光GENJI

登録日:2011/07/22(金) 11:59:50
更新日:2024/04/18 Thu 22:17:32
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光GENJI(ひかるゲンジ)とは、内海光司・大沢樹から成る「光」(ひかる)と、諸星和己・佐藤寛之・山本淳一・赤坂晃・佐藤敦啓から成る「GENJI」(ゲンジ)を組み合わせて結成された、
1987年から1995年まで存在していたジャニーズ事務所所属のアイドルグループである。
特筆すべきはそのパフォーマンス。ローラースケートで滑りながら歌うという、今までの歌手には無かったものだった。

【メンバー】

※年齢は2022年4月1日時点のもの
光(年長者組、元イーグルス*1

内海 光司(うちうみ こうじ)
1968年1月11日生(54歳)。A型。
東京都出身。通称「キノッピー」(通称はイーグルス時代からのものらしい。)
リーダー。メンバー最年長。
少年隊の錦織と同じく、トークの軽妙さと踊りの上手さはメンバー随一。

大沢 樹生(おおさわ みきお)
1969年4月20日生(52歳)。A型。
東京都出身。通称「ミッキー」。
サブリーダー。「目で殺す」と言われる程の強い眼力を持った二枚目。94年に脱退。再結成反対派。

GENJI(年少者組)

諸星 和己(もろほし かずみ)
1970年8月12日生(51歳)。A型。
静岡県出身。通称「カーくん」。
メンバーの中で知名度が一番高い絶対的エース。活動初期はバンダナと羽飾りがトレードマークだった。
豪快な伝説を幾多も持つ、愛すべきバカ。再結成賛成派。

佐藤 寛之(さとう ひろゆき)
1970年11月2日生(51歳)。AB型。
千葉県出身。通称「ヒロくん」。
一番地味なメンバー。94年に脱退。再結成賛成派。

山本 淳一(やまもと じゅんいち)
1972年2月28日生(50歳)。B型。
東京都出身。通称「バンジー」。
顔がチンパンジーに似ている。再結成賛成派。

赤坂 晃(あかさか あきら)
1973年5月8日生(48歳)。B型。
東京都出身。通称「あきらくん」。
最年少組その1。メンバー唯一の逮捕者。2007年に薬物関係で逮捕され、事務所も即日解雇された。
なお、兄の赤坂順一は元大野剣友会のアクション俳優で、『ウルトラマン80』初期のスーツアクター等を担当していた*2

佐藤 敦啓(佐藤 アツヒロ)(さとう あつひろ)
1973年8月30日生(48歳)。A型。
京都府出身。通称「あっくん」。
最年少組その2。同い年の赤坂と仲が良かった。


【来歴】

1987年に前身である「ライト・イン・シャドウ」が結成された。元々4名で、諸星寛之敦啓の他に、田代秀高というメンバーがいた。

途中で山本の加入と同時にグループ名を「GENJI」に改名し、その後田代が脱退して赤坂が加入した。

この時点でも歌番組のレギュラーになって番組のオープニング曲を歌う等、それなりに活躍していた。

暫くして元イーグルスのメンバーだった内海大沢が「」として加入したことにより、グループ名が「GENJI」となり、今の形となった。

そして同年「STAR LIGHT」*3でレコードデビュー。
かなりの売上を稼ぎ、芸能誌のみならず一般紙でも取り上げられる程の社会現象を巻き起こした。

デビュー当初中学生だった赤坂敦啓は、労働基準法により夜8時〜朝5時までのテレビ出演が出来なかったが、その社会現象から「なぜ出られないのか」という問い合わせや苦情が殺到。
そのため、労働省(現:厚生労働省)から未成年芸能人を「表現者」とすることで深夜出演を事実上解禁する「芸能タレント通達」が出されるまでになった*4

翌1988年、『ガラスの十代』・『パラダイス銀河』・『Diamondハリケーン』といった大ヒット曲を連発し、上記3曲で、その年のオリコン年間シングルチャートの1〜3位を独占
因みに、『STAR LIGHT』〜『パラダイス銀河』の3曲と1990年の『荒野のメガロポリス』はCHAGE and ASKAが作詞・作曲を担当しており、特に作曲を務めたASKA(飛鳥涼)のメロディーセンスは高く評価された。
そして同年、日本レコード大賞を受賞した。
当時は現在のようないわゆるAKB商法が無く、パフォーマンスや楽曲の純粋な人気と売上が評価されての受賞である為、その勢いが如何に凄まじいものであったか想像するのは容易いだろう。

その後、歌番組が減少し、邦楽の主流が歌謡曲(アイドルポップス)からロックバンドに移り変わっていった事もあって1990年頃にブームは一段落するが、
「ミュージックステーション」に積極的に出演していた事もあり、並のアイドルでは歯が立たない程の人気を維持していた。
後のモー娘。やAKBグループでさえも比較にならない程の凄まじい人気だったのだ。
1992年にはバルセロナオリンピック、1994年にはリレハンメルオリンピックの応援ソングをリリースした。

またこの頃には、寛之山本赤坂敦啓の4名で内部ユニットの「SAY'S」を立ち上げて数曲をリリースしたり、今ではお馴染みとなった『忍たま乱太郎』のオープニング曲『勇気100%』もリリースしていた。

しかし、1994年に大沢寛之が脱退。7人揃ってのラストライブ後、グループ名を「光GENJI SUPER5」と改め、活動を続けたものの、結局、グループ名変更から1年と持たず、翌年にはグループそのものが解散してしまった。
「Mステ」に最後に出演した際のパフォーマンス終了後には、ローラースケートを脱ぎ、かの山口百恵よろしくステージの床に置く*5という形で締めくくった。

解散の理由として「あまりに人気になりすぎたこと」が主に挙げられている。
具体的には
  • 過密スケジュールに伴いトークや演技などの実力を磨く暇がなくなってしまった
  • 常に全員で行動するためメンバーそれぞれにストレスが溜まって不仲になりかけていた
  • 芝居やバラエティなどソロ活動の仕事などをすることが出来ず、以降アイドルとしての方向性を定められなかった
  • アイドルは20代に入った段階で卒業し、それぞれの道を開拓するものという考えがあった
というもの。
この辺りの事情は解散後のメンバーインタビューで諸星山本がテレビや雑誌のインタビューで何度も語っており、メンバー間のモチベーションの低下が積み重なって解散が繋がったとされる。

光GENJIデビューから数年が経ち爆発的人気が徐々に陰り始めた1990年前後、彼らの人気の証明や後押しに一役買った「ザ・トップテン(と後続の「夜のトップテン」)」「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」等の歌番組が軒並み終了。
歌と踊りをアピールできる番組が無くなったことで、歌と踊りしか持ち合わせていなかった光GENJIの表現可能な場所が減ったことも原因の大きなウェイトを締めている。
加えて同時期に元・フォーリーブスの北公次がジャニー喜多川氏およびジャニーズ事務所の性加害の告発本を出版し、ジャニーズというくくり自体への信頼が揺らいてファンが離れかけていたことも追い打ちとなった。
光GENJIそのもの以上に、事務所やファンといった彼らを取り巻く環境が解散への道を整えてしまったとも言えるだろう。

この光GENJIの興亡は後のジャニーズのアイドルマネジメントにも多大な影響を与えており、
「歌も演技もバラエティトークも一通り可能で、なおかつソロでも実力を発揮できるアイドル」の方向性の確立は、後のSMAPで最大級の成功を収めることとなる。


【余談】

1995年に光GENJIが解散した後、SMAPが2016年一杯で解散するまで21年間正式に解散宣言したジャニーズ系グループは存在しなかった*6
また光GENJIの次に「ラストシングル」のリリース及び「ラストライブ」の開催を正式に発表できたジャニーズグループは26年後(2021年)のV6まで待つことになる。

そして、前述の通達は「光GENJI通達」とも呼ばれており、国の法律を変えた唯一のアイドルグループでもある。

『パラダイス銀河』には全編アニメで出来ている特別仕様のPVがあり、伝説の腹筋崩壊ビデオとして語り継がれている。

当時新商品だった、大塚食品の電子レンジで調理できるタイプのフライドポテト「マイクロマジック」のCMに出演。今でも同商品が売られていることを考えると、知名度アップにかなり貢献したと言えるだろう。
「ボクのポテトはチンチンチン♪」「レンジでチンする、チンチンポテト!!
現在の事務所のことを考えると何たるフラグ
そして姉妹品に「チンチンシェイク」があり、そっちのCMにはデビュー直後の島崎和歌子が出ていた。大塚食品はアイドルをどう考えているんですかね……

解散から数十年以上たったものの、かつてのファンからの人気は根強く、再結成してほしいという声も少なくない。
しかし、メンバーの中に逮捕者再結成に難色を示している者がいる事もあって実現への道のりは険しいが、山本は「全員が同じ熱量で、フラットな状態であれば、再結成は叶うと思います」、諸星らは「もし出来るとしたら全員が揃ってないとね(発言大意)」と完全な形での再結成を望むコメントを公に発言している。
あくまでオフでの出来事ではあるが、結成30周年直前の時期(おそらく2016年頃か)に元メンバー7人全員が集まって再結成について本格的に話し合ったことがあり、
その時点では全員の思いがまとまらず断念した……と山本がインタビューで答えているため、やはり前述の全員納得できる形に納まらなければ再結成は無理という見方で間違いない。

また今までのジャニーズ系グループで再結成したのは3組しかおらず、
しかもその内『フォーリーブス』と『THE GOOD-BYE』は「全員が事務所から離脱した後、長いインターバルを置いてから復活」、2022年再結成の『男闘呼組』も岡本健一がジャニーズ事務所との関係を専属からエージェント契約に移行した後の復活だったため、事務所残留組がいる現状ではさらに難しいだろう。


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最終更新:2024年04月18日 22:17

*1 80年代前半に活動していたジャニーズJrの4人組ユニット。ロス五輪マスコットが主役のアニメ主題歌など二枚のレコードが発売された。光GENJIブレイク後CDとして発売。

*2 『君はウルトラマン80を愛しているか』の車邦秀氏インタビューで判明。

*3 事務所の先輩だった川崎麻世がゲスト出演したミュージカルとのタイアップ曲だった

*4 とはいえ、芸能事務所ではこの通達に準じる形で出演時間の自主規制がなされている。

*5 山口百恵は引退コンサートにおいて、最後の曲を歌い終え退場する際、握っていたマイクをステージの床に置いてから去った。

*6 それ以降のグループについてはなし崩し的に活動休止した『忍者』、解散の経緯が事務所やメンバーへのバッシング等日本中に大騒動を巻き起こし、冠番組の最終回がそのままラストステージになり前年の曲が「ラストシングル」になってしまった『SMAP』、今井翼の病気療養→退所と滝沢秀明の裏方転向によって活動休止状態のまま解散した『タッキー&翼』と、光GENJIよりも先に活動休止・消滅した『男闘呼組』と、いずれも公式な形式で解散したグループは存在しなかった。