キング・ジョージ5世級戦艦(二代目)

登録日: 2015/03/12 (木) 20:00:01
更新日:2024/02/04 Sun 22:46:08
所要時間:約 5 分で読めます




キング・ジョージ5世級戦艦(King George V class battleship)とは、かつてイギリスが建造、保持していた戦艦である。

名称の由来は当時の大英帝国国王ジョージ6世の父ジョージ5世。
慣習に倣うと本来なら起工時1937年当時の国王ジョージ6世から「キング・ジョージ6世級戦艦」と命名される筈だが、ジョージ6世の希望により父王の名から命名された。
その為、「キング・ジョージ5世」の名を持つ戦艦としては2代目となる。*1




基本性能諸元

基準排水量:38,030t
満載排水量:42,237t
全長:227.1m
全幅:34.2m
吃水: 8.8m
機関:海軍式三胴型重油専焼水管缶 8基
   パーソンズ式オール・ギヤードタービン 4基4軸推進
最大出力:110,000hp 
最大速力:28.0kt
     30.0kt(非公式記録)
航続距離:16kt/7,000海里
     20kt/5,700海里
乗員:1,381~1,900名
兵装:Mark VII 35.6cm(45口径)4連装砲 2基
   Mark VII 35.6cm(45口径)連装砲 1基
   Mark I 13.3cm(50口径)連装両用砲 8基
   Mark VIII 12cm(43口径)単装高角砲 6基
   2ポンド(40mm)8連装ポンポン砲 4基 →8基
   UP 17.8cm20連装ロケット砲 4基(後に撤去)
   40mm4連装機銃(1945年までに増設。艦によって搭載数に差あり)
   40mm単装機銃 (同上)
   20mm連装機銃 (同上)
   20mm単装機銃 (同上)
   埋め込み式カタパルト 1基
   水上機 最大3機
       常用2機
   各種レーダー複数
装甲:
舷側:381mm(弾薬庫)
   356mm(機関区)
甲板:152mm(弾薬庫)
   127mm(機関区)
主砲塔:324mm(前盾)
主砲バーベット部:324mm   
司令塔:100mm  
前級:ネルソン級戦艦
次級:ライオン級戦艦(未完成)
   ヴァンガード級戦艦




建造までの経緯

ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮会議の期限が迫り、「海軍休日」は終わりを迎えつつあった。
海軍世界1位だったイギリスはその立場を維持したいが為に1936年に開催を予定した第二次ロンドン軍縮条約でも現状維持を提案しようと目論んでいた。
日本が怪しい動きをしていたが、イギリスは説得可能とみて会議に臨んだ。

そして…


日「あ、うちは抜けるんで ^^)」

日「あと新戦艦の性能も公表しません ^^)」

伊「せやな(便乗)」

英「あ…?あ…?」


駄目でした。
日本、ついでにエチオピア侵攻真っ只中のイタリアが条約を脱退し、1938年をもってエスカレータ条項*2に基づいて
  • 戦艦建造における規制を「基準排水量45,000t以下、主砲16インチ(40.6センチ)以下」へと緩和
  • 戦艦及び空母保有枠の増大
などの規制緩和が図られた。

ドイツのビスマルク級戦艦とイタリアのヴィットリオ・ヴェネト級戦艦を警戒するフランスは極めて強力な15インチ4連装砲を備えたリシュリュー級戦艦を建造していたし、日本の新戦艦を16インチ砲と睨んだアメリカは建造中のノースカロライナ級戦艦を14インチ4連装砲から16インチ3連装砲へと設計変更、更には16インチ砲防御対応の改良型サウスダコタ級戦艦の設計に乗り出した。


さて肝心要のロイヤルネイビーはというと、困り果てていた。
「主砲口径も排水量も現状維持」という自国にとって都合のいいルールを勝ち取る気満々で設計を進めていたのが仇となり、既に設計変更が難しい段階に入っていたのだ。
つまるところ、盛大に自爆したわけである。

かくして、各国が新造戦艦というカードを手札に加えて戦争への道を進もうとする中、イギリスの手札には新たな戦艦が加わるのであった。





設計と特徴

設計・建造はヴィッカース社。日本の金剛型戦艦1番艦、金剛を作った会社である。
条約延長を見越して設計されたので、どうしても他国に見劣りしてしまっている。
というか、独・伊が条約を誤魔化す気満々で建造していたのに馬鹿正直に条約を守っていた時点でアレなのだが…

何はともあれ、前級ネルソンで犯した大失敗を教訓にして、限られた排水量の中で攻撃力、防御力、速力をバランスよくまとめることには成功した。

ネルソンから受け継いだ塔型艦橋が良いアクセントとなり、その姿はまるで海上に浮かぶ城塞。
軍艦美の極致と形容されたフッドを建造した英国らしい美しい戦艦であると言えよう。





攻撃力

主砲は45口径35.6cm(14インチ)砲と同時期に建造された戦艦に比べて見劣りする物だった。
というのも、既に建造準備がかなり進んでしまっていたので、簡単に設計を変更出来なかった為である。

この攻撃力不足を門数の多さで補おうと、門数と重量軽減の両立を意図して4連装砲塔を採用。これはフランスの4連装砲と違って純粋な4連装砲*3であった。
構想初期には4連装砲塔3基の12門を望んでいたが、結局重量オーバーとトップヘビーの懸念から4連装が2基、連装を1基の計10門と半端な数字になった。

副砲はネルソン級の反省を踏まえて最初から対空砲兼用として設計されたMark I 13.3cm連装両用砲。
他の対空兵装には英国海軍で広く使われた40mm8連装ポンポン砲、大戦後期にはアメリカが提供した対空機銃の傑作品、スウェーデン・ボフォース社の40mm機関砲やスイス・エリコン社の20mm機関砲を多数配置している。

また、大戦初期には他国にはない画期的な対空装備として、落下傘付きの爆雷を空中にばら撒くUP 17.8cm20連装ロケット砲を備えている。

また、最も早い時期に実用的なレーダーを装備した艦でもあり、対空警戒能力や夜間索敵能力は従来の艦から一線を画する物を有していた。*4

防御力

攻撃力に乏しい分、防御力には力を入れていた。
傾斜装甲は採用されていないものの装甲の最も厚い部分で381mmあり、この数値は同期の戦艦としては大和型に次ぐ厚さだった。

また、クイーンエリザベス級戦艦で培われた近代化改装のノウハウを基に、塔型艦橋は重装甲の司令塔を廃して駆逐艦クラスの砲撃に耐えうる防御力を与えられた。
……ん?


機動力

ネルソン級の失敗を踏まえて無難な機関を採用した結果、速力28ktという当時としては標準的な高速戦艦となった。
また、建造にあたっては大西洋での運用を前提に10ktで14000マイルでの航行が求められた。




見通しの甘さから攻撃力には欠けたものの、比較的高いスペックを誇る高速戦艦として完成したキング・ジョージ5世級は5隻が建造され、世界に英国海軍の強大さを再認識させた。
時の首相・チャーチルは2番艦プリンス・オブ・ウェールズをえらく気に入り、「世界最強」と大いに宣伝している。









さて、本題に入ろう。




英国面
だったよ!

やっぱりかチクショウ!




安定の英国面

無理な軽量化のしわ寄せなのか、所々に不具合が生じていた。




攻撃面の欠陥

KGVを英国面たらしめる最大の要因。

◆主砲
無理な軽量化は砲塔スペース、特に高さ方向の余裕をなくしてしまったためひたすらに内部が狭く、それに起因する故障を連発した。
とにかく最初の数年は壊れて撃てないという事態が頻発、戦闘どころではなかったそうな。
1945年に日本本土を砲撃しに来たときでさえ平均出弾率7割、つまり10門ある主砲の内3門は使えない体たらく。
片っ端から故障するのを片っ端から直しながら使ってご覧の有様だよ!

射程も最大仰角40度で35,260mの筈が、艦橋の測距儀が小型低性能だった為に実用的な射程は25,000mくらいだった。

艦首が垂直に切り立ったスターン・バウで凌波性が悪く*5、また「主砲を艦首方向に仰角0で射撃可能に」という英海軍恒例の謎の要求に応えた結果、艦首甲板の反りが全く無かった。*6
この為、1番、2番砲塔が波を被り易く、極寒の北大西洋では完全に凍結してこれまた撃てなくなった。
これネルソンでもやったよね!?

ただ、砲そのものはそれほど悪くない。諸悪の根源は 背の低い四連装砲塔 なのだ。
だから連装の二番砲塔にはそこまでの不評はなかった。
つまり先にあげた45年の出弾率7割というのは7/10ではなく連装砲塔の分を省いた5/8と考えた方が正しい。
45年に至ってもなお四連装砲塔の半分が使えないような有様だったわけだ・・・。


◆副砲
対空砲兼用の両用砲にすることで、両方積む分の無駄を無くし、重量節約…というアイデアは悪くなかった。
しかし人力装填なのに砲弾の重量が36.3kgある上に砲塔の旋回速度、砲身の上下速度共に水上艦用と大差なく、敵爆撃機には到底追いつける物ではなかった。
ただしこれは両用砲とする以上は対空/対水上のどちらかまたは両方の性能を妥協せねばならないということであり、本級のものは見ての通り思いっきり副砲に寄せた性能であったため、対空砲として使おうとすると前述の欠点が目立ち、意識したはずの対空性能を落とす結果となった。
*7


◆対空装備
40mm8連装ポンポン砲とUP 17.8cm20連装ロケット砲の両方が大層な欠陥品だった。
特にポンポン砲は挙げるだけで
  • 弾が重い上に遅い為に弾道特性が悪く、当たらない
  • 曳光弾が使えないので何処を撃っているかわからない
  • 大口径の割に射程が短い
  • 給弾機構と機関部がよく壊れ、頻繁にジャムる。
特によく壊れるのが致命的で、マレー沖海戦でPoWの物が1基は12回、もう1基は8回も故障している。
対空戦闘は約2時間続いたのでだいたい6分に一回は壊れたことになる。これじゃ「ポンポン壊れる砲」じゃねーか!
日本でも「毘式四十粍機銃」という名でライセンス生産されたのだが、あまりの駄目っぷりに早々に見放された。

UP 17.8cm20連装ロケット砲の方はというと、展開速度が敵機のスピードに着いていけず、戦果を残せなかった。
発想は悪くなかったが、如何せん航空機の進化が早すぎた。


結局どちらも撤去され、ボフォース社の40mm機関砲とエリコン社の20mm機関砲に取って代わられた。
こちらは今なお現役の傑作品。




防御面の欠陥

最も力を入れていただけあって他よりは随分まともだが、やはり突っ込みどころがあった。
まあ、こんな欠陥などかつての巡洋戦艦に比べれば些細なものだろう。たぶん。

◆防御
先程述べたように艦橋はペラッペラ。この時期、司令塔がほとんど無防御の軍艦は極めて珍しい。好意的に見ればCICシステムの先駆けということになるが・・・
事実、デンマーク海峡海戦ではPoWの艦橋にビスマルクの砲弾が命中、ジョン・リーチ艦長他一名を除いて艦橋要員が戦死という大惨事となった。

更に機関室が出力の割に大きい。なので高速性を保つために船体を細めた結果として機関区画と舷側の間に余裕がなく浸水に弱いという弱点を抱えていた。

まあ条約型の中でも特に分厚い装甲があるので、ラッキーヒットさえ貰わなければ艦船との砲撃戦では相当な耐久力を発揮しただろう。
問題は…

◆水中防御
なんとバルジが無い。
同じバルジ無しでもイタリアよりはましだろうが…

ついでに水中弾効果への対策も全く考えられていなかった。




機動力の欠陥


◆機関
確かに無難な機関を採用していたのだが、小型化に失敗した上に出力に余裕がなく、燃費も悪かったので「10ktで14,000マイル」なんて要求はまず無理、実際は
燃料3,700tの速力10ktで約7,000マイルだった。
この為、最高速で進み続けるとアッという間に燃料が無くなってしまう。






結論

バランスよくまとまってはいたが、それを台無しにする欠陥が目立つ。
特に本級唯一の戦没艦となったPoWはデンマーク海峡海戦では艦橋大破、マレー沖海戦では航空機に完全敗北と、弱い部分を突かれた。
もっとも、仮想敵だった独・伊戦艦も大なり小なり欠陥を抱えていて、それらへの刺客としては十分ではなかろうか。

そして、新型戦艦が5隻も就役したというアドバンテージは非常に大きかったであろうことは疑いようがないだろう。




活躍

スペック上では新鋭戦艦最弱の座に甘んじたキング・ジョージ5世級だったが、第二次世界大戦中の戦艦としてはこれ以上にない程活躍した。それは何故か、
キング・ジョージ5世級には上記のような多数の欠陥を無視してでも達成するべき使命があった。それは「同型艦5隻全ての建造を戦争に間に合わせる事」である。

KoGとPoWのスペックを見て、あることに気づかないだろうか?
起工:1937年1月1日


1937年1月1日


1937年1月1日


1937年1月1日


大事なことなので何回も言いました。
軍縮条約が明けたまさにその日、彼女達は最初の槌音を響かせたのである。

実はヨーロッパでは、海軍休日が明ける前からすでに建艦競争が激烈な勢いで進んでいた。
ドイツは海軍休日と無関係だったし(もっと厳しいベルサイユ条約の制限を受けていたが、起工スケジュールはかなり早く解禁されていた)、
フランスとイタリアはロンドン条約の制限を受けなかったのでイギリスより5年も早く新型戦艦の建造を始めることができた。
ヨーロッパでも特に有力な三国がドンドン新型戦艦の建造に突き進んでいた中、イギリスだけは指をくわえて眺めていなければならなかったのだ。
だからこそキングジョージ五世は、スペック上の不利を忍んででも一刻も早く完成させねばいけなかったのである。
日本もアメリカも、最初の新型戦艦起工は同年秋に入ってからだった。
大和型戦艦への批判の一つとして「起工が遅すぎ」というものがあるがさにあらず。イギリスが異様に早かった、というのが真実である。

それだけの努力の結果、イギリスはわずか2年で5隻もの戦艦を建造できた。
彼女よりスペックが上回るはずの大和型やヴィットリオ・ヴェネト級が活躍できなかった理由の一つとして「貴重すぎた」という点がよく挙げられる。
つまり時間をかけて完璧に近い戦艦を作っても、たったの2~3隻しか存在しないのでは、一隻が何らかの理由で戦闘不能になった場合に戦力が大幅に減少してしまうという懸念があり、その運用は消極的にならざるを得なかったのだ。
その点においてキング・ジョージ5世級は日伊独の新鋭戦艦とは一線を画していた、新鋭戦艦が5隻も存在するというのは非常に乱暴な言い方をすれば「1~2隻ぐらいならやられても大丈夫」という事である。
この数の利点を生かし積極的な運用を行った結果、キング・ジョージ5世級は船団護衛、敵戦艦との砲撃戦、上陸支援、敵本土砲撃など各方面で戦果を挙げる事が出来たのだ!

「戦いは数だよ兄貴。」




何?16インチ砲装備の新鋭戦艦を戦争中に10隻揃えた国家がある?ハッハッハ、冗談はよしてくれたまえよ。




同型艦


◆キング・ジョージ5世
HMS King George V

起工:1937年1月1日
進水:1939年2月21日
就役:1940年12月11日
退役:1949年

1番艦。
艦名の由来は上記通り。

本国艦隊旗艦としてビスマルク追撃戦やH部隊の所属としてシチリア島上陸作戦の支援に参加した。
終戦直前には日本沿岸にも現れて日立市や浜松市などの軍需施設に艦砲射撃を行っている。



◆プリンス・オブ・ウェールズ
HMS Prince of Wales

起工:1937年1月1日
進水:1939年5月3日
就役:1941年1月19日
戦没:1941年12月10日

2番艦にして同級では唯一の戦没艦。
艦名の由来は皇太子に与えられる称号「ウェールズ公」から。
この場合は前国王でジョージ6世の兄なエドワード8世を指す。

フッドと共にビスマルクにボコられたり、東洋艦隊Z部隊旗艦として日本をビビらせたと思ったら僚艦の巡戦レパルス共々九六式陸攻と一式陸攻に沈められてチャーチルに多大なショックを与えた不幸な艦。


この時の艦長ジョン・C・リーチ大佐はビスマルクとの戦闘で艦橋に直撃を喰らった際の僅か2人の生き残りの1人だったが、マレー沖で撃沈された際に命運尽きたことを悟ったか、"No thank you."と言い遺して退艦を拒否、艦と運命を共にした。

なお名の由来となったエドワード8世は、家族・家臣一同から猛反対されたバツニアメリカ人女性と結婚するために国王を辞める等、家族など周辺の人々にとっては困った人だった。



◆デューク・オブ・ヨーク
HMS Duke of York

起工:1937年5月5日
進水:1940年2月28日
就役:1941年11月4日
退役:1951年11月

3番艦。
艦名の由来は皇太子の弟に与えられる称号「ヨーク公」から。
この場合は当時の国王ジョージ6世を指す。

トーチ作戦やリーダー作戦などに参加、北岬沖海戦ではドイツの巡洋戦艦シャルンホルストを大破に追い込むなど多方面で活躍、終戦時は英太平洋艦隊旗艦として東京湾での降伏調印に参加、第二次世界大戦の終結を見届けた。

名の由来と同じ位に素晴らしい活躍を見せた艦であろう。



◆アンソン
HMS Anson

起工:1937年7月20日
進水:1940年2月24日
就役:1942年6月22日
退役:1951年11月

4番艦。
艦名の由来は18世紀の提督ジョージ・アンソン男爵。
当初は第一次世界大戦で活躍した海軍司令長官ジョン・ジェリコー伯爵にちなんで「ジェリコー」と名付けられる予定だった。

船団護衛やリーダー作戦に従事した後、DoYと共に日本の降伏調印に立ち会った。



◆ハウ
HMS Howe

起工:1937年6月1日
進水:1940年4月9日
就役:1942年8月29日
退役:1951年11月

5番艦。
艦名の由来は18世紀の提督リチャード・ハウ伯爵。
建造中は第一次世界大戦で活躍した海軍元帥デイヴィッド・ビーティー伯爵にちなんで「ビィーティー」と名付けられていたが、進水前にハウに改められた。

船団護衛や地中海での作戦に従事した。





発展型



ライオン級戦艦

KGVと同じく条約明けを見越して建造された戦艦。
新規設計されたMark II 40.6cm(45口径)3連装砲を主砲に採用した念願の16インチ砲搭載艦で、全体的にKGVの発展拡大型というべき物だった。
まあスペックは高いが実際はお察しというのが英国の近代的戦艦のお約束だが…

実際に1番艦「ライオン」と2番艦「テメレーア」が起工され、続いて3番艦「コンカラー」、4番艦「サンダラー」の建造も予定されていたが、第二次世界大戦の勃発で建造中断となり、とうとうキャンセルとなった。

ただし、大戦中も虎視眈々と建造再開のチャンスを窺い、設計の改良を続けていた。
その計画案の中にはなんと「航空戦艦」や排水量59,100tという何か日本を連想させる計画まであった。
やっぱり英国海軍は日本海軍の師匠なんだなと解るエピソードである。



ヴァンガード級戦艦

日独の最新鋭戦艦に対抗するべく、リヴェンジ級戦艦から降ろされた主砲を流用してなるべく安価に、しかし英国戦艦の集大成として建造された最良の戦艦。
ただ、大戦終結までに就役が間に合わなかった。
1隻しか建造されなかったが、本来はもっといっぱい建造される予定だった。
というか戦前から建造する気満々だった。




余談


時の英国首相チャーチルが戦後にKGV級を指して

「我々は戦艦のような物で今大戦を戦った」

とこき下ろしたという話が日本では広まっているが、実際にチャーチルがこのような発言をしたという記録も、日本以外でこの話が知られている様子もなく、全くのデマである。『 北岬沖海戦: 一九四三・戦艦シャルンホルスト最期の出撃 』という本の訳者あとがきには、「チャーチルの『戦艦のようなもの』発言は英文ソース皆無。知り合いの英国人研究者(イアン・バクストン、 3番艦デューク・オブ・ヨークの本 を書いてる人)にも聞いてみたけどそんな話は初耳だと言ってた。日本国内で広まったガセネタっぽい」(大意)と書かれている。






追記・修正をお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • イギリス
  • 戦艦
  • 大英帝国
  • 英国面
  • キング・ジョージ5世級戦艦
  • 軍艦
  • 軍事
  • ロイヤルネイビー
  • 条約型戦艦
  • 二代目

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年02月04日 22:46

*1 初代は1912年製

*2 早い話、条約を抜ける国があったら規制緩和しましょうということ

*3 フランス式は事実上、連装砲を並列配置した物だった

*4 ロンドンの日本大使館勤務の海軍中佐はイギリス空軍が本土防空の切り札として投入した対空レーダー部隊に注目していた事もあり、艦載レーダーを本級最大の特長として報告しているが…日本本国の方では「闇夜に提灯をともす間抜けな艦」と本級と報告者を侮蔑する意見が主流だった。どちらが正しかったかは、後の歴史を見れば瞭然である。

*5 アトランティック・バウという、艦首上部が大きく前方にせり出す形状であれば、凌波性が改善される。ビスマルク級などが特に顕著。

*6 シアと呼ばれる艦首の反り上がりで、大和型やアイオワ級のものが特に顕著でわかりやすい。「艦首を高くして波を被らないようにしよう」というごくシンプルな発想だが、確実に効果のある造船のテクニックである。

*7 米海軍は同じく両用砲で対空砲に寄せたため、戦艦の副砲という対水上用途としては威力不足になる欠点もあった。