鈴鹿サーキット

登録日:2009/12/28(月) 12:47:44
更新日:2023/11/25 Sat 16:06:50
所要時間:約 6 分で読めます




鈴鹿サーキットとは三重県鈴鹿市にある国際レーシングコース。
コースの他に遊園地やホテル等があり、モビリティリゾートを形成している。

【概要】

日本初の本格的サーキットとして、1962年に本田技研工業によって建設された。
現在はホンダグループでモータースポーツ関連施設を運営する会社(モビリティランド)によって運営されている。

F1開催は1987年から行われ、日本人初のF1フルタイムドライバーである中嶋悟の存在ともあいまって、日本におけるF1ブームの火付け役となった
毎年シーズン終盤に開催され、幾度となくタイトル決定の場にもなってきたため、様々なドラマを生んできたことでも有名(後述)。

世界屈指の難コースとしても知られており、ドライバー達への「F1におけるベストコースは?」との問いには必ずと言っていいほど名前が挙がる。
ミハエル・シューマッハ『鈴鹿はスパ(フランコルシャン)と並んで好きなサーキット』と答え、2009年日本GP優勝者のセバスチャン・ベッテルは『鈴鹿は神様が作ったサーキットだよ!』と絶賛している。

開催されるレースとしては国際格式がF1と鈴鹿8時間耐久レース。
日本国内だとSUPER GT、SUPER FORMULA、MFJスーパーバイク、スーパー耐久辺り。
他にもサンデーシリーズと呼ばれる入門格式のレースが2週間に1回ぐらいのペースで行われている。

【特徴】

コース全長は4輪で5.807km、2輪で5.821km、コース幅は10m〜16m。
最大高低差は52m。これは日本のサーキットの中で最長である
世界の多くのサーキットと比べ、摩擦係数の高いアスファルト舗装である。
また、追い抜きのできる長さのストレートや低速コーナーから高速コーナーまで多種類のコーナーがあることも、このサーキットの評価を上げる要因になっている。

  • 連続S字コーナー
まず全開速度で突入する1コーナー、2コーナーを越えると最初の難所、連続S字コーナーに突入する。
徐々に角度がきつくなり、高度なハンドルとブレーキ操作が求められる。ここを制するものは鈴鹿を制する、といわれるほどの難所である。
昔はこの辺りの内側に池があり、なんらかのトラブルで車がフェンスを越えると水没する危険があった。
そのためダイバーが待機していたが、改修で埋められた。
現在その場所はカメラマンゾーンになっている。ヘアピン同様にF1では立ち入りに追加料金が必要。

  • 逆バンク
S字を抜けると加速しながら上っていく逆バンクが待っている。実はこの逆バンクには本来路面に付けるはずの傾斜がなく、普通に走ろうとするとアウト側に膨らんでしまう*1
東コースの中では形状の関係で一番写真が撮りやすいポイントで、F1開催時には追加料金エリアとなっている。

  • NIPPO、デグナー
次に待ち受けるはNIPPO、デグナーカーブ。
NIPPOコーナーはコース中最も勾配がきつい上にアクセル全開で駆け上がる高速左コーナー。
先が見えない上に道幅が狭いため、ここでの加速は少々勇気がいる。
東コースショートカットはこのNIPPOコーナーの途中で右に折れてホームストレートのシケイン後に合流する。
カーブ名の由来は前者は命名権で、2022年まではダンロップコーナーの名称だったが、2023年から現在の名称に変わっている(後者については後述)。

デグナーカーブは短い直線をはさんで直角に2連続で右へ曲がる。ダンロップを抜けてすぐに下りで曲がるため、デグナー入り口でミスしやすい。
さり気なくデグナー2は鈴鹿の全コーナーの中でシケイン1つ目の次に曲率がきついコーナーだったりする。
このデグナーを抜けると立体交差の真下を通過する。

やや短い右コーナーの後にフルブレーキで突っ込むヘアピン。
鈴鹿では一番マシンがバッチリ写るポイントのため、カメラマンが多数陣取る場合がある。
フルサイズカメラに70-200でちょうどいいという近さも好評される理由。
故にF1開催時には、カメラマンブースに入るために追加料金が必要になるほど。
(だからって立ち入り禁止区間には入っては駄目だぞ!)
かつて小林可夢偉が何度もオーバーテイクを仕掛けたポイントであり、スタンドが増設された。

  • マッチャン(通称)
ヘアピンからスプーンにかけてのコーナーとは言えない右コーナー。
2輪ではここに増設された「200Rシケイン」を通過する。
このシケインは一時期MuSASHiシケインと名が付いていたが、同社がバイクレース全般へのスポンサーを撤退した影響で200Rシケインに名が戻っている。
この辺の歩行者通路には立ち止まり禁止ゾーンがあるので写真撮影には注意。

  • スプーン
緩やかに下る右コーナーを抜けると、大きな複合左コーナーのスプーンが待ち構える。さまざまな角度の5つのコーナーがあり、徐々に下っていく。
ここでアウト側のラインを見つけ出せるかが鍵。
とあるイベントでは脱輪ペナルティが取られなかったため、みんな揃って出口にて盛大に脱輪していた。

  • 西ストレート、130R
そこから先は西ストレート。コース中最もスピードが出る区間で、立体交差の上を通過する。
そのスピードのまま突入する130R(Rとは、コーナーの曲がり具合を指している)は、いかに減速せずにいけるかというドライバーの度胸が試される。
実はコース改修が入った結果130Rと言いつつ130Rではない(入り口が85R、出口が340R)というのは有名なお話。
ほんこんと板尾創路のお笑いコンビ・130Rはこのカーブが由来(正確には8耐にも参加経験のある島田紳助の個人事務所名からで、もちろん紳助に許可を取ったうえで名づけている)。

  • シケイン、ホームストレート
そして、あのアイルトン・セナなど数々のドラマを生んだシケインへと入る。ここをテンポよく行けると最終コーナーの立ち上がりで有利に立てる。
以前ネーミングライツで「日立オートモティブシステムズシケイン」となっていて、世界で一番喋りにくいコーナーとしてネタになっていた。
しかし社名変更に伴い「日立アステモシケイン」になってしまいがっかりされたことが。

最終コーナーを抜け、ホームストレートへ。実はホームストレートはやや下っており、これは実際に現地へいってみないと分からない。
そのため、レースでのグリッドスタートではフライングの可能性がある。

また立体交差による8の字状のサーキットは世界的にも珍しい。

【F1での優勝者】

1987年 ゲルハルト・ベルガー
1988年 アイルトン・セナ
1989年 アレッサンドロ・ナニーニ
1990年 ネルソン・ピケ
1991年 ゲルハルト・ベルガー
1992年 リカルド・パトレーゼ
1993年 アイルトン・セナ
1994年 デーモン・ヒル
1995年 ミハエル・シューマッハ
1996年 デーモン・ヒル
1997年 ミハエル・シューマッハ
1998年 ミカ・ハッキネン
1999年 ミカ・ハッキネン
2000年 ミハエル・シューマッハ
2001年 ミハエル・シューマッハ
2002年 ミハエル・シューマッハ
2003年 ルーベンス・バリチェロ
2004年 ミハエル・シューマッハ
2005年 キミ・ライコネン
2006年 フェルナンド・アロンソ
2009年 セバスチャン・ベッテル
2010年 セバスチャン・ベッテル
2011年 ジェンソン・バトン
2012年 セバスチャン・ベッテル
2013年 セバスチャン・ベッテル
2014年 ルイス・ハミルトン
2015年 ルイス・ハミルトン
2016年 ニコ・ロズベルグ
2017年 ルイス・ハミルトン
2018年 ルイス・ハミルトン
2019年 バルテリ・ボッタス
2020年 新型コロナウイルスの流行により開催されず
2021年 新型コロナウイルスの流行により開催されず
2022年 マックス・フェルスタッペン
2023年 マックス・フェルスタッペン

2007年と2008年は富士スピードウェイでの開催

赤字はその年のチャンピオン

【主な出来事】

1962年

鈴鹿サーキット開幕戦『第1回全日本選手権ロードレース』開催。
優勝者は黒沢元治。
エルンスト・デグナーが1つ目の立体交差前のコーナーで転倒したため、このコーナー名が「デグナー」となった。

1969年

川合稔がトヨタ7・ターボのテスト中、ヘアピン手前の110Rでコントロールを失いコースサイドの溝に激突し死亡。

1987年

チャンピオン争いをしていたナイジェル・マンセルが予選で大クラッシュ。
本選出走が不可能となり、決勝を走らずしてネルソン・ピケの3度目のタイトル獲得が決まる。

1988年

セナが初めて世界王者に輝く。

1989年

王座を争っていたセナとアラン・プロストが決勝の47周目のシケインで接触。プロストはリタイア。
セナはシケインをショートカットしてレースに復帰。
セナは優勝するも後の裁定で失格。プロスト3度目の王座確定。

1990年

スタート直後の第1コーナーで前年に続きセナとプロストが接触。
両者リタイアとなり、セナの2度目の王座が決まる。
ピケが棚ぼたの優勝。鈴木亜久里が日本人初の表彰台に登る(3位)。

1991年

セナ3度目の王座が決まる。

1993年

セナが鈴鹿2勝目。セナはこれが鈴鹿最後の晴れ舞台となった。

1994年

雨による中断で初の2ヒート制レースとなる。
見た目上の順位ではシューマッハが1位だったが、タイムの合計でヒルが優勝。

1996年

ヒルが初タイトル獲得。

1998年

ハッキネンが初タイトル獲得。

1999年

ハッキネンが2連覇達成。

2000年

シューマッハが5年ぶり3度目のタイトル獲得(フェラーリのドライバーとしては、1979年のジョディ・シェクター以来21年ぶり)。

2001年

ジャン・アレジとハッキネンのラストラン(アレジはリタイア、ハッキネンは4位)。

2002年

この年デビューの佐藤琢磨が日本人の日本GP入賞としては12年振りの入賞(5位)。

2003年

  • 2輪
オートバイロードレースの最高峰『MotoGPクラス』に参戦していた加藤大治郎が、決勝3周目に130Rの立ち上がりでウィーブモードを起こし、シケインのスポンジバリアに激突。
病院に搬送されるも4月20日死亡。

  • F1
ポイントリーダーだったシューマッハは決勝8位に終わるも、ポイントランク2位のライコネンが決勝2位に終わったため、シューマッハの4年連続、そして史上最多6度目の王座確定。
スポット参戦の琢磨が2年連続入賞(6位)。

2004年

台風の影響で史上初のワンデーGP(日曜の午前中に予選、午後に決勝)に。この年躍進した琢磨が3年連続入賞(4位)。
また前年の大治郎の死亡事故の検証の際、鈴鹿が必要な安全性を満たしていないと判断されたために日本GPがもてぎ開催に変更された。

2005年

予選17位スタートのライコネンが最終ラップでトップを走っていたジャンカルロ・フィジケラを抜き劇的な逆転勝利を奪う。

2006年

フェルナンド・アロンソとシューマッハが同点で迎えた残り2戦、終始シューマッハが優勢だったが、2回目のピットストップを終えた直後にエンジンブローを起こし、アロンソが逆転優勝。
チャンピオンシップ争いを決定的にした。

2009年

3年振りにF1が開催され、鈴鹿初挑戦となったベッテルが優勝。

2010年

ベッテルが鈴鹿2連覇。小林可夢偉のオーバーテイクショーがファンを沸かせた。

2011年

ベッテルの2年連続ワールドチャンピオンが決定。ドーナツターンをみせてくれた。

2012年

ベッテルがPtWで優勝。小林可夢偉が3位表彰台を獲得した。
日本人の表彰台獲得は2004年アメリカGPの佐藤琢磨以来の8年振り、母国表彰台は1990年の鈴木亜久里以来の22年振りである))。

2014年

世界一読むのが難しいコーナー「日立オートモティブシステムズシケイン」爆誕(~2020)
台風の影響により、風雨の強いウェットレースになる。
レース終盤、クラッシュしたエイドリアン・スーティルの車の撤去作業中、ジュール・ビアンキがスーティルとほぼ同じ場所でコースアウトして作業用クレーン車と衝突、重体に陥ったためレースは赤旗終了された。優勝はハミルトン。
ビアンキは約9ヵ月後、昏睡状態から目覚めることなくフランスにて死去した。
F1における死亡事故は約21年ぶりとなる。
その後、ビアンキのカーナンバーだった17番は永久欠番となった。

2015年

ルイス・ハミルトンがオープニングラップでニコ・ロズベルグとのバトルを制し、その後は1度も順位が下がることなくトップチェッカー。
ホンダエンジンと新たに提携を結んでのレースだったマクラーレンは全くと言っていいほどいいところがなく、アロンソが「GP2エンジンだよこりゃ!あぁ!」と無線で嘆いていた。*2
また、2011年ヨーロッパグランプリ以来の全車完走したグランプリでもある。


2021年

残念なことに「日立オートモティブシステムズシケイン」が「日立Astemoシケイン」に名称変更。


【周辺施設】

日本の国際サーキットは通常山奥に建設されるが、鈴鹿サーキットに限り鈴鹿市の中心街近くに所在するため、
主要なアクセス手段はやはり自家用車であるものの、公共交通機関も十分に移動手段の候補になりうるほどアクセスが良く、周辺施設にも恵まれている。

  • 本田技研工業鈴鹿製作所
1960年にHondaの国内3番目の工場として設立。
現在は4輪の生産のみ行っているが、かつては2輪と4輪の両方を手掛けていた。
  • イオンモール鈴鹿
イオンモール株式会社運営のショッピングセンター
ベルシティ」の愛称があり、地元では「ベル」などとも呼ばれている。
  • 白子駅
公共交通機関の降車駅その1。近畿日本鉄道名古屋線の駅。
鈴鹿市内の近鉄の駅で唯一の特急停車駅である。
鈴鹿サーキットで大規模イベントが開催される時は、当駅発着の臨時特急・臨時急行が運転される。
ただしメインゲートまでは路線バスで約20分、タクシーで約15分、徒歩で約65分はかかる
とはいえ、大イベント時はもちろんそもそも近傍の国道23号線が渋滞の名所のため
本駅を含めた公共交通手段も十分に選択肢になりうる。

  • 平田町駅
公共交通機関の降車駅その2。近畿日本鉄道鈴鹿線の終着駅。
白子駅と違って駅自体が小さいため、鈴鹿サーキットで大規模イベントが開催される時に当駅発着の臨時特急・臨時急行が運転されるようなことはない。
ちなみにメインゲートまではタクシーで約15分、徒歩で約40分はかかる

  • 鈴鹿サーキット稲生駅
公共交通機関の降車駅その3。伊勢鉄道伊勢線の駅。名前の通り鈴鹿サーキットの最寄り駅である。
国際レーシングコースを走行するマシンの爆音が聞こえる程度には近いのだが、メインゲートまでは徒歩で約30分かかる*3
通常は無人駅だが、鈴鹿サーキットで大規模イベントが行われる際には、臨時に乗車券発売所や仮設トイレが設置され、普段は通過する特急列車や快速列車が臨時停車する。
伊勢鉄道全線だが、Suica等の電子マネーが使えないので注意!

  • 鈴鹿ツインサーキット
全長1750mの自動車レース場。通称ツイン
鈴鹿市内のバイクショップが運営母体で、鈴鹿サーキットとは関係ない
2輪と4輪の両方に対応しており、ミニサーキットより大きく、フル規格のサーキットより手軽*4

  • モーターランド鈴鹿
全長1000mのミニサーキット。
サーキットともツインサーキットとも関係ない

【余談】

鈴鹿が開催されるようになってからチャンピオンになったドライバーで、鈴鹿を勝ったことのないドライバーは、
  • アラン・プロスト
  • ナイジェル・マンセル
  • ジャック・ヴィルヌーヴ
の3人である。

実はモータースポーツ専用サーキットというわけではなく、自転車のレースも開催されている。ロードバイクだけでなくMTBやママチャリでも参加可能である*5
なお、コースの進行方向は通常と逆になる。これは自転車だとゴールスプリントが下り坂になるのは危険であるため。

お金がない地元のマニアの間で「鈴鹿で走行会」と言えば、だいたいツインサーキットかモーターランドの事を指す。

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最終更新:2023年11月25日 16:06

*1 というのも、実はこの辺りでショートコースに繋がるよう設計されているため、必然的にこのバンクが出来てしまうのだ。

*2 それでも入賞まであと一歩の11位、チームメイトのバトンも16位と順位を下げずに終えた。

*3 ここまでくると国内のサーキットで特別に近いと言ってよい。

*4 ただし灯火類への飛散防止テーピングなどは厳しくチェックされる

*5 電動アシスト付自転車やタンデム車は不可