29-1(プロ野球)

登録日:2018/11/15 (木) 01:11:45
更新日:2024/03/13 Wed 10:29:41
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29-1とは、2003年8月1日にYahoo!BBスタジアムで行われた、オリックスブルーウェーブ対福岡ダイエーホークス第18回戦のスコア及び試合の別称。

スコア


2003年8月1日 オリックス-ダイエー18回戦 ヤフーBB ダイエー11勝7敗

  • スコアボード
1 2 3 4 5 6 7 8 9
ダイエー 7 8 8 0 0 1 1 0 4 29
オリックス 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1

  • 投手
ダイエー ○杉内(4勝7敗)、寺原-城島
オリックス ●マック鈴木(2勝7敗)、嘉勢、相木、小川、本柳-前田、日高

  • 長打
本塁打 ズレータ5、6、7号、井口18、19号、城島22号、松中16号(ダ)
三塁打 村松(ダ)
二塁打 村松、柴原2、バルデス、城島、井口(ダ) ブラウン(オ)

  • チーム打撃成績
チーム名 安打 三振 四死球 盗塁 失策 残塁
ダイエー 31 1 7 2 0 7
オリックス 5 15 3 0 4 7

  • その他データ
球審
試合時間 3時間44分
観衆 1万7000人


解説


2000年代に生まれたプロ野球のレコード試合。

オリックスはこの年ダイエー相手に20失点以上の負けを4度も繰り返した。
ダイエー打線によるオリックスへの猛攻の中で、最も得点差を付けられ大敗したのがこの試合。
ちなみに、本試合の5日前にもオリックスはダイエーを相手に1試合安打数32安打の日本記録を献上していた。

本試合ではオリックス先発のマック鈴木(ちなみに背番号は「29」)がいきなり捕まり、1アウトも取れず降板。
代わった救援陣も抑えきれず、3回までに23失点というアホみたいな得点ペースでダイエーが猛攻した。
特にフリオ・ズレータはこの試合でホームランを3本も放ち、本塁打成績を荒稼ぎする。
そしてダイエー打線は当然のように先発全員安打も記録した。

4回から後は比較的ダイエー打線のペースが落ち着いたが、ぶっちゃけ勝ち確だったので手を抜いたと見られても仕方ない。
オリックス側の5人目である本柳和也投手が今まで比較すると好投したのもあるが、それでも9回に4失点。
本柳投手は、結果的に投球回数は6回の先発ペースで投げる超ロング敗戦処理の役目を担った。

地味にオリックス側の守備の雑さも目立ち、失策数は4にも及ぶ(谷2失策、大島1失策、ブラウン1失策)。
記録上は失策ではないが実質失策と言いなくなるような動作もあり、オリックス投手陣の大炎上を後押しした。

オリックス打線はと言うと、ダイエー側の先発である杉内俊哉を相手に沈黙。
9回に交代した寺原隼人を相手に、ルーズベルト・ブラウンの二塁打から副島孔太のタイムリーで申し訳程度に1点だけ返した。
プロの意地ではあるが、後に「むしろこの1点が悲惨さのスパイスになっている」との指摘も出ている。

このように、ダイエーは29点のパ・リーグ新記録を樹立して大勝したのだった*1


当時の関係者の反応


当時球場にいたオリックスファンは最初こそヤジを飛ばしまくったが、悲惨すぎて逆に罵声は飛ばなくなったという。

馬鹿勝ちしたにもかかわらず、試合後のダイエーの王貞治監督はあまり笑顔もなく言葉も少なめだった。
その王監督のコメントは「夏の暑い時期に打線に元気が出てきたね」という簡素なコメント。
大勝すぎて特に反省する点も無いので語る部分も少なかったのだろうが、相手への配慮もあったと当時の記者は察している。

同時期、大敗したオリックスのレオン・リー監督は涙目だった模様。
何とか声に出たコメントは、「投手は誇りを持ってもっとタフに投げないとダメなんだ。恥ずかしいよ」。


何故こうなったのか


単刀直入に言うと、当時のオリックスが弱かったからとしか言えない。

オリックスは2000年代になると、イチローを始めとした主力打者が立て続けにメジャーへ流出。
そのため、チームも人員の移動による衰退期に突入していた。

当時オリックスの指揮を務めていた、レオン・リー監督のチーム運営も影響している。
前任の石毛宏典監督時代、チーム全体が極度の貧打に陥った反省から彼の政権下でのオリックスは、前監督の守備力重視路線から攻撃力重視路線へと舵を切り替えた。
野手に関しては打撃力を評価して守備力を軽視したために、壊滅的なファイヤーフォーメーションが完成した。
失策数は最多な上、記録には残らないような危うい守備の動作も目立った。

かと言って、投手は野手に足を引っ張られただけかと言えばそんなことはなく、優秀な投手もいるにはいたが、防御率もワーストを記録した。
当時のダイエー打線は年間チーム打率.297(プロ野球記録)を持ち、オリックス投手陣で戦える訳がない。
結果的に対ダイエー戦の防御率7.92。ダイエー打線が強いことを考慮しても情けない数字か。
この時期のNPBは、飛びやすい「ラビットボール」全盛期ではあったが、言い訳できる要素にはならない。
余談だが、当時オリックスのエースだった川越英隆が当時ダイエーの井口資仁に酒酔いを利用されて配球をリークしていたとの事で、オリックス投手陣がカモにされた一因とされる。

一応フォローしておくと、2003年のオリックスの対ダイエー通算対戦成績は負け越してはいたが、11勝17敗でイメージ程カモにはされていない。


本試合の影響


本試合はNPBを代表する馬鹿試合として有名となった。

現在は、球団合併寸前のブルーウェーブ末期の暗黒時代を象徴する試合として語り継がれる事にもなる。
前述したチーム状況から「1試合だけの偶然の産物」とは言いにくく、ブルーウェーブ末期のチームの弱点の集大成でもあった。
ブルーウェーブ時代からのオリックスファンは、二度とこのような試合は見たくないと未だに思い続けている者が多い。

この試合と7月27日の26失点の影響もあり、オリックスは2003年7月26日から8月3日までに1週間で101失点(週間防御率16点台)。
最終的に1年間で「防御率5.95、927失点、819自責点、被打率.306」を叩き出し、NPBワースト記録を樹立。
2003年オリックス投手陣は、オリックス史及びNPB史における「投手崩壊チーム」の代表例として認知されることになった。

ちなみに、本試合から2年も経たない2005年に、東北楽天ゴールデンイーグルス千葉ロッテマリーンズを相手に26点奪われて敗戦している(「26-0」事件)。
ただし、当時の楽天は球団創立間もないチームだった事から擁護する意見も少なくなく*2、当時楽天の田尾監督も動揺は大きくなかった。
逆に言うと、球団創設直後の楽天でも29失点はできなかった(2003年より試合数が少ないとはいえ年間チーム失点数が100点以上少ない上に防御率も超えられていない)辺り、末期ブルーウェーブの投手陣と守備陣の恐ろしさがよく分かる。






追記・修正は29点取られて炎上してからお願いします。

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最終更新:2024年03月13日 10:29

*1 戦前の1リーグ時代も含めると、1940年(昭15)4月6日の阪急対南海の32-2が日本記録。

*2 チームが末期オリックスと近鉄と言う投壊の象徴とも言える2チームから主力をほぼ引き抜かれた残りで編成されたと言っていいぐらいにチーム力が払底していた