森田一義アワー 笑っていいとも!

登録日:2014/04/23 (水) 20:46:12
更新日:2024/04/07 Sun 20:10:24
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お昼休みはウキウキウォッチング♪


あっち こっち そっち どっち いいとも♪



森田一義アワー  

笑って    




『森田一義アワー 笑っていいとも!』(以下笑っていいとも!またはいいとも!)は、
フジテレビ系列(FNS)で1982年10月4日~2014年3月31日まで、毎週平日正午から13時まで放送されていた生放送のバラエティ番組である。

司会はタモリだが、当番組では本名の森田一義でテロップが出されていた。*1

基本データ

  • 放送回数 8054回
  • 在籍期間最長レギュラー 関根勤(1985年10月~番組終了まで)
  • 在籍期間最短レギュラー とんねるず(2014年1月から3月まで)
  • 最年長レギュラー 浜田幸一(元自民党衆議院議員・2002年4月から9月、当時73~74歳)
  • 最年少レギュラー 鈴木福(祝日・お盆時期及び年末年始に2012年4月~番組終了まで出演、当時8~9歳)
  • 最多中断日数 2011年3月14日~18日の5日間(東北地方太平洋沖地震による特別報道のため)
  • 最多テレフォンショッキング出場者 和田アキ子(22回)

概要

元々同枠では「笑ってる場合ですよ!」という生放送のバラエティを放送していたが、それをリニューアルする形で始まったのが本番組である。
そのため、スタジオアルタからの生放送や日曜日に一週間の総集編を放送するというフォーマットは「笑ってる場合ですよ!」から引き継いだもの。
アルタ以外ではイベントなどでお台場のフジテレビ本社V1スタジオや、バブル期にはハワイから生放送を行ったこともある。これ以外ではあまり知られていないが1986年に愛媛県の松山市民会館から、1989年にはタモリの地元福岡県の「イムズホール」から生放送をしたこともある*2

司会にタモリが起用されたのは「大人の笑いを求める」という制作側の意向だったが、当時「恐怖の密室芸人」と呼ばれた氏を昼の番組に起用する*3のは当時は非常に無謀ともいえるもので、当人も3ヶ月程度で終わるものだと思っていたという。

ところがふたを開けてみると人気番組と化し、同時期の「オレたちひょうきん族」とともにフジテレビの躍進を支えるバラエティ番組となった。
最終的には32年間放送され、ギネスワールドレコーズから「生放送バラエティー単独司会番組記録及び生放送バラエティー最多放送回数記録」の世界記録を保有するまでに至った。

番組のレギュラーにはお笑いタレントやアイドル、文化人や政治家など幅広いジャンルの著名人が起用されており、特にお笑い芸人にとっては本番組のレギュラーがブレイクの登竜門となったと言っても過言ではない。
また、レギュラーでなくてもコーナーレギュラーとして出演した著名人も多く、ここからブレイクした人も多い。

観覧には18歳以上という年齢制限が設けられていた。
これは「笑ってる場合ですよ!」が中高生からあまりに人気となってしまい、観客が殺到してしまう群衆事故(将棋倒し)が発生したことが理由。

日曜日の午前10時から11時45分には一週間の見どころやオンエア終了後のフリートークをまとめた「増刊号」、年末には全レギュラーが集合した「年忘れ(クリスマス)特大号」、毎年夏のFNS27時間テレビでは増刊号とほぼ同じ時間帯に特別版が放送されていた。
また、2000年代以降は改編期特番としてレギュラーと新ドラマ出演者が出演する特大号が放送されたが、これは後述するいいともCUPをベースとしたゲームを行うものだった*4
2010年からはゲーム企画を廃止し、トークメインとした「夜も笑っていいとも!春・秋ドラマの祭典」を放送していた。

番組の構成

オープニング→トークコーナー『テレフォンショッキング』→日替わりコーナー→いいとも選手権→エンディングが基本の流れ。
尤も生放送のため後述するハプニング発生時や報道特別体制時はこの限りではなかった。

オープニング

『ウキウキWatching』
作詞:小泉長一郎、作曲:伊藤銀次、編曲:鷺巣詩郎、小西康陽

いいとも青年隊がオープニングで踊りながら歌ってる曲。番組後期はイントロ部分のみが披露されるだけに留まってしまったが、当初はタモリと青年隊が1コーラスぶんを実際に歌っていた。
昔はハンドマイクを使っていたこともあって青年隊のダンスはステップ中心だったが、機材の発達やなんやかんやで振り付けが次第にアクロバティックになっていった。
時期によってはここに日替わりコーナーが挿入されたこともある。

テレフォンショッキング

電話で『友だちの輪』を繋げていくリレー式コーナーで、毎回ゲストとのトークを展開する。
第1回のゲストは桜田淳子。ここから古今東西の有名人と『友達の輪』を繋げていき、タモリが当時ファンだった伊藤つかさに辿り着くのが当初の目標だった(放送3年目でようやく達成)。
ありとあらゆるジャンルの著名人が登場し、特殊な例だとキティちゃんやガチャピンムックも登場したことも。
…尤もテレビ番組という都合上、事前に繋ぐ相手は決まっていた節があり、終盤では電話まで行く流れが大幅に短縮された。
都合が合えば他局の現役アナウンサー(TBSの安住紳一郎や当時日本テレビの徳光和夫など)や一般人(80年代当時の世田谷区区長や大学教授)にも登場してもらえたのに、タモリが大ファンで夫がフジテレビの社員である吉永小百合が何故か最後の最後まで登場しなかったり*5水谷豊は妻子が呼ばれたのに繋がれなかったりと友達の輪に縁のなかった人もいた。
また、ミュージシャンの大滝詠一など、元々メディアに露出しないタイプの芸能人だと出演を拒否されたことも。タモリが嫌いなのに呼ばれた小田和正みたいな例もある。

観覧客とのやり取りが必ずあり、いちばん有名なのは「〇〇ですねえ」「そーですね!」の返しを繰り返すもの。
初期には「みんなでつなごう友達の輪っ!」と手で輪を作るポーズをやっていた。

これ以外にも数多くのお約束が存在し、ゲストへの花を紹介する時、よゐこの場合は「よるこ」、ユースケ・サンタマリアの場合は「カタカナの人」と言うことも。
とりわけイジりやすいゲストの場合はタモリから「明日忙しいだろ?」とやんわりとした出演拒否から始まり、持ってきたポスターを破るマネをする、電報を紹介しない、すぐにお友達紹介に持って行こうとするなどの流れが見られた。

最終回のゲストはビートたけし。詳細は当該項目が出来ているのでそちらを参照。

日替わりコーナー

曜日ごとのコーナーが多数存在し、複数開催されたものから1回で終わったものを含めるとその数は1万以上に上るとされる。
内容は概ね視聴者が参加するものと、レギュラー出演者がゲームで競うタイプの2種類に分けられる。
後者は番組宣伝のゲストや稀にテレフォンショッキングのゲストが参加することもあった。

明石家さんまがレギュラーだった時代は二人でトークをする「タモリ・さんまの日本一のホラ吹き野郎」というコーナーがあったが、これは打ち合わせなしで行う(雑談)タイプのトークをテレビで放送した最初の例とされる。

ちなみに初回のコーナーは「タモリの世界の料理」で、講師とともに世界の料理を作るというものだった。

2013年7月から12月までタモリが日替わりコーナーに全く登場しない時期があり、その時は当時の曜日レギュラーだけでコーナーを進行していた。

曜日対抗いいともCUP

番組の最後に行うコーナーで、各曜日のレギュラーが毎週変わる様々なゲームに挑戦して記録を競い、年間成績トップの曜日レギュラーは賞金を貰える。
生放送で最後にやる都合上、尺が足りない時はCMが明けたら既に始めていたり挑戦中にそのまま番組が終了する事も多かった。
逆に尺が余ってる時はタモリがタイトルコールをゆっくり読んで時間を稼いだり稀にゲーム終了後も時間が余って雑談した事も。
1991~1994年度までは「タモリンピック」、1995~2007年度までは「曜日対抗いいとも選手権」という名称で放送されており、明石家さんまはこのコーナーが嫌いで番組を降りたと言われている。

エンディング

コーナー出演ゲストやいいとも青年隊が様々な告知を行う。
ここでゲストが登場することもあり、主に来日していた海外アーティストが登場することが多かった。
また、レギュラー出演者の卒業時には挨拶もここで行われている。

放送終了後

生放送が終わると、出演者がそのまま残って30分ほどトークを行うが、こちらは収録の上で日曜日の増刊号で使われる事があった。
増刊号専用のコーナーもこのトークの際に行われる場合が多かった。
また、1984年10月から1990年末までは後続番組の「ライオンのいただきます」が同じくスタジオアルタで公開生放送されていた為、観覧募集を2番組セットで行い、いいともを観覧した観客は引き続き「いただきます」を観覧し、番組間のCM枠中にセットを組み替えて放送していた。

ハプニング

生放送番組であるため、ハプニングが多かった。
以下は特筆すべきものを記す。

テレフォンショッキング編

1983年に生放送中に男性観客が乱入、スタッフに取り押さえられる。
動機は「中曽根首相への不満を言いたかった」らしい。

同じく1983年、新幹線に乗車中の宮尾すすむを呼び出すため国鉄の電話オペレーターにスタジオの電話番号を伝えたが、オペレーターが復唱してしまったため、スタジオにいたずら電話が殺到してしまった。
末尾の部分の音量を絞ったもののそのせいで番号の近い電器店にも電話が殺到してしまい、電話局からフジテレビに苦情が寄せられる事態となった。

司会をガン無視して喋り続けることに定評のある黒柳徹子や明石家さんまがゲストに呼ばれた回では、案の定大幅に持ち時間を超えてしまい、急遽放送内容を変更せざるを得なくなった。
1984年に作家の有吉佐和子が出演した際も同様の事態になり、その話の長さにさんまが「死ねババア」と暴言を吐き、出演直後に有吉が急逝したため大騒ぎになった…とされるが、実はこれは演出であったことをのちに佐和子の実娘が明かしている*6

1991年に歌手の由紀さおりが47分の遅刻。1998年には女優の片桐はいりが45分の遅刻。

2005年に山崎邦正がゲスト出演した際、突如男性観客が「いいともは2005年中に終わるのか?」と質問をして、スタッフにより山崎 OUT一発退場。
退場後に男性が座っていた席には熊のぬいぐるみが置かれていた。

2012年に矢田亜希子が「お友達」の大竹しのぶに電話で「はじめまして」と発言。「ゲストは事前に決まっている」という公然の秘密をばらしてしまった。
後に番組では「お友達」という言い方を「次回のゲスト」と改めるようになった。

その他編

1984年10月12日の放送では「タモリが前日仕事のため奈良に行ったが、当日の放送時間までに帰ってこれなくなった」という設定で、さんまにオープニングの代役を頼み、リハーサルまで行うというドッキリが企画された。実際の本番開始時にタモリは観客席の最前列に座っており、さんまがオープニングテーマを歌い始めた直後にステージに上がってきて主役を奪い取り、さんまを思いっきりズッコケさせている*7

1986年9月5日の放送ではタモリより先にビートたけしが登場し、歌や煽りを行うなどやりたい放題を繰り返す途中にタモリが登場。曲終わりにさんまが登場し、いわゆるお笑いビッグ3のトークが実現した。まだ当時はあまりこの3人が「BIG3」と言われていなかった時代のことであり、当時は年に1、2回はほぼ必ずBIG3の共演が番組で実現していた。

1988年7月1日の放送ではタモリが泥酔した状態で出演し、オープニングの歌唱では暴走した末にコーナーではふらつきながら進行。この事は当時の金曜レギュラーである明石家さんまも呆れていた。

江頭2:50が当時レギュラーであった橋田壽賀子にセクハラ行為に及び、2014年2月までいいとも出入り禁止となった。

あるコーナーで、本来はオーディションで選ばれた素人の子供たちが呼ばれるはずが、間違えて思いっ切り所属芸能事務所の名前を公言してしまった子供がおり、結果的にそのコーナーは当日限りで打ち切られた*8

ある日スタジオ内が地震で揺れた時、タモリは震源地が茨城県南部と冗談半分で予言したが、直後のニュース速報で本当に茨城県南部で地震が発生したという珍事があった。

TOKIOのリーダー・城島茂が「フィンランドの世界で一番臭うマスの缶詰を食べてみたい」という企画があり、実際に食べたのだがあまりの臭いに翌日までスタジオアルタはこの缶詰の臭いが取れず、この週の土日に業者に頼んで清掃をしてもらうハメになった。

補足

司会のタモリは1990年代までは定期的に休暇を取っていたが、1990年代後半以降は概ね無休で出演していた。2000年代以降では、ゴルフプレー中に他のプレーヤーが打ったボールがサングラスのつるに当たり、検査入院を余儀なくされた時と、健康診断で白内障と診断されたことにより白内障改善手術を受けるために休んだ例がある。

現在のFNSネット各局が確立するまでは、他局系列の地方局に放送を依頼することが多く、
日テレ系列の山梨放送と高知放送、テレビ岩手、TBS系列の大分放送などで放送されていた(大分はFNS系のテレビ大分がNNSやANNとのクロスネットだった都合で、ANN離脱のタイミングで同局移行し同時ネット化)。
このうち、テレビ岩手に関しては「フレッシュたもり」というスーパーマーケットがスポンサーについており、番組でタモリが田森社長に電話をかけたというエピソードがある。
なお、最後まで系列外放送を続けたのはTBS系列の青森テレビであり、平日の夕方に最終回まで放送が続けられた(グランドフィナーレは未放送)。

1996年からしばらくの間はランキングを当ててしまった人が罰ゲームで青汁を飲むというコーナーが存在したが、青汁をカメラの前で吐くという醜態を晒してしまう芸能人が少なくなかったため、後に味を少々改善したと言う。
タモリ自身も番組内での思い出として最終回の冒頭で語っており、「(あまりの不味さで)飲んだ後お笑いやる気がしない」、「(飲んだ後に)誰かがボケると腹が立つ(やる気が失せた状態でツッコまないといけない為)」と話しており、相当な味だった事が窺える。
また本件で「青汁=まずい」というネガティブイメージが必要以上についてしまっい、これ以降一般向けの青汁は「飲みやすさ」をアピールする製品が急増することとなった。
それに代わって、罰ゲーム自体もノニジュース→苦丁茶と他の飲み物に移行しており、渡辺直美がいいとも少女隊時代にこれを飲んだ後のリアクションも名物になった時期もあった。

番組終了後

2017年9月28日に「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年SP」で「とんねるずアワー 祝っていいとも!」という「いいとも」完コピのコーナーが放送され、とんねるずの2人がオープニングで『ウキウキWatching』を踊り、ゲストにタモリが出演し、途中から笑福亭鶴瓶も合流した。

2020年9月27日にTBSで放送された「アッコにおまかせ!祝35周年!豪華拡大SP」にタモリがゲスト出演し、他局ではあるがお昼の生放送に登場し、コーナー司会を務めた。

学生さん

当然のことながら、平日の正午から放送されていたため学生さんたちはリアルタイムでは見られない。
当時まだ、ビデオデッキは普及し始めたばかりで高価であったため、人気番組に成長し始めたころ、目当ての有名人が出演するとラ・テ欄に記載されていた場合、学校をサボる輩が多数出たらしく、当時の教育現場ではガチで頭の痛い問題となっていた。
後に安価なVHSが普及し始めたことや、技術の発展で携帯電話でワンセグ放送が視聴できる環境が整った為、徐々にこうした学生さんたちは減っていった。

ただし、系列外で夕方に放送されていた地域の人はその弊害はあまりなかった。

この記事を読んでいる人たちも中には学校や会社をサボったりして、いいともを見た人もいるとおもう。
風邪を引いて学校を休み、いいともを見ると言うのはなんか優越感に浸った思い出がある人もいるだろう。



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いいとも――――――!!


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最終更新:2024年04月07日 20:10

*1 本名の使用は第1回放送での自己紹介などの例外を除き、あくまでも氏名テロップや番組名上での扱いに留まっていた。また、初期の増刊号などではオープニングの氏名テロップでも「タモリ」表記が使われた事があった。

*2 前者では後続番組の「ライオンのいただきます」も松山市民会館からの放送となった。

*3 タモリ本人は今で例えるなら江頭2:50を昼の番組に起用するようなもの、と語ったことがある。

*4 この特番ではいいともチームは最終勝利してはいけないというお約束があったのだが、生放送ゆえにいいともチームが終盤で首位になってしまうこともあり、急遽ゲームが追加されることも見られた。

*5 グランドフィナーレにVTR出演を果たしている。

*6 当時のVTRを入手しており、さんまの暴言についても「帰ってよ」とやんわりと言った程度で事実無根だったことも明らかになっている。

*7 このドッキリは2週間前から準備を進めていて、当日の観客にも前もって知らせて協力を呼び掛けるという徹底ぶりだった。これに関してさんまは「ええ加減にしぃや!」とブチギレており、タモリからは「さんまちゃんを騙す企画ですので、私が入ってきても静かにして下さい」と観客に事前の説明がされていたことを聞かされると「君らも知っとったん?」と観客に尋ねていた。なお、観客に配布された説明書には『みんなでさんまちゃんを騙そう』と『さんまちゃんを騙そう友の会スタッフ一同』という一文が記載されていた。

*8 なお、このハプニングがあった後、当時レギュラーだった藤井隆が「吉本興業の藤井隆です!」と言ってその場を盛り上げていた。