今川氏真

登録日:2009/06/27 Sat 13:00:05
更新日:2024/02/20 Tue 22:20:36
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今川(いまがわ)氏真(うじざね)とは日本戦国武将


概要

1538?-1615

室町幕府将軍職の継承権をも有する、第一級の名門・今川家一族の本流かつ、いち早く守護大名から戦国大名へと脱皮し海道一の弓取りと呼ばれた今川義元の実子で、
和歌や蹴鞠など文化面の他、武芸も秀でていた。
天皇編纂の和歌集に名を連ね、蹴鞠は信長に見たいと言わせる程の実力で、剣術は塚原卜伝から教えを受け弟子入りしており、
仙台藩の剣術「今川流」の開祖は氏真ではないのか?と推測される程の実力だったとされる。なかなかの武闘派。
(ただし根拠はなく、駿河今川氏庶流の人物(氏真とは無関係)が編み出したという説もある)


父の、そして今川家滅亡

1560年に起きた「桶狭間の戦い」で不運にも織田信長軍により義元が戦死、嫡男であり後継が内定していた氏真が今川家当主となる。
が、桶狭間では義元の他にも重臣や国人が多数討ち死にしていた上、度重なる出兵で領国は疲弊していたため、
この機に乗じて松平元康(後の徳川家康)等、離反する家臣や国人が続出*1して紛争などが頻発し、国内は荒れ始める。
氏真はこの領国内の動揺を鎮めるべく、楽市を実施したり徳政令を出すなど尽力するが、完全に動揺を鎮めることは出来なかった

また、氏真は動揺する組織を引き締めるため「人質を集める」「敵対した武士団が出していた人質を処刑する」「動きの怪しい幹部や、降伏した元部下を処刑する」などと強攻策に走るが、これらは却って人心を失うこととなった。
1562年、氏真は自ら兵を率いて三河に攻め込むが、松平元康に敗れて撤退。ますます「弱い」と認識される。
1564年には「松平家康を討伐する」との名目で大規模な徴税・徴兵を行いながら、その軍事力や資金力を家康に向けずに北条氏からの援軍要請に使ってしまったと言う事件も起こす。
家康の足下にも反抗的な武士団はおり、氏真が家康を攻める動きに期待していたようだが、それが先送り・不発になった(しかも今川家とは直接関係ない北条家への援軍を優先する)ことで、今川家の武士団は「やる気あるのか」、三河の親今川武士団からは「我々は見限られたか」と双方から失望され、三河における影響力を戦わずして失うことになった。

こうした今川の動揺を見逃さなかった武田晴信は今川家との同盟を破棄。
これに氏真は北条家との結びつきを強めた他、上杉家と同盟を結び対抗するが、武田はさらに織田・徳川と同盟を結び、争乱に乗じて駿河へ侵攻を始める。
氏真はこの迎撃に出るが国人衆の寝返りにより敗走、遠江も徳川の侵攻を受けていたため氏真は掛川城に籠城する。
家臣の奮戦、北条家の援軍もあり半年持ちこたえるが、1569年、氏真は部下たちの助命を条件に遂に開城。
この際、氏真、家康、北条氏康の間で、駿河を武田から取り返した暁には氏真や彼の子孫の領国とする盟約を結び、氏真は家康と和睦するが、
結局この盟約は守られず、氏真もその子孫も駿河国主に返り咲くことはなかったため、事実上この開城をもって、戦国大名としての今川氏は滅亡したと言える。

なお、開城前に今川家臣として堀江城を守って奮戦していた大沢基胤が、氏真に「奮戦してきたがもうもたない」として、徳川家への降伏の許可を求めているが、
氏真は現状を顧みてそれを許可し、「今までよく仕えてくれた」という感謝の念を伝えている。
降伏した基胤は徳川家から堀江城主としての地位を安堵され、以降は徳川家の家臣として働くこととなった。


流浪の果てに

開城後は妻の早川殿の伝手を頼って北条家に居候して武田との抗争を続けるが、この際に氏康の嫡男である国王丸(後の北条氏直)を猶子とし、
今川家の家督を国王丸に譲らされているため、以降の氏真の身分は当主の座を譲った「隠居」という扱いになっている。

1571年に義父の氏康が死去すると、北条家は方針を転換して武田家と手を結び、関係が悪化した氏真は家康の庇護下に入ることに。
その後は京都に遊びに行ったり、長篠の戦いに徳川軍として参戦して手柄を立てたり、
武田家の城を攻め落としてその城主を任されるも、理由は不明ながら1年足らずで解任されたり(城主の地位に留まっていた説もある)、
やがて武田氏が滅亡すると、信長に家康を通して「駿河くれよ」と頼み、一蹴されて命の危険を感じて逃亡するなど、
割とやりたい放題している*2

晩年は早川殿と京都に住み、和歌を詠んだり蹴鞠を披露したりして過ごし、
その後高家として駿河に500石を安堵され江戸に移住。
この頃には既に豊臣秀吉は亡くなり、彼亡き後の豊臣政権下で家康は事実上の天下人となっていたが、
氏真はそんな家康に気後れするどころか、友達感覚で彼のもとにしょっちゅう遊びに行っている。
あまりに頻繁に遊びに来る氏真に辟易した家康に、江戸城から少し遠い品川に引っ越すよう言われたほどだが、
それでも氏真を(精神的には)遠ざけたりはしなかった辺り、家康にとって氏真という存在は、
若い頃と同じように気軽に話せる、得難い友人であったのだろう。

そんな晩年を過ごした氏真は、1613年に長く連れ添った早川殿が他界すると、自らも1615年に享年77歳でこの世を去った。

辞世の句は、

「なかなかに 世にも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の咎にして」
「 悔しとも うら山し共 思はねど 我世にかはる 世の姿かなて」

大名としては不運続きの人生であったが、彼はそれを時代や人のせいにはしなかった。
もはや悟りの領域にあったのかもしれない。

人物評価

桶狭間で圧倒的兵力差を覆されて敗北した父の義元と共に、父から継いだ大名としての駿河今川家を滅ぼした無能な後継者として、長年暗愚な大名として扱われてきた。
しかし近年では今川家が滅亡に至った主要因として、義元が行った合戦による領国の疲弊と、その義元と主要な家臣が桶狭間で討ち死にするという緊急事態が重なったことで、
今川家に見切りを付けた家臣たちが次々と離反したという、氏真と関係ない部分での悪状況がこれでもかとばかりに合わさったせいであるとの見方が有力となりつつある。
確かに氏真の指導力不足も要因の一つと言えるかもしれないが、だからといって彼の才覚や当主としての力量だけに責任があるとは到底言い切れないとして、
彼を暗愚な大名とする根拠になっていた「己の力不足(だけ)が原因で家を滅亡させた後継者」という評が見直されると共に、彼自身を再評価する動きも出てきている。

蹴鞠や和歌に明け暮れていたことを氏真を暗愚とする根拠として槍玉に上げられることもあるが、
両方とも当時の武家にとっては嗜みとされるものであり、ただの遊びではなかったという点も考慮すべきであろう。

また、卓越した政治手腕こそ無いものの、剣術、蹴鞠、和歌に発揮された才覚は勿論、公家の作法にも通じ、
個人としては非凡かつ多彩な才能の持ち主だったとして評価されることも多く、信長や家康の外交官として貴族との折衝役を務めていたのではないかとする説もある。


肝心の武将としても、残った忠臣を束ね籠城戦を長期間耐え抜いたり長篠合戦に参陣したりと、それなりの健闘は見せてはいる。

もっとも、組織の引き締めとは言え人質や幹部を粛清して恐怖政治を敷いてしまったり、自ら兵を率いて出陣すれば家康に敗れたり、家康を討つため徴税を行い傘下武士団に負担を掛けながら北条家の援軍に向かってしまったりと、氏真自身が人望を失い政略的な判断ミスを多く重ねたことも事実ではある。

あくまでなによりも戦の強さや配下を束ねるカリスマ性が求められる戦国大名という立場が合わなかっただけで、生まれが違えば優秀な人材として名を馳せていたかもしれない。
また晩年好き放題して妻と天寿を全うし、結局今川一族も高家として明治まで存続するなど、なんだかんだで勝ち組でもある。*3
なお、忠臣蔵で有名な吉良上野介も彼の子孫の一人である。

信長の野望など歴史物では三國志でいう劉禅ポジションの一角。
武田勝頼などと共に「名家を潰した暗愚」という烙印を押されていた。
が、最近は再評価されたのか、政治能力が年々高まってきている。

長年、不遇な位置付けに甘んじてきた彼だが、とうとう再評価の波がやってきた…かもしれない。

戦国のファンタジスタ・氏真の明日はどっちだ!?


各媒体での扱い


◆戦国大戦 1560~尾張の風雲児~
今川家のRカードとして登場。数値上は武力統率ともに1、兵種も何ら特徴のない足軽、とこちらも三国志大戦の劉禅のようなスペック。レアリティだけRと高い。
武力統率値を横に並べれば「11」、何故か描かれている背番号も11、蹴っている蹴鞠はサッカーボールで
履いているのはスパイクと完全に出るゲームを間違えている。
特技もなく完全にネタカードかと思われたが、特筆すべきはその計略である。
計略の蹴鞠シュートは、敵部隊を遠くに弾き飛ばす、というもの。これだけ聞けば何が凄いのかわからないだろう。
アクションゲームで相手に回避の余地を与えず敵の移動を強制させる、というのは見た目以上に強力で、
必要士気も軽めなため役に立つ場面は多く、彼を愛用するプレイヤーはなかなかに多い。
ちなみに息子もサッカー一筋で、こっちは敵部隊を城門に蹴り込めると攻城ゲージを削れる超蹴鞠シュートを引っ提げている。

一応言っておくが蹴鞠は「鞠を落としたら負けなので受ける側が落とさないように気遣ったパスをし続ける」というスポーツである。


◆英傑大戦
相変わらずの蹴鞠。背番号は10に変わったがステータスは相変わらず。敵を敵に当てたら追加ダメージ…ってボウリングか何か?
コラボ先が色々あるおかげで、おかしなことが出来る。
「何?俺だけ立体起動で敵に接近しろと?アイツの周りは更地だぞ、計略を使っても上手く活かせねえ」「いいや、ちょうどいい高さに球を蹴り上げてくれる奴がいるだろう?」
「アンカーが刺さった相手を氏真くんがシュート!リヴァイくんに!決まったー!ゴーーーール!!」
「いやー固まっているディフェンスをリヴァイくんが切り裂いていくような見事なゴールでしたねー」「そうですねー」
獣の野郎が野球ならこっちはサッカーだ!「今日はまた随分とデケー月が出てんな」


殿といっしょ
ハンサムな顔立ちだが、美女と蹴鞠が大好きなロクデナシ息子。
運動神経が異常に優れており、時代が時代ならファンタジスタかはたまたウッズか…いずれにしても億万長者間違いなし。
優れた人物の「ニオイ」を嗅ぎ分ける術に長けており、それ故に父親を全くと言っていいほど尊敬しておらず、
「あんなにモテなくてブサイクなんだからボクは養子だろ」などと真顔で言い放つ始末。
濃姫を「戦国美女100選」に掲載しており、その夫である信長に嫉妬している。
話し上手で、甲信駿三国同盟の時には武田信玄の娘を口説き落とした。


信長の忍び
バカ。両目が3の字で常に鼻水を垂らした蹴鞠バカ。
「なぜあの父親からここまでアホウな息子が」などと地の文にまで書かれている。
義元が上洛を焦ったのは後継者が残念だったからとも。
とはいえ、その後うまいこと諸勢力を渡り歩き、江戸時代までいい身分で生きていたことについては「ある意味すごい人物」と評価されている。


◆戦国恋姫
今川『鞠』氏真。本編中では専ら『鞠』と呼ばれる。
カラフルな着物と鞠の形をした髪飾りが特徴的な、ピンク髪の少女。ロリ枠。
天真爛漫な性格だが、良家の子女らしく礼儀作法は完璧で、剣術の腕前も大人顔負け。人間離れした『勘』も持つ。
また、無邪気な振る舞いが多いが頭は良く、時折自分の代で今川が滅んだことを気に病んでアンニュイな表情を浮かべることもある。
総じて、『才覚はあったものの時勢に恵まれなかった不運の跡取り』という、最近の作品らしく再評価されてきた氏真像がベースとなっているキャラクター。


大河ドラマ おんな城主直虎
尾上松也が演じる本作のメインキャラの一人。
主人公、井伊直虎の敵役にして終生の腐れ縁。
家督は譲られながら、事実上の実権は義元に握られたままで、実務経験などを積む前にその父に死なれてしまい、
いきなり当主としての責務を背負わされた上、実権は祖母の寿桂尼に握られて周囲に軽んじられ、
家臣の相次ぐ離反に今川家の滅亡が近いことを悟りつつ、何もできない現状に不満を募らせる、どこか余裕の無い人物として描かれた。
とはいえ、暗愚な後継者として描かれることも、人格に問題のある人物として描かれることもなく、
むしろ根の部分では人が良いと思わせる描写も見られ、総じて乱世の武家の当主向きの人物ではなかったとする描かれ方をされている。
今川家滅亡後は史実通り北条家→徳川家と頼る先を変え、生き延びるために父の仇である信長の面前で蹴鞠を披露するという強かさや*4
その家康の正室である瀬名がその息子の結城信康と共に謀反を疑われた際には、顔馴染みの彼女を救うために北条家と交渉する等、
今川家当主という責務から解放された後は自分に出来ることを生き生きとやる人物となり、直虎とも最終的にはかつての怨恨を超えて和解している。


大河ドラマ どうする家康
家康が主役となる本作では、家康の前半生のキーパーソンである氏真を溝端淳平が演じた。
家康にとっては立場こそ違えど、尊敬する義元に共に教えを受けた友であり、兄のような存在として描かれ、
桶狭間の戦いの後も、離反を勧める周囲に家康は難色を示していたが、松平家を建て直すために離反を決意。
家康の離反を知った氏真は激怒し、家康は心苦しくも「兄」と対決することになるが、既に今川家の衰退・滅びは止められず、
追い詰められた氏真が籠城した懸川城を攻め落とした家康は、死を覚悟する氏真に涙ながらに「生きてくれ」と懇願。
妻である早川殿と「弟」に生きるよう願われた氏真は、城を明け渡し、妻と共に北条家へ落ち延びることを決め、
自らに引導を渡した家康に「お前はまだ降りるな」と、励ましとも恨み言とも取れる言葉を贈り、戦国大名・今川家の幕を下ろした。
その後は時折家康に協力しつつも、早川殿と穏やかな隠居生活を送っていたことが示唆されるに留まっていたが、
最晩年、天下人となる重圧に押しつぶされそうになりながらも、対等に話せる者の大半が鬼籍に入ったことで弱音を漏らせる相手がいなくなった家康を、
かつてと同じように「兄」として励まし、「大御所様」から「弟」に戻った家康と穏やかに笑い合う、印象的なシーンも描かれた。
「義元の跡を継ぐには力不足」という描写こそあれ、こちらも「暗愚な跡取り」としては描かれず、
義元からも「成長すれば良い主君となる」と見込まれているなど、「乱世に翻弄された不運な跡取り」として描かれている。


◆天下一蹴 今川氏真無用剣(蝸牛くも)
主役。素浪人「駿河彦五郎」と名乗り、銃使いの妻蔵春(早川殿)と、信長と蹴鞠をするため京の都までふたり旅。

その道中、今川家が滅んだ責任を負いつつ、大名には向いていなかったとして自由に剣を振るう彦五郎と、
そんな彼の態度にやきもきしつつ何やかやと世話を焼く、風魔小太郎の薫陶を受けた蔵春の二人が、
家康から預かった天下太刀「宗三左文字」を狙い襲い来る忍者軍団を、次々と迎え撃っていく。
蹴鞠と和歌と剣術と妻を愛して悠々と旅をする、『滅亡後の今川氏真』が主役の珍しい作品。
なお氏真と蔵春の年齢は史実よりも低く設定されており、時間軸が長篠の戦いの後なので本来であれば40歳近い年齢のはずだが、「若者」や「青年」として扱われており子もまだいない。
ちなみに作者がこの作品で応募したGA文庫大賞では、最終選考まで残ったものの「面白いけど時代小説は…」という理由で落選したのだが、
その後同作者の『ゴブリンスレイヤー』がヒットしたことで、お蔵入りするはずだったこの作品が書籍化を果たすというミラクルを起こした。
なお、作者は目標として「信長の野望で今川氏真の能力が上がること」を挙げていたが、
2022年に発売された『信長の野望 新生』での氏真の能力はというと、統率と知略が少し下がってその分武勇が少し上がった。
……目標達成と言えるのだろうか?


戦国無双シリーズ
モブ。父の今川義元は無双武将だが特にスポットライトが当たることもなかった。
一応義元のシナリオではそれなりに出番があるが、窮地に陥って必死に助けを求めるなどの情けない役どころが多い。
だが「戦国無双4」で妻の早川殿がPC化、そして氏真本人も特殊モブ化。
そのため今川氏真も大活躍!

…とはならなかった。
早川殿が基本的に北条氏康の娘として戦場に出てたのでスポットライトが当たることはなかった。遠江防衛戦ですら「攻められている氏真の妻」ではなく「救援に来た北条家の一員」として戦っていた。
そしてこのスタンスのせいか氏真と早川殿の絡みは全く無かった
どうしてこうなった…

5でもモブとして登場したが、妻の早川殿はリストラされた。
外伝にて家康と対峙するも、最初から気弱な発言をし滅びを待つだけの状態で登場。
だがそうはさせじと上杉軍が救援に来た際は勇気を振り絞り、父譲りの意地を見せるのであった。
…逆に言えばそれだけなのだが、暗愚な感じはそれほど強くはない。

◆信長の野望
親父と雪斎*5は既に亡く、家康には独立されるわ、武田と北条の同盟は破棄されているわという絶望的な状況でゲームがスタートする。
暗愚の代名詞だけあり、ステータスが致命的に低い………
が、近年の査定では政治のステータス、及び教養の概念が存在する作品では教養のステータスが高く、戦闘は極めて苦手だが一芸に秀でる武将という立ち位置を得ている。
なお戦闘能力に限れば妻である早川殿の方が強い。
家康の独立後も国力自体は決して低くはなく、近年の作品では武田・北条との三国同盟も生きているので、背後を気にすることなく織田・徳川に集中することができる。
さらに信玄に追放された武田信虎が駿河で浪人中なので、彼を登用すれば武将の質も改善される。
というわけでプレイヤーが担当した場合の難易度は意外と低い。織田家と徳川家を滅ぼして優秀な武将を手に入れればそのまま天下統一できるだろう。
なお、上記はあくまで1560年シナリオでの話。1560年代後半のシナリオでは勢力を増した徳川家と同盟を破棄して侵攻してきた武田家に挟撃されており、北条家との同盟だけが命綱の絶望的な状況になっている。
今川家の滅亡後は浪人だったり徳川家所属だったりと安定しないが、並以上のステータスは政治だけなので使い道が分かりやすく、長い寿命により長期間活躍できるので、内政要員としての使い道はまずまず。

烈風伝には三国志や世界史の英雄が日本に集結するというトンデモシナリオが存在するのだが、彼は劉禅やジョン欠地王といった暗愚な君主と手を組むという最難関勢力として存在する。

◆太閤立志伝シリーズ
4までは能力値、技能共に悲惨な典型的な暗愚。再評価が進む前なので、唯一の取り得である政治すら他よりはマシといった程度でしかない。
5では政治が60台まで上昇するなど近年の信長の野望に近い能力値となったが、特筆すべきはしっかり塚原卜伝を師匠として新当流を学んでいることだろう。
といっても武力は50台後半止まりで強力な技も使えないのだが、最底辺クラスの武力しか与えられていない信長の野望に比べればしっかりステータスに反映されている。彼を主人公にして剣豪プレイというのも面白いだろう。





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最終更新:2024年02月20日 22:20

*1 なお松平家は桶狭間後、即座に独立したイメージが強いが初めは織田家に徹底抗戦していた

*2 もっとも「武田が滅んだ後は駿河を氏真に返す」という約定が先の掛川城開城の際に結ばれていたため、それの履行を家康に求めたという側面もあると思われるが

*3 明治時代の当主、今川範叙が病没したために男系直系は断絶となった。長女は他家に嫁いでいるため、血筋としては続いている

*4 ただし一瞬だけ殺意のある目で信長を見ていた

*5 今川義元の師匠と言われる僧侶。ゲームでは今川の軍師として大黒柱となる