筋肉少女帯(バンド)

登録日 :2010/09/11(土) 03:47:26
更新日 : 2016/03/21 Mon 23:43:54
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1982年、当時高校生だった大槻ケンヂと内田雄一郎が、前身となった『ザ・ドテチンズ』から発展する形で結成したバンド(この時点では『筋肉少年少女隊』)。

1984年にバンド名を筋肉少女帯と改める。

インディーズ時代は有頂天というバンドのケラが主催のナゴムレコードに所属。

新たに加入したキーボードの三柴理(三柴江戸蔵)と共に1988年にデビュー。

以降のメンバーの入れ替わりは非常に激しく、実は唯一筋肉少女帯から離れなかったのは内田雄一郎だけである。

それぞれがソロ活動や他バンドでの活動を積極的に行っており、一時バンド活動が凍結されたこともあったが、2007年に『仲直り』して再結成した。

急速に盛り上がり、そして衰退した日本バンドブームの波に翻弄されたバンドの一つである。

個々のプレイヤーのポテンシャルが異常に高く、ほぼ全員が何らかの形で作曲に携わっている。

作詞は大槻ケンヂがその殆どを担っており、多数の小説・映画・他バンド・自身の体験をエッセンスに持つ、極めて独特で多彩な世界観を発揮している。

『日本印度化計画』に代表されるコミカルな曲もあれば、『生きてあげようかな』に代表されるポップな曲、『どこへでも行ける切手』に代表される物悲しい曲、
『釈迦』に代表されるハードロックな曲、『ハッピーアイスクリーム』に代表される狂気に満ちた曲、『戦え!何を!?人生を!』に代表される活力が湧いて来る曲など、
展開も雰囲気もまるで異なる様々な曲が幾多の物語のように紡ぎ出されている。

それぞれの楽曲やアルバムを跨いで物語として繋がっている曲も多くあり、またそれらを再構築した大槻ケンヂの小説も非常に魅力的。

有名所では『再殺部隊』→『リテイク』→『トゥルーロマンス』(もしくはこの逆)などがある。

アルバム『レティクル座妄想』では、アルバムを通して楽曲に関連があり、幻想と妄想と死と生がごった返した大変なことになっている。

また、楽曲中に台詞(朗読)部分が多くあるのも特徴で、『いくじなし』のように曲の大半が台詞と言うものも珍しくない。

また、筋肉少女帯の楽曲の一部は空手バカボン(大槻、内田、ケラのテクノユニット)でも演奏されていた。

『ボヨヨンロック』という曲を歌っていた、まんが道というユニットの正体は筋肉少女帯である。

『小さな恋のメロディ』はアニメ『EAT-MAN』の主題歌となった。

『221B戦記』という曲は水木一郎、神谷明、宮村優子が参加する豪華ぶりである。


メンバー

  • 大槻ケンヂ

作詞・メインボーカル。
言わずと知れたフロントマン。
小説家でもある。
『グミ・チョコレート・パイン』や『ステーシーの美術』『ロコ!思うままに』『新興宗教オモイデ教』など著書多数。
その歌声とは対照的に、基本的には物静かで内気な性格らしいが、
オールナイトニッポンのパーソナリティーを勤めた時などは二時間ずっと『パンクでポン』のテンションで叫びまくった。
他のマイナーなアーティストとの交流が非常に多く、大正九年や犬神サーカス団、あぶらだこ、人間椅子などと幾度となくセッションしている。
東南アジアで「マジックマッシュルームオムレツ」なる料理を試しに食べてみたところ、バッドトリップに陥る。
以来キノコが食べられなくなったらしい。
サブカル志向が強く(しかし、いわゆる『萌え文化』にはあまり傾倒していない)少年時代は映画や小説を貪るように吸収していたと言い、
それが今の彼の精神世界を外部に発信する大きな助けとなっているのは間違いない。
最近では声優の小林ゆうと特に仲がよろしいようで、アルバムにも起用するほどの入れ込み具合。
なんとなく通じるものがあるのだろう。
ラジオで『BOOWYが日本のロックをダメにした』と言い切った。
曰く『ロックをイケメンが更にモテるための消耗品にしてしまった』と。
実は結成当初はベースも兼ねていたが、ベースを弾きながら歌えなかった為Voに専念した。
特撮のメンバー。


  • 内田雄一郎

作曲・ベーシスト。
もう一人のフロントマン。
大槻ケンヂとの出逢いは中学の時で、「昨日の火事見た? すごい燃えてたよなwww」と話し掛けられた時に「あれ、僕の家なんだ……」と答えたのが最初の会話らしい。
大槻とは親友、盟友と呼ぶに相応しい関係だったが、筋肉少女帯が活動凍結した後に大槻ケンヂのバンドの特撮で仲違いし、一時絶縁。
しかし、後述の本城聡章と共に筋肉少女帯の名義を守り続け、活動再開の時を待っていた。
やがて共通の知り合いアーティストによって仲直りの機会が作られ、
2007年にリリースされた10年振りのアルバム『新人』のオープニングナンバーに『仲直りのテーマ』と言う曲が収録されるなど、すっかりネタとなっている。
キング・クリムゾンを愛好しており、『月とテブクロ』『どこへでも行ける切手』などのプログレ要素が強い曲は彼の編曲による。
ちなみに『どこへでも行ける切手』は、楽曲自体がかの綾波レイのモデルとなった。
と言うか、エヴァ自体がかなり筋肉少女帯の影響を受けていると思われる。


  • 本城聡章

ギター。
大槻・内田の高校の先輩で、ケラ・有頂天と掛け持ちする形で筋肉少女帯に加入。
インディーズ時代に一時期脱退していた時期もあったが、メジャーデビュー後は内田と共に筋少に在籍し続けている。
筋肉少女帯のポップな雰囲気の編曲は、ニューウェーブやニューミュージックを好んだ彼の影響だと言う。
しかしやるときはハードロックもガシガシとこなし、『大釈迦』などでは橘高とともにゴリゴリの激しいギタープレイを見せてくれる。
上記のような他のバンドでの活躍も目覚ましいものがあり、大槻ケンヂの人脈を広げた一人である。


  • 橘高文彦

ギター。
見た目は古きよきヴィジュアル系。
ギブソンフライングVをかき鳴らす激しいソロは『マッチ棒でお城を建てるギターソロ』として名高く、『フライングVの貴公子』の異名を持つ。
『大釈迦』や『サンフランシスコ』のギターソロは一聴の価値あり。
筋肉少女帯のHR/HM要素は彼が醸し出している。
元々ヘヴィーメタルバンドで活躍していたが、他のメンバーから少し遅れて筋肉少女帯に加入。
三柴とのプレイを期待していたが、バンド流動期だったため彼とは入れ違いになる。
大槻ケンヂが入ったとあるラブホテルのレンタルレコードコーナーにサザンやチューブに紛れてブラックサバスのレコードがあったことがあり、
「なぜこんなところに!?」と大槻がびっくりしたと言うエピソードがあるが、実はそれは当時そこでバイトをしていた彼の仕業であるらしい。
世間は狭いものである。
『大槻ケンヂと橘高文彦』と言うバンドでは、アニメ『NHKにようこそ!』のED『踊る赤ちゃん人間』を手掛けている。


  • 三柴理(三柴江戸蔵)

キーボード。通称エディ。
圧倒的なメロディーセンスを持つ筋肉少女帯の重要な作曲要員。
筋肉少女帯加入以前には、『新東京正義乃士』というバンドをやっていた。
正式に筋肉少女帯に所属したのは86~89年だが、その後も途切れることなく他のメンバーと交流。
「80年代の筋肉少女帯」、「特撮」では正式メンバーとして活躍。
再結成後はサポートメンバーとして参加している。
クラシックやジャズと言った音楽的に高い素養を持ち、アルバム冒頭やライブ冒頭での即興演奏は圧巻。
ハードな曲にも緩やかな曲にもマッチするそのキーボードの音色は筋少サウンドの真髄と言えるだろう。
その音色は特撮のサウンドにおいて、より顕著に現れている。
しばしばかなり過激なパフォーマンスをする大槻ケンヂ以上に暴れまくる。
全裸になったり客席を練り歩いたりはザラである。
宮村優子のアルバム『大四喜』に新東京正義乃士の頃の曲である『山道と観世音』を提供し、また同曲のピアノを担当。
また同アルバムの『けっせらせら』という曲にコーラスで参加してたりする。
『ザ蟹』というユニットでは、OVA『戦闘妖精雪風』の音楽を手掛けている。


  • 太田明
ドラム。
ジャズ・フュージョンなどの素養も持ちながらも筋肉少女帯の幅広い音楽性を持つ曲を自在に叩き分ける凄腕ドラマーだった。
基本的に彼が在籍した期間が丁度メジャー期に当たる為上記5人と共に「90年代の筋少」の1人として中心メンバーと位置付けられている。
1998年8月脱退。
再結成の際、メンバー達の呼びかけで音合わせまでは参加したものの、諸般の事情で再結成には不参加となっている。
とはいえ、デビュー20周年記念公演「サーカス団、武道館へ帰る!」にゲスト出演したり、「公式セルフカバーベスト 4半世紀」にゲスト参加する等、
メンバーと不仲になったわけではない。
因みに現在のドラマーは元ALFEEの長谷川浩二がメインとして、彼が多忙な時は元DEAD ENDの湊雅史やLUNA SEAの真矢、元陰陽座の斗羅等が参加している。
橘高曰く「筋少のドラムは、太田で永久欠番」らしい。

他にも多数の在籍メンバーが居るが、あまりに多いので割愛する。






筋肉少女帯を聴く時は、可能な限りベスト版ではなくアルバム版で通して聴いてほしい。
様々な発見があると思われる。


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