三岐鉄道北勢線

登録日:2012/11/12(月) 14:10:29
更新日:2024/03/28 Thu 20:17:19
所要時間:約 5 分で読めます




三岐鉄道北勢線は、西桑名駅から阿下喜駅までを結ぶ三岐鉄道の鉄道路線である。

概要

かつて日本各地に存在した762mmの線路幅を持つ鉄道「軽便鉄道」の貴重な生き残りでもある。

北勢線の最初の路線が開通したのは1915年。
当時、手軽に鉄道が建設できる法律「軽便鉄道法」が公布されたのを契機に日本各地で鉄道建設ラッシュが起き始めており、その流れに乗って開業した。
ただ、軽便鉄道と言うのは前述の通り線路幅が小さく、車両も当然ながら小柄なもの。
その為、大規模な貨物輸送には向いていないという欠点がある。
石灰岩やセメントなどの輸送にこの鉄道を使おうと考えていたあるグループはこの事を知り、もう一つ自前で鉄道路線を作る事を決定した。
国鉄と同じ1067mm線路幅を持つ、三岐鉄道三岐線である。
二つの路線は川を挟んで並行する事となったが、開業当初から長い間、北勢線の方が旅客輸送のシェアは圧倒的に上だった。
三岐鉄道側が貨物主体というのもあるが、住宅が多いなどの立地条件の良さも影響している。
その後も路線の延長が行われ、1931年に全ての路線が開業すると同時に電化。名前も「北勢電気鉄道」となった。
日本が第二次世界大戦に突入した頃も相変わらず路線は賑わい、近隣の鉄道会社と比べてもかなりのものだった。
その為、戦時中に起きた会社統合に関しては、新会社「三重交通」の路線の中でも別格の優遇処置が取られたと言う。
ちなみに三岐鉄道は貨物主体と言う事で合併から逃れた。

この路線が「近鉄北勢線」となったのは1965年の事。
当時三重県の交通機関は三重交通と近鉄が入り乱れてしまい、混乱が起きてしまっていた。
そこで鉄道は近鉄、バスは三重交通という形で分かりやすい分離が行われる事となり、「三重電気鉄道」を経て近鉄の一員となったのだ。
その後も路線の近代化は進み、北勢線は歴史溢れる軽便鉄道から日本最大の大手私鉄の一路線へと変わっていった。
…だが、この頃から旅客輸送のシェアが三岐鉄道と逆転を始める。
確かに北勢線でも近代化は行われていたものの、三岐線のような列車のスピードアップや冷房化、パークアンドライド施設の充実などは行われなかったのだ。
気付けば輸送量は三岐線の6割ほどにまで低下、ついに2000年に近鉄は北勢線の廃止を表明した。
しかし、この鉄道に対して救いの手を差し伸べたのも三岐鉄道だった。
地域に根付いた交通機関として需要の高いこの路線をそのまま何もせず残すのではなく、リニューアルしてより近代的な路線として生まれ変わらせるという方針を打ち出したのである。
2003年に「三岐鉄道北勢線」となった路線は、以降のスピードアップや冷房化などの実施により輸送量が回復を始めている。
その後もクリスマスイベントや日本唯一の年金相談列車といった企画も行っている。
尚同社のもう一つの路線である三岐線との乗り換え駅は無い。

車両

前述の通り、北勢線は全線電化路線のために電車が走っている。
かつては客車列車のように電車が付随車を牽引し、終着駅で向きを変えると言う面倒な運用を行っていたが、近鉄時代に行われた近代化で一気に普通の鉄道に近づいた。
車体塗装は近鉄の一般車と同じマルーン主体だったが、三岐鉄道となった今は三岐線と同じ黄色とオレンジ帯へと変わっている。

  • 270系
前述の近代化によって登場した車両。
762mmの軽便鉄道では最大級の車体の長さを誇り、最近では冷房化も行われている。
ただそれでも車両は小さく、「吊り掛け駆動」と呼ばれるかなり古いタイプの駆動方式を今も使っている。
特に1990年に製造された、モ277(現在のクモハ277)は日本で最後に作られた吊り掛け駆動電車となっている。
そして最近では「奴」というあだ名でも親しまれている。詳細は後述。

  • 200系
270系よりも前に近代的な設備で登場した電車。
だが整備を行う上で非常に苦労を有したためにパンタグラフを取られ、今は270系に引っ張られて走っている。
他にも270系の中間車にはかつての付随車も混ざっており、今も様々な車両が連なる様子を見る事が出来る。
2013年より三重交通塗装で運用され、クリスマスシーズンには装飾が施されイベントに活用される。

  • 220系
長年に渡って活躍していた旧型車両。
近鉄で廃車となった車両はほぼ解体を辿り、保存されている車両はほとんど存在しないが、その例外がこの系列。
現在復元作業が進められ、綺麗な姿を見る事が出来る。

○主な駅

西桑名…関西本線近鉄名古屋線、養老鉄道養老線乗り換え。
三重県内のJR・養老鉄道の駅では最も利用者が多い駅。
かつてはJR、近鉄、養老鉄道は改札が3社共用となっていた。特にJRと近鉄は中間改札なしで乗り換えが可能だった(養老鉄道は近鉄ホーム上に中間改札がある)。
が、2020年の改修工事にて遂に3社の改札が共用でなくなり、それぞれの改札を利用して乗車出来るように。
この桑名駅西側には「3種類の線路幅の線路が通る踏切」がある。
これは全国でもここだけで北から近鉄(1435mm)、JR(1067mm)、三岐鉄道(762mm)という順番になっている。
因みに駅名から「桑名駅の西側」にあると思われがちだが、実際は「桑名駅の東側」に駅がある。これは開業当時の所在地が「西桑名町」であった事から起因している。

蓮花寺…2008年に西に130m離れた場所に移転した。

星川…現在の駅は3代目に当たる。
名目上は2005年まであった坂井橋駅を移転・改称した駅となっている。

東員…六把野、北大社の両駅を統合して出来た新たな駅。

大泉…大泉東、長宮の両駅を統合して出来た新たな駅。
因みに大泉東駅がかつて「大泉駅」を名乗っていた事がある為、2代目に当たる。

阿下喜…終着駅でいなべ市の中心駅。
ここから三岐線の伊勢治田駅までは歩いて22分ぐらい。
駅のすぐそばに軽便鉄道博物館があり、前述の220系はここで保存されている。
毎月第一・第三日曜日のみの開館だが第一日曜日であれば丹生川駅の貨物鉄道博物館の開館日と重なり、当駅と丹生川駅を結ぶ無料シャトルバスが運行される。

北勢線を語る上で忘れてはならないのが「奴」である。
前述の270系電車がこの愛称で呼ばれているのは主に「ふたば☆ちゃんねる」。ある日何の気なしに掲載された近鉄当時の写真が何を間違えたか掲示板の職人たちの琴線に触れてしまい、次々にコラージュ画像(通称「奴コラ」)が作られ、完全に鉄道板のお約束として定着してしまった。今や北勢線の公式イベントで奴コラが展示されるほどの人気である。

他の鉄道路線に顔を出すのは当たり前、二階建て車両になったり恐ろしく小さくなったり、何故か103系やあじあ号になったり、プロペラで空を飛ぶわレールガンから発射されるわ、クイズ番組や映画ポスターにまで進出する神出鬼没っぷりで、事ある度に「奴コラ」が作られ、そのクオリティの高さもあって毎回掲示板を大いに沸かせていた。
しかし保管庫と称し公開している人物が職人たちを激怒させたため、現在奴コラは全く作られなくなっておりNGワードに近い扱いとなっている。




追記・修正よろしくお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 鉄道
  • 三重県
  • 軽便鉄道
  • 近畿日本鉄道
  • 三岐鉄道
  • ふたば☆ちゃんねる
  • 北勢線
  • 電化
  • 鉄道路線
  • ナローゲージ
  • 路線シリーズ

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年03月28日 20:17