ジャイアントモア

登録日:2016/11/06 Sun 13:47:24
更新日:2023/12/25 Mon 23:22:05
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概要・形態


ジャイアントモアとは、1500年頃までニュージーランドに棲息していた巨大な鳥類である。
その姿や生態はダチョウやエミューを彷彿とさせ、翼は退化して完全に無くなり、飛ぶことこそ出来なかったものの、長い首と頑丈な後ろ足を持っていた。天敵と言えるのはハーストイーグルのみで外敵に対してはその強靭な両脚で立ち向かい、時速50キロに達した走力で逃げるなどの自衛を行っていた。
体高は最大のジャイアントモアで3.6m、体重も250kgほどになったと推定されている。
極端な性的二型を持ちダチョウとは違いオスよりもメスの方が身体が大きく、性格は温和で主に木の実や草を食べる草食性だった。

史上最大の鳥類としてしばしばその名が挙げられるモアだが、一般的に知られているジャイアントモアはその中の一種である。
もともとニュージーランドは無人島だったが、そこには人間はおろか哺乳類が殆ど棲息していなかった。
哺乳類のいない環境はまさしく鳥類の天下。森や草原、海岸など島の至る所で数多くの鳥類が繁栄を極めていた。
モアもその一つで、最盛期にはジャイアントモアを含めて6属10種類のモアが生息していたという。

しかし、ニュージーランドにマオリ族が移住してきてからは主に食用肉の確保のため乱獲が始まりジャイアントモアは特に繁殖力が低く、他のモア種も含めて最短50年、1500年頃には絶滅してしまった。
1769年、イギリスの著名な探検家キャプテン・クックがニュージーランドに訪れた時は、モアはすでに伝説や言い伝えの中の存在と化していたという。
「恐竜」という言葉を生み出したことで知られる博物学者リチャード・オーウェンは残された骨を見てその余りの大きさに「鳥のものとは思えない。」と主張。
恐竜ならぬ「恐鳥」を意味する「Dinornis maximus」という新たな属を設け学会で発表した。
最初こそ一笑に付されたオーウェンの発表だったが、その後ニュージーランドから新たな骨が次々と発見され、
「長い首と足を持った、想像を絶する大きさの飛べない鳥」がかつて実在していたこと、オーウェンの主張が正しかったことが証明された。
ヨーロッパ人がその存在を認識するようになった頃には、モアはとっくに「絶滅した動物」という烙印を押されていたのである。

だが、1800年代から近年までジャイアントモアの目撃情報が多数存在している。
ニュージーランドで絶滅したはずの巨鳥を見た、という報告が後を絶たないのだ。

写真撮影された伝説の巨鳥


1993年1月20日、ハイキング中の男性によってモアが目撃され、写真に撮影されたという衝撃的な事件が発生した。
この日、ホテルのオーナーを務めるパディ・フリーニーは、友人のロッシェル・ラファティ、サム・ウェイビーとともに、
ニュージーランド南島のクレイギーバーン山脈をハイキングしていた。
午前11時ごろ、3人は途中に訪れたハーパーバレー川で休息を取っていた。
川原で横になっていたフリーニーは、30mほど離れた藪の中に巨大な鳥がいるのを目撃した。
体高は少なく見積もっても2m近く、全身を赤茶色と灰色の羽毛に覆われ、見るからに逞しく頑丈な足、1m近くはあろうかという細長い首の先には小さな頭が付いていた。
3人が目撃したのは絶滅したはずの巨大鳥、モアだった。
フリーニーは急いでカメラを構え、シャッターを切った。しかし、巨鳥は人間の気配に気づいたらしく、猛スピードで川を渡りそのまま走り去ってしまった。

そのせいもあるだろうか、画像はとにかくピンボケが酷くて 見えづらい。 かろうじて「鳥っぽい何か。黒いボディで尾羽らしきものは赤い」とは分かるにせよ、。
写真は後にニュージーランドのカンタベリー国立大学の電子工学部にコンピュータ分析を受け、切り貼りや多重露光の跡が見られなかったことから真正のものであることは証明された。
だが、
ニュージーランドの環境省をはじめ、実際に写真を検証した大多数の研究者は「別の鳥を誤認したのではないか」と否定的な見解を示している。
中には「鹿をワザとブレた写真に収め、モアだとでっち上げたのではないか」という意見も挙げられた。
ニュージーランドには鹿が大量に生息している上、写真も見ようによっては四足歩行の動物に見えないこともない。ピンボケを差し引いてもかなり苦しいとはいえ、決して絵空事とは言えないのが微妙なところである。
しかし、フリーニーたち3人は「自分が目撃したのは確かにモアだった。ダチョウやエミューの見間違いでは絶対ない」と主張してやまなかった。
じゃあもっとはっきりした写真撮れよ!あんなのじゃ信用できねえよ!!と言いたくなるところだが、真相は誰にもわからない。

なお、この事件のおよそ1年前の1992年5月19日、ドイツ人旅行者のフランク・クリスチャンセンと、ヘルガ・アンブリードによって2体のモアが目撃されていたことが後に判明。
フリーニーたちの目撃報告はある程度の信憑性を帯びることになったのである。

主な目撃と遭遇の歴史


  • 1820年
ニュージーランド南島の南東部のオタゴ地方で、ジョージ・ポーリーが船の上から湖の岸辺に佇むジャイアントモアを目撃。
背の高さが6m近くにも及んだという。

  • 1835年
鳥類学者ウォルター・ブラーが、「チャタム諸島には巨大なキーウィが生息している」という話をマオリ族から聞く。
チャタム諸島はニュージーランドの特別領であり、島の形が千葉県に似ているとして一躍有名になった島である。

  • 1861年1月
ニュージーランド南島の北部にあるリワカとタカカの間にある山中で、測量士の一団が長さ36cmにも及ぶ巨大な鳥の足跡を発見した。
足跡は3本指でかなり克明に残されており、付けられてからそれほど日が経っていないのは明らかだった。

  • 1873年
羊飼いの男がワイアウ湖の畔りで巨大な足跡を発見。そのまま進んでいったところ足跡の主と思われる巨大な鳥と遭遇した。
全身を銀灰色の羽毛に覆われ、一見エミューによく似ていたがエミューより遥かに大きかったという。

  • 1880年
ニュージーランドのマーティンズ湾の海岸近くで、7歳のアリス・マッケンジーが茂みのそばで眠る巨大な鳥を目撃。
体長はおよそ1.8m。全身を青黒い羽毛に包まれ、足は鱗に覆われていた。
悪戯心からモアの脚を蔦で縛って遊んでいた所、鳥が怒って攻撃してきたため、怖くなった彼女は父親の元に逃げ帰ったという。アリスは長年それがタカへだと思っていたがタカへが再発見された為タカへでは無いと確信。ラジオにて証言した。

  • 1896年
数人の男子学生が、ニュージーランド南島にあるブロナー湖の付近で、モアと思しき巨大な鳥が道路を横切っているところを目撃。

  • 1963年
ニュージーランド南島の北部にあるネルソンの森林公園で、科学者がモアと思しき巨大な鳥を目撃。

  • 1991年5月
ハイキングでワイマカリリ川の付近を歩いていたをジム・ストラットンが、目の前で川を横断するモアを目撃。
体高は3.3m。全身を暗色の羽毛に覆われていたという。

  • 2001年9月
オーストラリアの未確認生物研究家レックス・ギルロイとその妻へザーが、ニュージーランド北島のウレウェラ国立公園で巨大な鳥の足跡を発見。
足跡は最大のもので24cmあり、3本指で爪先は長く尖っていた。
なお、ギルロイ夫妻は2008年にも同様の足跡を発見、検証を行っている。

正体の考察について


パディ・フリーニーの撮った写真もそうであったように、モアの正体を探る時には必ずと言ってもいいほど別種の鳥の誤認説が付いて回る。
特に目撃談から寄せられる体つきや羽毛の色などの身体的な特徴から、モア=エミューの見間違いという説は多くの研究者に支持されている。
しかし、エミューはオーストラリアには全土に生息しているものの、ニュージーランドには存在しないため、
飛べない鳥であるはずのエミューがどうやってニュージーランドに流れ着いたのかという問題を解決しない限り、モア=エミュー説を立証する事はできない。

また、巨大な時折目撃される小型のモアは、ニュージーランドのシンボルことキーウィを誤認したという説も根強い。
キーウィも退化した翼と茶色と暗色の混じった羽毛、力強い後ろ足を備えている。
しかしキーウィの首はモアのように長くはなく、むしろクチバシの方が細長いため、一重にモア=キーウィで片付けてしまうのもやはり無理があるようだ。

追記・修正はスマートフォンでピンボケの酷い写真を撮ってからお願いします。

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最終更新:2023年12月25日 23:22