福盛和男

登録日:2012/07/12(木) 08:17:45
更新日:2023/08/05 Sat 09:48:18
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福盛和男とは元プロ野球選手である。

楽天などで主に中継ぎとして活躍した。
宮崎県都城市出身。

1994年のドラフトで横浜ベイスターズに3位指名で入団。
同期にソフトバンク多村や、ヤクルトの相川などがいる。

◇横浜時代

チームが優勝争いを演じた97年に一軍定着を果たしかけたが翌98年は故障で長期離脱。しかし、終盤に一軍復帰すると先発6番手として好投しチームの日本一に貢献した。
99年は前半戦に勝ち星を重ねてオールスター出場と初の二桁勝利を期待されたが後半戦に失速して9勝止まり
2000年は中継ぎとしてスタートしたが大魔神佐々木の後釜として期待された横山と新外人ベタンコートが不振だったためシーズン中盤は抑えを務めた。その後、ルーキー木塚が抑えに配置転換されたことやVメンバーの不振から再び先発に戻った。
2001年は中継ぎとしてフル回転したが翌2002年は過去の故障が再発したため離脱

2003年はリーグ2位の登板数を記録したが防御率は5点台と散々だった。
シーズンオフに当時めざましテレビのレギュラーだったフジテレビ福元アナと結婚したがその直後に門倉(アゴ倉)・宇高とのトレードで矢野と共に近鉄移籍が発表された。

横浜では福盛一夫になったり福盛和男になったりしていた。また、背番号もコロコロ変わった(34→37という微妙な変更)

◇近鉄時代

中継ぎとしてスタートしたが守護神として期待されたカラスコが炎上及びスコるを連発したためシーズン途中から抑えに復帰し10セーブを記録した。その後、近鉄・オリックスの合併からシーズンオフに分配トレードで楽天へ入団。
わずか1年での移籍となった。

◇楽天時代

楽天では眠っていた才能が開花し、2005年に球団初のセーブを記録すると、2006年には26回無失点やオールスター出場も果たし、防御率2.17、21Sを挙げ守護神に定着した。

2007年は扁桃腺の手術の影響もあってか不調だったが、なんとこの年のオフにFA権を行使し、テキサス・レンジャーズへ移籍。
楽天球団初のメジャー輩出となった…が、あちらでの成績はお察し下さい。

2009年に古巣楽天に復帰。
7勝1敗10S防御率2.18とまずまずの成績を挙げ、楽天初のAクラスに貢献。

しかし3位ソフトバンクを風物詩で倒し、迎えた日本ハムとの日本シリーズ行きを賭けた試合で後述の出来事を引き起こしてしまい、多くの楽天ファンの怒りを買う事となってしまった。

2010年、右ひじを故障しこの年限りで引退した。









福盛の21球


福盛の21球とは楽天ファンにおいて最大のトラウマである。

2009年10月21日のクライマックスシリーズ。
球団2年目から弱小楽天を率いて、ついには楽天を2位まで押し上げた野村監督の最終年という事もあり、全楽天ファンの思いが込められた最初の試合だった。

楽天はリンデン、山崎のタイムリーなどで6対1と日本ハムを圧倒。

しかし藤原、有銘、小山らが打たれ6対4とされる。

だが直後に鉄平が2ランを放ち8対4と4点リードという場面で、9回裏に守護神福盛が登板した。





が、



9番・金子誠
いずれも直球を投げ、3球目でライト前に落ちるかと思われた飛球を二塁手・小坂誠が好捕。セカンドフライに打ち取り、順調に1アウト。

1番・田中賢介
6球目(9球目)の直球を打たれライトヒット。1アウトランナー1塁。

2番・森本稀哲
初球(10球目)のカーブを打たれピッチャー返しのセンターヒット。1アウトランナー1・2塁。

3番・稲葉篤紀
初球(11球目)の直球を叩かれ、詰まり気味ながらもセンターヒット。この間に2塁ランナー田中賢介がホームに返り5-8。なおも1アウトランナー1・2塁。

4番・高橋信二
カウント2-2で投げた7球目(18球目)の直球は惜しくも外れフルカウント。続いて投げた8球目(19球目)のフォークが外れフォアボール。1アウト満塁。

5番・スレッジ
初球(20球目)は高めのチェンジアップで空振りをとるものの、次の2球目(21球目)。
外角低めに投げた直球を打たれ、ボールは吸い込まれるようにレフトスタンドへ。逆転サヨナラ満塁ホームラン。8対9。ゲームセット。


投球成績
投球回1/3 球数21 被安打4 被本塁打1 四球1 失点5 自責点5 防御率135.00


奇しくもこの時の福盛の球数は、あの伝説の名場面となった『江夏の21球』と同じ21球であり、あまりにも不名誉な記録からいつしか『福盛の21球』と呼ばれることとなった。

さらにこの後の試合でも楽天打線が沈黙、念願だった球団初のシリーズも逃してしまった。

実は1週間前まで高熱を出し病み上がりの中の登板だったという事情があるが、あまりに衝撃的な出来事な故に知る人は少ない。



ちなみにこの年のファン感謝デーで福盛が登板。
当時楽天だった朝井が打席に立ち、スレッジの打撃フォームで挑むという暴挙に出た。
さすがに朝井も空気を読んだのか一応見事に三振にしたとか。

引退後

引退後は、都内で会社を経営する叔父の下で携帯電話の営業として働いている。
会社を大きくすることにを感じているそうだ。

害虫駆除会社の営業などもしていたが、後に故郷に帰還して報道リポーターなどをして働いているとのこと。

東日本大震災発生の際には被災者にお米20tを寄付したとか。



追記修正はサヨナラ満塁ホームランを打たれてからお願いします



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最終更新:2023年08月05日 09:48