アグネスタキオン(競走馬)

登録日:2011/11/21(月) 18:05:31
更新日:2024/03/04 Mon 03:41:20
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2001年、皐月賞。
その馬は、わずか四度の戦いで神話になった…
異次元から現れ、瞬く間に駆け抜けていった。
ライバル達を絶望させ、見る者の目を眩ませる、“超光速の粒子”。
その馬の名は…

――2012年皐月賞CMより

アグネスタキオン(Agnes Tachyon)とは、日本の元競走馬
ウマ娘 プリティーダービー』におけるアグネスタキオンはこちら→アグネスタキオン(ウマ娘 プリティーダービー)

◆デビュー前

2000年5月28日、東京競馬場。
その日のメインレースは世代の頂点を決める「東京優駿(日本ダービー)」だった。

一番人気エアシャカールの二冠(菊花賞を勝っているので後から見れば実質三冠)、そして武豊の日本ダービー三連覇を、壮絶な叩き合いの末防いだのがアグネスフライトと17度目にしてダービージョッキーの夢を叶えた河内洋のコンビだった。

同じ頃、アグネスフライトの故郷、北海道千歳・社台ファーム。
アグネスフライトの1歳下の弟が評判になっていた。



「兄以上の逸材かもしれない」



そう言った者までいた。



そして、それが真実だと証明されるのに1年もかからなかった。


◆戦歴

同年12月2日、阪神6R・新馬戦。
96年ダービー馬フサイチコンコルドを兄に持つボーンキング、牝馬にして南関東三冠を達成したロジータの仔リブロードキャストなど、良血が揃ったこのレース、3番人気の馬が2着に3馬身半の差をつけて勝利した。その馬こそ、アグネスフライトを兄に持つ「超光速の粒子」・アグネスタキオンである。
アグネスタキオンの勝ち方は新馬の初々しさなどないものだった。

前半は中盤で脚を溜め、半分を過ぎた辺りから徐々に位置を上げる。そして、先頭を交わしたと同時に突き放す。全く無駄の無い完璧なレースでデビューしたのである。


次走は重賞「ラジオたんぱ杯3歳S(現ラジオNIKKEI杯→ホープフルステークス)」
ここでは前走同条件をレコード勝ちし、翌年にNHKマイルカップ、ジャパンカップダートを制するクロフネ、同じく翌年ジャパンカップを制するジャングルポケットを相手に、新馬戦同様無駄のないレースをして、3週間前に更新したクロフネの時計を0.4上回るレコードタイムで完封。河内も「次元の違う馬だと思った」と太鼓判を押す文句無しの内容で、一気にクラシック最有力候補へと名乗りを挙げた。このレースの内容が評価されてか、この年の最優秀3歳牡馬の投票では最終的に選出されたGI・朝日杯3歳S(現朝日杯FS)勝ち馬メジロベイリー(147票)に対して119票の支持を集めた。


翌年、陣営は同馬主の同僚で、主戦も河内が務めていたアグネスゴールドとの兼ね合いで皐月賞の前哨戦「弥生賞」を初戦に選択。アグネスタキオンを前に回避馬が続出し、8頭立てとなったこのレースでは、土砂降りの雨が降る不良馬場の中、ボーンキングや後の天皇賞馬マンハッタンカフェらを全く寄せ付けず完勝。河内は「良馬場ならもっと強い競馬をお見せできただろう」「今日は少頭数だから参考にならない」と強気のコメントを連発し、これに対してボーンキングの武豊が「強すぎるね、クラシックもハンデ戦にしなきゃ」と冗談交じりに返すという一幕もあった。

そして3連勝で挑む一冠目「皐月賞」。
僚馬アグネスゴールドが同じく無敗での挑戦を前にして無念の戦線離脱を余儀なくされ、あっさり河内の騎乗が決まったアグネスタキオンは単勝1.3倍、単勝支持率は当時では「幻の馬」トキノミノルに次ぐ2位の59.4%という堂々の一番人気でレースを迎えた。
レースは好位から、アグネスタキオンが簡単に抜け出し2着の後の宝塚記念優勝馬ダンツフレーム、3着ジャングルポケットの追撃を抑え、あっさりとGI、そして一冠目を制したのである。

アグネスタキオンの祖母であるアグネスレディーはオークスを、母であるアグネスフローラは桜花賞を制しており、母仔三代によるクラシック競走制覇は日本競馬史上唯一の記録も達成した。

そして、その強さから世間はこの馬に三冠を期待し始める。


しかし、無敗での二冠、そして主戦の河内との兄弟連覇のかかった日本ダービーの25日前。
屈腱炎の発症が発覚。長浜調教師が皐月賞後に「嬉しいけど、骨折したアグネスゴールドみたいにならないか気になる」と漏らしたその不安は最悪の形で現実になってしまったのだ。

実は、アグネスレディの家系に属する馬たちは高い才能とともに脚元の弱さという爆弾まで受け継いでしまっており、多くの馬が脚を壊して引退に追い込まれている。
アグネスタキオンもその宿痾からは逃れることができなかった。


彼の母アグネスフローラがそうであったように彼もまた脚に爆弾を抱えていたのである。

そして8月29日、ターフへの帰還を果たせないまま、遂に無念の引退。


三冠は幻に終わったのである。


彼が「幻の三冠馬」と呼ばれる所以は、その強さだけではない。レース内で全く寄せ付けなかった、ジャングルポケットとマンハッタンカフェが二冠目、三冠目である日本ダービー、菊花賞を制したからである。

◆種牡馬入り後

競走馬としてのアグネスタキオンは、2~3歳前半までは圧倒的な強さを誇っていたのは、先述の活躍からも明らかだろう。

しかし、競走馬の中には、3歳までは活躍しつつもそれ以降は急激に能力が落ちてしまういわゆる早熟馬もいる。加えて彼は2000mでしか走っていない。それ故に、彼の能力や距離適性を疑う人々もいた。


しかし、彼の能力の高さは産駒が受け継ぎ世に伝えることとなる。
引退後に種牡馬となったアグネスタキオンは、初年度産駒のロジックがGI「NHKマイルカップ」を制すと、翌年にはキャプテントゥーレが『皐月賞』を勝ち、親子での制覇を達成

ディープスカイに関しては「NHKマイルカップ」そして、自身が走ることの出来なかった「日本ダービー」を勝ち変則二冠を達成

更には2007年から2008年にかけて、GI7勝で顕彰馬となった名牝ウオッカの最大のライバルでもあるダイワスカーレットが「桜花賞」「秋華賞」「エリザベス女王杯」「有馬記念」を制しGI4勝。3世代連続でGIホースを輩出した。

種牡馬としての特徴は、いわゆる駄馬が少ないのが特徴で、一度も勝てずに終わる馬が少ない。

ディープスカイやダイワスカーレットが出るまでは、「やはり早熟ではないか?」「2000mまでしか走らないのでは?」と言われたが、彼らの活躍で、概ね払拭された。

アグネスタキオン自身、パワー、スピードを兼ね備えた馬であり産駒にもそれは引き継がれていることが多い。


だが、彼の弱点もまた色濃く引き継がれている。




虚弱体質

タキオン産駒最大の問題である。


代表産駒である、キャプテントゥーレ、ディープスカイ、ダイワスカーレットを始め、重賞レースに名を連ねるレベルの馬はことごとく怪我や病気等に襲われた。


2000年代後半、新馬戦に一頭は彼の産駒でクラシック候補と呼ばれる馬がいたのだが、ほとんどの確率で脚に異常を発生させたのである。

代表で言えば、レーヴディソール、リディル、リルダヴァル。

レーヴディソールは無敗で2歳GIを制覇、桜花賞前哨戦「チューリップ賞」まで4連勝で進んだが本番前に骨折。
リルダヴァルは1、2戦のパフォーマンスからクラシック有力候補だったが、骨折。復帰後に重賞にいくつか出たものの、勝てずにまた骨折。
リディルも2歳重賞を勝ち期待されたが骨折。復活後に重賞を勝っているが……。

このように強ければ強いほど、怪我の可能性もはらんでいたのだ。

余談だがレーヴディソールの母レーヴドスカーもタキオンとまったく同じ傾向を持つ繁殖牝馬として有名。何がしたかったんだ。

怪我の心配はあるが、結果は出している。2歳馬のみのリーディングでは、初年度から父サンデーサイレンスに継ぐ2位。そして、2008年には長きに渡りサンデーサイレンスが守ってきたリーディングサイアーの座に輝いた。
後は、自身の産駒が菊花賞を勝ち、果たせなかった三冠を父として達成出来るかに期待がかかっていた。





しかし、競馬の神様は彼に繁殖生活すらまともに送らせなかった。




2009年6月22日。彼は急性心不全により、種牡馬としても未知の部分を残したまま、この世を去った。


ラストクロップとなった2010年産駒からは、マイラーズカップ勝ち馬レッドアリオン、エルムS勝ち馬ジェベルムーサを輩出し、産駒全世代重賞制覇の大記録こそ作ったが、牡馬クラシックの残りひとつ・菊花賞を勝つ馬は遂に出すことが出来ずに終わってしまった。
今後はディープスカイらの子の活躍に期待がかかるが、今のところ孫世代の活躍はディープスカイからJpnI「全日本2歳優駿」勝ち馬サウンドスカイが出たり、
アドマイヤオーラの遺児アルクトスがマイルチャンピオンシップ南部杯を連覇したりしているもののまばらである。一応サウンドスカイ等数頭種牡馬入りした孫がいるが、“超光速の粒子”の血の行方は、果たして……。

◆超光速のダート馬?

引退後のアグネスタキオンは種牡馬として活躍し、ディープスカイやダイワスカーレットといった名馬を多数輩出したのだが、
孫世代はなぜかダートで活躍する馬が多いことで知られている。
実現はしなかったものの、ダイワスカーレットもドバイ遠征を目標とし、ダートG1フェブラリーステークスへの出走が予定されていた。

アグネスタキオンの母父であるロイヤルスキーはダート種牡馬として結果を残しており、その血が強く出たものと思われるが、
ゆえにアグネスタキオンについても「実は芝では能力の高さでごり押していただけで、本質的にはダート馬だったんじゃね?」との推測が一部で囁かれている*1

実際のアグネスタキオンは芝でしか走っておらず、キャリアを通じて2000m戦でしか走っていないのだが、世界最強ダート馬決定戦であるブリーダーズカップ・クラシックとドバイワールドカップはいずれもダート2000mの条件である。
もし故障することなく秋を迎え、海外への遠征が実現していたならば、世界最強馬の称号さえ手にしていたかもしれない。
無限の可能性を持ちながら、能力を発揮することなく引退に追い込まれた悲運の馬であった。

◆創作作品での登場

ラジオたんば杯3歳ステークス勝利後初登場したが、「4歳でも頑張る」と発言したせいで兄アグネスフライトからちょっとした悪戯発言をされ、自身の無知や新世紀のレース体制をクロフネとの対話で教えられる事に*2
「良血」仲間の同父アグネスゴールドが思わぬ苦労によってきさらぎ賞勝利後荒んでしまった様子には困惑したが、弥生賞時には「皇帝」シンボリルドルフに次代の三冠を期待され、
皐月賞時は馬に祟る悪魔「ターフデビル」に呪われるも他の馬達に次々誤爆していった事で枠入り不良くらいで済んだが、直後故障した事で打倒クロフネも兼ねてジャングルポケットにダービーを託した。
また引退後、息子ショウナンタキオンの新潟2歳ステークス出走前に姿を現し、皐月賞2着のダンツフレームの急逝に涙しその後自分の早期引退を息子にチクりとされつつその勝利に励まされた。
なおその他にもロジックのNHKマイルカップやダイワスカーレットの秋華賞後にも親として顔を見せている。ロジックの時はそのせいで産駒の中央G1完全制覇が泡と消えた父サンデーサイレンスが天国で愕然としていたが。

  • 『優駿劇場』
第61回皐月賞回に登場。
何故か占い師のコスプレをしたジャングルポケットに「皐月賞で屈腱炎を発症する」と占われるが、連戦連勝で調子に乗っていたタキオンには通じず、逆に「自分の3着に敗れる」という占いで反撃する。
そしてレース本番、まさに占いの通りのレース模様が繰り広げられる事になるが……。

史実で脚元が弱く早期引退に追い込まれたからか、肉体改造を極めようとするマッドサイエンティストキャラのウマ娘。
やはりというか史実の娘であるダイワスカーレットには超甘いが、それ以外にはマンハッタンカフェだろうが担当トレーナーだろうがお構いなしにいかにもヤバい実験を行おうとする。なんならトレーナーは緑色に光った
そのせいか、ギャグ二次創作での「オチ要員」「メインになっているキャラに避けられる人」さらには「光源やイルミネーションを用意してくれる人」としての出番が多い。うまよんではちゃんとカルミラポジ悪の博士キャラ貰ってたのに…

追記、修正は身体が弱い人がお願いします

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最終更新:2024年03月04日 03:41

*1 これ自体はありえない話ではなく、例えば同期のクロフネは当初出走予定のなかった武蔵野ステークスでレコード勝ちするまでダート馬としての資質に気付かれていなかった事で知られている。

*2 2001年から馬齢表記が変更されており、2000年までの「4歳」は「3歳」に変更された。