達川光男

登録日:2009/08/24(月) 07:44:25
更新日:2024/03/06 Wed 22:50:05
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1977年ドラフト4位で広島東洋カープに入団した、詐欺師で捕手である。
広島県広島市出身。

その頭脳的なプレーで味方投手を援護。
むしろ相手チームを撹乱が基本で、黄金期の広島投手王国を長きにわたってリードし続けた。
いわば、投手王国の影の守護神。
1992年に引退。

打者としては生涯成績にも記されているようにシーズンを通して打率2割8分 本塁打10本を超えたことが一度もなく一流の打者とは言えないが捕手としては球界随一といわれた。

達川といえば ささやき戦術、偽デッドボールなどのトリックプレイで知られる。横浜大洋ホエールズに所属していた市川とともに「西の達川、東の市川」とも言われたほどで、通称詐欺師。
ただそればかりではなく、投手にノーサインで球を投げさせ、それを一つも取りこぼさず捕球したり、当時パ・リーグの三冠王だったブーマーにインハイ中心の配球を使って封じ込めるなど捕手としての技術にも確かなものを持っていた。

インフィールドフライをわざと落としてサヨナラ負けをするという訳のわからない事態を起こしたりと何を考えてるか彼でないとわからないようなプレーをしたりもする。

引退後は野球解説者をしていたが、1999年にカープの一軍監督に就任し『胃から汗が出る』ほどのカープ伝統の猛練習で若手の底上げを図った。
結果、打撃陣は好調だったが 長年の課題だった投手陣の崩壊を止めることはできなかった。
結局チームは2年連続5位に終わり 成績不振の責任を取る形で辞任した。ただ後に阪神に移籍した金本知憲は達川監督時代を振り返り『チームが弱かった』と語っている

その後星野仙一監督率いる阪神にバッテリーコーチとして招聘され、阪神のリーグ優勝に大きく貢献した。そして星野監督の勇退とともに阪神を去り、 野球解説者となる。


【解説者としての達川】
どの球団も分け隔てなく話し、技術面も的確な解説を親しみやすい広島弁で話すのが特徴。
キャッチャーからの牽制のサインを見破ったりしてしまうあたりは流石と言えよう。

しかし、合間にジョークを挟んだりどうでもよい話をしたりとそこは達川らしい部分も見える。
また「あのね~」は聞かれなくなった、少し残念である。

最近ではよく解説の時に故事成語を使う諺おじさんとなってる。
また唐突に妙なたとえで話し出すため実況とリスナーを困惑に叩き落とす事も多々。
ラジオを聞いてると「いきなり何言ってんだw」と思うこと請け合いである。
また逆神としても有名で、解説した内容と真逆のことが何故か起こりやすい。まともな解説や予想をするにもかかわらずである。2016年のカープ優勝は解説者として唯一的中させたが、他のチームの順位は全く当たらなかった。

とまぁ解説の仕方こそ「?」が付くような感じだが、ゲーム内容やそこからの展開の見通し方はさすが元一流のキャッチャー。
バッテリーや打者の心理、何を投げ何処を狙いそこから転がる戦術的な展開などよく見通している。
ベンチは達川の放送を聞いてるのかと思うほどその後の展開がなぞらえて行われる事もよくある。

【試合中以外の逸話】
ドラフト指名された日は、後輩とパチンコをしていた。そこに指名を知らせる電話が入り、後輩が慌てて達川を呼ぶが、達川は「今当たっているけん」と言ってパチンコを続行した。マイペースすぎる。


【現役時代の達川の主な伝説】

《ささやき戦術》

現役の達川は、野村克也や日比野武と並ぶ“ささやき戦術”を駆使する事で知られている。 しかし野村が打者の弱味を突いて集中力を奪っていたのに対し、達川のそれは世間話やジョークなどで相手の思考を撹乱するいわば明るいささやきであった。
本人や周辺の談によると、このささやき(お喋り)をすると頭がよく回り、リードが冴え、敵の弱体化にも繋がるいわば一挙両得の武器であるとのこと。

広島弁で
『今日わしらに勝ったあと飲みに行くんか?』
など、野球と全く関係ない話題を振って打者を混乱させたり
『初球はど真ん中にストレートが来るで』
とわざと配球を教え、混乱する打者をよそにその通りの球を投手に投げさせ、見逃した打者に
『折角教えたったのに、もうあんなええ球来んぞ?』
と煽り、あげくの果てに
『次はカーブ…かもしれんのお…』
等、の心理戦や
好調な打者や主力打者に対して
『悪いが一球顔の前に通させて(デッドボールさせて)もらうけぇのう』
と脅すなど、虚々実々の駆け引きを用いて投手陣を陰で支えた

かつて、達川のささやきに対して大洋ホエールズが試合で『達川無視作戦』を決行する(絶対喋るな!挨拶からするな!とミーティングの段階から選手に徹底させたという)ほどの球界最悪と称されるささやき戦術の使い手であった。
ちなみにこの作戦により達川は困惑し敵である大洋に「お前ら、どないしたんじゃ…」といってしまうほど大きくペースを崩されてしまった。


《偽デッドボール》

達川は身体にかすってもいない投球であっても平然と一塁方向へ走り出し、当然の如く主審に呼び止められるとデッドボールだ!と演技を織り混ぜながら猛烈にアピールするなどデッドボールに関する詐欺師ぶりは、枚挙にいとまがないほどであり、特に内角のきわどい球をあの手この手でデッドボールと偽り何度となく出塁している。その為『フィールド の詐欺師』『騙しの達ちゃん』と呼ばれたが、本人は至って真面目なプレーであったと語っている。が、その際の動きは挙動不審であり、セの審判団からは要注意人物としてマークされていた。

当初は、ユニフォームをかすめた投球に対し冗談半分本気半分でアピールしたところデッドボール判定がなされた為、味をしめどんどん巧妙な死球アピール大作戦を敢行していくこととなった。

また、投球がかすめた時にデッドボールする箇所は何故か手袋をめくった手首付近が多く、打席前にベンチ裏にて何らかの仕込みがあるのではと噂された(実際は際どいボールが来て倒れ込んでいる間に手の甲をつねって腫れさせていたことが多かった)その仕込みのためか、左手をかすめたのに右手を差し出したというエピソードもある。
なお達川は日本シリーズでの最多死球6という記録を持っている。普段達川を見ていないパ・リーグの審判には死球と判定してもらえたらしい。

一方で相手選手へのデッドボール判定には厳しく、明確なデッドボールにも当たっていないと審判に主張することがあり、ある日の阪神戦では、あまりにしつこく審判に主張したため、打者の北村照文に逆に抗議されたことがある。


《コンタクトレンズ事件》

達川は2度ほど試合中にコンタクトレンズを紛失したことがある。しかも球場は土のグラウンドであった為(ナゴヤ球場と甲子園球場)レンズが土に埋もれていたと思われる。当時はコンタクトレンズはかなり高価な品物であったため、2度とも試合は中断され、本塁付近で両軍入り乱れての大捜索劇になり、その様子は観客の爆笑を誘った。
最初の紛失の際は突然タイムをかけ地面を探り出した達川に場内騒然となったがアナウンスの『只今、カープの達川選手のコンタクトレンズ紛失のため、試合を一時中断しております。』一言で場内が大爆笑に包まれた。
実際はコンタクトレンズを落としてなく、その試合不調だったマウンド上の大野豊をリラックスさせるための時間をつくる為に、球場の全ての人間を詐欺にかけた。



とも言われるが真偽は定かではない。



《引退試合》

1992年10月4日、広島市民球場での対巨人戦。をこらえながら達川は最後の打席に入る。
打撃はそこまでうまくない達川だったが、最後ぐらいホームランを打ちたい。



達川には秘策があった。それは…






バットを乾燥させたのである。
事実、バットがある程度乾いていたほうが球がよく飛ぶという話はあるのだが、結局バットが折れてショートゴロ。バットは乾燥させすぎて脆くなっていたのだった。
また、その裏の守備には大野豊とともにリリーフカーに乗って登場。後にも先にもリリーフカーに乗って守備についた捕手は達川だけである。
その後の引退挨拶ではその日タイムリーエラーをした篠塚和典をいじり、広島市民球場を爆笑の渦に巻き込んだ。



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最終更新:2024年03月06日 22:50