氷見事件

登録日:2016/04/11 Mon 23:10:44
更新日:2024/01/26 Fri 22:14:06
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氷見事件とは、2007年(平成19年)1月に富山県で発覚した、レイプの冤罪事件である。
この件でレイプ魔として扱われたのは、柳原浩さん。
柳原さんが各所で実名を出しての取材などに応じていることを踏まえ、本項目では柳原さんの実名を出して記述していくこととする。


事件の経緯


柳原さんは昭和42年6月生まれで、タクシーの運転手であった。
性犯罪と結びつくような前科があるような人物ではなかったのだが…

1月の事件と3月の事件


2002年(平成14年)1月14日午前8時30分頃、寒ブリの産地として有名な富山県氷見市で犯人から電話がかけられた後、民家に押し入って18歳の女性Aをレイプした男が現れた。
さらに3月13日午後2時40分頃、これまた氷見市で犯人から電話がかけられた後、民家に押し入って16歳の女性Bがレイプされそうになるという事件が発生した。
1月の事件と3月の事件で犯人の靴跡が一致したため、警察は同一犯の犯行であると踏んだ(同一犯であることは、事実であることが判明している)。

柳原さん、捜査線上に


許しがたい犯罪に、富山県警は犯人を捕まえようと奮い立った。
そこで被害者ABの証言から似顔絵を作成し、聞き込みをした結果、捜査線上に上がったのが柳原さんだった。
犯人が交通機関を使ったならタクシー会社なら何か知っているかも…と思った警察はタクシー会社に事情を聴いたのだが、ここでタクシーの運転手だった柳原さんが似顔絵と似ているという証言が出てきた。
改めてAは犯人であると確信があるといい、Bも似ているといった。
柳原さんの写真とダミー14枚、併せて15枚の写真を見せて犯人の顔があるかと言ったら、ABとも柳原さんの写真を犯人と指名した。

とはいっても、3月の事件では犯人はマスクをしていたし、Aも最初は「目がぱっちりしているのが似ている」としか言わなかった上、被害の最中Aは目隠しをされていたため、犯人の顔を長い時間見られたわけではない。
柳原さんは被害者と知り合いではなかったこともあり、被害者がただ似ているというだけでは証拠としては弱い。警察は更にウラを取るべく捜査を重ねていった。
1月の事件の時は柳原さんは無職だった。3月の事件の日は、柳原さんは朝まで勤務していたが午後は非番。
柳原さんも自宅に1人でいたと記憶しており、勤務という形でのアリバイはなかった。

そして4月14日、Aが取調室にいた柳原さんを見て「こいつ犯人に間違いない」と言い切った上、「あの男の大きい目、輪郭、高い鼻からして、犯人の男だと思います」「声の感じ、口元もそっくりです」「ほぼ間違いないと確信があります」と述べた。
更に、Aが「この男を殺してほしい。」、「殺してやる。」「吐き気がするほど気持ち悪い。」「今でも許せない。」と怒りを露わにしたのが決定打となり、警察は完全に柳原さんを黒と考えるようになった。
そして4月15日に柳原さんが陥落。
それでも、4月16日、検察官や裁判官に事情を聴かれた際は、それでもまだ柳原さんは無実を訴えていた。
しかし、重大事件で証拠があるとなれば調べることは仕方がない。裁判所は柳原さんの逮捕・勾留を認め、柳原さんは追い込まれていった。
この詳細は後に述べる。

裁判


2002年6月、捜査が終わり、柳原さんは富山地裁に起訴された。弁護士が付けられたが、「認める方向で」と言われてしまった。
柳原さんと弁護士の間で具体的にどのようなやりとりがあったのかはわからないが、これで柳原さんは戦意喪失。
柳原さんは、裁判で自分の無実を主張することはなく、裁判は罪を認めて淡々と進められていった。
同年11月、柳原さんには懲役3年(ただし裁判の身柄拘束分として130日が差し引かれ、実際の服役期間は2年8ヶ月ほど)の実刑判決が言い渡された。
控訴も再審請求をすることもないまま、柳原さんは刑務所の中で大人しく服役していた。*1
性犯罪者は刑務所の中で他の犯罪者からいじめの対象になることが多く、柳原さんにもそういったいじめはあったようだ。

中での生活態度が悪くなかったのか、柳原さんは2年2ヵ月後の2005年(平成17年)1月に刑務所を仮出所。

出所後


刑務所を出所した柳原さんの生活は苦難の道のりであった。
タクシー運転手の仕事はクビ。
母親を幼少期に失っていた柳原さんにとってかけがえのない父親は服役中に亡くなり、その死に目にあうことができなかった。
出所した人たちを引き受ける施設はあったものの、柳原さんは取り調べのせいで心的外傷後ストレス障害(PTSD)になってしまって自殺願望が生まれ、睡眠障害となり、仕事が手につかず、なんとか仕事に就いても退職するしかなかった。
実名を報道されてしまい、レイプ魔としての偏見にも晒された。

無実の発覚


2006年(平成18年)になって、事態は急展開する。
鳥取県で別の性犯罪を起こして逮捕された男が、氷見での2件の性犯罪を自供。靴跡が一致したりしたため男が1月の件、3月の件とも真犯人であることは靴跡を始め自白以外からも裏付けられて懲役25年となった。
こうして、2件の犯罪から柳原さんが無関係であることが明らかになった。
無実が発覚した時も、柳原さんは行方がすぐには分からない状態になっており、苦難の暮らしを物語っている。
柳原さんに対しては検察関係者が次々謝罪に訪れ、再審の手続が行われて無罪判決が下されるなど、柳原さんはようやく名誉を回復した。

それでも…


しかし、これでも問題は解決した訳ではなかった。
再審の裁判はさっさと無罪判決を下して終わらされてしまい、なぜこんな事態になってしまったのか、解明はできなかった。
間違った有罪判決を下した立場でもある裁判所からは一言の謝罪もなかった。*2
一般の人たちからの好奇の目は止むことはなく、柳原さんは富山を去った。
また、警察関係者は謝罪に訪れはしたものの、処分された関係者は1人もいなかった。それどころか、関係者は警察を恨んでいないと一筆書かせるという行為にまで及んだ。

また、無罪判決を受けて、無実の罪で服役した人に対して支払われる補償金が支払われた。
しかし、その金額は1000万円程度。
働けないし養ってくれる人もいない柳原さんにとっては、数年で生活費に消えてしまうお金でしかない。
柳原さんは補償金以外にも、違法な取り調べ・刑事裁判による損害を賠償せよと国家賠償訴訟を起こした。
ところが、裁判を起こしたことで心無い中傷や絶縁を受けてしまい、絶縁された中には柳原さんの兄姉もいた。

2015年(平成27年)3月、富山地方裁判所で、柳原さんに国家賠償約2000万円を支払うよう命じる判決が出て、柳原さんも富山県も控訴をしなかった。
違法な捜査からは期間がかなり経っているため、利息を含めると柳原さんに支払われる金額は3000万円を超えたと思われる。
それでも、PTSDが治らなければ柳原さんの社会復帰は容易ではないだろう。柳原さんはまだ50歳にもなっていない。
冤罪の爪あとは、無罪判決が下されてなお柳原さんをさいなんでいると思われる…

なお、柳原さんは現在結婚し、喫茶店を開いている。
これがせめてもの救いと言えるだろう。



警察と検察のやってしまったこと


富山県警が聞き込みをしたことは、犯罪の捜査としては当然である。
ABや聞き込みで揃って柳原さんが指名されたことを考えると、柳原さんを犯人と疑っただけならば、警察には落ち度はなかったと思われる。
問題はその後の裏のとり方や捜査があまりにも杜撰なことだった。

アリバイがあったのに…


平成18年になって、真犯人が現れた時。
富山県警も平成14年当時の記録を調べ直したのだが、その記録の中に3月の事件の犯行時間帯に柳原さんは自宅の固定電話から兄に電話をかけていることが分かる証拠があったのだ(犯行時刻は午後2時40分頃、電話は午後2時30分から23分間)。
後から偶然アリバイが分かったのではなく、捜査の時点で警察が持っている証拠にアリバイが既にあったのである。

ここで、何で柳原さんはアリバイを主張しなかったのだろうか?と思われるかもしれない。
お前は1カ月前の何時何分に誰に電話を掛けたか覚えているのか?

普通、家族に電話を掛けたという日常の些細なことについて、日時など覚えていない。柳原さんが事情を聴かれた時には、電話からおよそ1カ月が経っていた。
柳原さんは電話を掛けたのが、身に覚えのない犯行日時だと分からなかった。電話したこと自体忘れていた可能性も高い。

それでも、警察は記録を取ったのだから、しっかり記録を見直していれば、せめて柳原さんにこの電話は何なの?と聞くことくらいはできたはずだった。
ところが、警察が当時通話記録を取り寄せたのは「犯人からABに電話が掛けられていたはず。柳原さんがかけたのではないか?」という疑いがあったから。
当然柳原さんからABに電話がかけられたことはなかったのだが、警察は電話が立証に使えないと見るや否や、そこで思考停止。アリバイがあるのか?ということを検討しなかったのだった。
有罪の証拠にならないため、裁判でもこの記録は提出されなかったと思われる。
結局、実質警察がアリバイを握りつぶしてしまったのだった。


凶器も靴もないのに…


レイプやレイプ未遂ということで、現場から指紋や体液・毛髪なども採取されて調べられたのだが、柳原さんの物かそうでないかは、鑑定しても分からなかった。
当時、DNA鑑定がまだポピュラーでなかったこともあり、県警は下着などの証拠の品を全て被害者に返してしまった。
明らかに別人のもの、という訳でもなかったので、それだけならまだ疑わしさがぬぐわれるわけではないのだが…

柳原さんの自宅を家宅捜索しても、Aが「犯人が使った」と言っていたサバイバルナイフは見つからなかった。
被害者の自宅に残っていた靴跡と一致する靴も見つからなかった。
しかも、柳原さんが普段使っていた靴は24.5㎝なのに対し、靴跡の靴は28cmもあったことが分かっていた。

凶器が見つからなかったとしても、犯人が証拠隠滅のために始末してしまう可能性はある。
しかし、普段使いの靴と3.5㎝も違う靴を履いていたら、ブカブカで動きにくくて仕方がない。逃げなければいけないレイプ魔がそんなに動きにくい靴で侵入するとは考えにくいだろう。
警察がこの靴のサイズの違いについて柳原さんに問いただすことはなかった。


被害者を勘違いさせ、しかもその勘違いを鵜呑みに…


被害者Bは、似てると思うとは言ったが、犯人が犯行時マスクをしていたこともあってか「似ていると思う」にとどまった。
しかし、柳原さんを見て犯人であると断言した被害者Aも、「目の感じが似ている」「輪郭が似ている」「鼻の感じが似ている」というばかり。
同じ日本人の男性なら目の感じや輪郭や鼻の感じが似ている人なんてたくさんいるのに、それで柳原さんを犯人と決めてかかってしまった。

誤解なきようにいえば、見間違えについては、Aが悪いわけではない。
Aがレイプの被害に遭ったことは事実であり、犯人の顔を正確に覚えることなど、禁書目録でもなければ無理である。
それに、本当にきちんと顔を見ていた人でも、正確な特徴を日本語で言うのは至難の業だ。

だが、時には警察の調べが悪いがために、別人を犯人と思い込ませてしまうこともあるので、被害者の目撃証言には慎重に対応しなければならない*3
富山地裁の国家賠償訴訟の判決では、警察の調べは被害者に暗示や誘導をさせる恐れがあったと認定されている。
Aは、警察の不注意な捜査方法の結果、柳原さんが犯人であると信じ込まされ、それで柳原さんを犯人だと言ってしまったのだった。
そして、そうやって作った被害者のその思い込みを真に受けて有罪の根拠だというのは警察によるマッチポンプである。


怪しい自白も「信用できる」


平成14年4月8日と4月14日、柳原さんは逮捕・勾留されない「任意聴取」として警察から事情を聴かれた。

だが、「任意」といっても、警察に対して自分の意思を押し通せる人は決して多くない。
しかも、任意捜査は本人が取り調べに了解しているという建前になっているため、裁判所などのチェックが入らない。
逮捕・勾留なら1件につき最長23日という期間制限があるが、任意捜査には期間制限もない。
時には、「任意捜査に応じないなら逮捕して強制捜査」「無実なら堂々と調べに応じられるはずだ」という脅しが行われる。
そんな無茶な事を言うな、と思われるかもしれないが、「無実なら黙秘してはいけない」と記者会見で堂々と言ってのけた裁判員だっているのだ。

4月14日午前、警察官から「被害者Aが犯人がお前だと言った」と聞いた柳原さん。
なぜそうなるのかわからない柳原さん、俯いて黙りこくっていると、警察官は机を叩いて「本当のことを言え」と迫り、さらに家族までダシにして話すよう迫り始めた。
柳原さんはその日は家に帰れたものの、毒物自殺を図った。幸い吐き出したので無事だったが、翌日も「任意」と称する取調べが待っていた。
そして翌15日の午前中に3月の犯行を認めてしまう。警察は認めたという証拠を盾に3月の事件で逮捕。


更に、自白の内容がこれまた問題だった。
柳原さんは、言われるがままに
「凶器は果物ナイフ、被害者は自宅にあるビニール紐で縛った」と供述。
その果物ナイフとビニール紐は、柳原さんの自宅から出てきていたもので、警察は「これか?」と尋ね、柳原さんは言われるがままに果物ナイフとビニール紐を使ったと供述していたのだった。

だが、被害者のAは「凶器はサバイバルナイフ、私はチェーンのようなもので縛られた」と供述していたのだ。
Aの記憶違いや、恐怖で感覚がおかしくなっていたという可能性は確かにある。しかし、虚偽の自白の項目にある通り、事実とずれている自白なら、その自白を信用することは難しい。

さらに、犯行の時に使っていた靴が見つからないことについて、柳原さんの説明は二転三転していた。
もちろん柳原さんは靴の処分などしていない。しかし警察に言うように迫られ追い詰められた柳原さんは、適当な理由を自分ででっち上げるしかなかった。
当然つじつまが合わず、言うことを変えることになった。
しかし、警察はこれも「この人が犯人ではないのではないか?」と考えず、「柳原は何かまだ隠しているんじゃねーか?」と疑う方向にばかり考えてしまった。

そして、起訴するにあたって検察はこう考えてしまった。
「一月の事件については逮捕当初から素直に認めていた」(逮捕してすぐ自白したのは事実だが、それ以前から取り調べをやっていて最初は否認していた)
「凶器がきちんと見つかっている」(実際は警察が凶器らしきものを見つけてこれが凶器ですと言わせただけ。被害者の証言は記憶違い扱い)
「言っていることが詳しくてかつそれっぽい」(警察がああ言えこう言えと指導してたらそれっぽくなって当たり前)



だから信用できる!!



結局、警察の暴走を止めるべき検察も柳原さんが犯人であるという偏見から抜け出せないまま、冤罪防止の安全弁は吹き飛ばされてしまった。





取り調べに当たって殴る蹴るの暴力が振るわれた、という訳では決してなかった。

取調官はうつむいて話さない柳原さんに対して机をたたき、語気を強めて「真実を話せ」といったことは、富山県も裁判の中で認めていた。
だがそれだけならば、必ずしも脅迫された、という訳ではない。
しかし、脅迫されなくたって人は絶望的になれば戦う気力をなくしてしまう。
そして間違った自白は作られていき、柳原さんは有罪になってしまったのだ。


しかもこのような構図の冤罪事件、実は富山県ではこれが初めてではない。
氷見事件から22年前、1980年(昭和55年)に富山県の女子高生、そして長野県の信用金庫に勤める女性職員が相次いで赤いフェアレディZを駆る女に誘拐され殺された「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」という事件があり、世間を震撼させたのだが、
この事件の時も富山県警や長野県警は、犯人の女M(1998年に死刑が確定)と当時行動をともにしていた愛人の男性・Kさんを「女と一緒にいたんだから、お前も共犯だ!」と激しく追及。
最終的には「ホントにやってないにしても、お前はあの時Mと一緒にいたんだから『男の責任』を取れ!」という無茶苦茶な論理で自白に追い込み、起訴したのだった。
実際には彼は愛人であるMが誘拐や殺人をやっていた間、ある時は何も知らずに家でテレビを見ており、またある時は女から嘘の儲け話を持ちかけられ、その口実でホテルで待機させられていたわけだが。
幸いにもこの事件はKさんの母親や、彼女が自費で呼んだ弁護士、そして元妻(夫に裏切られていたにもかかわらず、である)の献身的な雪冤活動によって冤罪を晴らすことができた。が、彼もまた無罪が確定してもなお世間からの偏見に苦しみ続けた。富山県警だけでなく、逮捕当時Kさんを同じく犯人扱いした長野県警やマスコミ(テレビ信州を除く)も後に松本サリン事件で同じ過ちを繰り返してしまっている

またこのような警察の密室での取り調べが生み出した冤罪事件を教訓として、富山県弁護士会は「当番弁護士制度」(逮捕された被疑者が起訴前に弁護人と無料で接見できる制度)を設立した。

しかし、当時の柳原さんにはKさんのように味方してくれる人はいなかった。
そればかりか、頼みの綱である「当番弁護士制度」で接見したはずの弁護士でさえ、彼の無実の訴えをまともに聞き入れず、有罪前提での弁護活動を展開してしまったのである。

もちろん警察にしろ弁護士会にしろ、個人レベルでは真っ当な志を持って働いている人間も少なからずいるであろうが、
少なくとも捜査段階でこの事件に携わった者たちには、富山・長野事件の教訓は全く生きていなかったと言わざるを得まい。



なぜ柳原さんは戦わなかったのか?


柳原さんは、裁判で無実を主張することも、控訴も再審の請求もしなかった。
なぜ柳原さんは無実を主張して闘わなかったのだろうか?という疑問を持つ人たちもいる。
その疑問が柳原さんに対する偏見となり、柳原さんを社会復帰後も苦しめているのだが…

絶望的な状況


何より重要なのは、柳原さんが取り調べで自殺を考え、実行に移しかけるほど精神的に追い詰められていたという事実である。
自殺寸前まで追い詰められている人間に対して、さあ戦えと迫るのは無理難題であろう。

無実を主張するリスク


裁判で無実を主張すれば絶対に無罪になるのなら、誰もが無実を主張するだろう。
だが、実際にはそんなことはない。最高裁まで戦っても有罪になり、再審まで何十年も戦ってやっと無罪を勝ち取る人たちもいるのだ。

しかも、柳原さんは自分が無実であるという証拠を持っていない(アリバイになる通話履歴も柳原さんは見ていなかった)。被害者は柳原さんが犯人であると言っている。自白してしまった。
柳原さんが結局「無実を主張しても、自分は有罪になってしまうのではないか?」と考えてしまうのは、やむを得ないところがある。

更に、「無実を主張して有罪になる」のと、「最初から有罪を認めて有罪となる」のでは、前者の方が後者より量刑が重くなってしまう。
真犯人なのに自分は無実であると主張する人間は、「自分の罪を認めず、裁判で証拠を見せられても責任逃れをしようとする」と判断され、量刑が重くなる場合が多い。

また、自分がやったことを認めれば、弁護士を通じて被害者にお詫びのお金や謝罪の手紙を送ることもでき、そのような場合も裁判所は刑を軽くする。
柳原さんの場合、弁護士を通じて裁判で家族に今後の面倒を見ると約束してもらい、被害者Aに賠償金を支払うなどの弁護活動が行われたことが明らかになっている。
こうした活動は、柳原さんが自分は関係ないと言っているならば、難しいことである。こうした活動自体が、自分がやりましたと言っているようなものだからだ。

無実を主張すると、裁判も長引く。
裁判の期間の勾留について、有罪になった場合刑期から差し引かれる場合が多いが、全て差し引かれることはあまりない。
この件でも、柳原さんが起訴されてから判決まで190日ほどあったが、差し引かれたのは130日であった。

もし柳原さんが裁判になってから無実を主張し、それで有罪になってしまったらどうなるだろうか。
事件が2件あったこともあり、徹底的に無実を主張していたなら、判決まで1年近い裁判になっていたと思われる。
無実を主張することで長引いた裁判の期間は、自由の身になれない。保釈も、否認すると認めてもらえない場合が多い。*4
判決も、反省していないと考えられ、金銭の支払や家族による面倒を見るという約束がなかったならば、懲役3年では済まされず、懲役4年、5年と言った重い刑罰が言い渡されていた可能性はある。



自殺寸前という状況まで追い詰められた人に対して、ここまでのリスクを冒して主張しなかったのが悪い、ということは、建て主にはできない。





アニヲタの皆さんも、裁判員として判決を言い渡すかも知れない。
もしかしたら今後司法試験に合格して、裁判官として判決を言い渡す人もいるかも知れない。
え?裁判官?なら知ってるはずですよね(ニッコリ

もしいろいろな立場で刑事裁判に携わることになったら、必ずこの事件を思い出してほしい。
人は、無実の人間でも自白すること。例え暴力などを受けなくても、自白すること。
一見すると詳細で、迫真性があってそれっぽくても、正しい自白であるとは限らないこと。
一度自白すると、無実を主張する気力をなくし、裁判所でも認めてしまい、控訴も再審請求もしない人もいるということ。

そして、間違った有罪判決を出すことがどれほど人の人生をズタボロにするのか、この件を通じて肝に銘じていただきたいものである。
例え担当した裁判官や検察官や警察関係者が死んで侘びたって、柳原さんの人生は戻ってこないのだ…














ただ、柳原さんはそれでもまだ幸運だった面もある。
もし真犯人が現れなかったら、彼は補償金を受け取ることもできず、PTSDについても「被害者はその何倍も苦しいのにレイプ魔が何を言ってるんだ」と嘲笑されさらに辛い思いをしていただろう。

真犯人がもし、たくさんやりすぎていつどこでやったかなんて全く覚えてないぜ!!なんてことになったら。
別人に有罪判決が出ていたことを知ってて「その件は押し付けちゃえ」と考えたら。
全ては闇の中だったかもしれないのだ。

もしかしたら、柳原さんよりもひどい目に遭っている人が、まだ日本にいるのかもしれない…



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最終更新:2024年01月26日 22:14

*1 控訴をしてもし一審と同じことになったら、懲役に加えて判決が出るまでの間も自由を奪われてしまう。実刑判決を言い渡された人にとって、ダメモトで控訴するのはリスクの大きい賭けなのだ。

*2 栃木の足利事件の再審では関係者への尋問が行われ、判決後は裁判官が謝罪をするなどしている。

*3 実際、1980年に山梨県で発生した「司ちゃん誘拐殺人事件」でも、犯人の声の録音を聞いた被害者の母親が「知人の声に似ている」と証言したことから、警察はその知人(事件とは無関係)を有力な被疑者として尾行したが、結果的に真犯人は被害者やその家族とは全く面識のない人物だった……なんてことがあった。

*4 いわゆる人質司法の問題である。