羽生善治

登録日:2012/04/14(土) 16:00:32
更新日:2024/03/24 Sun 03:02:07
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羽生(はぶ)善治(よしはる)は、将棋棋士(九段)。趣味でチェスも嗜んでいる(日本一)。
故二上達也九段門下。
血液型 AB型。
生年月日 1970年9月27日
埼玉県所沢市出身(育ちは東京都八王子市)。


幼少期


小学一年生の時に将棋を知る。二年生の時に母親の勧めで地元の八王子将棋クラブに入会し、その後様々な大会に出場する。
出場時に、母が我が子を見つけやすくするため、いつも広島東洋カープの赤い野球帽を被らせていた(羽生自身は巨人ファン)。
そして、「第1回小田急将棋まつり小学生大会」でデパート大会での初優勝をする。
準決勝で同年代で後に永世名人となる森内俊之を、決勝で小倉久史を破っている。森内とのライバル関係はこの頃から始まった。

5年生のとき、奨励会(将棋のプロ養成機関)への入会を志し、道場の師範代に相談をしたが「小学生将棋名人戦で優勝すること」という厳しい条件を突きつけられる。
しかし6年生の春に羽生は見事優勝をする。ちなみに3位は森内俊之。
優勝式では当時の日本将棋連盟の会長だった大山康晴から近い将来、(当時の若手強豪、後の永世名人)谷川浩司と戦える逸材になるかもしれないと発言している(しかも谷川本人がいる近くで)。

小学生将棋名人戦で優勝したことにより師範代の師匠である二上達也九段に入門。




プロ入り


奨励会入会試験に合格以降、1年あまりで6級から初段に昇段するなど驚異的な速度で昇級・昇段を重ね、三段で13勝4敗を記録し、1985年12月に四段に昇段。プロになった。
加藤一二三、谷川浩司に続く史上3人目の中学生棋士である。

デビューから年度が明け、実質の初年度となる1986年度に全棋士中1位の勝率0.741(40勝14敗)を記録し、将棋大賞の新人賞と勝率1位賞を受賞する。
同年度に行われた第36回NHK杯戦にも予選を勝ち抜き本戦に出場。現在まで続くNHK杯本戦出場もこの時から始まった。
このNHK杯ではまだ四段ながら強豪である福崎文吾と米長邦雄(どちらも十段のタイトルホルダー)を下している*2

翌年度の1987年度の第10回若獅子戦で自身初の棋戦優勝を果たす。全棋士参加棋戦でも同年の第3回天王戦で初優勝した。

羽生を一気に有名にしたのは、18歳・五段時代の第38回(1988年度)NHK杯戦である。
大山康晴(3回戦)、加藤一二三(4回戦 = 準々決勝)、谷川浩司(準決勝)、中原誠(決勝)と、当時現役の名人経験者4人をすべて破るという、まるで作った舞台設定のような勝ち上がりで優勝した。
ちなみに決勝で羽生は持ち時間10分しかないのに5分も持ち時間を余らせた。
特に、準々決勝での伝説の5二銀は加藤一二三を羽生善治被害者の会の記念すべき1人目の入会者にさせた。
ちなみに羽生は加藤の得意戦法である棒銀に棒銀で対抗した結果、相棒銀となる珍しい対局となった。この時の両者の表情は必見。


この1988年度は、対局数、勝利数、勝率、連勝の記録4部門を独占(80局、64勝、0.800、18連勝)をし、将棋大賞の最優秀棋士賞を史上最年少(18歳)で受賞。
無冠の棋士が受賞したのも、史上初である。
なお、記録4部門独占は羽生だけが達成している記録とされていた*3、しかし、その後に3回(合計4回)達成しているのは未だに羽生のみである。

1989年、第2期竜王戦七番勝負で島朗に4勝3敗で勝ち、初のタイトルを獲得。以降、2018年12月までの29年間、段位を名乗らなかった。
同年には師匠を公式戦で負かす。二上九段は引退の理由に将棋連盟会長就任とともに弟子への敗北を挙げ、図らずも師匠に引導を渡した形になった。

翌年11月に谷川に竜王位を奪取され、無冠の「前竜王」という肩書きになるが、4か月後の1991年3月に棋王位を獲得し、以降、一冠以上を保持する状態が2018年12月に無冠となるまで約27年9ヶ月にわたって続いた。

そして七冠へ


1992年度、第40期王座戦で福崎文吾から奪取して、初めて複数冠(王座・棋王)となる。ここから長い王座戦連覇が始まる。(19連覇

同年、第5期竜王戦で谷川竜王(三冠)との三冠対二冠の天王山対決を制し、さらに1993年度、谷川から棋聖を、郷田真隆から王位を奪取して五冠王となる。
羽生はこのときに「初めて七冠を意識した」という。

しかし、竜王位を佐藤康光に奪われ四冠に後退する。
一方、順位戦では、1991年度(第50期)のB級2組から2期連続昇級でA級に昇格。
そして迎えた第52期(1993年度)A級順位戦では、いきなり谷川と並んで7勝2敗で1位タイの成績で終え、プレーオフで谷川に勝ち、A級初参加にして名人挑戦権を得る
この第52期(1994年度)名人戦七番勝負で羽生は米長邦雄名人を破り、再び五冠に。

同年度、さらに竜王位を佐藤から奪還して史上初の六冠王となる。残るタイトルは、谷川が保持する王将位ただ一つとなった。

そして、王将戦七番勝負で、全冠制覇をかけて谷川王将に挑むことになる。
この第44期王将戦七番勝負はフルセットの戦いとなり、その間、同時進行していた棋王戦五番勝負では森下卓に対し3-0で早々と防衛をしていた。

第7局は千日手になる熱戦であったが、最後は谷川の111手目を見て羽生が投了。
谷川によって、七冠制覇を目前で阻止された。羽生がタイトルに挑戦して敗れたのは、これが初めてである。
ちなみに谷川はスランプが続いていて王将戦直前のとある出来事がなければ七冠を許していただろうと語っている。

敗れた羽生は、「もう2、3年は、(七冠の)チャンスは巡ってこないだろう」と








言うと思ったか??

言いました




なんと、それから1年間、羽生は王将戦第7局の前に既に防衛していた棋王戦を含め、名人戦、棋聖戦、王位戦、王座戦、竜王戦と六冠全ての防衛に成功する。
そして2期連続で王将への挑戦権を手に入れ、再び七冠に挑んだ。

第45期王将戦七番勝負の決着は、前年とは異なりあっさりとやって来た。本領を発揮した羽生の前に谷川は成す術なく4連敗。遂に七冠を達成する。

タイトル戦の数が6つ以上になった1975年度以降、全冠制覇は初の出来事
翌日の新聞の一面を飾ったり、終局直後に生中継によるニュース速報が行われるなど、棋界にとどまらず社会全体で大々的に取り上げられた。

七冠後


前年度も羽生に挑戦した新鋭の三浦弘行五段(当時)に棋聖を奪われ、167日で七冠独占は幕を閉じる。
その後は、いわゆる燃え尽き症候群や谷川の復活、藤井システム全盛期、森内俊之と丸山忠久の覚醒なども重なり、次々とタイトルを奪われ、2004年には一冠(王座)のみになってしまう。
ついに羽生の時代も終わりかと誰もが思った。



思ったよね?



だがしかし、すぐに谷川から王位をストレートで奪取し、一冠は89日で終わる。
その後も、王将、棋王を共にストレートで奪取し、結局2004年度は四冠で終えた。

2008年11月~12月、竜王戦タイトルに挑戦したが、この竜王戦のタイトルを奪取すると規定により史上初の永世竜王が誕生し、
かつ同時に史上初の永世七冠が誕生することになっていた。
しかし結果は失敗に終わり(この時の3連勝4連敗は将棋界初の珍記録)、初代永世竜王は若手の渡辺明のものとなった。

2011年の第61回NHK杯テレビ将棋トーナメントで渡辺明を破り4連覇(24連勝)する。さらに通算10回目の優勝を達成し初めて名誉NHK杯(永世位に該当)の資格を得た。
この決勝戦も凄まじく、141手目を8四金と受けなければ他は全て即死という恐ろしい状況において、秒読みの中、羽生は正確に8四金と受けた。
解説の森内名人も気づいておらず、歩で受けていた模様。この戦いは「伝説の金合い」として今日まで語り継がれている。

ちなみに、NHK杯は持ち時間が10分+考慮時間10分しかなく、使い切ると一手30秒で指さなければならない。
また前年優勝者でもシード権は付くが、トーナメント自体は再び勝ち上がる必要がある。故に羽生ですら名誉NHK杯は無理だと言われていた。

2011年には渡辺明に3タテで王座を奪われ、連覇記録を19で止められる…。
しかし2012年の第83期棋聖戦での防衛により通算タイトル獲得数を81期として歴代単独1位となる。そして前年に奪われた王座を奪還。
この王座戦の番勝負の2局目が「アサルトライフルで撲殺したような将棋」、4局目がニコニコ動画で解説した浦野八段が「神の一手」と評した妙手が出た将棋である。

七冠制覇から20年以上が経ち、羽生の凄さを見ていた子供が将棋のプロになり、その中から強い棋士が次々出て来ている。
だが、羽生は長きに渡って知ったことかとばかりに若手の挑戦を払い除け続けてきた。


長い長い挑戦者決定への道のりをやっと勝ち抜ける

指してみて、盤上でもどうやら良さそう。これで、あの羽生からタイトルを奪える……

と思ったのに、いつの間にか悪手を指したわけでもないのにひっくり返されている。

トッププロであるはずの対局相手も精神崩壊寸前


こんなコンボがしばしば見られる(しかも挑戦者の得意戦法で)ため、最近は将棋好きから畏怖をもって鬼畜眼鏡という通称を獲得している。
更に羽生と同世代のチャイルドブランド、そのまま羽生世代と呼ばれる強豪棋士達が揃い長く将棋界を席巻したため、
その下の世代(特に1972年から1990年頃までに生まれた棋士)の活躍は陰に隠れてしまった(そんな中でも羽生世代とも互角に渡り合った渡辺明もやはり凄いが)。

2017年の第88期棋聖戦での防衛により、棋聖の獲得数が通算16期・10連覇を達成。
これにより新設の叡王戦を除く1日制タイトル全てで10連覇以上かつ通算獲得数・最長連覇数がトップになる。
だが現役のタイトルとしては若手の菅井竜也に王位、中村太地に王座を立て続けに奪われ、久方ぶりに一冠に後退。
とうとう羽生の時代も終わった。と皆が思った。

しかし同年12月、7年ぶりの竜王挑戦権を獲得し、4-1で渡辺明竜王を下して竜王位を奪取。獲得期数通算7期で永世竜王を獲得し史上初の永世七冠となった。1冠は55日で終了した。
また、47歳のタイトルホルダーは歴代4位の年長記録となる。
これらの実績が評価され、2018年2月に国民栄誉賞が授与された。
囲碁界初の七冠独占を達成し、一度は六冠に後退したものの七冠独占を再達成した井山裕太との同時受賞である。

永世七冠後


2017年度A級順位戦は6名が6勝4敗で同率1位となる前代未聞の事態が発生し、名人挑戦者を決定するためのプレーオフが開催されたが、羽生は全盛期を思わせる鋭い踏み込みで若手強豪の豊島将之・稲葉陽両名を撃破し、名人挑戦権を獲得。
前代未聞のタイトル100期に王手をかけた。相手は羽生から名人を奪って以降保持を続ける佐藤天彦名人。
しかし2-4で奪取ならず、また同年棋聖戦も豊島に2-3で敗退し、また竜王の一冠へ戻っている。

そして2018年12月、若手の広瀬章人によって竜王のタイトルを奪われ、遂に無冠となった。
27年間に渡って常に何らかのタイトルを保持し続け、歴代最強棋士の呼び声も高かった羽生の陥落であった。
折しも平成最後の師走。平成と共に名を上げた天才棋士は、平成と共に世代を譲るのかと見られている。
そのため久々に段位(九段)が肩書になる。ちなみに羽生が九段を名乗るのはこの時が初である。

もっとも、タイトル戦はいずれもフルセットまでいっているし、順位戦ではなおも勝ち星を重ねて挑戦者争いを続けており、今なおトップ棋士の一人であることを疑う者はいないであろう。
2018年2月の朝日杯では、新進気鋭の藤井聡太五段(当時)と対局した時は往時のキレを思わせる指し筋で「羽生はいつになったら衰えるんだ……」とファンを喜ばせている。
実際、2018年度(2018-2019シーズン)のNHK杯で郷田九段に勝利して一般棋戦最多勝利を更新*4。平成最後のNHK杯も羽生の優勝で幕を閉じた。
また2019年には通算最多勝利の記録も更新した。

一応、持ち時間の長い順位戦は以前よりも苦戦してるので衰えてるのは分かるんですけど、本当に衰えてるんですかねこの人。

谷川前会長「藤井君の躍進は素晴らしいが、若手棋士諸君は悔しくないのか!」
羽生「悔しいです!(竜王奪取)(名人挑戦)(棋戦5連勝)」
谷川前会長「えぇ……」

しかし長年の棋士生活の影響で踵を痛め(アキレス腱炎・アキレス腱付着部症)、歩行時どころか対局中も激痛に悩まされる様になってしまう。
それでも2020年には齢50にして再び竜王戦挑戦者としてタイトル戦に戻り豊島と対決。さすがに奪取には至らなかったが…

2021年はついにプロ棋士生活初の負け越しとなり、順位戦は連続29期守ったA級以上の座から陥落し、さすがに今度こそ本当に羽生は衰えたかと思われた…。

翌2022年、奥様から「ほわほわ癒やし系オーラから結婚当初のギラギラした七冠独占時代の勝負師に戻ってほしい」と言われ、踵の痛みも回復傾向になったのもあってか、
齢52歳にて将棋界屈指の難関リーグとも呼ばれる王将戦挑戦者決定リーグで若手の強豪をなぎ倒し全勝で突破。タイトル戦に再び登場する。
そこにはタイトルホルダーに成長した藤井聡太王将が待ち構えており、待望の羽生VS藤井によるタイトル戦が初めて実現することとなった。
盤勝負では2勝上げベテランの意地を見せたが、第6局で先手番ブレイクされ敗れフルセットまでは惜しくも届かなかった。

2023年6月、6年間会長を務めていた一つ年上の佐藤康光に代わって日本将棋連盟会長に就任。
11月には達人戦立川立飛杯決勝で丸山に勝利し久々の棋戦優勝を達成。自分で書いた表彰状を自分で手にすることに成功し会場を爆笑させた


棋風

基本は居飛車だが振り飛車も使う万能型。あらゆる戦法を駆使するので「羽生と言えばこれ!」と言った戦法は無い。
多くの著名棋士は「〇〇流」などの異名が付けられるが、羽生にはそれが無いのがその証拠とも言える。
あえて挙げるすれば羽生が放つ逆転の妙手から名づけられた「羽生マジック」だろうか。
只、羽生本人的には自分が考えた最善手なだけで「マジック」と称されるのは違和感があると述べている。
好きな駒は攻守ともに使えるので銀将。

主な成績

タイトル

  • 竜王
    • 獲得 1989, 1992, 1994-1995, 2001-2002, 2017年度(7期)
    • 登場 1989-1990, 1992-1996, 2000-2003, 2008, 2010, 2017-2018, 2020年度(16回)
    • 挑戦者決定戦進出 1998, 2014年度(2回)
  • 名人
    • 獲得 1994-1996, 2003, 2008-2010, 2014-2015年度(9期)
    • 登場 1994-1997, 2003-2005, 2008-2016, 2018年度(17回)
  • 王位
    • 獲得 1993-2001, 2004-2006, 2011-2016年度(18期)
    • 登場 1993-2008, 2011-2017年度(23回)
    • 挑戦者決定戦進出 2010, 2018-2019, 2021, 2023年度(5回)
  • 王座
    • 獲得 1992-2010, 2012-2016年度(24期)
    • 登場 1992-2017年度(26回)
  • 棋王
    • 獲得 1990-2001, 2004年度(13期)
    • 登場 1990-2002, 2004-2005, 2007, 2014年度(17回)
    • 挑戦者決定戦進出 2012年度
  • 王将
    • 獲得 1995-2000, 2002, 2004-2008年度(12期)
    • 登場 1994-2009, 2013, 2015, 2022年度(19回)
  • 棋聖
    • 獲得 1993前期-1995, 2000, 2008-2017年度(16期)
    • 登場 1993前期-1996, 2000-2001, 2005, 2008-2018年度(20回)
    • 挑戦者決定戦進出 2006年度

一般棋戦

  • 新人王戦
    • 優勝 1988年度
    • ベスト4 1986年度
  • NHK杯テレビ将棋トーナメント
    • 優勝 1988, 1991, 1995, 1997-1998, 2000, 2008-2011, 2018年度(11回)
    • 準優勝 2003-2004, 2012年度(3回)
    • ベスト4 1990, 1994, 2001, 2005, 2021年度(5回)
  • 全日本プロ将棋トーナメント
    • 優勝 1989, 1991, 1997(3回)
    • ベスト4 1992, 1994-1995(3回)
  • 朝日オープン将棋選手権(準タイトル戦)
    • 獲得 2003-2006年度(4期)、登場5回
    • 挑戦者決定戦進出 2002年度
  • 朝日杯将棋オープン戦
    • 優勝 2009, 2011, 2013-2015年度(5回)
    • 準優勝 2010年度
    • ベスト4 2007, 2012, 2017年度(3回)
  • 銀河戦(1999年度まで非公式戦)
    • 優勝 1997-1998, 2000-2001, 2004, 2006, 2012年度(7回)
    • 準優勝 2002, 2017年度(2回)
  • 将棋日本シリーズ
    • 優勝 1991, 1998, 2003, 2010-2011年度(5回)
    • 準優勝 1999, 2001, 2012-2014年度(5回)
  • 達人戦立川立飛杯 優勝 2023年度
他多数

その他

  • 小学生将棋名人戦(アマチュア時代) 優勝 1982年度
  • 富士通杯達人戦(非公式戦)
    • 優勝 2011-2012年度(2回)
    • 準優勝 2013年度
  • ABEMAトーナメント(非公式戦) ベスト4 2018年度
他多数

主な記録(※2023年11月現在)

  • 通算獲得タイトル数 99期(歴代1位)
  • 一冠以上タイトル保持 - 27年9ヶ月
  • 同一タイトル連続・通算保持 - 連続19期・通算24期(どちらも王座)
  • 同一タイトル連勝 - 19連勝(王座)、6期連続のストレート防衛も歴代1位。
ちなみに通算で七タイトルを経験しているのは羽生と中原誠、谷川浩司、藤井聡太の4名。
  • 最多永世称号獲得 - 8(永世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世棋聖、永世王将、永世竜王、名誉NHK杯)
ちなみに王位と棋王は2回、棋聖は3回、王座は4回取得条件を満たしている。
あと名誉NHK杯を獲得しているのは羽生のみである。
言うまでもなく史上唯一*5
  • A級順位戦全勝 - 第70期(2011年度)で達成。
  • 最年少最優秀棋士賞 - 18歳
  • 最年少NHK杯優勝 - 18歳
  • 年度最多勝利 - 68勝
  • 年度最多対局 - 89局
  • 年度記録4部門賞独占(最多対局、最多勝利、勝率1位、連勝) - 4回(複数回独占は史上唯一
  • 最多最優秀棋士賞 22回(2017年度まで)
  • 連続年度複数冠 - 26年
  • 年度勝数60勝以上 - 4回(羽生以外の達成者は2人で、しかも2人とも1回のみ)
  • 年度勝率8割以上 - 3回 うち一回は5冠のときに達成している*6
  • 1000勝所要年月最速 - 22年0か月
  • 最年少1000勝 - 37歳2か月23日
  • 1000勝達成時までの最高通算勝率 - .7283 (史上最高勝率)
なお、通算600勝・800勝到達も最速、最年少、最高勝率

通算勝数 1509勝
歴代単独1位 2019年6月4日、大山康晴十五世名人の1433勝を上回り達成。
1500勝は2022年6月に達成。

一般棋戦 46勝
歴代単独1位 2019年2月18日(オンエアは3月17日)、第68回NHK杯テレビ将棋トーナメントで勝利し、大山康晴十五世名人の44勝を上回り達成。
また、獲得賞金・対局料ランキング首位22回(93~96,98~12,14~16)であり、15年連続1位。ここ20年で19回の賞金王である。


その他

有名なコピペ

友A:羽生はどれくらい凄いの?
友B:簡単に言うと日本の将棋には7つのタイトルがある
友A:うん
友B:過去10年間だとのべ70人のタイトルホルダーがいるわけだ
友A:うんうん
友B:その70人のうち半分の35人が羽生だ
友A:( ゚д゚ )

なお、全盛期は46人羽生であった。流石に現在では使えない……と思いきや、
1995年から2014年までの20年間140人のうち72人が羽生である。
1989年から2017年までの28年間199人のうち99人が羽生でもある。
ギリギリで5割切ってしまったのが残念。
しかしこの199戦中133回出場(97防衛戦、36挑戦戦)というのは何かおかしい。


もう一個有名なコピペ
おまえら、もし地球に将棋星人が攻めてきて、向こうの大将と
地球代表が将棋一番勝負で対決し、負けたら植民地にされる
という事態になったら、地球代表は絶対羽生でないとイヤだろ?
深浦でもいいのか?深浦に地球の命運を託せるのか?
羽生をけなしてるやつは地球規模で考えるんだ

これが作られたのが2008年の王位奪還失敗の頃。
当時、羽生キラーだった深浦康市に王位を奪われ、奪還も失敗していた。
この後、苦手を克服して復調した後の圧倒的な強さから
「もう羽生さん自身が将棋星人なんじゃね?」となった。
羽生善治将棋星人説はこれがきっかけ。

なお、深浦康市九段は第76期A級順位戦最終局で空前絶後の6名による名人戦挑戦者決定プレーオフの立役者となり、
地球代表と呼ばれるようになった。

現役棋士のタイトル獲得数TOP10(2024年3月現在)


渡辺 明 31期
谷川浩司 27期
羽生王座 24期
藤井聡太 21期 ←失冠ナシで連続獲得記録更新とか何なの?この将棋星人
羽生王位 18期
羽生棋聖 16期
佐藤康光 13期
羽生棋王 13期
森内俊之 12期
羽生王将 12期

やっぱりなにかおかしい。
Top10に入ってこない羽生竜王(7期)や羽生名人(9期)って弱いんですね。
ちなみに王座の24期は通算獲得タイトル数ランキング6位でもある。

ちなみに他のTop10ネタだと、年間対局数に4人、年間勝数に4人、年間勝率に2人、連勝数に3人羽生さんがいる。
もうわけわからん。

将棋はゲーム

羽生が発した言葉で有名な物に「将棋はゲーム」がある。
そんなの当たり前では?と思うかもしれないが、その真意は将棋が強くなるためには精神論よりも合理的な研究および研究成果の実践・反省の方が大事と言うこと。
羽生が台頭する以前の(プロの)将棋はマインドスポーツと言うより、人間と人間の信念をかけた人生勝負と言う趣が強く、盤上以外でも勝負は繰り広げられて当然と言う価値観が強かった。
この羽生の発言には反発する棋士もいたが、羽生と同世代の棋士が活躍するにつれてその発言が正しかったことが証明されていき現在では常識となっている。

チェス

前述の通り、羽生はチェスを趣味としている。
将棋と同系統のゲームであるからかチェスでも強く、チェスの師匠を教わった日に倒したり、日本一にもなったことがある。
チェスには将棋の6~9段に当たるCandidate Master(日本6人)、FIDE Master(日本8人)、International Master(日本3人)、Grand Master(日本0人)の称号があるが、羽生さんはFIDE Masterを取得済み。
自分の成績にしたがってレートという数字が付くのだが、MAXレートが2405+大会上位2度獲得という実績を持ち、あと一度大会上位に進出するとInternational Master昇格の条件を満たす。
小島慎也(日本で唯一チェスのプロプレーヤー、2018年9月時点でレート2048の日本1位、International Matster保持者)曰く、大会には出ていないが日本一強いチェスプレイヤーは羽生さんとのこと。
特に、2005年10月に行われたイギリス人GM、Peter K Wellとの一局はチェスの定跡を覆したとされ、非常に評価が高い。
2007年までは世界大会にも出ていたが、5月を最後に一切チェス大会に出ていない。

と思ったら2012年3月に行われた全日本チェス選手権大会で単独優勝。ちなみに同日に放送されたNHK杯は羽生が名誉NHK杯を達成した時である。

余談

  • 棋士(奨励会員)は対局と研究で多忙なので人によっては中卒・高校中退する者もいるが羽生は両親の勧めで高校に入学・卒業している。*7
    入学時には既にプロ入りしていたので通えない日も多かったが、試験は将棋で培われた暗記力と集中力を駆使して乗り切っていた。ただ対局過多で出席日数が足りなくなったのか最終的に通信制に転校している。*8
    羽生の母親は後年になって将棋に専念させた方が良かったのではと語っているが、羽生自身は高校に行ったお陰で将棋を嫌いにならずに済んだとの事。

  • 竜王戦の前身である十段戦にも一度だけ出場したことがある。翌年度から竜王戦に発展解消したので羽生にとってはこれが最初で最後の十段戦である。*9

  • 小学生時代に通った八王子将棋クラブは羽生のプロ入り後も阿久津主税、村山慈明、中村太地、甲斐智美などの強豪棋士/女流棋士を輩出したが、道場主の高齢化とビルの建て替えの事情で2018年に営業を終了した。

  • 私生活についてはあまり知られていなかったが、奥様(元女優の畠田理恵)がTwitterを開始したことで一変。
    大の動物好きである彼女のツイートはほぼアヒルとうさぎと犬で埋め尽くされているが、その中で謎だった私生活が僅かながらに見えるように。
    そしてそれを見た中村修九段から「うさぎおじさん」というニックネームを付けられてしまった。
    後に本人もSNSを始めるがInstagramでは本業関連以外だと動物の話が一番多い。

  • 1980年代から現在まで長きに亘って活躍しているわけだが、そのお陰で近年活躍しているフィギュアスケーターの羽生結弦(はにゅう ゆずる)と同時にニュースになり、たまにややこしくなるのはご愛嬌
    「羽生、NHK杯に出場」「羽生、優勝に王手」と見出しされるとどっちの話をしてるんだとややこしくなるのは必至である。

  • その知名度・実績からフィクションでも羽生を基にした将棋棋士のキャラクターは多い。
    例:名探偵コナンに登場する羽田秀吉りゅうおうのおしごと!に登場する名人など
    将棋が題材のドラマでは本人役としてそのまま出演することもある。

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最終更新:2024年03月24日 03:02

*1 「勝てば入門させる」というわけではなく、勝敗関係なく棋力を見るための対局である。

*2 ちなみに対福崎戦はプロ入り後の羽生が登場する最古の対局映像となっている。なお対米長戦の解説は師匠の二上が担当した。

*3 後に1969年に内藤国雄八段(当時)が達成していたことが判明。当時はこれらが表彰対象ではなかった為、見過ごされていたが、2017年度の藤井聡太六段の4部門達成に伴う記録の再調査によって分かった。

*4 この時のNHK杯のベスト4は全員羽生世代である。

*5 NHK杯テレビ将棋トーナメントは8大タイトルと違い前優勝者も他の挑戦者と同じようにトーナメントを勝ち上がる必要があるため、それを通算10回優勝するという名誉資格条件は7大タイトルそれぞれの永世・名誉資格条件よりも難しいとも言われている。

*6 勝率記録は気鋭の若手が下の段位にいる時に記録したものがほとんど。例外は羽生と藤井聡太。

*7 なお、羽生以外の中学生棋士は世代が違いすぎる加藤一二三を除くと、谷川浩司も渡辺明も藤井聡太も中高一貫校を中学受験して、そのまま高校へ持ち上がり。渡辺は当初、大学進学も視野に入れていたが将棋に専念する道を選び、藤井はあっという間に成長したのが災いして高校を中退することになったが。

*8 高校時代の3年間の対局数は54→61→80。3年次の80局は羽生の棋士人生の中でも2000年度の89局に次ぐ2番目に多い年である。

*9 いわゆる「羽生世代」全体でも、十段戦に参加したのはこのときの羽生のみ