アタリ ジャガー

登録日:2019/06/20 Thu 14:12:09
更新日:2023/12/18 Mon 22:11:31
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『Atari Jaguar』は、1993年に米アタリ社が発売した据え置き型ゲーム機。
一応は、PlayStationセガサターンと同じく、第5世代に属する。
米国での販売価格は250ドル。

90年代初めからのビット戦争を経て、TVゲーム業界が新しいステージに移行した次世代ゲーム機戦争を見据えて発売されたが、結果的には一時代を築いた老舗メーカーのアタリを消滅に追い込んだことで知られる。


【概説】

任天堂(Nintendo)がビデオゲーム業界を席巻する以前、ビデオゲームと言えばアタリ(Atari2600)であった。
ゲームカートリッジ交換機能に加えてサードパーティー制度を導入して、ゲーム開発企業の裾野を広げたこの偉大なる第2世代ゲームハードは、家庭用ゲーム機市場を世界で初めて構築しその覇権を握るという功績を残した。

……しかし、会社の急拡大やワーナー傘下入り、そしてそのワーナーによる介入でアタリは迷走を始める。
創業者の解任や、組織の刷新から始まる混乱の中で人気タイトルの劣化移植や粗製乱造された低レベルタイトルの氾濫にやメーカーの迷走が募った結果の、所謂アタリショックによって失墜。
折りしも自社への買収騒動で手が回らなくなっていたワーナーは稼ぎ頭であったアーケード部門の「アタリゲームズ」とハード製造部門の「アタリコープ」に会社を分割する。



アタリ失墜後、信用を無くしていた北米ゲーム市場であるが、日本から上陸した任天堂により数年で賑わいは回復。
北米版ファミコンことN E S(ニンテンドー・エンターテインメント・システム)はその性能の高さと優れたメディア戦略、ライセンス契約を結んだサードパーティーから独占供給される良質なゲームソフトで瞬く間に市場を席捲。
その対抗馬となったのは、やはり日本から上陸したセガであり、据え置き、携帯機、共にこの2つのメーカーがシェアを占めており、今やアタリブランドは過去のものとなっていた。

何とか巻き返しを図るべく投入した次世代機のAtari7800は、根強いブランド力もあって一定のシェアを獲得はしたが任天堂の覇権を覆すには到底至らず、定価50ドルという破格の廉価版ハードとして再投入したAtari2600jrで手軽に遊べる低価格路線を追求して、過去の遺産で食いつなぐ形で何とか命脈を保つことになった。5200?XEGS?知らんな。

そんな先細り必至の惨状に無論手をこまねいていたわけではなく、ゲームボーイの流行に便乗して、いち早くカラー液晶を採用したリンクス(Atari Lynx)を発表。といっても完全自社製ではなくコモドールにソフトを供給していたEpyx社の持ち込み企画なんだが。
これは当時の据置機と同等のCPUであるMOS 6502シリーズや部分的に16bit計算を可能とするカスタムCOMSチップにより高い描画性能を誇っていたのだが、しかし携帯機とは思えない巨大さや、当時のカラー液晶に共通の問題点であった電池の消耗の早さといった多くの問題を抱えたハードだった。

同様の問題はセガのゲームギアも抱えていたものの、業界のセガへの信頼度の高さもあってか北米ではそこそこのセールスを上げており、問題を抱えつつもハードその物は良質であったしソニックは人気者だった。

リンクスの悲劇となったのはハードの優劣そのものよりも殆どサードパーティーが参加しなかったことで、そうした部分でもアタリが既に忘れられたメーカーであることを実感させる。

それでも、アタリがジャガーを発売するに至ったのには理由がある。
日本人にはアタリというと過去のゲームメーカーという印象しかないが、アタリコープというメーカーの主力はゲームよりAtari 400から始まるPCにあったのである。
しかし、90年代初めまでにPC業界はIBMとAppleにシェアを奪われ、PCメーカーとしてもアタリは瀕死となっていたのだった。

……そして、アタリは上記の様に不振と問題の両方を抱えていたゲーム部門に、それでも社運を懸けねばならなかった。

そんな訳で発売されたのがジャガーだったのである。
アタリが売りとしたのは、米国では89年に登場したセガ ジェネシス(メガドライブ)以降、任天堂のSNES(スーパーファミコン)と共に繰り広げていたビット戦争であった。

この16ビットを誇る第4世代ハードは、前世代の8ビットハードに比べて比べ物にならないほどゲームの表現力を豊かなものとした。
そこでユーザーには実際、なんのこっちゃか解らないが取りあえず前より絵は凄いし数が大きい方が凄いんだろう……と、認識された戦いによって、アタリが去った後に北米市場を支配していたNES(ファミリーコンピュータ)をも前時代の物とした。

もはやどれだけ安かろうが8ビット機に居場所はなく、今更16ビット機を送り出してもセガと任天堂の覇権争いに割って入れるわけもない。残る手立ては、ほぼ完成していたとされる16ビット機*1パンサー(Atari Panther)を闇に葬ってでも、ビット戦争を制する高性能ハードをいち早く発売して機先を制する他ないのだ。

そして、その争いも終わりが見えてきた93年にアタリコープが送り出したのがジャガーである。

何とジャガーはビット戦争の次なるステージとなる予定だった32ビットをも越える64ビット級システムを名乗って宣伝された。

宣伝文句は、

「Do the Math」(計算せよ)

……という訳で、現行ハードから4倍、投入予定の新ハードからも2倍という、怪物ハードが市場投入されたのだった。

この、64ビット級システム(●●●●)の発表は、他社メーカーに衝撃を持って向かえられ、強い警戒を持たれた。
特に当時の北米市場にて僅かに任天堂を押さえて首位に立っていたセガは、漸く一番になれた市場を奪われてはたまらんと、次世代機完成前に本機種への対応策を講じ、紆余曲折の末にジェネシスの拡張機器、スーパー32Xを市場に投入する。




そんな訳で、満を持して(?)市場に登場したジャガーであったが、多くのユーザーは同じ疑問を抱くことになった。

……これ、本当に64ビットなの?





















そう、怖いもの見たさで本機を購入してみたユーザーが見たものは、32ビットどころか16ビットマシンで事足りそうな……いや、モノによっては劣っていそうな、凡庸な……場合によってはショボいゲーム画面と構成だった。

当然の様に、人々は64(●●)ビット級システム(●●●●●●●●)に疑問を持ち、結果的にとんでもないことが明らかになるのである。


【正体】

結論から言うと、アタリは嘘をついていた訳ではなかったが、64ビット級というのは受け取りかたが悪かったというのが事実であった。

何のこっちゃだが、理由はジャガーの構造にあった。
まず、ジャガーには本来のゲーム機のビットを決めるメインCPUが存在していなかったのである。
ジャガー内部では、32ビットのチップが三つ存在し、それを64ビットのプロセッサー二つが繋げて、全てが並列動作するという仕様だった。

……何のこっちゃだが、32ビットのチップは合わせて動く訳ではなく、更にどれがメインCPUと言えないようで、一応、起動時にはGPUチップがメインCPUとして働くが、起動後には他のDSPチップも、それぞれがメインとして動くことも可能……という、ことらしい。

全く何のこっちゃだと言いたくなるが、こうした複雑怪奇な設計によってジャガーは16ビットとも32ビットとも64ビットとも言える機器になってしまい、アタリの言う様に64ビットマシンでも、64ビット級マシンでもない、64ビット級システムというのが正しいと判明した訳である。
……確かに本体にも64-BIT INTERACTIVE MULTIMEDIA SYSTEMと書いていて64ビットマシンとは名乗っていなかった(●●●●●●●●●)
ビット競争に踊らされたユーザー側が期待し過ぎたのである。


【売上不振】

そんな訳で、まんまと数字に騙された被害者は……意外と(?)少なくて済んだのだった。

ジャガー本体の公式売上は約25万台とされており、これは売れなかったゲーム機ワースト3位にランク入りしている。

何しろ、当時の新しいゲームの潮流であった3Dポリゴンなんか使った日には前述の複雑怪奇な仕様やカートリッジの容量不足のせいで全く力を発揮出来ずに処理が重くなり、レーシングゲームは低速になる始末であったからだ。

翌94年には、日本でも秋葉原等の極々一部でも販売されたものの3,000台程しか売れなかったと言われている。

期待されていたという割には余り売れていないのでユーザーにも様子見して悩んでいた層が多かったのかも知れないが、まず購入したユーザーからもたらされたのは、前述の様に発売されたソフトが糞つまらなくて、ショボいことであった。

何しろ、ジャガーは前述の様に非常に複雑な構造をしていた為にソフト作りが難しく 、使用されているチップの性能すら活かせないゲームばかりが出来、肝心の内容も当時の他社ハードのゲームと比較して明らかに質が劣るゲームが目立った。

本来はチップだけは搭載しているので64ビット級のグラフィックが見れたかもしれないのに、ソフト開発の難しさからそんな体たらくだった為に、遂には16ビットCPUを四つ載せてるから64ビットと名乗ったんだ等と揶揄されるようになった。

これは、ジャガーを表す事実として語られるが、上記の仕様からも流石にそれは真実ではない。
……が、本当に16ビット機でも可能なようなソフトばかりしか出なかった、というのは事実であり、しかもカートリッジの最大容量もスーファミと同じ6Mバイトと本当に16ビット機並だったのである。

ジャガーの名誉のために付け加えておくと、UBIソフトが放った新規IPのカートゥーン的な世界観が特徴の2Dアクション『Rayman』*2、当時の他ハードよりも移植度の高い『DOOM』*3、往年のアーケードゲーのリミックスverの『Tempest 2000』等良作自体が無かったわけではない。

…しかし、その数少ない良作も、どう考えてもドラッグをキメて作ったとしか思えない『Attack of the Mutant Penguins』、タイトルに反して忍者が3人しかおらず何故かナレーションが板東英二みたいな声の劣化モーコン『KASUMI NINJA』、著しい操作性の悪さを抱えており障害物にぶつかるたびに緑のクソ女が煽ってくる『Cybermorph』等、トンデモ級のクソゲーに埋もれてしまい、マルチ展開されているゲームはすでに十分普及している他ハードの方が当然売れるために、ますます本作向けに特化したゲームを作る必要性も無くなってしまった。

結局、ソフトメーカーも苦悶した結果なのだろう、ジャガーでは67本のソフトしか発売されなかった。
ソフトはカートリッジ式で、上にハンドルが付いていることで知られる。
カートリッジを抜く時には確かに便利なのだが、大人しくカートリッジを押し出すボタンなりが欲しかったという意見の方が圧倒的である。

また、ジャガーのカートリッジ差し込み部分には端子を守る為の蓋が付いておらず、剥き出しなことも不評であった。
後述のジャガーCDにもカートリッジの差し込み部分が付いているが、こっちも剥き出しである。


【コントローラー】

ジャガーのコントローラーは一応はメガドライブ式の手にフィットすることを考えられた曲線を帯びた形状である。
十字ボタンに斜めに配置された3連ボタンと、上部の配置はSEGA GENESISことメガドラのパクりヒットに倣ったと見てもいいだろう。

……しかし、何故か下部にはインテレビジョンやコレコビジョン以来のテンキーが付いており、コントローラーの巨大化を招いている。
テンキーにはソフト毎に付いているシートを嵌めて使用方法を見るという手法まで似ており、新しいんだか古いんだか解らない仕様であった。

当時の格闘ゲームブームに合わせて、やっぱりセガ配置の6ボタンコントローラーも登場したようだが、カプコン格ゲーなんか移植されなかった。
出たのは劣化モーコンや、コマンドが狂ったSAN値直葬レベルの奇怪なオリジナルゲームばかりである。
斜めに配置された三連ボタンのせいで手首を大きく捻る持ち方をしなければならず、コントローラーの下に付いているテンキーを押す必要がある時はその持ち方を止めなければならない……と、とにかく持ち難いコントローラーである。

また、最大の不評ポイントはデザインやら操作性なんかではなく、Dsub方式を採用したコントローラーのコネクト部分のピンヘッドが剥き出しになっているのだが、これが曲がるからなのか何なのか、場合によっては接続が直ぐに抜け易くなることであった。
この現象は、場合によっては出荷時からなのか数少ないユーザーから数多く報告されており「家のどこかでネズミが屁をすると抜ける」と揶揄され、特徴として語られるまでになってしまっている。
後に、IGNによる「史上最悪のコントローラー」の1位に選出されており、3位止まりだった売上とは違い、こちらでは栄光を掴んでいる。


【ジャガーCD】

これまでの通りに、展開途中で既に失敗が明らかになったジャガーだが、何と95年9月21日に生意気にも流行のCD拡張機器が登場した。
その名もジャガーCD!……実際にはプレステもサターンも出ていて、最初からCDだった方が性能が良かったことが知れ渡っていたわけだが。
値段は149.95ドルと、拡張機器としては良心的な価格設定である。

さて、この洋式便所型のブツだが、性能やら対応ゲーム以上に問題となったのは故障の多さだった。
余り出回っていないジャガーよりも更に出回っていない拡張機器なのに、とにかく故障が多いようで某有名レビュアーによってジャガー自体を知ったという人も多いだろうが、初のレビュー時には動くジャガーCDに当たらずに、全ての端子をハンダ付けするという方法でも動かなかった

性能的にはジャガーよりは向上……しているんだろうな、多分という程度のゲームが多く、何よりも僅か15本しか対応ソフトが作られていないので、実際の真価を発揮できているとは言えないかもしれない。


【余談】


  • 本機の不振により、翌96年にアタリコープはハードディスクメーカーのJTSに身売りされることとなり、遂に歴史に幕を下ろすことになった。
    しかし、ゲーム史に多大な功績を70年代には残していたアタリの知的財産はハズブロを経て、99年にフランスのインフォグラムが買収。インフォグラムは00年にAtari SAに改名してアタリブランドを復活させた。
    その後、Atari SAの子会社としてアメリカで存続していたAtari inc.は関連会社のAtari interactive inc.と共に破産法適用をして独立。
    こうして、アタリは再建を目指すこととなった。復活したアタリは2017年に新型ハード『Atari VCS』の2019年末の発売を発表している。これは往年の木目調のデザインも選べる、新しきも古きにも対応したハードになると予告されている。


  • 前述の様に、ジャガーの存在に慌てたセガがサターンの前に別のハードまで出そうかと狼狽し、結局米国法人の主導でスーパー32Xというメガドライブ用拡張機器を投入するも大失敗。
    続くセガサターンの北米市場投入もこの失敗を立て直すどころか判断ミスをやらかし傷を広げてしまう。
    このスーパー32Xを巡るプロモーションの混乱の中で、北米の覇権をギリギリで握っていたセガが市場を失うことになったのはダムが小さな傷から決壊するかの如く事件であった。
    そういう意味では、ジャガーはアタリばかりかセガも殺したハードと言える。


  • なんとジャガーと全く同じ形をした歯科医療器具が存在する。このことから「売れ残ったジャガーを改造した」という都市伝説も生まれたが、実際は「アタリ社がジャガー撤退を決めた後にジャガーの金型を売っぱらった先が歯科医療器具メーカーで、そこで再利用された」というのが真相らしい。実際の売れ残ったジャガーはどうなったのかは誰も知らない。砂漠に埋められたのだろうか?







Where Did You Learn
to Postscript correction?*4


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最終更新:2023年12月18日 22:11

*1 32ビットとも

*2 ただし同時期に出た他機種版のギミックが実装されていなかったり、BGMが酷かったりと、性能の貧弱さが垣間見えている。

*3 ただし内部処理の関係でBGMが全て削除されているという、割と大きい問題点もある

*4 ジャガーで発売されたシューティングゲーム『Sybermorph』に於いて、プレイヤーが死ぬ度に出てくる緑色のハゲ女の台詞『Where Did You Learn to Fly?(何処で操縦を学んだのですか?)』より。非常に不親切なゲームで、直前に障害物が表示される仕様の癖に、更に再スタートが決められたポイントではなく、死んだ直前からのスタートの為に、否応なしにプレイヤーは再び死ぬことになる。その様に、非常に死に易いゲームであるにも関わらずに緑女は律儀に登場してくることがAVGNの動画でネタにされており、現在ではジャガーを象徴する台詞となっている。