飯島秀雄

登録日:2011/09/22(木) 11:15:43
更新日:2022/07/12 Tue 14:51:00
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飯島秀雄とは、陸上競技の短距離選手。
茨城県水戸市出身。
100メートル競走の元日本記録保持者である。
スタート時の加速が巧く、「ロケットスタート」と称された。



中学時代は野球部だったが、足の速さを見込まれて3年時に出場した大会で好記録をマーク。大器の片鱗を見せる。

高校進学後は陸上部に入部。秋の国体で100メートル走に出場し10秒6を記録、東京オリンピックの準候補選手に選ばれる。

大学進学後の1964年6月の大会で10秒1を叩き出し、当時の日本記録10秒3を29年ぶりに塗りかえる。
その勢いのまま出場した東京オリンピックでは、1次予選で全体最高タイムをマークするものの、2次予選でゴール直後に転倒してしまう。これが響いたか、準決勝で敗退。

大学卒業後は茨城県庁に入庁。欧州遠征で10秒1を連発するなど第一線で活躍する。
1968年のメキシコオリンピックにも出場するが、またしても準決勝で散る。

ロケットスタートを活かし序盤に強かった反面、スタミナ不足による中盤過ぎからの失速という弱点を最後まで克服できなかった。



これだけなら、ただの一流陸上選手である。だが人生、何が起こるか分からない。











1968年秋、ドラフトでロッテオリオンズの9位指名を受けプロ野球に身を投じる。ポジションは外野手。契約金1000万円。背番号88。
足には5000万円の保険がかけられた。
本人曰く、「気づいたら断れない状況になっていた」らしい。

この前代未聞の一件は当時の球団オーナー・永田雅一の号令で進められたようである。
彼は飯島を「世界初の代走専門選手」として売り出し、世間の注目を集めんとしていた。
早い話が客寄せパンダである。

とは言え、足だけは純粋に戦力としても期待されていた。
野球の塁間は27.431メートル。この距離なら、弱点である後半のスタミナを気にせず、長所のロケットスタートを存分に生かせる。
中学時代に野球をやっていたのだから全くの素人でもなし、盗塁は稼いでくれるだろう、と。


ところがそう簡単にはいかないのが野球である。

飯島は3年間で117試合に出場(全て代走)するも、盗塁はたったの23。しかも失敗17、牽制死5、盗塁成功率.575。
「足が速いだけでは盗塁はできない」と世間に知らしめる結果となってしまった。

ただ、相手投手は走者・飯島が気になっていたようで、飯島が塁にいる時はチーム打率.424、出塁率.494とよく打った。
ロッテの観客動員数も増え、永田の目論見はある程度の成功をみた。

結局一度たりとも守備に就かず、打席にも立たず(二軍戦で一打席だけ立ち、三球三振)、本当に代走屋としてプロ野球人生を送った飯島は、1971年に引退。
翌年コーチを務めるも、同年退団。

その後は勤め先が速攻で倒産したり、交通死亡事故を起こしてしまい刑に服するなど苦労したようである。
現在は運動具店を営んでいるという。



ちなみにプロ野球引退後は陸上界に復帰、スターターを務めていた。
カール・ルイスが当時の世界記録9秒86で優勝したレースのスターターは飯島だった。


追記・修正は100メートルを10秒台で走ってからお願いします。

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最終更新:2022年07月12日 14:51