ミシェル・ノストラダムス

登録日:2016/04/28 Thu 17:08:00
更新日:2023/12/19 Tue 20:55:38
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ミシェル・ノストラダムスとは、16世紀フランスの医師・詩人・占星術師・予言者である。




さて、歴史上の人物の中には、年代によって知名度や人気がガラっと変わる人物も少なくない。
例えば、楠木正成や山中鹿之助は戦前は国民的英雄だったが、現在ではそこまでメジャーな人物とは言い難い。
逆に安倍清明などは、おそらく若年層での知名度・人気のほうが高いであろう。

その中でも、特に日本においてある特定の年代を境に知名度が全く異なるという稀有な人物がこのノストラダムスである。

その特定の年代とは1999年である。
この年までに物心がついていたかいなかったかで、この人物の印象は大きく異なるだろう。

1999年以前のノストラダムス人気がいか程のものであったかは、ほとんどどの書店にもオカルトコーナーには「ノストラダムス」のジャンルがあり、半年に一回くらいはテレビで特番が放送されていた、
と言えば知らない人にも想像がつくだろうか。
あと、現在でも就活生などに重用されている文藝春秋の「日本の論点シリーズ」の1999年度版「日本の論点99」に論点の一つとして掲載された。
(寄稿者は後述の五島勉氏と山本弘氏の二人)

そこまで世間の注目を集めていたのは、日本では「ノストラダムスは1999年に人類が滅亡すると予言した」という俗説が信じられていたせいである。
ただし後述するように、これは事実ではない。
(よって、1999年に人類滅亡が無かったからと言って、ノストラダムスを「予言を外した」などと非難したり嘲笑するのは不当である

ただし、この予言と俗説ばかりが独り歩きしていたようなもので、その実像は現在に至るまであまり知られていないのが実態である。



実際のノストラダムス

  • 幼少期、修行時代
歴史上におけるノストラダムスは、確かに波乱の生涯を送った人物には間違いない。
生まれたのは1503年12月14日。
ちなみに「ミシェル・ノストラダムス」というのは、本名の「ミシェル・ド・ノートルダム」をラテン風に読んだもので、一種のペンネームである。
「ミシェル・ド・ノストラダムス」などと表記されることもあるが、同時代の資料ではこの表記はほとんど確認できない。

生まれたのは南仏のサン・レミという街。
両親はそこそこ裕福な商人だったようで、兄弟たちと一緒に高度な教育を受けることができた。
なお父方の祖先はユダヤ系であるが祖父の代にカトリックに改宗しており、彼自身も生涯カトリックを通している(後述のようにプロテスタントにも理解はあった)。

幼少期・若年期については信頼できる資料が少ない上に、後世の創作も相当混じっているとされてはっきりしないことが多い。
とりあえず15歳ごろにアヴィニヨン大学に入学した後、ペスト禍によって同大が閉鎖されたために各地を転々とした後、モンペリエ大学医学部に入りなおしたことだけは確かなようである。
だがいつ頃医学博士号を取得したのか、そもそもこの大学で取得したのかどうかははっきりしない(一説には教授たちと揉めて除籍されたとも言われる)。

その後有名な学者スカリゲルの元で学んでいたとされるが、やがて師と不仲になり(理由はやはり不明)、妻を亡くしたショックもあってか再び各地を転々とする生活に入る。
ちなみにこの最初の妻に関しても、若死にしたことくらいしか分かっておらず、いつ結婚したのかも不明である。


  • ペスト禍との闘い
その後のノストラダムスは、各地を転々としながら当時猛威を振るっていたペストの患者の治療に当たっていたらしい。
この時、旧来の伝統的で無意味な治療法に囚われずに、自ら開発した特効薬でペスト患者を治したという風に言われているが、これはあくまで彼が予言者として有名になってから
「予言者なら、未来の医術もわかったに違いない!!」というノリで作られた伝説に過ぎない。
何しろ本人が書き記している記録でも、おがくずやバラの花を潰して混ぜたものを患者に飲ませていた(もちろんペストへの効能など無い)ことがわかっている。

とはいえ、当時医者ですらもペスト流行地からは先を争って逃げ出すような状況であった中で、自ら現地に赴いて献身的に治療に当たったその姿勢は、
予言能力など無かったとしても十分畏怖するに相当するものであろう。


  • 再婚と名声獲得
その後、サロン・ド・プロヴァンスという街に腰を落ち着け、そこを終の住処にする。
その地の女性と再婚もし、ようやく落ち着いた生活を手に入れる。
ようやく歴史の表舞台に出てくるのはこの後のことである。

医者としての評判からか、そこそこの名士となっていたノストラダムスは、まず向こう一年間の出来事を予言した「歴書」をほぼ一年ごとに出版。
この反響が良かったため、さらに未来のことを予言した予言詩集を出版する。
これこそが現在「ノストラダムスの大予言」の名前で知られている「ミシェル・ノストラダムス氏の予言集」である。
(「諸世紀」という邦訳は誤訳。フランス語で「Les Centuries(百篇詩集)」と呼ばれていたものを英語の「Century(世紀)」と混同したものとされる)

「歴書」のほうは大評判だったようだが、「予言集」のほうについては出版当初から話題となったかどうかにはやや議論がある。

同年の1555年7月に、時の国王アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスから王宮に招待される。
ここから「ノストラダムスは王宮に仕えた」と誤解されることが多いが、あくまで一回呼ばれただけで王宮に雇用されたわけではない。
(その後、別の城でカトリーヌや後の国王とは何度か会っている)

また、この時にノストラダムスが何を話したかは記録がなく、大きな謎とされる。
この頃から王家についての予言を色々残したとされるが、それについては後述。

この後、国王シャルル9世はノストラダムスに「常任侍医兼顧問」の称号を下賜したとされるが、これはあくまで名誉職に過ぎない(現在でいうところの「名誉顧問」のようなもの)。
1566年7月2日、リウマチで死去。
苦闘と波乱の前半生と、穏やかで名誉に満ちた後半生であった。


  • 余談
オカルト系の書籍では、よく「ユダヤ人」と言われることがある。
実際には祖先はユダヤ系であったが、本人は前述のようにカトリックである。
実は一族の改宗は表向きだったとか、元ユダヤ人だった祖父からユダヤの秘儀を受け継いだとか言われることもあるが、このような話には何の根拠もない。
(そもそも祖父はノストラダムスが生まれたときにはすでに亡くなっていた可能性が高い)。
一方プロテスタントにも理解はあったとされるが、ただのリップサービスに過ぎないとも言われている。


ノストラダムスの残したホロスコープはいくつか現存しているが、その中には重大なズレがあることが指摘されている。
占星術では個人の生まれた時刻まで考慮しなければならないが、それに関する計算が間違っていたらしい。
「星の配置から個人の運命なんかわかるのか」という根本的な問題を置いておいても、占星術師としての腕は決して高くなかったようである。
彼が予言者として名声を獲得したのは、その観察眼と分析能力、そして文章力と話術の賜物だったのだろう。


後世に予言者として名を馳せたため、様々な逸話が創作された。
有名なのは
「将来教皇シクストゥス七世となる若い修道士の前で跪いた」
という話とか、
「近所の若い娘に会った時に『こんにちは、若い娘さん』と挨拶したが、その後もう一度会った時には『こんにちは、かわいいお嫁さん』と挨拶した」
というセクハラめいた逸話(意味がわからないという人、よーく考えてみよう)である。
しかし残念ながら、いずれも後世の創作に過ぎない。
後者の話に関しては、紀元前の哲学者デモクリトスの逸話を、18世紀のノストラダムス伝記本作者が、勝手にノストラダムスの逸話に置き換えただけである。


予言書の他に「化粧品とジャム論」というタイトルの本も出版しており、その中では自分の開発したお菓子や化粧品や精力剤をこれでもかと自慢している。
これは日本語訳も出版されている。


ノストラダムスを予言者として世に宣伝したのは、秘書のジャン=エメ・ド・シャヴィニーの功績が大きいとされる。
ただし、彼の話にはかなりの誇張が含まれるとされる。


ここまで有名になったノストラダムスの「予言集」であるが、実は2016年現在でも信頼できる邦訳が存在しないと言われる。
邦訳本は過去に二冊ほど出版されているのだが、英語からの重訳であることもあって問題が多いとされる。


全くの余談ながら、アンサイクロペディアの『ノストラダムス』の項目はやたら充実している。



予言者としてのノストラダムス

  • カトリーヌ・ド・メディシスとの対話
前述のように、王宮でノストラダムスがアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスに対して何を話したのかは全く不明である。
よって、この時にフランスの将来について予言をしたなどという逸話はあくまで後世の創作に過ぎない。

一方、1564年にサロンのアンペリ城でカトリーヌとシャルル9世と会見した時に予言した内容については、カトリーヌが手紙に記しているため確認することができる。
それによると、ノストラダムスはシャルル9世とモンモランシー公が90歳まで生きると予言したらしいが、これはどちらも外れた。


  • アンリ2世の死(予言集第1巻35番)
1559年、アンリ2世は、妹と娘の結婚を祝う馬上槍試合の最中に、対戦相手のモンゴムリ伯の槍が頭部に刺さるという事故で世を去った。
ノストラダムスの予言集第1巻35番は、この事件を「若き獅子が老いた獅子を打ち負かす……」と予言していた。

……という話がよく定番として紹介されるが、一般に言われている逸話は事実と異なるし、この詩が本当に王の死を予言したものかどうかも怪しい。

そもそもこの詩がアンリ2世の死と関連付けられたのは、ノストラダムスの死後の17世紀のことである。
つまり、アンリ2世とカトリーヌはもちろんのこと、生前のノストラダムスや、上述のシャヴィニーすらもこの詩と王の死の関連には気が付いていなかったようである。
(ノストラダムスはアンリ2世の死の直後に全く別の詩を持ち出して「俺の予言が的中したぜ!!」と自慢しており、自分の予言能力を誇示したくなかったわけではありえない)

またノストラダムスは、自著に記したカトリーヌ宛ての献辞において、1559年を「世界的な平和の年」と予言するという、
王の死を予知していたとしたら喧嘩を売っているとしか言いようがないことを書いている。


肝心の詩の内容についても、「そう言われれば王の死の状況に似ていなくもない」という程度のものでしかない。


なおノストラダムスはこの後、アンリ2世の後を継いだフランソワ2世が直ぐに没するという予言をして的中させたと言われるが、
フランソワ2世は生来病弱であったため、特に騒ぐほどのことでは無い。
また、これはあくまで宮中で広まっていた噂に過ぎず、ノストラダムス自身がはっきり予言したわけでは無い。



  • 恐怖の大王(予言集第10巻72番)
日本では何といっても有名なのが、この「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてきて、アンゴルモアの大王をよみがえらせる」という詩である。
この詩は人類が1999年に滅亡することを予言したものとされ、様々な研究者が「恐怖の大王」の正体として
核戦争、小惑星もしくは隕石の衝突、異星人の侵略、火山噴火、キリストの再臨、環境破壊、伝染病、土星探査機『カッシーニ』、インターネットによる情報革命、宇宙ステーション「ミール」、モンゴル人、
江頭2:50、デクエヤル国連事務総長、セガのゲーム『シーマン』、円高、野村佐知代、アンコロモチ、セーラームーン、奈良の大仏、
アンゴルモアという名前の美少女、キングギドラ、野々村真、上岡龍太郎etc……

を挙げていた。



もちろん全部外れた。




そもそもはっきり言えば、仮にノストラダムスの予知能力を信じたとしても、この詩が人類滅亡を予言しているという根拠からしてほとんどないのである。
何しろこの詩が登場するのは予言集の10巻の途中であり、ここで人類が滅びるならその後の予言は何なのという話になる。
この詩の省略されている部分には「その前火星が平和に統治する」という一説があり、またノストラダムスは、「自分の予言は西暦3797年のことまで含む」と書いている。
彼が人類が20世紀末に滅びると信じていた筈がない。
少なくとも大王出現=人類滅亡というのは明らかに気が早すぎる。
そもそもこの詩が人類滅亡予言などと解釈されていたのは、ほとんど日本だけの話である。

キバヤシ「ノストラダムスは人類滅亡を予言していない」
 (; ・`д・´) ナ、ナンダッテー !! (`・д´・ (`・д´・ ;)



よって上述したように、1999年に人類滅亡が無かったからといって、ノストラダムスを非難するのは不当である。




ではこの詩は一体何を描写したものなのか。

まずこの詩に登場するもう一人の謎の人物である「アンゴルモアの大王」については、現在の研究者の間ではフランソワ1世のことという意見でほぼ一致している。
フランソワ1世はノストラダムスより一世代ほど前の時代のフランス王であり、フランス・ルネサンスの父と呼ばれるなど文化面で功績もあり、人間的魅力も大きかったとされる王である。
しかし一方で、イタリアや神聖ローマ帝国相手に戦争を仕掛け、その過程で異教国であるオスマン帝国と結ぶなど、外交姿勢は危うかった。
良くも悪くも、ノストラダムスの時代の人々に大きな印象を残した王である。
そして彼の出身地はアングーモア地方である。

よって「アンゴルモアの大王」と言えば「アングーモア出身のフランソワ1世」というのは、当時の人々にとって自明のことだったと思われる。


それに対して、「恐怖の大王」の正体については未だに定説は無い。

ただし一つ言えるのは、「恐怖の」というフレーズはかなりの意訳であるということである。
この単語は実際には「危惧させる、警告を与える」という意味合いで、全人類を滅ぼすような恐ろしい存在ではありえない。

となると、「空から恐怖の大王が降りてきて、アンゴルモアの大王をよみがえらせる」というのは、

「人々を危惧させるような大王が現れて、人々の記憶にフランソワ1世のことを思い出させる」

という意味に読めなくもない。
危惧すべき状況かもしれないが、やはり人類滅亡の描写では無さそうである。


さらに言えばこの単語は誤植であるという説もあり、それによると「他人の費用を支払う大王」という意味になる。
その場合は、

「フランソワ1世みたいな気前のいい大王が現れて、みんなのお金を払ってくれるよ、よかったね!!」

という意味である可能性も無くは無い……たぶん。*1

元々ノストラダムスの予言の研究には翻訳する際に研究者にとって都合の良いように意訳するという悪習があり*2、この一文もたまたま他よりも有名になっただけの数ある意訳の中の一つに過ぎない。



その他、ノストラダムスの詩にはフランス革命やヒトラーの出現を予言したと言われるものもあるが、いずれも文法などを無視した強引な解釈によるものであるとされる。
例えば「ヒトラー」については、詩に出てくるのが「ヒスター」という違う単語であるが「ヒトラー」ということにされている。
だが、「ヒスター」とは、ドナウ川の下流地域のラテン名であって、ヒトラーのことではありえない(そもそも文脈的に人名は出てこない流れである)。



日本においてノストラダムスの名前を一躍広めたのは、何といっても五島勉氏の「大予言シリーズ」である。
あの怖すぎる表紙イラストがトラウマになった人も多いのではないだろうか。

だがこのシリーズ、ノストラダムスのことを知るのにいい本だとはとても言えない。
予言の解釈が強引すぎる上に全く的中していないのは、この手の本では仕方ないと言えなくもないが、ノストラダムスの生涯についての記述も創作だらけ、
おまけに実在が確認できない研究者やら書物やらが山のように出てくると、まさにやりたい放題の代物である。

そんな感じで張本人・五島勉の翻訳能力については、ライバルである他の研究者達からしばしば非難されている。まあ、そんな彼らの「翻訳」も人の事は言えなかったりするが。

SF作家で元と学会会長の山本弘氏は、後述の二冊の本の中で五島氏の大予言シリーズに散見される間違い・問題点を指摘した上で同シリーズを「小説として楽しむべき」と唱え、
さらに五島氏について「フィクション作家としては日本史上に残るべき天才である」とその文才を(皮肉交じりにも)称賛している。

(なおこのように書くと誤解されるかもしれないが、山本氏はその後も現在に至るまで五島氏の新刊や他の予言解読者の間違いや無責任な姿勢を批判し続けており、別に五島氏らを積極的に擁護しているわけではない)


だがこのシリーズが日本のサブカルチャーに与えた影響は図り知れず、確かに書物としては日本史上に残ると言っていいものだろう。

例の詩自体「どうとでも解釈できる」とする意見もあるが、人々の不安を煽ったり騒いだりするにはうってつけの材料だった。
そして、自分も予言解読に乗り出そうとする、多数のフォロワーも生み出すことになった。
中にはほぼ人生を擲って独自の解釈に打ち込んでしまう人も多々……。


なお山本弘氏はノストラダムス本のコレクターとしても知られ、1998年に出した「トンデモノストラダムス本の世界」と2000年のその続編「トンデモ大予言の後始末」では、
日本で出版されたほぼ全てのノストラダムス本(フィクション・同人誌を含む)をレビューし、歴史的間違いや強引な解釈にいちいち突っ込みを入れるという誰得な偉業を成し遂げている。
2000年代以降はノストラダムス本はほとんど出版されていないため、この二冊で大部分のノストラダムス本は把握できることになる。
また、氏の著作は1999年前後には様々なメディアで引用され、懐疑的スタンスから制作されたテレビ番組などと共に予言ブームの収束に一役買った。
なお山本氏は恐怖の大王=江頭2:50説を提唱していた(「 1999年7月に『恐怖の大王』と書いたパラシュートで江頭にスカイダイビングさせるバラエティー番組が絶対あるだろう 」というネタとしてである、念のため。結局そんな番組はなかったと後に認めている)。


山本氏の著作や、それを参考にしたテレビ番組などの影響などもあって、1999年に入るとむしろ予言ブームは収束していった。
パニックが起きたり、自暴自棄になって犯罪に走る人間が出るかもと懸念する声もあったが、幸いそのようなことは無かった。
同時にこの頃から学術的に詩人・文化人としてノストラダムスを真面目に研究するという機運も高まり、現在では真面目な研究書がたまに出るという状況になっている。


皮肉なことに、世間一般から忘れられたことによって、ようやく正当に評価する流れが起き始めている。


件の予言ももはや話題になることすらほとんどないが、「実は予言が当たっていた!」みたいな形で近年でも登場することはある。



フィクションのノストラダムス

ここまで見てきたように、実在のノストラダムスはそこまでオカルトめいた人物とも邪悪な人物とも言えない。

……のだが、フィクションの中ではオカルティックなイメージが独り歩きしていくことになった。

漫画作品

時空の魔神」のエピソードに登場。
おそらく全創作物中最強のノストラダムス。
自分の予言を無理やり実現させようとしたフリーダムな人。
詳しくは項目参照。

  • 悪魔くん ノストラダムス大予言
あの水木しげる先生もノストラダムスを書いていた。
上とは打って変わって、創作物中最も弱くて役に立たないノストラダムスが登場。
何しろ本作では予知能力すらない一般人である。

やはりノストラダムス本人は出てこない。
が、「まる子 ノストラダムスの予言を気にする」の回のインパクトは凄まじい。
ちなみに「恐怖の大王」はまる子の想像の中で登場。
あの絵柄なのでそこまで怖くない筈なのに、なんか怖い。
ちなみにこの回は複数の識者から「当時の子供達のノストラダムスに対する恐怖感をリアルに描いている」との評価を得ている。

1999年になぜか恐怖の大王ではなくアンゴルモアのほうが空から降ってきた。

2巻で初めてノストラダムスの大予言を調査することから登場、ただしあくまで過去の人物なので本人の登場はない。
1999年に近づくにつれて予言に関係する調査が増えていき、登場回数もグレイやナチスのフリー素材ヒットラーよりも多く
ほぼ準レギュラーのように登場、漫画自体不定期連載だったこともあり徐々に作者の画力向上によって迫真の表情を見せるようになる。
登場回数の多さや多くの調査でMMRの壁として描かれたためか単行本の表紙でキバヤシのライバルのような描かれ方もしている。

  • 直撃!人類滅亡超真相
こちらは1999年から2000年頃にかけて展開された作品で、ノストラダムスは初回エピソードにジャム好きの普通のおっさんとして登場。

神殺しの13人(エインヘリャル)として人類代表の一人に選出された。
明らかに戦闘向きでない彼が、どの神を相手にどのような戦いを繰り広げるのかは未だ不明。


アニメ作品

ちびまる子ちゃんと原作者が同じだが、こちらはアニメ版にノストラダムス本人が登場。
あらゆる未来が書かれた予言の書を持ち歩いているほか、彼が予言として口にしたことは現実になる能力を持っている。
予言者としての名声と引き換えに周囲から恐れられたり深読みされることに疲れ、愛されるキャラクターを目指して「虎田進」の名でメルヘンの国にやってくる。

  • ルパン三世
こちらもノストラダムス本人は出て来ないが、劇場版『くたばれ!ノストラダムス』にお宝であるノストラダムスの預言書が登場。
それを巡り、ルパン一味と新興宗教団体「ノストラダムス教団」の対決が描かれた。


ゲーム作品

女体化。
2000年代以降の作品だけど登場できた珍しい例。

金髪のイケメン


実写作品

封印作品筆頭格。
作中にはノストラダムス本人は出てこない。
というか一応五島氏の本が原作の筈なのだが、ほとんど関係ない。



  • その他、創作物の1999年のイベントはこちら



追記・修正はアンゴルモアの大王をよみがえらせ、火星を統治してからお願いします。

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最終更新:2023年12月19日 20:55

*1 真面目に解釈するなら「フランソワ1世の様な大王が現れて、人類のツケを支払うだろう」と言ったところか。

*2 酷い時には「原文を改ざんする者」や「別人が訳した同じ詩を別々の詩として引用する者」までいるとか。