長州力

登録日:2012/09/07 (金) 14:13:27
更新日:2024/01/11 Thu 08:45:19
所要時間:約 7 分で読めます




◆長州力

長州(ちょうしゅう)(りき)」は日本の男性プロレスラー。
1951年12月3日生まれ。70歳。
在日韓国人二世で、旧名は郭光雄(곽광웅、クァク・クァンウン)。
2016年に帰化後の本名(日本名)は吉田光雄(よしだ みつお)で、以前はこちらを旧リングネームとして使用していた。

山口県徳山市(※周南市)出身。
「革命戦士」の異名で知られる80年代の日本マット界の大スターであり、新日本プロレスと全日本プロレスを股にかけて大暴れをした。
また、プロモーター、現場監督として90年代の新日本プロレスを掌握。
新日本プロレスの歴史上、最大の黄金期を呼び込むも90年代後半から00年代中頃までの迷走により新日本プロレスを離れ、数々のトラブルを引き起こす。
現在は一時的に新日本プロレスに戻ったのを経て再び新日本からは距離を置いている。
11年には、長年のライバルであった藤波辰爾のデビュー40周年記念大会にて久しぶりの一騎打ちを行い、共に笑顔で興行を締め括った。


【人物】


小学校時代から柔道に打ち込み、高校にてアマレスに転向。
名門専修大学に進み、ミュンヘン五輪には祖国の韓国代表として出場。
大会後に新日本プロレスにスカウトされたが、同じくミュンヘン五輪を経て全日本プロレスに“就職”したジャンボ鶴田をライバル視していたと云う。

新日本プロレスからはアマレスの実績を買われてエリート待遇を受けており、
デビュー前に後見人でコーチ役であったカール・ゴッチから代名詞となるサソリ固めを授けられて白星デビューを飾っている。

……しかし、ずんぐりとした見た目で手足が短く、腹も出ている長州は観客からの受けが悪く、全く人気が出なかった。

試合の機会は与えられているも、スタン・ハンセンら大型外国人と対戦しては負ける日々を過ごしており、この間に反骨の気骨が磨かれていった。

最強外国人のハンセンが全日本プロレスに引き抜かれると、82年の元旦決戦にて長州はラリアットを初公開。

メキシコ修行を経て見事に日焼けした肉体を手に入れた長州は、Jr.ヘビー級王座を経てアイドル的人気を得ていた藤波との格差を猪木に直訴し抗争を開始する。
※所謂かませ犬発言。

新日本プロレスとの抗争に敗れ、傘下に加えられていた元国際プロレス勢を加えて「維新軍」を設立した長州は藤波のみならず、
団体のトップを狙い猪木にも牙を剥くが牙城を崩し切るまでには至らず、85年にジャパンプロレスを設立すると全日本プロレスに電撃参戦を果たす。
それまではジャイアント馬場が米国から持ち帰ったアメリカンスタイルに基づく、日本人対外国人の大らかな戦いがメインだった全日本マットに日本人対決の面白さと、
めまぐるしくタッチを入れ替えて短時間で勝負を決めるハイスパートレスリングを持ち込み喝采を浴びる。

……馬場からは「シャム猫の喧嘩」、鶴田からは「カラータイマー」と揶揄されたが、第3の男と呼ばれながらも燻っていた天龍源一郎は長州との戦いを通じて覚醒。
この時の経験は後の「天龍革命」、そして長州のファイトスタイルを採り入れた鶴田との「鶴龍対決」の激しさ、更には二人の対決に始まる「四天王プロレス」へと繋がって行く事になる。

尚、全日本時代の長州は間違いなく鶴田、天龍と並ぶ次世代のエース格であった。

この全日本時代には天龍との抗争は勿論、鶴田とのシングル対決も実現させている。
結果は引き分けながら、鶴田が圧倒的なスタミナによる力の差を見せつけた試合として知られるが、
鶴田は自らは動かず長州を動かす試合を心がけていたことや、長州の当時のスタイルとして自ら動かない訳にはいかなかったと云う事も記しておく。

文字通り全日本を席巻した長州だが、87年に新日本プロレスにジャパンプロレス勢と共に電撃復帰。
当時、新日本プロレスでは前田日明率いるUWFと猪木の対立がクローズアップされていたが、
長州は前田のみならず藤波にも呼びかけ「俺達の世代」による改革を訴え喝采を浴びた。

……長州に主導権を握られる事に危機感を覚えた前田が無防備な長州の顔面を蹴り、これを契機にUWF勢が出て行く事件があったものの、88年に長州は猪木に初勝利。

90年を境に猪木が国政に向かい、闘魂三銃士がメインを張るようになると長州は現場監督として新日本を仕切る様になる。
盟友・天龍源一郎との対抗戦やG1クライマックスのブランド化、獣神サンダーライガーを始めとしたJr.勢の活躍など坂口征二社長体制下で黄金期を呼び込む。

95年から始まる対抗戦により憎きUWFの名を引き継ぐUWFインターを消滅させるなど、業界の盟主として新日本の地位を不動のものにする。
98年に引退するが、大仁田厚に挑発されて00年に復活。
しかし、オーナー猪木の肝いりで坂口社長が解任。
総合格闘技への中途半端な接触やエース橋本真也の解雇、武藤敬司の離脱など大混乱の中で新日本を出る。

03年に有力なタニマチと共にWJプロレスを設立し弟子の佐々木健介を引き抜くも、二時代も昔のような俗悪な経営環境の中で団体は崩壊。
健介から資金提供を受けつつも返さない等のトラブルにより師弟関係も崩壊する。

この03年はZERO1を設立していた橋本真也と対抗戦を巡り“コラコラ問答”も引き起こし、ファンと関係者の腹筋を崩壊させた年でもある(ナニコラタココラ)。

05年には新日本プロレスに現場監督として復帰するも、永田ら主力選手には反発もあったと言われている。

蝶野やライガーとレジェンド軍を結成し、重鎮的な立場になるかと思いきや、
棚橋弘至ら新世代が台頭した事により試合その物のクオリティで観客を呼べるようになるとフェードアウト。
その後は新日本プロレスからは距離を置きつつ、多くの団体に参戦して現役を続行。
そして2019年に2度目の引退を表明。引退試合ではかつての付き人である真壁刀義からキングコングニードロップをくらい有終の美を飾ることは出来なかった。


【得意技】


●サソリ固め
この技を流行させた元祖であり、欧州マットの古典技であったこの技を甦らせた。
足が短いので抜群のバランスで決まる。
別名スコーピオンデスロック。

●リキラリアット
革命戦士としての代名詞。
背が低い為にリングを駆け抜けて決めるラリアートを生み出し流行させた。

●バックドロップ
アマレスの瞬発力を活かした高く持ち上げてから鋭角に落とす捻り式の名手として知られる。

●ブレーンバスター
高く持ち上げてから、一気に引きずり落とす様に決める。
凄まじい炸裂音を発する事で有名。

●ストンピング
倒れている相手を片足で踏みつける単純な技。
長州の場合、大きく飛び跳ねて「来いコラ」、「立てコラ」などと相手に渇を入れながら放つ。



【余談】


※11年暮れに妻へのDV問題がニュースになった。

※傲慢で横柄な人物であるとも言われており、現場監督時代は新弟子を自分好みの選手に育て上げ、インディーや学生プロレスを見下していたと言われる。
……この為、同じ在日である前田日明に「あの朝○人野郎」と批判されていた。

※学生プロレス出身者や気に入らない新弟子を辞めさせる為に弟子の健介らにしごきを加える様に命令していたとも囁かれるが、
その当事者と言われる真壁刀義によれば努力する人間には必ずチャンスを与えたとの事。

※入場曲の「パワーホール」はプロレス史に残る名曲として知られるが、作曲者の平沢進(異母犯抄)には全く思い入れが無いらしい。

※長らくメインからは離れていた為、有名になった長州小力の偽物と見られる逆転現象もあったが、家族揃って小力のファンであり感謝しているとの事。

※「相席食堂」では出演するたびに強烈なパワーワードを発して、千鳥のみならず視聴者の腹筋の形を変えてしまう

※2019年12月25日にTwitterを開始するが、ものの3ヶ月程度でパンチドランカーを疑わせるような独特の言い回しによりネット上で話題となる。

長州「追記したいのかコラ、何がやりたいんだコラ」

橋本「うるさいコラ、修正するぞ調子のんなよおっさん」

長州「ナニコラタココラ

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 長州力
  • 長州小力
  • パチスロ化
  • プロレス
  • プロレスラー
  • 新日本プロレス
  • 山口県
  • 周南市
  • 小力じゃないよ
  • キレてないですよ
  • ナニコラタココラ
  • 新人類
  • 有田哲平
  • またぐなよ
  • 井長州力
  • 飛ぶぞ
  • 腹筋破壊兵器
  • 形を変えてしまうぞ
  • 食ってみな、飛ぶぞ

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年01月11日 08:45