偽善者

登録日:2011/04/26 Tue 22:43:37
更新日:2024/04/26 Fri 00:15:00
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◆偽善者とは

偽善者とは、表面的に善人を装った人間、又は善人のフリした悪人のことである。

…と言ってもイマイチわかり辛いかもしれない。
つまり善行を行ってはいるが、その実下心があっての行動だったり、悪事を誤魔化す為、もしくは贖罪の為に善行を行う人、そういう人を偽善者と呼ぶ。

◆つかそもそも善人とは

そのまま「善行を行う人」…というわけではなく、その人の考え方や価値観が他人や社会、もしくは道徳的観念から見たときに善良とされる人間をさしている。
まぁ要するに「行動ではなく思想や在り方自体が既に善性に包まれた人間」のこと。身も蓋も無い言い方をすれば「良い奴」。

ただし善人=暴力に訴えないという訳ではない。「力を行使する事は必ずしも悪事ではない」と言うことであり、犯罪に刑事罰が必要であるように、戒めとしても使用されるからである。
現代においてはそう多くはないが、悪さをして反省しない不良を殴って戒める事が必要な場合も時にはあるし、「悪行には暴力で返される」という認識そのものがそれなりの抑止力として働くのも事実ではある。*1

話を偽善者に戻そう。
一般的に偽善者とはどういう扱いか。

ズバリ、『悪人より嫌われやすい』

どういう事かといえば色々言われるパターンがあり、まず

1.善行を行った、善意で行動を起した人が事態を悪化させた

というものがある。これが行動に対する思慮が浅かった為に起きる場合は正直フォローできない。
他人を確かに思いやり、善行を行うためにきちんと考えていれば起こらなかったことを起こすのだから、考えが足りない、思いやりが足りないと言われても仕方がない。
しかし子供のように思慮が足りないだけであれば、その「善意だけ」は評価できるのだから、願わくば思慮深さを身に着けて、理想的な善人になってほしいものである。

また、不測の事態が起きて本当なら良い結果だったものが悪化した場合同情を禁じえない。
例)仲間を助けにいって無駄な死人を増やすなど
この場合仲間を助けられていれば勇者や英雄と呼ばれるが、失敗して死人を増やして批判されることは可能性としてありうること。
これを『偽善者』と呼ぶべきかは意見が分かれるが、それを考えずに動いて失敗したのなら批判されても仕方がない。
逆に、失敗する可能性を受け入れ、それでも動き、失敗しても後悔しないような人間は罵られることも少ない。
「覚悟をしている」ということは「失敗の責任を負う」という意志表示でもあり、それなりにプラス評価になりやすいのだ。

2.善行が自分の利益になるから行っただけ、という人

例えば周りから賞賛されたい、褒められたい、相手の心象を良くしたい、など他人からの良い評価や印象が欲しいが為に善行を行うということは、結局は『損得でしか物事を見れない人間』という評価を受けやすいのである。
その為偽善者という評価を受けやすい。

ただしこの『自分の利益』というのが難しい所なのである。
例えば「誰かの笑顔が見たいから」という理由ならばどうだろうか。この誰かは親しい人間でもいい。
「この人(達)の笑顔が見られれば自分も幸せな気持ちになる、だから善行を行う」、こうなると上記の善人の通りになる。
故にその人の思考に他人が介在するならば偽善者と呼ぶ必要はないだろう、という主張も存在する。

しかしこれがなかなか難しいところで、単に「誰かの笑顔が見たいから」という理由で動く人間は理屈で言えば悪行も同じように行うことになる。
例えば「笑顔を見たい相手が悪人だった場合」や「百人の笑顔を見るために一人を苦しませる」ときなんかを想像すればわかりやすいだろう。
もちろんこれらの行い、特に前者の行いは「偽善」ですらないが、「誰かの笑顔を見たいから動く偽善者」を批判する理屈にはなる。
自分本位で動く人間は、「善かどうか」で動く人間よりも劣る、というわけだ。
そんな『自分の利益』のために動く人間を手放しで褒めるべきではない。これが一つの偽善者批判としてあるわけである。

前項との併せ技で「自分の利益のために善行に見せつつ事態を悪化させてる」まで行けば、善人の仮面をかぶった悪人というステレオタイプの偽善者な悪者キャラである。

だが勘違いしないで欲しい。「善行が自分の利益になるから行う」というのはほぼ全ての人間が持ちうる考えであり、それは決して悪い事ではないのだ。
自分から見て偽善と思っても、その行いが正しく善であればそれを施された相手にとっては善である事に変わりはないのである。


3.善意を行動に移さない口だけの人間、または逆に悪事を働くための隠れ蓑にする

恐らくこれが最も嫌われるタイプ。「悪いことはやってはいけない、そう判っていても言う勇気が無い」という人が該当する。
他人の目を気にして一歩踏み出せなかったり、悪事をやってる相手が怖くて言えないといったことは日常生活においてよくあるシーンと言えるかもしれない。

しかしその他だと性質が悪い。
その他の多くは「ここで俺もなんか良い事言っとかないと心証悪いよなぁ」という理由だったり、あるいはタダの憂さ晴らしだったり。かなり不純な動機から動くのである。
そしてそういう手合いに限って無駄に声高である。

誰かが悪事をしたとすれば必要以上に叩くが仮にそれが冤罪だったりすると途端に知らん顔。
他にも自分達の所属するコミュニティに不都合があった時に口から出る事だけは立派なくせに行動に移さないなど。
行動していないのだから結果が起きる筈も無いのにいざ不都合が起きるとひたすらその責を押し付けあう。もう正直糞以下の以下である。

より質が悪いのが、表面上は美辞麗句で飾っておきながらその実己の利益のためだけに確信を持って悪事を働くパターン。
というか「自分は悪である」と馬鹿正直に名乗り出る者はいないので、単純な暴力沙汰や衝動的なものを除けば、むしろこれが悪党の基本形であるともいえる。
ある人物や組織を揶揄・批判する表現として「偽善」という言葉の中でもかなり使用頻度が高い。

これらは「責任」という概念が無い手合いが多いのが嫌われる最たる所だろう。
どこの世界でも無責任は嫌われる。


4.自己陶酔型

悪い言い方をすれば「良い事してる俺カッコイイ!」という人達の事である。
言い方は悪いが、「自分に酔っている人間」というのは見ていて決して気持ちが良いものでは無いため非難の的となる。

他にもタイガーマスク現象や募金活動などの社会的な善行ブームの際にこのタイプが起きやすい。
行動するのはよいのだが、検討違いな行動をとったり一過性の熱気で継続しない輩が現れるから非難されるのだ。

真っ当に募金や善意の行動をする人達にまで悪評などのとばっちりがくる為こちらも嫌われやすい。

1と組み合わせればこれはこれでステレオタイプの「自分に酔って他者に迷惑をかける偽善者」であり、無意識に2まで入っていればフルコンボである。
心の奥底では善行を褒められるための道具としか考えておらず、自分は良い事をしている素晴らしい人間と自己陶酔し、他者に迷惑をかける最悪の偽善者となるだろう。


◆偽善という言葉・テーマを発したキャラ

  • ロックベル夫妻(鋼の錬金術師)…
『偽善で結構!やらない善よりやる偽善だ!』

ハ『てめーの行為は偽善だ!』
ア『それでも善だ!僕はもう、命を見捨てたりはしない!』

『謝るなよ偽善者』

『何故、死ななかった?戦って死んでこそ私の部下の資格がある』

沢渡『手を差し伸べるコトが、必ずしも救いになるワケじゃ無ェ。それに気付こうとしなかったテメェも、所詮は自分が気持ち良くなりたいだけの嘘吐きなんだよ。
最後にそれが分かっただけでも―――ありがたいと思え』
美海『…私は…九条美海……。…アイドルになって…皆を…皆を…笑顔にしたかっただけの――――――嘘吐き』

デニム『僕らはウォルスタ人だけのために戦っているわけじゃない! 私利私欲のために民族紛争を利用する公爵やおまえたちと一緒にするのはやめてくれッ!』
騎士ザエボス『ふははは…なんて御都合主義なんだ。ごふっ……ごふっ……それは詭弁だ…。この偽善者めッ!ごふっ……民を欺き……仲間を欺き……そして、自分をも欺くのだな……』
デニム『僕は偽善者なんかじゃない……』

響『私は…困ってるみんなを助けたいだけで…だからッ!』
調『それこそが偽善…!痛みを知らないあなたに…誰かの為になんて言って欲しくない!』

『ゲゼンシャ!』

『フザけるな!この偽善者どもめ!お前らが…地球にいるお前らが今さら俺たちを助ける?ガルルル…笑わせるな!』


以上が大まかな偽善者の説明である。


◆気をつけて欲しい事

誰かが人助けをした、泥棒を捕まえた、募金をした、老人に席を譲った、落し物を拾ってあげた、落ちてた財布をそのまま交番に届けたなどは、
どれも賞賛されるべき行動であり、尚且つ日本人は愚か一般常識を弁えた人間として当たり前のモラルである。そもそも赤線強調自体必要無い筈の事なのだ。
時たまこれらの行動をする人達を特に考えもせず偽善者と謗る人達が出てくる。
これらの多くは「自分がそういう善行に出る自信がない」又は「他人の善性を信じれない」人達のやっかみ、あるいは彼らの行為の落ち度をつついた場合が多い。

また「自身の悪を自覚していれば偉い」といった風潮が一部であり、それを言質に「悪事を批判する人間は自分の悪を自覚できてない偽善者」と煽る者もいる。
それどころか「悪を自覚していれば、もっと悪いことをしてもいい」と、自覚していることを悪事に対する免罪符・錦の御旗にする者すらいる。
当然悪を自覚してればそれだけで偉いといったことはなく、自覚した上で己を戒めてこそ偉いのである。中々できることではないが…

ちなみにやっかみも煽りも免罪符扱いも、こういったことをする人間は悪質幼稚なタイプの高二病患者、もっと言えば単なる嫌な奴・悪人に多い。

偽善者と言われると本当に善人の人でも自分の善性に疑問を抱く。
他人の言葉を余にも真摯に受け止めるからだ。
上の手合いは他人の足まで引っ張る最低の輩なのだ。

『偽善者』という言葉は想像以上に重い。他人に対して軽々しく使っていい言葉ではないのだ。

もしどうしてもこの言葉を使いたい相手にあった時は、その相手の行動や理由をよく熟考してからにしないと、やはり無闇に相手を傷つける結果を産みかねない。

また、「やらない善より、やる偽善」という言葉もある。動機はどうあれ、その行為によって誰かが助けられているなら良いだろうという考え方にも一理あると言える。*2


◆独善者

偽善者と非難される人(あるいはキャラクター)は、客観視すると偽善と言うより独善で行動している者も多い。
多くのフィクションでは、キャラクターの内面を描いているので読者はメタ視点から本当に他意や悪意がない事がわかる場合が多い。
特に古い作品のヒーローなどに多い(今の作品にも十分いるが)が、上記の2の様に自身の利益を求めてないが、かと言って4の様に精神的充足のためでもなく、他者の幸福や日常を守りたい等の自己犠牲精神等である場合、それは彼らは彼らの善や正義を貫いている事となる。
その場合、彼等の行為は偽善と言うよりも独善と言う方が正しい。

独善と言う言葉は、1のイメージが強いために印象は悪いが、本当の意味で思慮深く、かつ他者の為に行動出来ていたら、独善であっても問題点はない。
いけないのは「自分の正義(価値観)は正しい」と自分の正義を絶対的に信じるあまり
  • 自分の善性に疑問を抱かず他人の言葉や注意に耳を傾けない
  • 自分の正義(価値観)を相手の心情や価値観を無視して無理矢理押し付けたりする
  • 自分に意見する者を悪と見なして攻撃する
といったことをやらかしてしまう場合である。
この点が偽善との最大の違いにして時として偽善よりも質が悪い面であり、なまじ偽善者と比較して物理的にも社会的にも力を持っている場合が多く、言葉ではまず止められないことから時として偽善者よりも実害を撒き散らす存在として嫌われる原因になりやすい。
故に偽善よりも敵を作りやすく、最後は孤立してしまう恐れがある。

自分の正義を信じることも確かに大事だが、視野狭窄に陥らないように己を客観視することを忘れず、時として相手の言葉にも耳を傾け対話することを怠らないようにしよう。




善でも!悪でも!
最後まで書き通した項目に、偽りなど何一つ無い!
君がまだ自分を偽善と疑うならば、追記・修正しつづけろ!Wiki篭り!

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最終更新:2024年04月26日 00:15

*1 ただしそれこそ現代において、特に個人に対しては、暴力とは最終手段としても選ぶべきではない選択肢として認識されている傾向にあることは留意すべきである。念のため。

*2 ただしここで言う「偽善」とはあくまで2や4の偽善者が行う、一応は誰かのためになり誰かの邪魔になっていない偽善のみであり、偽善や偽善者全般に拡大できるものではない。この言葉を使う時は反射的に使うのではなく、相応しい状況と対象かを考えて使おう。