10.19(プロ野球)

登録日 :2011/06/29(水) 00:27:38
更新日 : 2017/09/09 Sat 12:23:45
所要時間 :約 7 分で読めます




10.19とは、1988年10月19日に行われたロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)対大阪近鉄バファローズのダブルヘッダーで、プロ野球史に残る死闘を繰り広げた。


○10.19に至るまで

この年は序盤から西武が独走状態だったが終盤に近鉄が追い上げて来た。
とはいえ、九月半ばでも西武と近鉄の差は6ゲームあり、大勢は決まりかと思われていた。
ところが、ここから近鉄が驚異的な追い上げを見せ9月末には1.5ゲーム差、10月半ばにはついに0.5ゲーム差に縮まった。
そして16日に西武が全日程を終了、近鉄はその後阪急に敗れ差は1ゲームに広がり、優勝するためには残り3試合(全てロッテ戦)を全勝するしかなくなった。
18日の試合は近鉄の圧勝、全ては19日のダブルヘッダーで決する事になる。
余談だがこの年、近鉄はロッテをカモにしておりその時点でも近鉄はロッテに8連勝中だった事から近鉄有利の意見が多かった。


○第一試合

先発は近鉄は小野、ロッテは小川。
ロッテが初回に愛甲の2ランで先制、6回に近鉄も鈴木貴久のソロで追い上げるも、7回裏ロッテは佐藤健一のタイムリーで一点追加し突き放す。
しかし近鉄もその直後の8回、ランナーを二人置いて代打村上隆行が二点タイムリーを放ち、ついに試合を振り出しに戻す。
そして9回、近鉄は1アウト2塁の絶対に落とせないチャンスを迎える。

というのは、 ダブルヘッダーの規則により第1試合は延長戦を行わない ように決まっており、この回で近鉄が勝ち越さなければその時点で勝つ可能性がなくなってしまうのだった。
このチャンスに先程ホームランを放った鈴木がヒットを放つ。


二塁ランナーが三塁をオーバーランした為に本塁間に挟まれアウトになってしまった。

静まりかえる球場。
ここで近鉄の仰木彬監督は代打で梨田昌孝を起用、一縷の望みを託す。
そして梨田は詰まりながらもセンター前ヒットを放つと三塁コーチはひたすら腕を回し、二塁ランナーは迷わずホームに突っ込んだ。
しかしセンターから矢のような送球がありタイミング的にアウトかと思われた…が、ランナーがうまくブロックをかわし見事ホームイン、逆転に成功する。

そして裏の攻撃、マウンドには抑えの吉井理人が上がっていたが審判の微妙なジャッジに冷静さを失ってしまう。ここでベンチは2日前に先発し、中1日の阿波野秀幸を投入、逃げ切りをはかる。

その後満塁までピンチは広がるが最後のバッターを三振に仕留め、第一試合を勝利した。


第二試合開始までの間、近鉄のベンチ裏はさながら野戦病院のようだった。 この日までの13日間で15連戦(ダブルヘッダー含む為) を戦い続けてきた選手の体はボロボロだったが、後一つで優勝と全員で鼓舞して第二試合に臨んだ。


○第二試合
第一試合から僅か23分後に始まったこの試合の先発、近鉄は高柳でロッテは園川。
二回にマドロックのソロでロッテが一点先制、その後は膠着状態が続く。
しかし試合中、近鉄のバッター真喜志への判定などで仰木監督や中西太コーチが抗議する事が度々あり、それが近鉄ナインを奮起させる。

六回、オグリビーのタイムリーで同点に追い付き、続く七回にはベテラン吹石とルーキー真喜志の連続ホームランが飛び出し、一気に優勝への機運が高まっていった。

しかし、この日はロッテも非常によく粘った。七回裏、岡部のソロで反撃の狼煙を上げれば、更にランナーをためて西村がタイムリーを放ち二点差がたちまち同点になった。

それでも近鉄の勢いはまだ死んでおらず、八回にブライアントに一発が飛び出し再び勝ち越し、悲願の優勝まで後2イニングとなった所で第一試合で最後を締めた阿波野を投入、逃げ切りをはかった。

しかし

1アウトからロッテの四番高沢に決め球のスクリューボールを強振され、ライナーとなった打球はレフトスタンドに突き刺さった。4対4、またもや同点となる。

勝つしかない近鉄は9回2アウトから大石がツーベースを放ち、打席には二番新井。
新井の放った打球は三塁線を鋭く抜けていった…かに思われた。
しかしこの打球をサード水上が横っ飛びで捕球し素早く一塁へ、間一髪アウトになる。
信じられないと言った表情で審判に抗議する新井。

このあまりの展開に実況のアナウンサーは


This is プロ野球!

という名言を叫んだ。


9回裏、動揺したのか阿波野は先頭バッターにヒットを許し、続く打者の送りバントをなんとキャッチャーの梨田とお見合い。
オールセーフになり絶体絶命の危機に。

ノーアウト1、2塁の状況の中、阿波野は二塁へ牽制球を投げるが、この時思わぬ事が起こった。
投げた球が高く浮いた為二塁の大石がジャンプして捕球、着地した時にランナーの古川と交錯し、その勢いで古川の足がベースから離れ同時に大石の球を持ったグラブは古川に触れていた。
それを見た審判は古川にアウトの宣告をした。

ロッテの有藤監督がベンチから飛び出してきて、大石の走塁妨害を主張し、抗議の為試合が止まってしまった。

この展開によって、近鉄は不利な状況に追い込まれていった。
ダブルヘッダーの第二試合の規則として「延長戦は12回まで、但し試合開始から4時間経過した場合は 新しいイニングに入らない 」という物がある為、抗議が長引く程4時間が迫ってくるのだ。

状況を把握していた近鉄ファンから抗議を続ける有藤監督に、叫びに近い「帰れコール」が起こり球場は騒然。
ついには仰木監督が抗議に割って入ったが中々終わらず、結局1イニングの攻撃時間と同等の9分間が過ぎてしまっていた。
この試合の4時間経過の時刻は10時44分、抗議が終わった時には時間は10時20分を過ぎていた。

試合再開後、阿波野は再びロッテに攻め込まれ、2アウト満塁の状況になった。
そしてバッター愛甲の打球はレフトへの浅いフライに。
レフト淡口が懸命に前進し地面スレスレで捕球、延長戦へと望みを繋いだ。

延長10回、時間は10時半に差し掛かっておりこの回の攻撃が近鉄最後の攻撃になるのは確実だった。
先頭のブライアントが相手のエラーから出塁し、バッターはオグリビー。
しかし三振に倒れてしまう。
そして代打にベテランの羽田、仰木監督が最後の賭けに出た。


そして



羽田打った
あーセカンド正面のゴロ!
西村二塁を踏んでアウト
そして一塁へ!…アウト、ダブルプレー


この瞬間、一塁ランナーの代走安達は二塁上でうずくまり、他の選手達も動けなかった。
近鉄の優勝の夢は、最後の最後で幻と消えた。

しかし、まだ試合は続いており10回裏の守備に近鉄ナインはつかなければならなかった。
それはプロ野球史上最も短く、最も残酷な消化試合といえるものだった。
事実キャッチャーの梨田は「もうバッター全員四球で終わらせよう」ともあまりにも深い失意から思ったが
それと同時に「勝てはしないが、負けたくない」と強く思い最後まで戦い抜いた。

そして10回の裏、ロッテの攻撃が無得点に終わり第一試合からの7時間33分の死闘は幕を下ろした。

スタンドのファンからは近鉄ナインに対し惜しみない拍手と歓声が上がり
その後、観客があらかた帰り静けさを取り戻しつつあった川崎球場に残っていたファンの声が響いた。


仰木さーん!

一年間ありがとうございました!!

来年優勝しよう!!


そして物語はこの年を凌ぐほどの激戦の優勝争いを繰り広げる翌年へ。
そしてその天王山の10.12へ続く事となる。


○余談
  • 普段は客が全く入らない事で有名な川崎球場だったが、この時ばかりは観客が押しかけ満員になり、入りきれなかった観客は近くのマンションやビルの屋上から試合の様子を見ていた。

  • 普段は客が全く入らない影響か、この日の川崎球場は券売においても修羅場となっており、まさに異常事態となっていた。また、売店もあまりなく、トイレもあまりない(しかも「刑務所のトイレ」として映画撮影に使われた際に刑務所の職員が「ここまで酷くない」とクレームをつけたレベル)など、古い球場ゆえの課題を取りざたされる羽目になった。

  • 待つ身である西武ライオンズは西武球場のスクリーンにこの試合を映して観客にみせていた。西武球団にとってもファンにとっても、この試合は注視する存在だった。

  • 残り3分で守りに付かなければならない近鉄ナイン。
    涙を流して守る選手もいる中、マウンドに上がった近鉄・加藤哲郎投手はまだ闘志を燃やしていた。
    投球練習を省いた上、ロッテの打者には「早く打席に立て!3分で片付けてやる!!」(別の資料では「早く出てこい、3分でシメる」)とロッテベンチに言い放った逸話が残っている。

  • 挑戦者にして敗者である近鉄の視点から語られる事が多い本試合だが、迎え撃ったロッテ側にも様々な葛藤があり、「心情的には近鉄寄りだった」と言う選手もいれば「何が何でも勝ってやる」と思っていた選手もいたと言う。

    そもそも川崎はロッテの本拠地である にも関わらず、球場の空気は完全に近鉄寄りであった。加えて近鉄は勝利への執着があまりに強く、試合中に4回もの抗議を行った。
    なお、有藤はこの件について複雑な感情を抱いていたようで、後年インタビューを受けた際の回答はその都度変化したものとなっている。

  • 近鉄の猛追から逃げ切って優勝した西武は、そのまま日本一に輝いた。
    選手は「近鉄のためにも勝ちたかった」「ここで負けたら、近鉄に申し訳が立たない」とインタビューで口々に答えている。

  • そして翌1989年、近鉄はこの時の敗戦をバネにして悲願のリーグ優勝を成し遂げた。

  • 翌1989年、ロッテの背番号18を背負った村田兆治が200勝到達に挑んだ試合は皮肉にも近鉄戦。この時は本拠地・川崎がロッテファンで満席になっていたが、惜敗。村田の200勝は山形の日本ハム戦に持ち越しとなった。


○放送
  • 第二試合の実況を担当したのは朝日放送アナウンサーの安部憲幸(因みに大の近鉄ファン、現在は故人)。アニヲタ的には、実況パワフルプロ野球の初代実況と言えば分かりやすいだろう。
    この試合を最大限に盛り上げる名実況を行い、名言を連発した彼もまた名試合を作り上げた1人である。

  • 東日本では本来放送予定はなかったが、ニュース中に中継を挿し込んで板ところ、視聴者からの要望の電話が殺到し、番組差し替えを検討を始める。
    そして、スポンサーや系列局との兼ね合いもあったが、ついには放送延長を決断(当初は10分の予定だったが、最終的には2時間延長)。
    この延長は CM無しの自主番組 として放送したと言うのだから、驚きである。

  • さらに、ここまで来ても試合は終わらず、ついには「ニュースステーション」の番組内で、試合の最後まで中継を行った。
    なおこの日はリクルート事件の強制捜査、上越線貨物列車脱線衝突事故、阪急ブレーブスの身売りなど、この試合以外にも様々な事件があった。
    しかもこの丁度一年前にブラック・マンデーが発生しており、ニュースステーションではニューヨークとの生中継まで準備して特集を組んでいた。
    それらを全て放棄して、10.19の中継を決断したのである。
    この英断も、10.19と言う名試合を伝説にまで昇華した一因であろう。番組中に久米宏が発した「 川崎球場が大変なことになっております! 」と言う台詞も非常に有名。
    (なお、「番組冒頭で発した」と言う誤解が広まっているが、実際にはもう少し後である)



年号から分かるとおり、昭和の本当に最後の時期の出来事であり「昭和最後の名勝負」とも言われている。
また、視聴率も関西では47%、関東では31%を叩き出し、巨人絡みの日本シリーズ等を抑えてプロ野球の最高視聴率を記録した。


これだけの名勝負でありながら、2016年現在はこの試合に出場したとある選手の行いによって残念ながら封印状態となっている。


ダブルヘッダーという言葉に懐かしさを感じた方は追記・修正お願いします。

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