ミハエル・シューマッハ

登録日 :2011/08/08(月) 20:29:46
更新日 : 2016/10/18 Tue 04:00:24
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ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)はメルセデスGP所属のレーシングドライバー。過去7度ワールドチャンピオンに輝き 「皇帝」 の異名を持つ。

生年月日/1969年1月3日
血液型/O型
出身地/ドイツ・ケルペン


【チーム遍歴】
1991年R11 ジョーダン
1991年R12〜1995年 ベネトン
1996年〜2006年 フェラーリ
2010年〜 メルセデスGP


【経歴】
幼い頃からカートで腕を磨き、群を抜く速さで下部カテゴリーのドイツF3チャンピオン、マカオF3優勝に輝く。

その頃にはメルセデスのスポーツカーのジュニアチームとして更なる英才教育を施され、若手での評価も上がりつつあった。

転機が訪れたのは91年のベルギーGP前。当時ジョーダンの正ドライバーだったベルトラン・ガショーが傷害事件を起こしチームを離脱。
代役として、メルセデスから多額の資金と実績を引っ提げたシューマッハが起用された。
フリー走行から目を見張る速さで関係者からはチャンピオンの器と注目された。結果は予選7位からスタートし、数百m走った所でクラッチが壊れ、リタイア。

デビュー戦でのインパクトは大きく、次戦イタリアGPからはベネトンに移籍。様々な契約問題があったものの、正ドライバーになる。

翌年からは若きエースとしてチームを引っ張り、この年不調のアイルトン・セナやこの年圧倒的な速さを誇っていたウィリアムズ勢を追い回すほどの速さを見せた。
デビューからちょうど一年後、第12戦のベルギーGPで天候を上手く読み取ったチームと自身のテクニックで初優勝を飾り、チャンピオンになるのは時間の問題と言われた。


93年にはハイテク満載のマシンにも順応し、アラン・プロスト、セナを追いかけ、自身2勝目を挙げる。


翌94年は開幕から2連勝を飾る。第3戦サンマリノGPではセナ達がアクシデントにより還らぬ人となりながらも気丈に優勝。
次戦モナコGPも初制覇し、開幕4連勝。
破竹の勢いでシーズンを染め上げかけた。

ところが、ベネトンのマシンにレギュレーション違反疑惑が持ち上がる(最終的には嫌疑不十分で無罪)と、FIAに揚げ足取りされる形になり、シーズン中盤は失格やそれに伴う出場停止でポイントを逃す。
王座決定は最終戦まで縺れ込み、王座を争っていたデーモン・ヒルと接触し、両者リタイアでのチャンピオン獲得は物議を醸した。


だが翌年は序盤戦はマシンのバランスに苦しみ苦戦させられたが、持ち前の勝負強さとチームの戦略により「自力」でチャンピオンをもぎ取る。


そして96年、シューマッハは名門 フェラーリ に移籍。想像以上に酷いマシン(本人談)に泣かされるも、3勝を挙げ意地を見せる。このシューマッハ効果は翌年から効きはじめた。


翌97年はベネトン時代からの付き合いであるテクニカルディレクターのロス・ブラウン、マシンデザイナーのロリー・バーンを招聘。
マシンの徹底的な信頼性向上と戦闘力アップの為にチームはそれまで以上に速さと強さに磨きをかけた。
この年も王座決定は最終戦となる。
スタートからジャック・ビルヌーヴと息詰まる展開の中、48周目にビルヌーヴと接触。
結果自身はリタイア、ビルヌーヴは3位でフィニッシュし、チャンピオンになる。この一件でシューマッハはダーティーなイメージが定着。97年のドライバーズランキングからも除外された。


98年はF3時代からのライバル、ミカ・ハッキネンと争う。
シーズン序盤こそハッキネンが優勢だったが、マシンの性能向上により中盤以降の猛チャージで、またしても王座決定は最終戦となった。
予選は1位だったものの、クラッチトラブルで再スタート。最後尾から鬼神の追い上げを見せたが32周目にタイヤがバーストしリタイア。
ハッキネンがチャンピオンを獲得する。


99年は最悪のシーズンとなる。
第8戦イギリスGPでクラッシュ。腓骨と脛骨を折り7戦後のマレーシアGPまで欠場。
チームがコンストラクターズチャンピオンに輝くのがせめてもの救いだった。


00年、フェラーリは背水の陣でシーズンに挑んだ。
ニューマシンF1-2000は速く、そして信頼性が高かった。
序盤に3連勝、中盤こそクラッシュなどでポイントをハッキネンに逆転させられたものの、第14戦イタリアGPはポールポジションから逃げ切り優勝。
様々なプレッシャーから開放されたシューマッハは、レース後の会見で涙を流した(この優勝でセナと同じ優勝回数に並び、その事で感極まったと言われているが諸説あり)。
第16戦日本GP、シューマッハはスタートでハッキネンに交わされるが、ピットストップで逆転、見事に3度目のタイトルをものにした。


01年もシューマッハは速く殆ど無敵だった。
なんとシーズン13戦目でタイトルを決定。
翌年は更に速く、史上最速の11戦目でタイトル獲得。F2002がチームの完全制覇を成し遂げた。


03年は一転し苦戦、マシンバランスや新レギュレーションに苦しめられ、キミ・ライコネンとタイトルを最終戦まで争い、2ポイントの差で競り勝つ。


翌年は02年の再来と言えたシーズンだった。
他チームが苦戦する中、F2004に乗るシューマッハは 18戦中13勝 という圧勝ぶりで シーズン5連覇 を達成。


05年はマシンが速さを失い、ルノーのフェルナンド・アロンソにタイトルを奪われ、世代交代と言われた。19戦中たった1勝(しかも出走マシン20台中6台というレース)という惨めな結果に終わる。


06年はアロンソと一騎打ちのシーズン。序盤はアロンソに離されるも徐々に差を詰め、第15戦イタリアGPで勝利を挙げた後、引退を発表。
次戦の中国GPも優勝し、最大25ポイント差があったアロンソに並ぶ。
しかし、第17戦日本GPではトップ独走中の37周目にエンジントラブルでリタイア。アロンソが優勝し、チャンピオンは絶望的になる。
迎えた最終戦、チャンピオン獲得には圧倒的不利な条件の中、最後まで優勝とチャンピオンを目指し疾走するシューマッハに「まだやれるのではないか」と関係者やファンは思ったが、結果的にアロンソが連覇しシューマッハは潔くシートを降りていった。


07年からはフェラーリのアドバイザーとして度々サーキットに姿を見せていた(何故かそのレースではライコネンは勝てないばかりかリタイアを重ねていた)。


だが、09年にレギュラードライバーのフェリペ・マッサが重傷を負った際に復帰を噂され、自身も練習走行まで行ったが、直前になって過去にバイクレースの際に転倒した首の痛みによって出走を取り消すと発表…。
その後はルカ・バドエルとジャンカルロ・フィジケラが走行したが、結果は両者共に0ポイントで終わった(この年、テスト禁止や新しく導入されたKERSを搭載していた為、ドライブが難しいと言われた)。


2010年シーズン前にメルセデス・ベンツがF1チームに復帰をアナウンス。そのエースとしてなんとシューマッハが起用された。
心配された首のダメージはほぼ完治したと言われ、シーズンが開幕。しかし4年のブランクと年齢からか、中段争いが精一杯で表彰台すらも上がる事も無くシーズンが終わる。


翌11年、前年と変わらずのポジションとアクシデントの多さから現時点では復帰は失敗だと言われていたが、第13戦イタリアGPでルイス・ハミルトンと約20周近く熾烈なドッグファイトを演じた。




【余談】
が長く古舘伊知郎から「顔面ロマンチック街道」「顔面三浦半島」といわれた。またタフさから「機動戦士シューマッハ」「人間リポビタンD」「ターミネーター」とも言われた。

服のセンスが壊滅的に悪く、よくネタにされたりする。

慈善活動にも積極的で、04年のスマトラ島沖地震の際には1000万ドル(当時約10億円)も寄付をした。

弟のラルフもドライバー。F1後はDTMで活躍している。

大のサッカー好きとしても知られ、サッカーの腕前は趣味の域を超え、もはやプロ級。
実際に自宅近くのスイス3部リーグのチームに 選手として 所属していた。

イギリスの人気番組Top Gearに出演し、覆面ドライバー「スティグ」の中の人として紹介された。
が、彼の計測ラップの映像になるとコースを飛び出す、逆走する、カメラを破壊、挙げ句の果てに迷子になってしまうという終わり方(これは演出でシューマッハはゲスト出演だったと言われている)。

妻はコリーナ氏。娘と息子を授かる。そのコリーナ氏は、同じドイツ人の元F1ドライバーであるハインツ=ハラルド・フレンツェンの元恋人。その為、シューマッハがコリーナ氏を寝取ったのではないかとの噂。

サイバーフォーミュラに登場するナイト・シューマッハのモデル。
まだ本人が頭角を現す前の話だったが、速さだけでなく、予選の妨害をしたり、スタートでフェイントを入れるなど、勝つ為には手段を選ばない所までなぜかその後のシューマッハそっくり。




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