マイケル・ジャクソン

登録日:2010/06/25 Fri 00:00:52
更新日:2024/02/28 Wed 10:23:21
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Michael Jackson(1958-2009)
マイケル・ジャクソン

彼が一世を風靡したのは一昔前で、最近の若い世代にはピンと来ないかもしれないが、彼の名前を、そして歌を一度も聞いたことがないという人はまずいないだろう。

そのあまりにも大きな功績から、King of POPの異名を持ち、ギネスに「史上最も成功したエンターテイナー」として登録されている。

目次

■経歴

アメリカ合衆国・インディアナ州ゲーリーの出身。
音楽を愛する貧しい一家の七男として生まれたマイケルは、兄たちと一緒に、若干9歳にしてジャクソン5のヴォーカルおよびパーカッションとしてそのキャリアをスタートさせる。
地元の人気者だったジャクソン5は次第にローカルの枠を飛び越え、当時押しも推されぬ最大手レーベルであったモータウンと契約。一躍スターダムを駆け上がっていった。ソロデビューもこの時期に果たしている。

が、ジャクソン5は次第にモータウンでの音楽活動に満足が行かなくなり、移籍を考えるようになっていた。
既にモータウンを象徴する存在となっていたジャクソン5は公私共にモータウンの社長とベッタリであり、タダで移籍することは出来ず、ジャクソン5は一部メンバーとグループ名を変更し*1、以後はジャクソンズとして活動していくこととなった。

そして、以前に仕事で一緒になったことがあるクインシー・ジョーンズのプロデュースのもと「オフ・ザ・ウォール」を発表。他人が作った物を歌うだけだった今までのアルバムとは違い、マイケル自身も制作陣の一人として作詞・作曲などに携わった。そのため、マイケルの本当のソロ活動はここから始まったと言われる事が多い。

この”1st”アルバム「オフ・ザ・ウォール」は大ヒットし、母体であるジャクソンズの人気にも大いに貢献した。

ここで注目しておきたいのは、つまり、マイケルは「スリラー」抜きでも、この時点で十分にスターだったのである。しかも子どもの頃から。
彼がいかに規格外の存在であったかがお分かりいただけるものと思う。

その次に出されたソロアルバムが、もはや説明不要の「スリラー」である。
この時点になってくると、既に桁外れの存在になってしまったためか、ジャクソン5やジャクソンズ云々を抜きにした一人のスーパースターとして見なされるようになった。

1987年には「BAD(バッド)」を販売。収録曲がほぼ全てマイケルによる自作曲となり、皆の知るマイケルのイメージがほぼ確立された。
本人が目指していたスリラー超えこそは果たせなかったものの、こちらもかなりの枚数を売り上げた。同時期には初の単独ツアーである「バッド・ワールド・ツアー」の実施、自身が製作総指揮を務めたミュージカル映画『ムーンウォーカー』を公開し、活動の幅は更に広がっていった。



■特徴

キレッキレのダンスとハイトーンなボーカルが特徴で、特に彼の代名詞である「ムーンウォーク」は誰でも一度はやってみようとしたことがあるハズ。
また、彼に限らずR&B系のシンガーは誰でもそんな感じだが、一節歌い終えるごとに「ッダ!」「ナ゙ッ!」などと自分で自分に合いの手を入れているかのようなスキャット(フェイク)を挿入し、ここぞという時に「ヒィーッヒィ♪」「ポゥ!」と甲高いシャウトを繰り出す独特の歌唱法は世界中でネタにされた。

「オフ・ザ・ウォール」の頃は普通の黒人青年といった容姿をしていたが、「スリラー」あたりからアルバム一枚出すごとにどんどん容姿が変わっていくようになり、どう考えても整形してるようにしか見えないのに本人はこれといった明言をしなかったため、そういう点も世界中でネタにされた(後に、「声の通りを良くするため」という理由で鼻を整形したことのみ認めた)。
それどころか、容姿だけに留まらず肌まで白く変わってしまい、「リアルスリラー」「誰がBlack or Whiteだよ」などと突っ込まれた。

しかし、肌が白くなった本当の理由は尋常性白斑で、これはれっきとした病気(詳しい原因は不明だが、遺伝も関係していると言われており、実際、マイケルの親族の中にも同じ症状を患っていた人が数名いる。)。
目立たないところから徐々に進行していったため、最初の頃はまだ黒人として振舞っていられたが、いつしかどんなにメイクしてもごまかし切れないまでに症状が進行し*2、別人のような真っ白の姿に変わり果ててしまった。
一緒に音楽活動をしていた彼の兄弟も、「ある日、風呂あがりのマイケルの体を見てみたら一部分だけ肌の色が違うのでビックリした(意訳)」とコメントしていたことがある。

黒人の中では結構なイケメンに分類されるマイケルがこれほどまでに整形にこだわったのは、「完璧主義者すぎて、アルバムのコンセプトに合わせていちいち自分の顔まで作り変えなければ気が済まなかったから」とも「実は父親を憎んでおり、父親似の自分の顔が許せず、特に似ている鼻の部分を執拗に整形した」とも言われている。
また、とあるCMを撮影していた際にトラブルで髪の毛に引火して大火傷を負うという憂き目に遭い(これは実際に映像も残っている)、それで病院に搬送された際に何かしらの整形措置を受けた可能性は十分にある。
そのようなやむを得ないケースも考慮に入れると、一概にネタで済ませることは出来ない。
いずれにせよ、真相は闇の中である。


■醜聞

が、これらは現在だからこそ言えることであり、そんなことなど知られていなかった存命時は、既に「スリラー」や「BAD」の時代が過ぎて久しかったこともあってネタキャラ・過去の人・疑惑の人物として扱われ、世界中のワイドショー(日本含む)で散々笑いものにされた。
黒い噂が増えるに伴って、今まで注目されていなかった、その“心の闇”にもスポットライトが当たるようになる。

マイケルは子どもの頃からスーパースターだったが、裏を返せば、普通の子どものように無邪気に遊んだり、友達と学校に行ったりは出来なかったということ。
父親直々の超スパルタ教育によって歌手としての実力を身に付け、ジャクソン5として大成するも、普通の子どもだったらまず行かないようなキャバレーで過酷なドサ回りをこなしたり、宿泊先のホテルに兄が女の子を連れ込んで一発ヤッているのを偶然目撃してしまったりと苦難の日々が続く。
また、小さい頃から活動していたこともあって、「大きくなったら可愛くなくなった」などと心無い言葉を投げつけられたこともあった。

恋愛もうまく行かなかったようで、マイケル初期の名曲(失恋ソング)である「She's out of my life(あの娘が消えた)」をレコーディングする際には、何度やってもガチ泣きしてしまい作業が難航したらしい。
その後も、離婚や再婚で世間を賑わしていたのはご御存知のとおり。

その後、「スリラー」や「BAD」で大成功を掴んだマイケルは、「ネバーランド」なる自分専用の遊園地を建設。
子どもの頃から仕事漬けだったマイケルは、遊園地で遊んでみたかったのだ。
そして、ネバーランドに興味を持ってくれる子どもがいれば、快く世界中から招き入れた。
マイケルは無垢な少年少女を何よりも特別に想っており、自身が製作した映画『ムーンウォーカー』において、悪者から子ども達を救うために巨大ロボットに変身して戦ったのは有名である。
本作のこのシーンは迷場面として好事家からよくネタにされる(というか、実際に観てもまずネタにしか見えない)が、つまり、マイケルは、そのくらい子ども達のためのスーパーヒーローになりたいと大真面目に考えていたという風に捉えられなくもない。

が、彼のそんな行動は世間から好奇の目で見られ、いつしか「いいトシなのに年甲斐も無く遊園地ではしゃぎまくる整形しすぎの変なオッサン」「ショタコンの変態」というレッテルを貼られ、そしてとうとう……


■裁判~晩年

ネバーランドに招待したとある少年に(性的な意味で)手を出したという疑いを掛けられたマイケルは少年の両親から訴えられ、裁判によってその身柄を長きに渡り拘束されることとなった。
しかし、この裁判の実態は原告側による陰謀。マイケルは釈放され、晴れて無実が証明された(実はマイケルはこの他にも無実の罪により、数え切れないほど訴えられている)。

ネタキャラ扱いもピークを過ぎ、ほとぼりが冷めたため、世間が徐々に彼の功績を再評価しつつあった頃、マイケルはある行動に打って出る。
それが『THIS IS IT』である。

どんなに世間から笑いものにされ、身柄を拘束されても音楽への情熱を捨てていなかったマイケルは、世界ツアー『THIS IS IT』の開催を発表。
これこそが人生最大、そして人生最後のライブになるだろうと高らかに宣言した。
今まで彼のことをネタキャラだと思っていた人々は、実は彼がスーパースターだったことをようやく思い出し、期待と興奮で世界は熱狂に包まれた。

マイケルはブランクを取り戻すべく特訓に明け暮れ、ライブのリハーサル等の様子を後々ドキュメンタリー映画にするためにカメラが回された。

だが……

ファイナル・カーテン・コールは幻になってしまった。
2009年6月25日、『THIS IS IT』公演を目前にして、彼は突然急逝した。享年50歳。
当時メディアで発表された公式な死因は、「ライブの練習があるのに寝つきが悪く、眠れないことに焦り、反対する医師を押し切って大量の睡眠薬や麻酔薬を服用し続けたことによる薬物中毒死」*3
睡眠不足で満足に練習に打ち込めない自分が許せないという、彼の完璧主義な一面が招いた不幸な最期であった。

ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』は予定通り公開されたが、そこに映っているのはリハーサルであり、“本番”が来ることは永遠にない。
斬新な演出によって観客を気絶までさせた*4といわれる彼のライブは、もう二度と見られなくなってしまった。

映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』は大好評。
リハーサルでこれなのだから、本番はどれほど凄いものになっていたのかが悔やまれる。

そのあまりにも突然の訃報に世界中が涙し、人々は自分達が失ったものがいかに大きかったのかを気付かされた。
その後、アルバムの再販などによっていよいよ彼の功績は再評価され、現在に至る。


■アルバム

  • Got to Be There(ガット・ビー・ゼアー)/1971年
  • Ben(ベンのテーマ)/1972年
  • Music and Me(ミュージック・アンド・ミー)/1973年
  • Forever, Michael(フォーエヴァー・マイケル)/1975年
  • Off The Wall(オフ・ザ・ウォール)/1979年
  • Thriller(スリラー)/1982年
  • Bad(バッド)/1987年
  • DANGEROUS(デンジャラス)/1991年
  • HIStory: Past, Present and Future, Book I(ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック1)/1995年
  • Blood On The Dance Floor: HIStory In The Mix(ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロア: ヒストリー・イン・ザ・ミックス)/1997年
  • Invincible(インヴィンシブル)/2001年


■代表曲

  • Don't Stop 'Tli You Get Enough(今夜はドント・ストップ)
マイケルが皆の知るような路線になってから最初に出された楽曲で、「ポゥ!」という高音シャウトはこの頃から健在。
この頃はPVも割と平凡な内容で、マイケルのダンスもまだ人間のレベルなのが今見ると微笑ましい。

  • Billie Jean(ビリー・ジーン)
ご存知"ムーンウォーク"が生まれたきっかけとなった楽曲であり、これ抜きに彼は語れない。
歌詞は「根も葉もない言いがかりに苦しめられる恐怖」をテーマにしたものとなっており、マイケル自身の人生もだいたいそんな感じのものとなってしまった。実在した恋人をテーマにした曲との説がある。
また、この頃からPVの内容が徐々に豪華になっていったが、細かいところはまだ微妙に低予算だったりする(背景がパネルに描いた絵であったりする等)。
ライブでのパフォーマンスは必見、ステージは彼のためにある。

  • Beat It(今夜はビート・イット)
当時はまだ珍しかった、R&Bにハードロック的要素を加えた楽曲。ギター演奏はエディ・ヴァン・ヘイレンらが担当している。
曲調こそ勇壮な感じであるが、歌詞の内容は「揉め事に首を突っ込んで何になる」「勝てないと分かっている喧嘩ならするな」という、まさに「逃げるは恥だが役に立つ」を地で行くようなものとなっており、非戦や反戦の大切さを訴えた楽曲でもある。
不良グループの喧嘩をダンスで解決してしまうという有名なPVは、マイケルが個人的に好きだったミュージカル映画「ウェストサイド物語」のパロディ。
マイケルの意向により、PVに出てくる人物は一部を除き全員が本物の不良やマフィアの皆さんである。
そのせいか制約が厳しく、ダンスシーンは完全一発録りで撮影されたため、振り付けの細かいところは意外と間違えている人もいる。

  • Thriller(スリラー)
知名度ではおそらくこれが一位。ゾンビによるダンスが有名。
同名のアルバムが、"世界で一番売れたアルバム"としてギネス認定されている。
単なる「楽曲の宣伝ビデオ」に留まらない「ストーリー性のあるPV」の元祖であり、本作をきっかけにマイケルのPVは"プロモーションビデオ"ではなく"ショートフィルム"と呼称されるようになった(この項目では便宜上PVで統一しているが)。
「アイドルの後ろにバックダンサー」という構図を一躍世間に知らしめたPVとしても知られている。
PVの内容は、やはりマイケルが個人的に好きだった「狼男アメリカン」を始めとしたホラー映画のパロディ。
あまりに有名になりすぎたこともあり、「このPVは超常現象の実在性を主張するためのものではない(意訳)」とマイケル本人が公式声明を出すにまで至った。
因みにPVではAメロBメロを繰り返しラストにサビを持ってくるという構成になっており、アルバム収録版とは異なっている。

  • BAD(バッド)
同名のアルバムがあるおかげで、知名度はスリラーに勝るとも劣らないほど。
曲の最後の「フッベー(Who's BAD?)」という決め台詞が非常に印象的であり、マイケルのスキャンダルがワイドショーなどに取り上げられたときは「悪いのは誰だ?」というニュアンスでこの一節が引用され散々ネタにされたが、元々この曲におけるBADとは“(良い意味での)傾き者”を意味し、「最高にイカしたワルはどいつだい?」という意味合いが適当である。
実はこの曲も本来はある事件を元にしたストーリー仕立ての長編PVなのだが、省略されていない完全版を観られる機会は少ないため知っている人は少ない。
現在ではyoutubeの公式チャンネルで配信されているので観るのが容易になったので興味があれば視聴する事をオススメする。

  • Man In The Mirror(マン・イン・ザ・ミラー)
中期マイケルの中でも特にメッセージ性の強いバラードの名曲。
並みいる名曲に比べると知名度がやや低いが、"本当に"マイケル・ジャクソンが好きな人で人気曲のアンケートやランキングを作るとほぼ確実に1位になり、ライブでもラストを飾ることが多かった。
「Man In The Miror」というのは「鏡の中の男」、つまり自分自身を指しており、“自分自身をより良く変えること”という視点から反戦や世界平和を表現した内容となっている。
この曲のPVはマイケル本人が殆ど出てこないという異質な内容となっているが、それでも涙腺崩壊したという人は少なくないはずである。
漫画ジョジョの奇妙な冒険 Part5 黄金の風』の登場人物・イルーゾォが使役するスタンド名の元ネタでもある。

  • Smooth Criminal(スムース・クリミナル)
両脚をまっすぐに伸ばしたまま極端な前傾姿勢を披露する"ゼロ・グラヴィティ"が生まれたきっかけとなった曲。
世間の人が真っ先に思いつくであろう、マイケルの「上下白のスーツと白の帽子」という格好はこの曲で使われていた衣装である。
また、某番組で「パン!茶!宿直!」や「朝からちょっと運動 表参道 赤信号」「柴又から堤防 イカ寿司 朝寝坊」という有名な空耳ネタを幾つも輩出した。
映画『ムーンウォーカー』は、この曲のPVの長編バージョンといえなくもない。

  • Dangerous(デンジャラス)
彼のパフォーマンスが最大限に発揮される曲で、それは見事としか言いようがない。
この頃になるとプロデューサーがクインシー・ジョーンズから別の人物に交代しているため、作風がかなり変わっているが、ファンには変わらず愛されている代表曲のひとつである。

  • Black Or White(ブラック・オア・ホワイト)
「デンジャラス」の収録曲のひとつにしてヒットシングル曲。
同作の収録曲は全体的に硬派な曲調のものが多かった中で、昔ながらの雰囲気を残したポップな曲調であったため一般的な認知度がとりわけ高い。
やはりというべきかPVも印象的で、「ホームアローン」の人気子役であったマコーレ・カルキンをメインに据え、“人種の垣根を超えて世界中の人々が仲良く過ごす”というテーマを表現すべく、当時最先端のCG技術であったモーフィング(ちなみに費用はメチャクチャ高かったらしい)が使用されている。

  • Earth Song(アース・ソング)
メッセージ性の強いエネルギッシュな曲で、曲に合わせた強烈なPVも話題になった。生前最後(亡くなる前日)に歌われた曲でもある。

  • Scream(スクリーム)
妹のジャネット・ジャクソンとのデュエット。
当時最先端のCG技術を使って作られたPVは歴代で最も高価な物となった。何故かPV中では『バビル2世』や『AKIRA』等の日本のアニメの映像が使用されている。

  • You Rock My World(ユー・ロック・マイ・ワールド)
21世紀に入ってから出された最初の曲。従来のマイケルらしさを大切にしつつも、現代的なサウンドになっている。この曲のPVがマイケル自身が出演した最後のものとなった。



■余談

  • 慈善活動に強い関心を示しており、ライブの収益金をすべて慈善団体に寄付したりするなど常識では考えられないような行動を重ねた結果、慈善団体への総寄付金額は約3億ドルにも及ぶといわれている。
    その膨大な寄付金額から、それがギネスに載り、過去2回ノーベル平和賞にノミネートされた(受賞はしていない)。

  • あの「We Are The World」を手掛けたのも彼であり、企画自体にも深く関わったほか、自ら率先してマイクの前に立った(もっとも、彼がこんなに出ずっぱりになってしまったのは、参加してもらおうと思っていたプリンスが諸事情で参加できなくなり、そのぶん余計に働かされる羽目になってしまったからなのだが)。
    自分でも「Heal The World」のような曲を発表していることからも分かるように、強く世界平和を願った人物でもある。

  • 著名なペットはチンパンジーの「バブルス」(1983年生まれ)。飼い始めた80年代後半頃はいつも傍におり、日本公演時にも一緒に旅をしていた。
    だが年を経るにつれ段々狂暴になりネバーランド内で飼っても手に余ると噂される様になり*5、2005年にマイケルの元を離れ牧場経由で施設に委託(飼育費はマイケルが負担)。マイケルの死後も施設内で群れのボスとして元気にやっているという。

  • 世界で最も売れたアルバムとして現在もギネスブックに載っている「スリラー」は、存命時は約4500万枚ほどの売上記録だとされていたが、没後「改めて調べなおしてみたら、実はとっくに一億枚以上売れてた」というトンでもない理由により売上記録が更新された。

  • 妥協を許さぬ姿勢から未発表曲を多く残していることが知られていたが、没後に改めて調査してみたら100曲以上にも上る事が分かった。
    その中には、日本のテクノポップグループ・YMOの代表曲である「Behind the mask」のカバーがあるらしい…という噂が永年に渡って語り継がれていたが、とうとう実在することが証明された。
    それらの楽曲を収録した新アルバム『MICHAEL』が、2010年12月14日(日本盤は15日)、満を持して発売された。
    Michael Jackson公式サイトでは収録曲の"Breaking News"が11月8日、音源からそのままのfullバージョンで一週間限定で配信された。

  • 日本製品びいきであったことでも有名。特にトイレの便器については「日本のメーカーのものこそ、使う人のことを本当によく考えられて作られている」と感銘を受け、自身の周りのトイレには日本製のものをずっと使いつづけたという。
    日本のゲームも大好きで、特に大のセガ贔屓であったことも知られる。
    自身も大型筐体を含む沢山のアーケードゲームを購入しており、博物館にしてもいいほどのラインナップである。
    これが縁となり、前述の「ムーン・ウォーカー」のゲーム版もSEGAが製作している。
    またこの契約段階では複数本のゲームを出す予定があり、上記した醜聞の影響でセガ側が契約をうやむやにしていた埋め合わせも兼ねて、同社のダンスゲーム「スペースチャンネル5」シリーズにも出演している(声も本人が担当)。

  • マイケル自身は1973年(ジャクソン5の公演)に初めて来日してから、ほぼ10年に一回以上、日本に訪問していた。
    初の単独ワールドツアーである「Bad World Tour」の最初の開催地は東京の後楽園球場(現在の東京ドーム)で行われた他、『SMAP×SMAP』にも出演もした事がある。

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最終更新:2024年02月28日 10:23

*1 メンバーの一人であるマイケルの兄・ジャーメインが社長の娘と結婚していたため。そのため彼は脱退することになり(後に復帰)、代わりに弟のランディが新しく加入している。

*2 マイケルは「アメリカ大統領と握手を交わした際にも愛用の手袋を外さなかった」ということで無礼だとバッシングを受けた時期があったが、その理由は手袋の下の肌の色が変わってしまっていたからであった。その秘密をずっと隠していたため、誤解でバッシングされることになってしまったといえる。

*3 もっとも、彼の死には不可解な点も多く、公表された死因が事実かも疑わしいとのことで、その死の真相や責任の所在を巡って裁判も起こっている。

*4 特に有名なのは、後にソフト化された「ライヴ・イン・ブカレスト」における一幕。本来の予定よりも登場を敢えて1時間以上も遅らせ、満を持してステージに登場してからも「凍り付いたようにその場から動かない」という二段構えの焦らしテクを敢行。観客には絶叫にも近い歓声をあげた挙句に失神する者が続出し、最短記録では2分55秒で失神した観客が確認されている。ちなみに、後年「ウマ娘 プリティーダービー」のアニメ版においてゴールドシップがこの場面のパロディを披露している。

*5 バブルスに限らず大人のチンパンジー自体が非常に凶暴である。詳しくはチンパンジーの項目を参照。