ジョゼフ・フェルディナン・シュヴァル

登録日:2017/4/14 (金) 15:49:00
更新日:2023/09/27 Wed 14:49:37
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ジョゼフ・フェルディナン・シュヴァル(1836~1924)とは、フランスの郵便配達員である。
ついでに、20世紀を代表するアウトサイダーアーティストでもある。





まずは「シュヴァルの理想宮」というワードで画像を検索してみてほしい。話はそれからである。






……おわかりいただけただろうか。
まるで東南アジアの寺院と中南米の遺跡と初期キリスト教教会を足して円周率で割ったような、壮麗にして異様な姿。
大胆に曲線を取り入れていたり、よくわからないオブジェが至る所にくっついていたり、フランス語の文章が至る所に刻まれていたり、
カエサルとウェルキンゲトリクスとアルキメデスというイマイチコンセプトのわからない3人の偉人の像があったりと、カオスと調和が同居したかのような奇景である。
ピカソが興味を持ったというのも頷けるだろう。


だが真に驚くべきは、この城がたった一人の男の手によって、趣味として作られたということである。



シュヴァルの生涯



シュヴァルはフランスの小村シャルム=シュル=エルバスに生を受けた。
学歴は小学校しか出ておらず、13歳からパン職人として働き始める。
同じ村出身の女性と結婚し、1864年に長男が生まれるが早逝。
なお、1860年前後に一時失踪していたことがあり、この間の事跡は不明である。
次男シリルが生まれた後、より安定した収入を求めて郵便配達員に転職するが、1873年には妻を亡くす。
1878年にオートリーヴに転勤して以降はそこを終の住処とし、更にマリという女性と再婚した。
翌年には娘アリスが生まれる。

その後、アリス、シリル、マリには次々と先立たれたものの、平凡な郵便配達員としてしっかり勤め上げ、1896年に退職。
市民革命、クリミア戦争、普仏戦争、パリ・コミューン、第一次世界大戦といったこの時代のフランスにおける歴史的事件には全く関わることがないまま、1924年に世を去った。










以上がシュヴァルの「表向き」の生涯の全貌である。
しかし、この人物の真骨頂は生涯の「裏」の面、本業ではない余暇活動にこそある。





シュヴァルの理想宮



郵便配達員として来る日も来る日も長距離を歩き続けていたシュヴァル。
仕事柄話し相手もロクにいなかったこともあってか、いつからか歩きながら、時間潰しにある妄想に耽るようになる。



「もし俺が城を建てるとしたらどんなのにするかな……大きさはまあこれくらいは欲しいだろ……間取りも……あとかっこいい彫刻とかやっぱ必須だよな……
お気に入りの歴史上の英雄の巨像とかいいよな……あと、俺の考えた最強の詩を天井とかに刻んで、と……あとで自由帳に書いとこ」




どう見ても厨二病です。本当にありがとうございました。



まあ、シュヴァルもこんな妄想がアレなことは十分わかっていたようで、他人には絶対に話さなかった。


ここまでならまあ普通のオタクなのだが、これを妄想のままで終わらせなかったところがシュヴァルの偉大かつアレなところである。
43歳(1879年)の時に重大な転機が訪れる。
ある日、仕事中に石に躓きかけて転びそうになる。思わずその石を手に取ってみたシュヴァル、

「……これこそまさに俺が求めていた形状!!」

と思ったらしく、その石を持ち帰り、さらに石のコレクションを始める。
なんだかニュートンの林檎を彷彿とさせる出来すぎた話であるが、とにかくどういうわけか彼の脳内で、「俺の城」と奇石のコレクションが結びついてしまったらしい。


これ以後、シュヴァルは仕事中に集めた石を、夜な夜な空き地に積み上げて『俺の城』の建設を開始した。

彼は小卒のため「建築や工学、美術の知識など全くなかったはずなのに、どうしてこれだけのものを作れたのか?」という疑問を持つ人も多いと思われるが、
当時の田舎の一般人の多くは農場や家を作る技術を持っていたという。
とはいえ、その壮大なる妄想の具現化を実行に移してしまったのが、この人物の凄まじいところである。

しかし、脳内城で満足していた間はともかく、実際に建設を始めてしまっては隠し通せるものではない。

「これは俺の城」「これは俺の城」とか言いながら石を集めて積み上げていくシュヴァルの姿に、村人たちは

「流石にあれは引くわー」
「変わり者だとは思ってたが、とうとう……」
「俺城厨乙wwww」

と散々バカにした。
家族ももちろん「あんた勘弁してよ」と文句タラタラ。
終いには上司からも

「まあ、村人との信頼関係とか色々あるから、ね?」

と苦言を呈したが、シュヴァルは一向に怯まなかった。
上司も「仕事のほうをちゃんとやってくれてるんだし」と思ったのか、それ以降もシュヴァルを解雇するようなことはしなかった。


そんなこんなで、外装だけで20年を費やし、さらにもう13年ほどかけて遂に理想の『俺の城』を完成させた。
実に33年に及ぶ孤独で地道な作業である。
うん、敢えて言おう、バカ(褒め言葉)


問題はこの城を一体何に使うつもりだったのかということだが、もともと移り住むつもりでは無かったようである。
妻のマリが死去して以降は、この城を自分たち夫婦の墓にしようとしていたらしいが、流石にこれは村人や教会の猛反対に遭い、法律的にも不可能だった。
そこで、もう8年ほどかけて墓地に『俺の城』のミニチュア版を作り、そこを自分たち夫婦の墓所とした。
その2年後に死去。まさに誰にも真似できない生涯を送った男であった。



その後のシュヴァルの理想宮


その後、シュヴァルが半生をかけて建築した城は行政から「建築基準法違反だ!!」と訴えられたり、地元住民から「安全性に疑問」などと苦情を寄せられたりすることもなく、現在まで残っている。
1969年にはなんとフランスにより国の文化財として登録された。
日曜大工で作った妄想の具現が文化財に指定された人物など、他にはそうそういないだろう。

現在ではオートリーブのほぼ唯一の観光名所となっており、ほぼ通年一般公開されて多くの人の目を楽しませている。





家族は大変だったかもしれないが、脳内妄想を独力で実現してしまった行動力と妄想力は、現代のアニヲタにも多分に勇気を与えてくれると言うべきだろう。








追記・修正は脳内嫁を独力で現実世界に作ってからお願いします。






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最終更新:2023年09月27日 14:49