ジャガイモ警察

登録日:2018/04/09 Mon 01:54:52
更新日:2024/04/22 Mon 12:59:13
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もしかして?→タマネギ部隊


ジャガイモ警察とは、ファンタジー作品の世界に警笛を鳴らす警察官、いや自警団のことである。

特に異世界モノ小説が氾濫する小説投稿サイト「小説家になろう」で多く見られる。
その歴史は無駄に古く、元祖ハイファンタジー小説である『ホビット冒険』『指輪物語』の頃には既に存在しており、あのトールキン教授の頭を悩ませていたとされる*1

●目次

【はじめに ~ジャガイモの来歴と「中世ヨーロッパ」とは~】

そも、ジャガイモは元々南米原産の作物である。
インカ帝国など中南米では比較的ありふれたものだったが、スペイン人による南米侵略の際にヨーロッパに持ち出された。16世紀のことと推測されている。
だが、この当時のジャガイモは「見知らぬ国の珍しい植物」扱いで、植物学者以外はそもそも存在を知らないものだった。当然、「芋」という食べ物としても扱われていない。
おおよそ17世紀後半頃にようやく救荒作物として徐々に広まっていったが、完全にメジャーな作物となるのは18世紀になってからと考えられている。

そして、中世とは歴史上の時代区分の一つ。
地域や学派によって対象になる期間は様々だが、「中世ヨーロッパ」とは概ね西ローマ帝国の滅亡(西暦476年)から15世紀頃*2までを指す。
15世紀頃に中世が終わってからの時代区分は、ルネサンス期に「今はもはや中世ではない」と感じた当時の人々が考え出した区分である「中世→近代」と、
後世にその区分に限界を感じた学者が創出した「中世→近世→近代」という区分、大きく分けてこの2つの説がある。
現在は後者が主流で、ヨーロッパ史においては16世紀~18世紀の期間は一般的に「近世」と扱われる。

……で、この知識を前提にして、次のような描写を読んでいただきたい。

ここは異世界。生活レベルは概ね中世ヨーロッパ程度。人々の主食は、ジャガイモだ。

この一節に対し、

「中世ヨーロッパにジャガイモはない。この表現は明らかに間違いである」

これだけを見ると事実である事は疑いようもない。
だがこれをわざわざ声高に指摘して回る人々というものが存在し、それを揶揄して「ジャガイモ警察」と呼ぶのである。


【で、何がどう問題なの?】

別にファンタジー世界に「ジャガイモ」を登場させることは間違いではない。
「なんで中世ヨーロッパ風なのにジャガイモが普及しているのか?」を説明すれば、ジャガイモ警察だって納得する。

だが そんな配慮が特にない 作品の方が圧倒的に多いのは事実である。
ぶっちゃけそんな細かい設定まで考えるのは面倒くさい。
そういう作品はジャガイモ警察の格好の餌食となる。
「中南米原産の植物が、大航海時代以前の中世ヨーロッパに普及しているわけがない。これは間違いである」となるわけだ。

いわゆる「面倒くさい読者」の代表例であるが、作者からすると完全に無視するわけにもいかない、対処に困る相手である。
というのも、ジャガイモ警察は(ジャガイモ以外の本命の)設定が綿密な作品や、理論的な解説が多い作品ほど出没しやすい傾向があるためだ。
作り込まれた設定を「作る」「好む」という点で作者読者双方に共通点があり、必然的な親和性があるのである。
逆に言えばあえてちゃらんぽらんになっている設定ではジャガイモ警察は出没しにくい。

もちろん、「読んでいて明らかに矛盾していると判る点」を無視するのも作者の態度としてどうか、という一面はある。
特にリアル寄りなファンタジーを書く場合は「時代考証」という側面もあるので、気にせざるを得ない部分も大きい。
料理や歴史風土をテーマにした作品だったなら指摘される理由としては十分だろうし、細密な設定が売りであればあるほどごくわずかな粗が想像以上に目立つ事があるのも事実だろう。

しかしながら、例えばそれが魔法やダンジョンをテーマにした作品だった場合は?
そこでたった一節、本当にたった一節登場しただけのジャガイモなど「そこどうでもよくない!?」となるのもまた必然である。
この辺はもう「作風と読者の相性」としか言いようがないところもあるが、そこら辺りの説明も 適度に することで、世界観に深みが増すということもあり得るだろう。
「どこまで考え、どこから適当にするか?」というところも作者の個性が光るといえる。


解答例としては以下のような解釈が代表的か。
しかし、解説は多ければ多いほど大量の説明がクドクドと並ぶことになる。
丁寧に書いたつもりが最悪ただの尺稼ぎとしか思われない事もあり、程度はともかくとして妥協も必要であると言える。
何より ジャガイモ警察回避のために根幹の設定を変更するのはそれこそ本末転倒 と言えよう。


◆そもそも歴史が違うんだよ派

同じ地球が舞台だったとしても、中世程度でも既に中南米(向こうの世界における)とも交流ができているという理屈。
既に交流路があり、現実世界で鳥の糞などから植物の種が運ばれるように、ドラゴンや怪鳥によってジャガイモという種が海を越え運ばれ普及している…といった設定も有効だろう。
ただし歴史そのものを作るのは手間も難易度も高いし、わざわざジャガイモ警察対策のためだけに作るのは本末転倒である。

◆ファンタジーだよ派

ファンタジー世界には魔法が存在する事も多く、上記の歴史との組み合わせもしばしばみられる。
技術や人類移動の制約がないためいつ中世入りしても問題ないし、召喚された品種、合成された品種、発掘された品種などなど魔法ならではの手段は多い。

◆異世界から持ち込まれた品種だよ派

主に異世界転移物で見られるパターン。
主人公以前にも異世界人が訪れていたという世界観なら、過去に何かしらの形で現代の物品が持ち込まれて既に普及していたとしても不思議でも何でもない。
作品によってはそれ自体が伏線になっているパターンも。

◆中世じゃなく中世「風」だよ派

中世ヨーロッパ風ファンタジーと同じく近世ヨーロッパ「風」などと敢えてボカす方法。
そもそも特定の時代の文化や風習を全て精通している人などいない。(それこそ歴史学者ですら「全ては分かっていないよ」と言うくらい)、
そのため完全に矛盾しないように描写することは歴史学者であっても困難なので、「風」を付けることは割と大切。
ただ「どこに中世の風味があるんだ?」とツッコミどころを増やす可能性もあるので注意。

派生として「中世」のかわりに「近世」もしくは「近代」と表記する方法もあるのだが、当然ながらこちらもジャガイモ以上のツッコミどころを増やす危険を孕む。
また、「近世」という言葉自体、歴史オタクや歴史の授業を真面目に聞いて覚えている者にとっては常識であっても、一般的なファンタジー読者にとっては「知らない学術用語」でしかなく、直感的に理解してもらえないこともある。その意味では「中世」よりも使いづらい。

◆「その世界におけるジャガイモっぽい植物をジャガイモと訳しているだけ」だよ派

大量にオリジナル名詞を出しても読者が混乱するだけなので、似たようなものは似たようなものに置き換えてしまう。という理屈。
それこそ「主人公がジャガイモだと思っていた」というような主観で片付くので後出しも可能である。
たった一節しただけのどうでもいいジャガイモへのカウンターであれば手っ取いスマートな手法といえよう。
ジャガイモを掘り下げると色々混ざって別の矛盾が生じる可能性が出てくるが、このケースであれば掘り下げる心配もない。

◆細けぇこたぁいいんだよ派

要するに相手にせず無視。
別に歴史モノではないしジャガイモが主役でもないとして相手にしないのも一つの選択肢である。
特に綿密な設定を持たない(設定が必要ない)世界ならなおのこと。
やろうと思えば創作への難癖によくある言語、暦、メートル法など粗探しはいくらでもできてしまうため対策にキリがないというのもあるし、描きたいストーリーに絡まない要素に割く労力ももったいない。
踏み込んで言えば、そうしたツッコミどころをあえて複数放置しておいて分散させる手法もあるし、逆に目を惹くツッコミどころを用意して誘導するテクニックも存在する。

◆そもそも指摘する側の知識不足というケース

少し違うものの一応記載。
例えば、街にガス灯があり機関車があるなど明らかに中世ではない世界観なのに、ジャガイモがあるのはおかしいと指摘してくる。
もしくはジャガイモ以上におかしいツッコミ所をスルーしてジャガイモがあることをおかしいというパターンである。
マウントを取りたいだけということも少なくないので、関わらない方がよい相手である。



【類似例】

◆宇宙で爆発音がするのはおかしい

こちらはSFへの指摘として使われる類語。
ジャガイモが史実を根拠にしているのに対し、こちらは科学や物理を根拠にしただけで根っこは変わらない。
宇宙なのに戦闘機が糸を引く、ビーム剣の鍔迫り合い*3へのツッコミなどのどうでもいい指摘を目にした事のある人も多いだろう。

音に対してはガンダム系の一部の設定では「コンピュータが状況を把握して対応した音を鳴らしている」というものもある。
宇宙で音は伝わらないが、センサー類の情報を音に変換する事でパイロットがより直感的に周囲の状況を把握できるという理屈。現実でも立体音響から得られる情報量を考えれば理にかなった設定といえよう。

他には有名なところでは翻訳の出所の不明な「俺の宇宙では出るんだよ」といった返しも有名だが、
こちらはジョージ・ルーカスが返答したものと誤解される事が多く、しかも実際のニュアンスはかなり異なるので注意。
元とされるインタビューでは「映画には出てこない様々な事象、科学や経済まで作品内のルールとして作り、非現実的でファンタジーな世界にある種の無垢なリアリズムを作り出す」のが本意である。*4
余談だが同インタビューでは制作側もこうして作ったルールに縛られるとも述べており、ジャガイモ警察云々とは別に創作論としても参考になる記事なので興味のある人は目を通しておくと良いだろう。


◆科学技術、文化全般

スパゲッティをフォークで食べる」といった描写も、スパゲッティ用のフォークが開発されたのが18世紀に入ってからである。
中世ヨーロッパではスパゲッティは手づかみで食べていた。

他にも下水道に関しては中世ヨーロッパでは汚物はそのまま道に撒いており、それによって疫病やペストの流行を招き、本格的に下水整備がされたのは産業革命期以降である。
もっとも、汚水を流す下水路は古代ローマなど大昔にも存在してるので、道に撒いていた時代が異常だったとも言えなくもない*5
それに糞尿が道に撒かれているファンタジー世界を描写されても作品自体の魅力を損なうだけだし、最悪作者の頭やら品性やらの心配をされるだけでしかない可能性すらある。
そんなこんなでそういう設定だとしても、敢えて描写する必然性がなければデメリットでしかない。
美少女の糞尿が2階からバラ撒かれるのに興奮する?病院行こうか
ベルサイユのばら』は史実のフランスが舞台なので王侯貴族はお城でゴージャスに暮らしているが、平民は糞尿が道に撒かれている貧民街に暮らしている。
インフラをもっと整備していれば、フランス革命は起きなかったかもしれない……*6

そのほか、同じ時代でも国によってまちまちな文化も多い。
例えば入浴に関しては、キリスト教では場所や時代による違いも大きいが、中世までは入浴を良くないものとしていることが多く*7、特に中世フランスでは水や湯を浴びることは良くないと広く信じられていた模様*8
一方でキリスト教圏内やお風呂の形態に限定しなければ各地に普遍的にあったり、同じ中世ヨーロッパでも場所によっては公共浴場は存続していたり、公共浴場は廃れても個人風呂はある場合もあったりする。
お風呂嫌いのイメージが強い中世フランスでも、マリー・アントワネットは母国のオーストリアで入浴の習慣があったため、久しく使われていなかったらしいヴェルサイユ宮殿のバスタブで入浴しているなど、一概に「この時代・地方にはあった/なかった」といいきれない。
まあこの辺は魔法とかがあればどうにかなる範疇ではあるが。

また表題のジャガイモに関しても、内政型ファンタジーでジャガイモを「麦に替わる万能作物」と評して大々的に栽培推奨する作品が過去に幾つかあった。
しかしこれに関しては将来的に連作障害やシスト線虫病による飢饉を招きかねない*9という農業従事者や歴史好きの疑念の声が有名になったこともあり、最近では見なくなった。

◆医療、衛生観念

現代の様な医療、薬の知識がないのは当然として、病気は運勢や運命、罪などが関わっているなどオカルトじみた考え方が浸透していた。
医術についても解剖学と関連した研究は浸透しておらず、中世ヨーロッパでは占星術と結びついた四体液説(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁のバランスが崩れて病気になるという考え)が主流だった。
それにより、瀉血(体の血を抜くこと)が治療と考えられ、その他にも患者の体に負荷をかけ悪化させる様な、現代から見れば治療にすらなっていないものもあった。
細菌についても発見されたのは17世紀である。
現代の治療や衛生観念をそのまま持ち込むと違和感が出てしまうし、当時の治療を描写すれば現代の知識を持っている人からすれば違和感しかないため、病気や看護の詳細は描写されないことも多い。
病気になった場合は、「○○という薬草(or薬)があれば治る」などぼかされたり、薬だけ描写されることがある。
魔術が存在する世界では治癒魔法や浄化魔法などの分類があるため気にされることはまずない。

◆メートル法

かなり扱いが面倒くさい例。
元々1メートルの定義は「地球の子午線の一千万分の一」だったので 地球以外の世界でメートル法が発達する確率は非常に低い *10
そういう意味ではジャガイモ以上に取り扱い注意だったりする。
オリジナル単位に置き換えてしまう(1m=1○○とするのが楽)のも手だが、これはこれで読者を混乱させて想像しにくくなる。
例えばアニメ『聖戦士ダンバイン』では「メット(m)」、「ルフトン(t)」という元の単位と似た言葉を使っている。
ヤード・ポンド法のフィートを使う」というのも一手。フィートは元々は人の足の大きさに由来する単位であり、「人間型生物が主体である」というだけで概ね共有した感覚で扱える。
ただ、日本じゃフィートを含めたヤードポンド法は珍しくていずれにせよピンと来ないという欠点があるが、だからといって日本古来の尺貫法を使っても分かり辛い問題がetc……
頻繁に必要になるのでもなければ、地の文で○メートル相当などと表記することも多い。
地の文や設定に言及がなくても裏で読者の単位系に翻訳されていると考えるだけで大抵の場合説明がついてしまうので、それほど目くじらを立てる必要はないという考え方もある。

実のところ、『進撃の巨人』ではメートル法が重要な伏線である。

◆時間・暦

「1日は24時間、1年は365日」の方を変えるのはさほど面倒ではないが、「30分」などの正確な単位を作中でどう表すか、となるとこれが厄介である。
そもそも昔はそこまで厳密な時間測定方法が必要とされていなかったので、「大体2時間」ぐらいならまだしも「10分」とか「30分」を作中で矛盾なく表現するのは結構難しい。
また「8月は夏で2月は冬」というのもあくまで地球の北半球の話なので、そのまま異世界に持っていくと違和感が出る。
実際、南半球にあるオーストラリアではサンタクロースはサーフィンして「Ho Ho Ho!」とやってくるし、だからと言って「4月は夏!」のように分かり辛いオリジナル設定を盛り込めばいいというものでもない。
ゲーム『タクティクスオウガ』のように完全オリジナルの月の数え方を使った独自の暦にしてしまうという手もある。
しかしこれも「現実換算で表記しています」などとした方がシンプルで解りやすいことは言うまでもない。

◆マナー

マナーとはその世界の歴史に根差しているものなので、魔法が当たり前に存在する世界では、その辺りの常識も細かく違ってくる可能性がある。
例えばフィンガーボウル。洋食では当たり前のマナーである。
でも、みんなが洗浄魔法を使えるような世界なら、自分で手を洗う方がマナーに沿っているかもしれない
そういうことを考えずに万能な魔法とごく当たり前のヨーロッパ風マナーを混在させると、却って妙な違和感が生まれることもある。

◆言語

そもそも言葉も本来はそれぞれの歴史や文化に基づく物なので、世界が変われば使われる言語にも違いは生じる。
当然ながら日本での創作物の文章は基本的に日本語で書かれている物が殆どだが、実際には異世界の言語による会話を和訳したという形式になっているはずである。
しかしそういった会話に言葉遊び等の最初から日本語でしか成立しない文章が紛れていたら違和感があるかもしれない。
また、個々のことわざや慣用句等も歴史が変わればまったく違う物になっていた可能性は非常に高い。
まあ、あまり拘り過ぎてもグロンギ語の「ファルシのルシがコクーンでパージみたいなのが出来上がるのが関の山なので何事も程々が大切だが。

◆人種

近年にわかに話題になることが増えた類似のケース。オリジナル作品よりは、原作付きの作品を実写化したパターンで指摘されやすい。
原作におけるキャラクターイメージとは全く異なる人種を配役したケースで、特に「中世ヨーロッパ風ファンタジー世界」が舞台のはずの『リトル・マーメイド』や、有史以前のヨーロッパが舞台のはずの『指輪物語』のスピンオフに黒人俳優が配役された事例は賛否が分かれた。「ファンタジーなんだから別に黒人でもいいだろ」は一つの真理ではあるが、原作にそのようなキャラクター設定がないのもまた事実である。
このタイプがややこしいのは、ポリティカル・コレクトネスや原作ブレイク、ホワイトウォッシュ、人種差別など複数の問題が絡んでいて一言で解決するのが極めて困難になっていること。共通して言えるのは、あくまで配役を決めたのは監督その他制作スタッフで、与えられた役を演じているだけの俳優を批判するのは間違っていることぐらいだろう。

◆ Q:先生は幕末のことをしっかり勉強してから作品を描いていますか?陸奥宗光は土佐出身ではないです。

→A:その前に幕末に宇宙人はいません。もっとしっかり勉強したまえ。

フィクション、それもギャグ漫画に考証を求める読者へのウイットに富んだ秀逸な返答として知られるエピソード。
もっとも、これに関しては元々が破天荒な作風のギャグだからこそ許される返答とも言え、シリアスな幕末ドラマで矛盾点を指摘されて「宇宙人の仕業です」と返して許容されるかと言えばやはりNOだろう。
細かい考証を求めていい作品と、それが野暮な作品がある、ということか。

◆ジャガイモ士官

宇宙歴の頃に存在した自由惑星同盟のドーソン大将の蔑称。
軍参謀であった頃に戦艦の調理場のダストシュートを調べ「これだけのジャガイモが無駄に捨ててあった」などと鬱陶しい公表をし、兵士たちを辟易させたという。これだけなら正論主張に見えるが、他のエピソードがイヤミで満ち溢れて彼自身の評判も悪いことから考えると嫌がらせが目的にすぎず改善策なども出してなさそうである。
ある意味では似ているが、単に単語の響きが似ているだけである。



【総論】

色々書いたが、基本的には「フィクションなんだから気にする必要はない」というのが大勢の意見であろう。
そもそも大抵は中世ヨーロッパと似た文化の異世界を舞台にしているだけで、史実の中世ヨーロッパが舞台になっているケースは比較的少ない。
前述のルーカス氏のように「現実ではそうかもしれないがとにかくこの世界ではこうなんです!以上!」と言ってしまえばそれまでの問題でもある。
大抵の人はそれで納得するだろう。

また、ジャガイモに注目して問題視するような読者はごく一部に限られるし、ノンフィクションの料理や歴史漫画やジャガイモがメインの漫画などでもなければ、至極どうでもいい要素である。
「ツッコミが入るから」といって、ただジャガイモやその代替要素の説明を細かく入れたところで、何かあるわけでもない。
せいぜいジャガイモ警察がジャガイモについてつっこめなくなって興味を失う程度である。


【補足】

なお、実際の中世ヨーロッパで主食となっていたものは「麦」である。
概ね、キュケオーンオートミールのポリッジ(麦粥)や、パンとして食べられていた。
パンは小麦を使った現代の白パンを食べられていたのは上流階級だけで、一般市民は荒いふるいのライ麦で作られた黒いパンを食べていた*11
パンは作り置きするため日持ちする様に表面が固く*12スープにつけて食べられていた。

また、衛生環境的に水は好まれず*13ワインビールが飲み物として好まれた。
ただし今私達が飲んでいるようなものを飲めたのは貴族など上流階級の人々だけで、庶民は二搾目、三搾目のほぼアルコールの無い代物だったという。


【さらなる補足】

サブカルでよく出てくる「中世ヨーロッパ」だが、実際の中世ヨーロッパとも全然違う場合がほとんどである。剣と魔法の世界の項目も参照。
この様な世界観はある種の共通認識やシェアワールドの様なものであり、国産RPGの『ドラゴンクエストシリーズ』、『FINAL FANTASYシリーズ』などで培われてきた「ファンタジーの世界観」が「中世ヨーロッパ風」と認識されて広まっていると思われる。
なのでファンタジーが「実際の中世ヨーロッパと違う」のはある種当然と言える。

実際の中世ヨーロッパを再現するとなると、膨大な歴史研究者の論文や研究資料を参照することになるが、そうなると今度は「ファンタジーの世界観」と全然違うことになり読者の共通認識とずれる話になる。
そうなれば話自体に共感されづらくなり、小説ではなく単なる歴史書になる。




追記・修正警察だ!

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最終更新:2024年04月22日 12:59

*1 ただし設定上、「中つ国」は太古のヨーロッパそのもので、「なんで大昔のヨーロッパにジャガイモとトマトがあるんだよ」との疑問を呈されるのは仕方ない面もある。著者のトールキンは時代考証の鬼としても知られるだけに、ジャガイモと紅茶が同氏の作品中に存在することはその数少ないミスといえる。それほどまでにジャガイモと紅茶がイギリス文化に根差していたことの表れとも取れる。

*2 中世の終わりをいつにするかは様々な意見があるが、一例としては西ローマ帝国の滅亡と対置して、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が滅亡した1453年を中世の終わった年とする場合がある。

*3 現在では磁場によるものという設定がある。

*4 英文は「The Mythology of ‘Star Wars’ with George Lucas」を参照。

*5 こうなったのは中世諸国はローマ帝国ほどインフラ管理を行える国力が無かったことが大きいので、インフラ維持が可能な安定した国力の有る国家なら問題ないと思われる。

*6 フランス革命は1789年に起きているため中世の出来事ではない。

*7 入浴マナーが衰退してニャンニャンする者などが増える、それらから逆に伝染病の温床になった可能性も高いなど、衰退するに値する現実的な問題もあるにはあった。

*8 その結果、体臭を消すための香水が発達した。

*9 実際19世紀中盤にアイルランドで発生し、この時多くのアイルランド人が逃げるように渡米した

*10 尤も、北極星に相当する星が有れば、緯度の算出と「緯度1度が増加する北進距離」の計算は可能であり、惑星が球体、最低でも南北方向のカーブが理解されていれば、古代や中世レベルの技術でも子午線の長さは十分に算出可能である。

*11アルプスの少女ハイジ』が良い例。

*12 言うまでもなくフランスパンの先祖。

*13 これまた古代ローマ時代に上水道が完備されていた時代は普通に水も飲めていた。それ以降は今から100年ほど前までは煮沸した水以外は飲めるものではなかった。例えばイギリス紅茶が庶民にも広まったのは、不衛生な産業革命期の都市部では生水が飲めないために煮沸して紅茶で香りづけしたうえで上で飲む必要があったからだという説もある。