羅生門(小説)

登録日:2018/02/06 Tue 00:03:27
更新日:2023/05/22 Mon 00:02:25
所要時間:約 5 分で読めます



「羅生門」は芥川龍之介の短編小説である。高校の現代文などで取り上げられることもあるので、彼の小説では比較的知名度・認知度の高い作品である。

悪に染まらずに死ぬか、生き残る為に悪を行うかを考える男の様を通して人間のエゴイズムを克明に描いている。
ベースとなった作品は「今昔物語」の本朝世俗部巻二十九「羅城門登上層見死人盗人語第十八」であり、それに同巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を加えた、ある種の古典のリメイクともいえる作品である。

上の文を見て「羅生門じゃなくて羅城門?」と思った人もいるかもしれないが、この羅生門のモデルになっているのは朱雀大路の南橋にある平安京正門「羅城門」である*1。しかし当の門は羅生門と表記されることも多かった為、この様になされたのだと思われる。




【あらすじ】(未読の方はネタバレ注意!)


数年の間に地震・辻風*2・火事・飢饉といった災害が続き、京都の町は荒廃していた。
それは町中にある羅生門も例外ではなく、荒廃していく過程で狐狸や盗人の住処と変化し、現在では引き取り手のない死体を遺棄する場所になり果てていた。

そんな羅生門の下で雨宿りをする下人。彼は数日前に長年に渡り仕えてきた主人に暇を出されて行く先もなく、この雨が止んだ後にはどうするというあてもなかった。


彼に想像できる選択は2つ。どうも出来ずに餓死するか、盗人になって生き延びるか……。
しかし下人は何度もそう思いながら、盗人になる「勇気」がどうしても生まれなかったのだった。

やがて夕暮れから夜へと時間は進み、下人は今日の夜を何とか寒さをしのいで眠れる場所を求めて羅生門にかかっていた梯子から、楼の上へ登っていく事にした。


(どうせ中には死体しかないだろう)


そう彼は思っていたが、いざ梯子を上っていると、楼の中に蝋燭の明かりがある事に気が付いた。やがて楼の上に辿り着くと、噂通り男女の様々な死体が無造作に捨てられており、その死体が放つ臭気が辺り一面に立ち込めていた。

しかし同時に下人が見た明かりの正体も分かった。檜皮色の着物を着た、背が低く痩せこけた老婆がとある女の死体を見、やがて彼女の長い毛を一本ずつ抜き始めたのだ。

恐怖と好奇心に駆られた下人はその様子を観察していたが、老婆が髪を抜き始めたのを見て、老婆、さらに言えばこの世の悪全てを憎悪する気持ちに駆られた。
恐らく先ほどの選択2つを考えさせたら「餓死」を迷わず選択し、「盗人」の事など考えもしないだろうと感じられるほどに。


彼女の行為を「悪」と断定した下人は老婆に襲いかかった。当然老婆は驚いて逃げたが、骨と皮ばかりの体で何かが出来るはずもなく、あっという間に下人に捕まった。


己は検非違使の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。


自分の意思次第でこの老婆を生かしも殺しも出来ると悟った下人は、憎しみが消えて悪を討ったような満足感を覚えながらなぜ死体の髪を抜くのかを問うと、老婆はこの様な旨を返し始めた。


この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしようと思うたのじゃ。

成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。
現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣*3へ売りに往んだわ。
疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。

わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。
されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。
じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。


始めは老婆の所業の理由の平凡さに失望していた下人だったが、彼女の話を聞く内に先ほどの門の下では欠けていた、そして老婆に対して抱いた怒りのそれとは全く反対に働く「勇気」が湧いてくる事に気がついた。
この時には既に彼の中で「餓死」といった選択肢はもう考えることが出来ずに思考の外へ放り出されてしまうほどに無意味なものと化していた。


きっと、そうか。


自分の「勇気」を確かめる様に呟いた下人は


では己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。


と、老婆から着物を無理矢理奪って楼から降りていった。


老婆はしばらく死んだように倒れていた後、楼から門の下を覗いたものの、そこにはただ黒洞々たる夜があるばかりであった。


下人の行方は、誰も知らない。








【余談】
  • 2つの話を1つにした以外、全体的な流れは今昔物語と変わりがなく、話の結末も同じである。しかし、心情描写を加えたり細かい動きを加えたりして内容を大きく増やし、不気味さやエゴイズムと言った要素を加えている。

  • 今でこそ有名な「下人の行方は、誰も知らない。」という結びの一文だが、実はこの結びは改稿されて行くうちに変化した文章であり、初稿にあたる1915年の「帝国文学」に掲載されたこの作品は「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」と下人のその後が具体的に明示されていた。

    1917年に阿蘭陀書房から出版された第1短編集「羅生門」で「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」という微改変を受けた後に、1918年に春陽堂から出版された短編集「鼻」以降は現在の結びになった。

  • 1950年に黒澤明監督によって映画「羅生門」が制作されたが、ベースになっているのはこの作品ではなく「藪の中」であり、この作品の要素は「話の舞台」「下人の引剥」ぐらいしか出てこない。しかし、小説を読んでいるとこの下人の後日談がこの映画での様にも思えてくる結果になっている。

  • この作品の発表後に作られた「偸盗」はこの作品と世界観がかなり近く、またこちらにも羅生門が登場する(使用用途は異なっているが)。もっともこの作品も今昔物語から着想を得た作品であるので、ある意味では似ているのは必然といえるのかもしれない。

  • 2007年に「マンガで読破」からこの作品及び上述した「藪の中」・「偸盗」がコミカライズされて収録されているが、オリジナル設定として下人は「藪の中」に出てくる多襄丸(自分が男を殺したと主張する盗人)、老婆は「偸盗」に出てくる猪熊のお婆(作中で多くの男を魅了する女・沙金の実母)となっている。

  • 2020年にははてなダイアリーで発表されたパロディ小説「クソデカ羅生門」が人気を博した。



追記・修正は極限状況で「勇気」を天秤にかけて餓死盗人かを選択しながらお願いします。


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最終更新:2023年05月22日 00:02

*1 読みも「らじょうもん/らせいもん」

*2 竜巻のこと

*3 太刀帯とは東宮坊(皇太子に仕えてその事務をする所)の警備に当たった役人。太刀帯の陣とはその詰め所