ティーガーI(戦車)

登録日: 2011/07/31(日) 13:16:38
更新日:2023/11/27 Mon 01:18:20
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ティーガーIとは、ナチスドイツ軍で使用された戦車である。第二次世界大戦半ばに登場し、伝説的な活躍を見せた。
詳しくない者でも、「タイガー戦車」と言う愛称を一度は聞いたことがあるだろう。

制式名称はPanzer kampf wagen VI Ausf.E。制式番号はsdkfz181である。
日本では「VI号戦車」とも言われるが、この名称はのちに開発された「ティーガーII」も指すので注意が必要。
ただ、「ティーガー」とだけ言うなら此方を指す場合が多い。

タイガー(英)もティーガー(現独)もティーゲル(古独)も呼び方が違うだけで正解なのだが、この項目ではティーガーで統一する。


■開発経緯
装甲師団に各20両ずつ突破戦車を配備しようという構想があり、これが紆余曲折を経てティーガーIに発展した。
ちなみにこの影響かSS装甲師団の一部では、戦車連隊の第8中隊にティーガーIを配備していた時期があった。

1940年。ドイツ軍は電撃戦で英仏連合軍を大陸から追い出し、海の向こうへと追いやった。
その電撃戦の主役を担ったのがIII号戦車IV号戦車であった。
これらの戦車は見事役目を果たした。だが、教訓も色々と残った。

総統閣下「イギリスのマチルダI/II歩兵戦車とかフランスのルノーB1重戦車が相手だと辛いな…」

そう、いくつか短所を抱えつつも比較的バランスは優れていたのだが、装甲に特化した重戦車には特に苦戦したのである。
(詳細はそれぞれの記事にて)
状況によっては、万能優秀キャラを一芸特化キャラが出し抜く事があるのはアニヲタ諸君はよく知っているだろう。
そんなこんなで1941年。

総統閣下「ジョンブル共に負けない重戦車作ってね」

ヘンシェル社「よーし、頑張って作るぞ!」

ポルシェ社「フヒヒwwwデュフフwwww」

ヒトラー総統閣下から直々に開発命令が下り、ヘンシェル社とポルシェ社が威信を掛けて開発を開始した。

■ティーガーと特徴
ヘンシェル「我が総統!我等がティーガーが完成しました!見てください!!」

  • 8.8cm砲の採用
分厚い戦車の重装甲を破るには、それだけの砲が必要である。
武装としては二種類の火砲が検討されていた。

一つ目はゲルリッヒ砲。もう名前だけで強そうである。
これは砲尾を太く、砲身を細くすることで、弾を押す圧力を高めるものである。
希少資源を用いて特殊加工した無炸薬の軽量砲弾(APCNR)が必要になる上、砲身負荷が高く頻繁に交換が必要になった。
ところが、タングステンなどの希少資源は中立国からの輸入に依存している状況で、工業生産を支える工作機械向けの需要も高まりつつあった。
よって導入は中止され、もう一種類の火砲に絞られた。

少佐も大好き、アハトアハトである。
8.8cm Flak 18/36/37シリーズは高射砲であったが、スペイン内乱では地上砲撃でも活躍し、ソ連製軽戦車との対戦車戦闘にも活用されていた。
1940年の西部戦線や北アフリカ戦線では、エルヴィン・ロンメルがマチルダ等の重装甲な戦車にも有効である事も証明した。
これを参考にした戦車用の8.8cm Kwk 36(L/56)を採用する事で、「ティーゲルのアハトアハト」の伝説ができたのである。
なおパンター用に開発していた7.5cm Kwk 42(L/70)を搭載する計画もあったが、凍結されて実施には至らなかった。

次に装甲厚だが、鋳鋼製の防楯部を除いて最も厚い正面は100mmで、側面も80mmに達するなど当時としては破格。
前述した重装甲のマチルダII歩兵戦車でも最大78mmである事を考えると、非常に分厚い。

そしてこのヘンシェル製ティーガーは、1942年4月20日の審査で正式に採用された。


え?ポルシェはどうしたって?

ポルシェ博士「ウェヒヒwwwエンジンで発電機動かしてモーター駆動にしてやるでござるwww
_______これなら変速機要らずwwwwあww配線焼き切れたwwwwww」

……建て主は車は詳しくないが、兵器の知識のある者は口をそろえて言う。
「彼は変態だ。」

後にこの「ポルシェティーガー」フェルディナント重突撃砲/エレファント重駆逐戦車に転用されて結構活躍するのだが、それはまた別の話。
ただし採用中止の時点で既に10両分の車体が完成していて、内8両は砲塔も搭載済みだった。この8両は実戦投入されず、訓練器材として利用された。


■実戦での活躍
ヘンシェル「いやぁ…さっきはドヤ顔で紹介したけど、実は急造品なんだよね…」

先ほど述べたように、1942年4月20日に試験を行ったのだが、この日は総統の誕生日である。
つまり、総統の誕生日に無理やり間に合わせて作ったのである。
どこぞの変態は輸送中の列車内で溶接してたとか。
更に総統の圧力により8月から大急ぎで生産を開始し、殆ど試作車同然で戦場へ送られた。

当然、いくつもの欠点が戦場で発覚した。
その大体の原因が重量である。
その重さ、なんと57トン!!

ちなみに
九七式中戦車 ミリオタからチハたんと可愛がられている帝国陸軍の戦車 約15トン
M26パーシング重戦車 ティーガーIやパンター対抗で慌てて投入された米軍戦車。
採用を渋られていた理由の一つが重量。
約42トン
A41センチュリオン重巡航戦車 ティーガーI対抗で開発された英軍戦車 約44トン
IS-2重戦車 ティーガーI対抗で開発された赤軍戦車 約46トン
T-90主力戦車 ロシア陸軍の戦後第三世代型戦車 約48トン
90式戦車 陸上自衛隊の戦後第三世代型戦車 約50トン

ティーガーIの計画呼称は、45トン級の装甲戦闘車両を意味するVK.45.01(H)。
元から重量級の戦車だったのに、完成時にはなんと10トン以上も超過していたのである。
どうしてこうなった…と言いたいところだが、諸事情込みなので詳細は他所に譲る。

この重量は移動中に転輪や履帯を磨耗させ、トランスミッション系をぶっ壊した。
トランスミッションなんて複雑な物が現場の兵士に直せるはずもない。
しかもドイツ製は他国に比べて複雑だった。だってドイツだし。
というか戦場で壊れてしまったら知識や機材があっても厳しい。
というかそもそもポルシェ博士がガスエレクトリック駆動を持ち出した理由もトランスミッション系の問題だし。
ポルシェ博士に限らず世界各国が重戦車のガスエレクトリック駆動化を模索してたぐらいなんだから。

技術者「ドイツの技術力は世界一ィィィィ!!
整備兵「辛い」

しかし

この戦車は伝説的戦車である。
最強にして、無敵の戦車なのである!

その戦闘能力は実戦配備開始当時においては圧倒的で、登場当時にティーガーと殴りあえる戦車は皆無であった。
ソ連のT-34の76.2mm砲、アメリカのM4中戦車シャーマンの75mm砲、6ポンド砲から発射される通常徹甲弾では正面撃破がほぼ不可能で、側背を突く必要があった。
側面装甲でも、T-34の76mm砲は100m以内、M4の75mm砲は600m以内、6ポンド砲は700yd(約640m)以内で射撃しないと貫徹は期待できなかった程である
(※1944年以降はT-34もM4も備砲を強化しているので、高速徹甲弾を使用しない場合でも正面装甲を貫通される危険性が生じている。
 ティーガーIの砲塔前面に対して、T-34の85mm砲はソ連側資料で1,000m独側資料で500m以内、17ポンド砲は英側資料で1,900yd=1,737.360m以内、
 車体前面に対しては、M4の76.2mm砲が米側資料で400m独側資料で600m以内、で侵徹しうると評価されていた)。
それに対してティーガーIの8.8cm砲は1,400m~1,800m先のT-34-85、M4の砲塔正面を貫通できた。

しかし初陣となったレニングラード近辺の戦闘や1943年の地中海戦線においては無様なエピソードを晒したために、米軍内では楽観視していた時期もあった。
(遺棄車両を回収して射撃試験に供したソ連は侮る事なく、T-34の85mm砲搭載やIS-2の部隊配備に乗り出すなどちゃんと手を打った)

1944年のノルマンディー上陸作戦後に、米軍の機甲行政の采配が間違っていた事が明らかとなった。
もちろん様々な諸事情があったためだが、ティーガー楽観視も影響を与えたことは間違いないだろう。
『少数のティーガーに歩兵大隊や、戦車大隊が血祭りに挙げられた』という複数の事例があり、徒に兵士が犠牲になったため、楽観視の誤りが証明された。
そしてそれが新聞にスキャンダルとして報じられると、ようやくまずいと認識出来たのか陸軍管理本部は大慌て。
テスト段階にあった試作戦車を急遽、「M26重戦車」として制式採用。配備したという逸話も残されている。


大戦末期となるとIS-2、17ポンド砲に強化されたシャーマン・ファイアフライなどに遅れを取ることも増えたが、
大半の戦車には未だ優位を保ち、遭遇した敵兵を恐怖のどん底へ落とした。
米軍はパーシングの投入が実質的には間に合わなかったために、米軍戦車兵は終戦までティーガーに怯え続ける羽目となった。
それは米軍の戦闘教義の関係もあったが、常に返り討ちにあう恐怖に晒された米軍将兵は、
M4中戦車を過信し、ティーガーに対抗できる重戦車の配備を遅らせた陸軍管理本部を恨んだという。

連合国側には機動性無視の大重量つながりで、A38ヴァリアント歩兵戦車(Mk.IIIバレンタイン歩兵戦車の拡大発展型)や
ドイツからドレッドノートと呼ばれていたM6重戦車なども出現したがドイツと違って実戦を経験することはなかった。

戦線では「ティーガーと戦う時は最低でもシャーマン4台は用意しろ。できないなら撤退」という命令が出たとか出ないとか。
(実際に、シャーマン20台が少数のティーガーに手もなくひねられた記録も残っている。)

他にも1両でイギリス陸軍第7機甲師団に所属した戦車12両を含む27両の戦闘車両を撃破するなど多くの伝説がある。
1943年のシチリア攻防戦では駆逐艦や軽巡洋艦と撃ち合ったりしたが、流石に分が悪く上陸地点への反撃は失敗に終わった。

また多くの名戦車乗りを生み出した。
有名どころはミハエル・ヴィットマン、オットー・カリウス、クルト・クニスペル、アルベルト・ケルシャーである。
いずれも最低でも100両以上の撃破スコアを残した戦車長である。


■バリエーション
  • ベルゲティーガー
前述したポルシェティーガーの砲を取り外し、牽引用のクレーンを取り付けた回収戦車。

  • シュトルムティーガー
ティーガーIの砲塔を撤去して、ロケット推進式の榴弾を用いる38cm臼砲に載せ換えて装甲を強化した市街戦用装甲戦闘車両。
一から新造された車両は無く、損傷を受けて修理する為に後方へ送られたティーガーをそのまま改造するという方法で作られた。
砲塔は元々は海軍が防衛力強化計画の為に沿岸砲として研究開発した物を、陸軍が総統権限を盾に奪い取り同然で手に入れたという代物。身内からセメントされまくりな海軍は泣いていい
重量65トンと原型よりも8トンも重く、しょっちゅう足回りは悲鳴を上げた。
しかしぶっちゃけ戦艦の主砲がキャタピラを付けて走ってる様な車両なのでその攻撃能力は恐らくWW2では最強クラスの一発屋。
西方防壁への戦闘に本車両が初投入された時には対するアメリカ軍が築いていた厚さ2.5mものコンクリート製バンカーを一発で中にいた兵士達ごと木っ端微塵に粉砕し、続け様に放った次弾は上陸を試みていた戦車含む後続部隊をほぼ無力化に追い込んだ程で、その破壊力から辛うじて生き延びたアメリカ兵からは戦艦からの砲撃を食らったんだと勘違いされた。
対戦車戦闘でも破壊力と重装甲を武器に対峙した連合国軍の戦車を尽く無力化に追い込んだ事から、連合国側は対策として偵察機やスパイまで使ってこの戦車の居所を掴もうと躍起になったという。
18両が改造されて末期戦へ投入され、2両のみ生き残った。

  • 幻の日の丸ティーガー
日独伊三国同盟の恩恵に肖ろうと、ドイツから日本へ戦車を輸出する案があった。
時の総理大臣、東条英機はドイツ軍の活躍で、機甲戦時代の到来を実感しており、戦車関連行政を整える事に意外と必死になっていた。
また、彼はノモンハン事件での敗北から、九七式中戦車や九五式軽戦車主体の日本陸軍の戦車の構成に危機感を抱いており、
ヒトラーからの信任が厚い駐在武官の大島浩に交渉を命じて「ドイツ戦車を買って、ウチの戦線に置けばいいじゃん?」と考えていた。
それでドイツに「戦車ほすぃ~」と強請り、ヘンシェル社も「ほな、ウチのティーガーちゃんあげるで!」と乗り気であり、
これでアメ公のシャーマンも恐くねえ!!筈だった……。

実際に立案の数年後の1943年には、サンプル品が進呈される事が内定し、
ティーガーに日本陸軍の視察団が試乗したという記録が残っている。(部品は伊号潜水艦で輸送)
だが、その頃には日独双方の戦況が急速に悪化し、それどころではなくなった事で、この計画は幻となった。
日本もただ手をこまねているだけでなく、チリの新開発(後の五式中戦車)やチトの強化(後の四式中戦車、当初は20トン級戦車として構想)、
ストップギャップとしてチヘの改良(後の三式中戦車チヌ一式中戦車の主砲換装型)に乗り出していたが、周回遅れで活躍の機会を失っていた。

しかし、当時の日本軍が導入したところで、当時の日本は軍港含めた湾港設備があまりにも貧弱で輸送できなかったり、
精度の高い鋼鉄の溶接ができない(日本で安定した品質の溶接が可能となったのは戦後)など技術上も困難で、国産化は事実上不可能だった。
この重要な点については東条英機は全く考えていなかったのか、あるいは希望的観測(現時点では無理でも近いうちに技術を向上させる)かも知れない。
まあそれだけ日本と外国の戦車を比較すると悲惨だったということの証左でもあるだろう。

だが日本には最強(に可愛い)戦車チハたんがあるので無敵である。繰り返す、無敵である。

  • VI号指揮戦車P型(ポルシェ・ティーガー指揮戦車型)
フェルディナント重突撃砲/エレファント重駆逐戦車の原型となったVK45.01(P)は、採用が中止された時点で10両分の車体が完成していた。
内2両は砲塔未成の製造中途状態だったが、第656重戦車駆逐連隊の指揮車両用として活用される事になり、設計を変更した上で就役している。
駆動機構を油圧式から電動式に改修し直したVK45.01(H)の砲塔を搭載していて、車体正面には100mm厚の増加装甲板が追加されていた。


総括すると、使い勝手が良いとは言えない戦車であるが、終戦まで連合軍を恐怖に陥れたティーガー(戦後の戦車開発にも影響を残した)、
第二次世界大戦における伝説的重戦車と言うに相応しいのでは無いだろうか
WWII直後のアメリカでは、タイガー戦車のように無敵というスラングもあった程である。

■余談
ティーガーの運転マニュアルに「ティーガーフィーベル」と言うものがある。
これ、ティーガーを女性に例えてメンテナンスの仕方などを説明しているという、
何とも先進的かつ斬新的、素晴らしいマニュアルなのである。
流石盟邦ドイツ…類は友を呼ぶと言うべきか。

かつて九九式高射砲ベースの88mm戦車砲に換装した五式中戦車チリが、ミリオタから和風ティーガーと呼ばれていた。
架空戦記でもM4やT-34に一矢を報いる存在として重宝されたが、旧軍の資料発掘が進んだ今日では正規の計画ではない事が判明している。
また九九式高射砲も長年8.8cm Flak 18シリーズの模倣だと言われていたが、現在は海軍砲のSK L/45が原型とする説が有力である。

戦車といえばティーガーといえるくらい日本でも有名であるため、大和や零戦ほどではないが漫画やアニメでの出番はある。
ライトノベルゼロの使い魔では異世界の軍勢を圧倒する実力を見せ、地球なめんなファンタジーの名言を残した。
また、ガールズ&パンツァーでは黒森峰のフラッグ車として活躍。劇場版では史実では幻のライバルで終わったセンチュリオンと激闘を演じた。




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最終更新:2023年11月27日 01:18