナムというダークホース同士の対決だったこともあり、これが事実上の決勝戦と目された。

1st legでホームに相手を迎え撃ったバルサは、メッシの芸術的FKなどで3-0と快勝。
アウェーゴールも与えず、まさに完璧な試合運びで迎えた2nd leg。リバプールはただでさえ圧倒的ビハインドの上、ケガでフィルミノ、脳震盪でサラーを欠くという飛車角抜き状態で、バルサの勝利はほぼ間違いなしと思われていた。
ところが開始7分でリバプールに先制されると、後半開始すぐにMFワイナルドゥムにパワーシュートを叩き込まれ、一点差に迫られる。
デジャヴのような展開に嫌な雰囲気が漂う中、2失点目から2分と経たないうちに再びワイナルドゥムのシュートを浴びると、これがゴール左隅に吸い込まれ、あっという間に同点に追いつかれてしまった。
1点でも取れば一気に優位になるバルサも何とか反撃を試みるが、この日神がかった活躍を見せていたGKアリソンを前に点を奪えずにいると、72分に事件が起きる。
バルサのクリアボールがラインを割ってCKになった時、すでに別のボールがセットされていたにもかかわらず、バルサの選手はクリアされたボールに気を取られていた。これに気付いたリバプールのアレクサンダー=アーノルドがすかさずグラウンダークロスを放り込むと、ゴール前でFWオリジが合わせ、ついにリバプールが逆転に成功した。
この時、バルサのほとんどの選手は全く気付かずに完全に棒立ち状態であった。

その後、懸命の反撃も及ばず、試合は終了。最後はトリックプレーで斬り捨てられた挙句、2年連続で3点差を逆転されての敗退という悲惨な結末となった。
また、CLで3点差以上が逆転された事例は過去に4例しかないが、そのうち3例がここ3シーズンのバルサによるものである

ちなみに、このシーズンにローマからリバプールへと移籍していたアリソンは、2年連続でバルサ相手に奇跡を演じることとなった。


【19-20シーズン】

アトレティコのエース・グリーズマンを引き抜いて前線をさらに強化した一方、フィットしていなかったコウチーニョをバイエルンにレンタルして迎えたこのシーズンは、不安定な戦いぶりながらも何とかリーグ首位を維持して年明けを迎えたものの、年明けのスーペルコパに敗れたことを機にバルベルデ監督が解任され、新たにキケ・セティエンが招聘された。
しかしこのセティエンはラス・パルマスやベティスといった中堅クラブしか率いた経験がなく、はっきり言ってバルサの監督の荷は重すぎた。
そしてここから、思いもよらない凋落が始まる……

まずリーガは、終盤に怒涛の連勝劇を見せたレアルにまくられ、逆転優勝を許す。さらに国王杯も準々決勝で敗退。
無冠を避けるためにも何とか獲得したいCLでは、ベスト16でナポリを僅差で下し、コロナウィルス流行による中断の影響でワンマッチとなった準々決勝に臨む。相手は既に2冠を達成し、シーズンを通して好調のバイエルン。そしてその結果は……


FCB  2-8  BAY


誰もが想像しえなかった大惨敗。繰り返すが、これはワンマッチの結果である。*3
バイエルンの快足左SB・デイビスを全く止められず、バルサの右サイドが完全に崩壊したこと*4や、メッシ&スアレスの守備不参加による数的不利の場面の多さがこの結果を生むこととなった。
そしてこの大惨敗は
  • CLトーナメント史上最多失点
  • 同最速4失点
  • 欧州大会におけるクラブ最大点差敗退
  • 1946年以来となる8失点
などといった、数々の不名誉な記録を残すこととなってしまった。
これにより、バルサは12年ぶりの無冠が決定。試合の3日後にセティエンは解任された。*5


【20-21シーズン】

セティエンの解任に伴い、それまでオランダ代表監督を務めていたクラブOBのロナルド・クーマンが新たに招聘された。


世代交代を図る彼は、実績十分のベテランたちに次々と戦力外通告を言い渡す改革を断行。
その結果、スアレスはアトレティコ、ラキティッチはセビージャ、ビダルはインテルへと、これまでの功労者たちが一気に放出され、さらに盟友・スアレスが冷遇されたことでクラブに不信感を抱いたメッシが退団の意向を表明して一触即発の事態になるなど、バルサは激動のプレシーズンを過ごすこととなった。

結局メッシは残留に落ち着いたものの、その影響もあってかリーグ開幕10試合で2分4敗と厳しいスタートになる。
その後は17試合連続無敗と持ち直して首位を猛追するも、4月のクラシコを落として無敗記録が止まると、3試合後に格下のグラナダに逆転負けを喫したことがとどめとなり、完全に失速。
結果はリーグ3位で、優勝はシーズン前に戦力外を言い渡したスアレスの大活躍が光ったアトレティコという、何とも皮肉な結末であった。

過渡期の揺らぎに苦しんだバルサは国王杯こそ制したものの、CLでは1回戦1st legでスター軍団・PSGを相手にホームで1-4というとんでもない惨敗を喫する。
2nd legでメッシが沈めたゴラッソも虚しく、アウェーの地でかつてより戦力の落ちた状態とあっては4年前の奇跡の再現とはいかずに当時のリベンジを許したバルサは、06-07シーズン以来実に14シーズンぶりとなるベスト16敗退となってしまった。

レンタルから戻ってきたコウチーニョは相変わらずフィットせず、若返りを図ったわりになぜか6000万ユーロもの大枚をはたいて獲得したベテラン・ピャニッチもその移籍金にはとうてい見合わない渋い活躍で、結局チームを去った功労者たちの穴埋めは最後までできずじまいだった。


【21-22シーズン】

昨シーズンの終盤、メッシ退団騒動の責任を取る形でバルトメウ会長が辞任し、代わってラポルテが2009年以来となる会長職に就いた。しかしそこで明らかになったのは、前職の放漫経営にコロナ禍が直撃したことによる深刻な経営難だった。
そしてその影響をもろに受けたのが、昨シーズン去就問題に揺れ、そしてちょうど契約更改のタイミングを迎えていたメッシであった。

メッシは愛するクラブのために半額減俸を受け入れ、両者は合意寸前に至っていたのだが、そこに待ったをかけたのがラ・リーガの規定であった。
現在、欧州の各クラブでは、莫大な資金力を頼みに赤字覚悟でスター選手が独占されるようなことが無いよう、支出が収入を上回ることを禁止している。いわゆる、ファイナンシャル・フェアプレーというものである。
今回のバルサは経営難のあまり、メッシと契約を結ぶとこれに抵触してしまう状態にあったのである。
そして、来る8月6日。


リオネル・メッシ バルセロナ退団


14歳からバルサ一筋で世界最高のプレーヤーへと成長し、クラブの象徴でもあった彼は、最後まで相思相愛のままある意味では円満に、ある意味では悲劇的な形で愛するクラブに別れを告げた。
そしてかつての盟友・ネイマールが待つ新・銀河系軍団ことPSGへと去っていった……

かつてサッカー界を風靡した「MNS」をこれですべて失ったバルサは、穴埋めにデパイとアグエロをフリーで獲得、さらに移籍市場最終日にクーマン監督の教え子であるデ・ヨングをレンタルで引き抜いたものの、やはり戦力ダウンは否めなかった。
そんな中、期待の若手であるファティが10番を引き継いで迎えた新シーズン、CLのグループリーグ第1節でバルサはいきなり因縁のバイエルンとホームで相まみえることになる。
2年前の雪辱をホームで果たしたかったバルサだったが、結果は相手エース・レヴァンドフスキに2ゴールを許しての0-3、枠内シュート0本と完膚なきまでに叩きのめされてしまう。
ここしばらく充実したシーズンを送るバイエルンとの実力差は火を見るより明らかで、サポーターの間ではシーズン開幕早々にしてクーマン監督の解任論が持ち上がることとなってしまった。
その後も、第2節ではベンフィカ相手に退場者を出した挙句0-3で完敗、直後のマドリードダービーにも0-2で敗れるなど不甲斐ない試合が続き、解任を求める声が強まった。
フロントはクーマン監督を信頼して続投する姿勢を強調したものの、10月後半のクラシコに1-2のスコア以上の内容で敗れ、直後に格下のラージョにまで敗れたことがとどめとなり、ついにクーマン監督は解任された。
後任には、カタールのアル・サッドで指揮を執っていたクラブのレジェンドであるシャビ監督が就任することとなった。

シャビ体制になってからリーガでの初勝利に3試合を要するなど、依然として波に乗れないバルサであったが、CLでは格下のディナモ・キエフにきっちり連勝し、何とか持ち直していた。
しかし第5節、ホームでのベンフィカ戦で痛恨のドロー。この時点でベンフィカには勝ち点2差をつけていたものの、最終節の相手はバイエルン。
一方のベンフィカはすでに敗退の決まったディナモ・キエフとホームで戦うため勝利が濃厚であり、同勝ち点でも直接対決の結果で上回られてしまうバルサは、ホームで絶大な強さを誇るバイエルンに勝利するしか道が無くなってしまった。
バイエルンは5連勝で既に首位通過を決めていたため、メンバーを落とす可能性もあったが、バイエルンのナーゲルスマン監督は「全力で行くからベンフィカは安心してネ☆」と、わずかな望みを粉砕するフルボッコ宣言。そしてその言葉通り、レヴァンドフスキら主力を出してきたバイエルンに0-3でフルボッコにされたバルサは、2000-01シーズン以来、実に20年ぶりとなるグループリーグ敗退となってしまった。
また、これにより2004-05シーズンから続いていた連続での決勝トーナメント出場記録も17で途絶えることになった。
*7そして、2009年に名称が変更されて以降は初となるUEFAヨーロッパリーグへの参加が決まった。



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最終更新:2023年06月17日 20:19

*1 ドリームチームの心臓だったペップも控えに回った

*2 ホーム&アウェーの各試合を含めると3敗

*3 本来ならCLは1stleg、2ndlegのホーム&アウェイ形式で行われるが、新型コロナウイルス感染拡大防止のためにこの年だけワンマッチで行われた。

*4 8点のほとんどは右サイドを崩される形で決められた

*5 しかも解任発表から1か月経っても違約金の支払いが行われておらず、「契約清算で合意できなければ新監督のロナルド・クーマンはベンチに座ることすらできない」と報じられてから、ようやく正式な解雇通告を送るという始末であった

*6 ダビド・アルベルダ、ミゲル・アングーロ、サンティアゴ・カニサレス

*7 2003-04シーズンはリーガでの成績が悪すぎてCLに出場すらできず