五十万トン戦艦

登録日:2015/04/04 土 20:00:00
更新日:2023/12/27 Wed 22:25:22
所要時間:約 7 分で読めます





五十万トン戦艦とは、明治から大正にかけて大日本帝国海軍の金田秀太郎中佐が構想した史上最大級の戦艦である。
如何せん日本の戦艦と言えば、架空戦記でも常連の大和や国の象徴だった長門型、航空戦艦となりロマンを与えた伊勢型、艦橋が巨大な扶桑型、極めてマイナーな鞍馬型といったものを連想しがちだが、この五十万トン戦艦とは、ある意味島国である日本ならではの発想と言えよう。
なお、この五十万トン戦艦の後も様々な戦艦が計画されたが、本艦を超える大きさの戦艦は計画されていないと思われる。一応、計画のみだが本艦の4倍の規模を持つ空母が構想された事はある。
(ドイツのH45なる戦艦が本艦と同等の艦であると言われる事もあるが、H45は海外のミリオタによる創作であった事が明らかになっている。)

◆概要

1912年(大正元年)のころ、日本では日露戦争に勝利し、これから第一次世界大戦へ突入していく過渡期である。
そんな中、大日本帝国海軍の連合艦隊はロシア海軍を相手に幾多もの海戦に勝利を収め、世界を驚かせていた。
当然ながら、日露戦争が終わった後も次の戦争へ備えていたのである。それは海軍も同じであり、更に強力な戦艦を要求していたのである。
が、当時の日本はそんなに戦艦を建造できる勢いはなかった。というか今のような工廠もそれ程多くなかったのである
そこで、どういう発想か、海軍上層部と当時は中佐であった金田秀太郎は思いついた。

副官「なにか手立てはないか?」

司令官「そう言われましても今の我が国では欧米列強のような工廠の用意から始めないと・・・・。」


大将「なにか思いついたのですか?」

金田「我が国でも一番手っ取り早い方法があります。大量に建造できないのなら、途方になく巨大な戦艦を1隻浮かべてしまえばいい。つまり、1隻で他国の艦隊とお手合わせできる戦艦を作るべし!」

副官「なっ!!」

こんな形の会話だったのかはさておき、要は大量に作らなくとも1隻だけ優れたものを作れば合理的だというのである。これを元に1隻で艦隊と渡り合える戦艦という構想になった。
無敵戦艦に求められたのは、まず艦砲のプラットホームとしての安定性。ここでポイントになったのが太平洋の荒波である。当時すでに最大波長が90メートルであることは判っていた。

金田「じゃあ90メートルを超える長さがあれば波で揺れることはないから超安定するよね?」

そう、この超戦艦はまず「最大幅91メートル」が先にあり、それにふさわしい船体と武装を与えるというコンセプトでデザインされたのだ。
そして、まとめられた要目はこうなった・・・・。

全長:609~1017m

最大幅:91~150m

主砲:45口径41センチ砲…200門以上 (または連装50基100門)副砲14センチ砲単装200門

排水量:50万トン以上

速力:42kt

魚雷発射菅:200門

乗員:12,000人


え、えーっと・・・・なにこの要目?ふざけてるの!?

まあ言うまでもなく1隻で艦隊と渡り合うのだから当然巨大なわけで、全長は現在も最大級の軍艦であるニミッツ級の約2倍、最大幅は同国の大和より3倍以上、主砲は長門型と同じ16インチ砲を大量に装備している・・・・・。
なんだろうね。これは最早戦艦とは名ばかりの移動要塞である。浮かべる城どころか軍艦島である*1
金田は造船所には配備されたことはないが、用兵の専門家・海軍大学校教官・呉海軍工廠長を歴任し、軍艦建造にも関わった人物であった。
長門建造の際、艦橋に色々詰め込んで従来の三脚檣では保たないと判って困っていたところ、金田が事もなげに出したアイデアが七脚檣だった。
後で巨大戦艦・大和を設計した平賀譲中将は金田のことを「彼は突然凄いことを言う。これは夢物語に近いものもあれば、大いに参考になる場合もある」と話している。

ホントどうしてこうなった!

◆結果

さて、その後どうなったかといえば、言うまでもなく……建造すらされず、本当に構想のみで終わった。世界には早すぎたのである。

なぜこうなったかというと、当時は超弩級戦艦がまだ珍しい、日本が自力で戦艦を建造できるようになって間もない頃だったからだ。
また、その超弩級戦艦の排水量は22,200トンが限界で、あのイギリスのタイタニックも全長269.1 mであり、当時の造船技術ではこれより巨大な船を建造するという技術はなかったのである。
結局のところ、日本もこれだけの大きさの軍艦を建造できるわけが無く、計画段階にさえ入らずに終った。
まあ、こういうのがあったらどうだ的な発想でしょうけど。
分かりやすく言えば、リボンの騎士の時代にプリキュアを思いつくようなものであろうか。

そもそも、これだけの巨艦を建造するとなれば造船所も専用のものが必要だし、今のようなコンピュータの無い時代であるため緻密な設計は不可能。そして、石炭にしても燃料にしても大量に確保しなければならないのだから。

◆if

もしも、仮に五十万トン戦艦が建造可能だったら、世界は極めて緊張に包まれたに違いない……が、果たして1912年の地点で建造を始めたとしても完成できたかは疑問が残る。
まず、建造費だが日本では、通常の戦艦1隻で国家予算の3~4%くらいかかる*2。更に、建造には当然50万トン分の鉄材が要る。つまり史実では建造された艦艇が存在しなかったかもしれないのだ。
また、専用の工廠も必要であり、こちらも国家予算の何割というレベルの巨額な経費が必要だったに違いない。
しかし、本艦の最大の敵は、1921年のワシントン海軍軍縮条約だろう。
この条約が発効されるまでに建造するのだから、当然苦労するわけで9年で構想から就役までしなければならないのだ。
間に合わなければ廃艦である。とはいえこの期間で戦力化すれば条約が来ても「処分だけで予算が建造費よりかかる」という理由でお咎めなしだったに違いない。
あと、本艦が寄港できる港も必要だと思われ……。

◆喫水線

さて、全長600m以上で排水量50万トンとなれば、戦艦としては喫水がかなり浅いことになるわけだが、喫水が何mになったのかは不明である。
もし、喫水が通常の戦艦のように10m以上あるのなら、排水量は50万トンに収まらず100万トンになってしまう。
実際、こんな巨体が進水式を行うと戦艦武蔵が巨体を浮かべた瞬間街に水が押し寄せたと考えれば、最早50万トン以上の船体が降りるわけだから洪水みたいになるだろう。巨大な防護壁の建設も必至である。

◆ちなみに

年々増加する戦艦の建造コストを問題視して、それなら最初から強力な戦艦を作ってしまえという発想は太平洋の向こう側であるアメリカ合衆国でも存在しており、当時の上院議員ベンジャミン・ティルマンの指示によって幾つかの構想が練られている。
この構想によって計画された戦艦はティルマンの最大戦艦、或いは単に最大戦艦と呼ばれており、I、II、III、IV、IV-1、IV-2、IV-3の7案が検討された。
最大戦艦そのものの規模はパナマックスを基準とした為、排水量6万~8万程度の艦であるがそれでも当時の艦と比較すれば遥かに巨大である。
もっとも、その建造費は1隻でコロラド級3隻分とも言われており、議会からまともに取り扱われる事は無かったとされる。

◆アニヲタ的には

超・漢の浪漫であるが、あまりに超兵器過ぎてなかなか作中に登場させられない。
仮想戦記でも数例を見るのみである。
『超々弩級戦艦土佐』『不沈要塞播磨』
たぶんこの二作以外にはない。

とはいえ世の中にはぶっ飛んだ発想をする作品もあるもので、ガールズ&パンツァーに登場する学園艦は比較的小型の大洗学園艦でも7600mの規模を誇る空母型の洋上都市である。
こんなものが一県に一隻はある世界観では、もしかしたら金田中佐は50万トン級ではなく5000万トン級戦艦を企画したのかもしれない……


追記・編集は巨艦に夢を馳せてからお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 戦艦
  • 見果てぬ夢
  • 兵器
  • 軍事
  • 変態
  • 変態兵器
  • 漢のロマン
  • 漢の浪漫
  • 男のロマン
  • 男の浪漫
  • 私の排水量は530000tです
  • 現在の技術でも実現困難
  • 軍艦

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年12月27日 22:25

*1 ちなみに、実在する方の軍艦島こと長崎の端島は480m×160mなので、マジで島である

*2 総額なので、建造期間で配分すれば大体毎年国家予算の1%弱というところ

*3 福井静夫の十三号艦型と同様に後世の誰かが想像した産物だとか