A-3スカイウォーリアー

登録日:2015/03/14 Sat 19:14:16
更新日:2022/04/07 Thu 08:36:38
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A-3とは、ダグラス・エアクラフト社が開発し、実戦に投入されたアメリカ海軍の艦上攻撃機。アメリカ海軍の強さを象徴する機体の1つでもある。愛称はスカイウォーリアー。今はA-3だが、最初期はA3Dと呼ばれていた。当たり前の話だが敵機を撃墜する艦上戦闘機だけでは空母は戦力にならない。敵地を爆撃する艦上攻撃機を擁すればこそ、空母は最強の存在たりえるのである。



【開発までの経緯】
第二次大戦後、冷戦が始まり双方で核開発が過熱の極みにあった頃、当時のアメリカ空軍はB-36やB-45、B-47、B-52といったジェットエンジンを搭載し、核兵器を運用可能な爆撃機によって戦略空軍を組織していた。
そんな最中、アメリカ海軍もまた核攻撃が可能な艦上攻撃機が必要だと痛感していたのである。
しかし、いざ作れとなっても海軍では空母からの出撃が前提となり、空軍機のように大型の機体を採用することが出来なかった。よって必然的に比較的小型の機体になる。その結果、本格的な核搭載型艦載攻撃機としてノースアメリカン社がAJサヴェージを、ロッキード社が陸上機であるP-2ネプチューンを改造したP2V-3Cを開発、戦力化した。


しかし、この両機には致命的な問題があった。


まず、AJサヴェージはジェットエンジンを装備しているものの、それは補助的なものであり燃費も信頼度も悪く、メインは"前大戦の遺物"とまで呼ばれたプラット&ホイットニー R-2800-44W星型レシプロエンジンであり、東側の高性能化しつつある機体に対して速力に問題があったのだ。P2V-3Cは離陸時には全艦載機を格納庫にしまった上で、飛行甲板の後部から最先端までJATO(補助ロケット)を使わないと飛び立てなかった。おまけに、攻撃後は空母に戻ることが出来ず不時着するか最寄りの飛行場に着陸しなければならないという昭和17年のドーリットル空襲そのものの再現であった。


結局、どっちにしても時代と共に高性能化しつつある敵機に対抗できるものではなく、より本格的な、大型かつ空母から運用できる艦上攻撃機の開発が必要となったのだ。これにより、1947年にアメリカ海軍は航空機メーカー4社に対して要求書を提出した。その内容とは・・・・。


航空母艦より運用可能

核爆弾の搭載を前提とし、4.5tの爆弾搭載能力を持つ

3,700kmの戦闘行動半径



というそれまでの艦上攻撃機とは一線を画すものだった。4.5tの搭載能力というのは大戦期のソビエト連邦空軍が少数配備した戦略爆撃機Pe-8と同じ量である。3,700kmの行動半径にしても大戦期の艦上攻撃機を遥かに凌駕しているのである。最終的にノースアメリカン社のXA2J スーパーサヴェージとダグラス社のXA3Dの二案が競う形になったが、最終的にダグラス社のXA3Dが認められ、1949年の3月には開発がスタートした。そして、1952年10月28日には原型機が初飛行した。それはYA3D-1と呼ばれ、1956年には同時並行で先行量産型A3D-1がお披露目。アメリカ海軍の空母に載せられるようになった。その後、命名基準が改められA-3という名前に変更された。


【特徴】
A-3スカイウォーリアーはそれまで配備されていたAJサヴェージとは違う様々な特徴を備えていた。

  • エンジン
AJサヴェージはレシプロエンジンを動力源にしジェットを補助動力にしていたが、A-3スカイウォーリアーは全てジェットエンジンで統一されている。攻撃機用に設計されたJ57であり、最高推力は4000~5000kgまで出せる。これにより最高速度は982km/hに達し、ジェット戦闘機に対抗可能な速度を獲得した。(AJサヴェージは最高758km/hだった)


  • リモコン式連装20mm機関砲
いうまでもなくA-3の防禦武装である。それまで配備されていたAJサヴェージは設計上後部に武装が積めないという航空技術の発展期に目を疑いたくなるような構造で、敵機に発見されたらジェットを点火して遁走するしかなかった。当然それは大型空母で運用可能な大型の艦上攻撃機であるA-3も同様で、機体後部は非常に狭く、武装はともかく機関砲を操作する人間を収める余裕はなかった。が、ダグラスの技術力を最大限活用し離れた搭乗スペースからの遠隔操作を実現したのである。これで後部に与圧区画を設ける必要がなくなり、機体形状をスッキリしたデザインにまとめられた。ただし、給油機型・電子戦機型・高官輸送機型では最前線で敵機を迎撃する必要がないため、これは撤去されて綺麗に整形されている。


  • ステアリング機構
そんなのほとんどの機体にあるじゃないかと思われがちだが、アメリカ海軍の艦上機では初である。それまでの機体は、左右エンジンの出力調整か主脚ブレーキの踏み分けでという戦車のような方法でタキシングをしていた。が、A-3のJ57エンジンは最高に達するまでの回転速度が遅く、狭い上に揺さ振られる場合もある空母の甲板でタキシングするためには、前脚にステアリング機構が不可欠ということで初めて採用されたのである。このシステムは後任であるA-5ヴィジランティにも受け継がれている。


  • ご不浄
言うまでもなくトイレのことである。前任のAJにはないものだったが、A-3では長時間の飛行に備えて、搭乗員の座席の一部を上にあげると便座になり用が足せるという男女問わず非常に優しい設計になっている。ただ、民間機ではないので間仕切りなどあるわけがなく、その姿は周りから丸見え。別にこれはA-3攻撃機に限ったことではなく、大戦期の各国の戦略爆撃機や、この後の日本で就役する飛行艇である「PS-1」や「US-1」でも同様。


  • 脱出方法
本機の新しい要素として、脱出装置を備えていないという点が挙げられる。この辺りは正しいだろうが(実を言えば機体の設計上取り付けられなかったんですけどね)、どうやって逃げるかというと天井のハッチからぞろぞろと飛び降りるという。このハッチは万が一の事故に備えて離着艦時は開けっ放しである。


【実戦投入】
こうして様々な課題をクリアし、A-3は実戦に投入されると思われた。

が、ICBMが誕生し戦略爆撃機の補給基地も各国に用意されるようになった。この結果、そもそも空母で敵地まで近づく必要がほぼなくなるという事態に。

結局のところ、幸か不幸かA-3が実施するはずであった核攻撃は行われることはなかったが、まもなくして就役したA-4、A-5共々通常攻撃か偵察任務に当たるようになった。特に華々しいのはベトナム戦争である。この作戦ではA-3の派生型であるEA-3B、KA-3B、EKA-3B、RA-3Bといった型が就役。順に電子戦型、空中給油型、電子・給油兼用型、偵察型である。いずれにしても、ベトナム戦争中は軽快なミグ機を装備する北ベトナムを相手に燃料を大量に浪費する機体が続出したため、意外と活躍したのは給油が出来るKA-3B、EKA-3Bであった。偵察型はどっちかというと、ほとんどをRF-8G(これはクルセイダー戦闘機の派生型)やRA-5C(これはA-5ヴィジランティの派生型)が受け持つようになり、スカイウォーリアーは先述のとおり給油や電子戦でその実力を発揮した。そのでかい図体は様々な装置を搭載するのに打って付けであり、この辺りは他国の艦上攻撃機では真似できない。できてもA-3と同じくらいの搭載量は再現できないだろう。

なお、機雷を投下する任務にまでこなしており、本機の有効性を露わにしている。


【日本での動き】
日本ではベトナム戦争の間は度々入間や横田といった基地に顔を出したり、基地祭で展示されたりと非常に知名度が高い。が、当時は日本の自衛隊の国産機配備を嫌った世の中は必然的に輸入を迫るはずだが、攻撃と言う言葉が危うかったらしく電子戦型や給油機型すら、配備されなかった。今はあの頃より緩くなったので可能ですけど、やっぱりこういうのは国産化だよね。


【余談】
さて、これだけ優れた攻撃機をなぜ、他国がほしがらないのか?同じダグラス社のA-4が世界中に輸出されたのに未だに本機は海外で運用される気配がない。
なぜかといえば、大型の格納庫を備えた空母の保有がA-3装備の条件なのだ。
実際に本機は特殊な改造を行ったエセックス級航空母艦以降の空母でしか運用されておらず、その中身はエセックス級・フォレスタル級・ミッドウェイ級・アメリカ級・キティーホーク級・ニミッツ級といった排水量が30,000~60,000tもあり広々とした飛行甲板と収容可能な格納庫を有する大型空母である。イギリスやフランスの空母は飛行甲板は充分でも、肝心の格納庫には折りたたんだA-3が収容できず出しっぱなしという露天駐機状態になってしまうのだ。

本機の派生型の1つにB-66があるが、これはA-3を陸上基地から運用するために改造された機体であり、塗装だけの外観とは異なり様々な装置が変更されている。まるで彗星のようだ。


追記・修正はA-3で出撃してからお願いします。

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最終更新:2022年04月07日 08:36