ハンス・ウルリッヒ・ルーデル

登録日 :2009/06/04(木) 08:05:18
更新日 : 2017/09/04 Mon 20:16:22
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第二次大戦中、独空軍に所属した対地攻撃のエース。
ってのが一応の肩書きだが、そもそも人間なのかどうかも疑わしいスーパーハイクオリティな御人。
かのアンサイクロペディアですら 「こんな嘘くさい事実に対して、これ以上嘘を加えることなんて不可能」 という理由で彼の記事には一切嘘が書かれていないというリアルチートである。
そして、仮想戦記においても事情は同じ。余りに嘘くさい戦果過ぎて作品に取り込めないのだ。説得力何それ美味しいの?
最近になってノビーこと横山信義が火星人相手にようやく暴れ回らせた。この展開に涙したファンは多いとか。

生涯撃破スコア (公式)
出撃回数 2380回
戦車 500以上
車両 800以上
火砲(100mm口径以上) 150門
装甲列車 4
戦艦 1
巡洋艦(大型駆逐艦) 1
駆逐艦 1
航空機9機
 内 戦闘機 2
   爆撃機 5
   その他 2
(撃墜数9の内、2機が「IL-2」という資料有り)
戦闘による負傷 5回
ソ連により掛けられた賞金 10万ルーブル
(大戦当時のソ連の労働者の平均年収は約600ルーブル。現在の金額だと約5億円)

加えた損害…約 10個師団相当

ヨシフおじさんに「ソ連人民最大の敵」と呼ばれた。

アンクロ曰く、
「朝起きて牛乳飲んで出撃して、朝飯食って牛乳飲んで出撃して、昼飯食って牛乳飲んで出撃して、夕飯食って牛乳飲んで出撃して、シャワー浴びて牛乳飲んで寝る。」
という生活をしてたらいつの間にか戦車撃破スコアトップになったとか。

「5機以上の撃墜」もクリアしているためれっきとしたエース。
その中に平然とIL-2が複 数 機含まれるのが閣下クオリティ。


自身も通算で三十回撃墜され13回程捕虜になりかけるが終戦まで生き延びた男。

負傷もそれなりの回数しているが、病院を脱走してまで出撃を繰り返した不死身の 魔王

ちなみに脱走がバレた原因が本人曰く、

「誰が撃破したか分からない戦車が多すぎたから」

機体がバラバラになるくらいこっぴどく撃墜されても自力でドイツ軍陣地まで帰還し、先に救出され治療を受けていた後席機銃手であるガーデルマンを

「休んでいる暇はないぞガーデルマン、すぐに出撃だ!」

と言って引きずり出撃していった。
(ちなみにその時、ガーデルマンは肋骨を三本骨折していた

被弾した際に足を失ったのだが、その事を女房役のガーデルマンに告げたところ、
「足が無かったらまともに操縦出来るわけがないでしょう。さっさと基地に帰りましょう」
と言われ、
「それもそうか」と返すものの、
片足の痛みが次第に恍惚感に変わっていき「これはまずいか?」と思いながら帰還。基地に帰ったら本当に足が無かった。

即入院し、さすがのルーデル閣下も涙した。
その姿を見た同僚が「片足が無くても戦闘機には乗れるさ」と慰めたところ、
「違う、 足はまだ一本ある。 ソ連の戦車を 『しばらく』ぶっ潰せない のが悔しいんだ」と返した。
なにかがおかしいが、以前にも、黄疸にかかった際に医師の
「無理をすると命の保証はない」
との忠告を振り切って出撃したり、やはり撃墜されたときに六週間の入院を告げられるも、敵軍の襲撃を聞いて八日目で退院したりしていたので、彼にとっては平常運転である。
上記の怪我の際も、『しばらく』の言葉通り、一月半ほど(本来なら半年安静)で医師の制止を振り切り無理やり退院、出撃した。

ちなみに、彼が片脚を失った後に報告された撃破スコアだが、一時期上層部は「ルーデルの教え子(チーム)の合同スコアだろwww」と思ったらしい。
ルーデル単騎のスコアと知った時の驚きはいかばかりであろうか…

彼は第二次大戦中のドイツ軍の最上級の勲章である黄金柏葉剣付ダイアモンド鉄十字騎士勲章なるものを授与されている。
実はこの勲章は あらかた勲章を取り尽くしてしまった ルーデルに贈る為に作られたもの。
彼のような英雄がまた現れることを願い円卓の騎士に準えて十二個作られたが結局ルーデル以外に受賞した人間は当たり前だがいなかった。
いる訳がなかった。いたらナチスが勝っていた。
352機撃墜のスコアを誇るエーリヒ・ハルトマンですら授与されていないのだから、ルーデルの功績がいかに図抜けたものであったかが伺い知れよう。


ちなみに総統閣下はモルヒネデブでおべっかを使うヘルマン・ゲーリング国家元帥よりも、自分を心から尊敬しているルーデル閣下の方を信用していて、死の前、「ルーデルを呼べ!!ルーデルの飛行機で脱出するんだ!」と喚き散らし、部下を困惑させたという。如何に、総統閣下がルーデルに一縷の望みを託していたのが分かる。
「総統閣下は個人として尊敬している」とはルーデル本人の弁であるが、彼はドイツ軍に所属していても最期までナチ党員じゃなかった…それでいいのか。

ヒムラーの命令で転属になった際、直属の上官が

「ルーデルの援護なしで前線なんか維持出来るか!!」

とキレたという逸話も残している。


終戦後28歳年下のドイツ人女性ウルスラ(Ursula. 1944年生誕、当時21歳)と再婚。


連合軍の捕虜になった際に乗機のJu87Gにどんな改造がしてあったのかしつこく尋ねられた。
と言うのも彼は高射砲に墜とされたことはあっても、戦闘機に撃墜されたことは一度もなかったからだ。

彼の乗機は当時の戦闘機の半分程度の速力や機動力しかない爆撃機Ju87Gスツーカだったので余程凄まじい改造がされていたのだろう、
と連合軍は考えていたのだが実際は、
「戦車をぶち抜けるようにJu87Dに37mm対戦車機銃を外付けしてもらった」
だけだった。

ただでさえ足の遅い機体に重い機銃を強引にくっつけるという、更にバランスが悪くなるような 改造をして戦闘機から逃げられるはずがないと言う連合軍士官に、
「そんなに不思議な事なのかね?私にはこれといった秘訣はなかったのだが…」
と言ったそうな。
ただし「おっそろしく操縦の難しい機体」とも言っている。

ちなみに、何故かソ連には引き渡されなかった。

ハルトマンは引き渡された挙げ句、抑留されたのに!

恐らく爆撃機ではなく戦闘機のパイロットをやっていてもエースパイロットだったであろう。
なお、彼は訓練生時代「戦闘機のパイロットは非常に狭き門」と聞かされたために爆撃機を志望したのだが、
それはハッタリであり、彼の同期で戦闘機を志望した者はほとんどが希望通り戦闘機パイロットになった。
この事実を知った彼は非常に悔しがったとか。


ありし日の満面の笑みなルーデル閣下。
この後、牛乳飲んで出撃。当然ながら露助(赤軍のアホゥ共)の戦車達を血祭りにあげる。


戦争終結後はアルゼンチンやパラグアイの独裁者と親友になって両者の仲を取り持ったり、ピエール・クロステルマンとお互いに行き来して遊び合う親友になったりした…なんなんだアンタ。

そして片足義足なくせに冬山登山(プロレベル)をして、500ヤードも滑落して、やっぱりわずかな負傷だけで生還したり、
友人が滑落死したときはわざわざ死体を探し当てた後、その亡骸を担いで山頂に埋葬しに行ったり、
心臓発作起こしたのに平然とスポーツに復帰したり…やっぱりなんなんだアンタ


その後、アメリカに渡りフェアチャイルド社の傑作爆撃機A-10サンダーボルトⅡの開発責任者となる。

なおこのサンダーボルトⅡは公式に墜落記録がほとんどなく、数少ない墜落記録も、
『ルーデル自らがテスト中に急降下を(この機体は急降下が出来る設計ではない)行い、主翼が折れた為』
である。

魔王閣下は 当然、生きてましたがなにか?

無事にサンダーボルトⅡが完成した時にルーデルは
『これはいい機体だ。これなら休む必要は無いな。さあ!出撃!』
と言う言葉を残している。

自重してくださいルーデルさん


ちな上に書いてある公式スコアだが、実は・・・・?

嘘でーす!w
つか、そもそもエースの公式戦果はスコアの過剰報告や戦意高揚の為に誇張されたりで怪しいのが多いだろうがw気づけよw

特にルーデルは 休暇中にも書類偽造して出撃 したり、味方が休暇を取れるように スコアを他人に譲ったり 、逆に自分が前線に留まるために 過小 報告したりと粉飾を繰り返している。
つまり、 実際には公式スコアより多くなる。
あ…?あ…?


の3書は世界中の戦闘機、爆撃機乗り達の聖書であり教科書であり英雄伝である。

あるアメリカの海兵は、
『奇跡も神様も信じないがルーデルとサムライ(坂井三郎)は信じている』と言った。


ちなみに、『撃墜王/空戦』の著者のピエール・クロステルマンとは戦後に出会い大親友になっている。


そんなルーデルもやはり人の子だったらしく、1982年12月18日死去。

葬儀の当日には警察にみつかれば捕まるにも関わらず、ネオナチの方々が駆けつけ平然と第三帝国国歌が流されたり、東ドイツ空軍が追悼飛行を行ったりした。
その上、近くを飛んでいた西ドイツ軍の小隊も追悼飛行を行った。この事に対して問い詰められた西ドイツの小隊長は、
『訓練の為に行った。たまたま追悼飛行のような飛び方をしただけだ。下で英雄の葬式があったことは知らなかった。』
と発言した。おい確信犯め。
(この頃のドイツはベルリンの壁があった時代であり、軍法会議、不名誉除隊ものの大問題である)


超越種智たる 魔王閣下 と苦楽を共にした後部銃撃手は5人。
シャルノヴィンスキー、ヘンシェル、ロースマン、ガーデルマン、ニールマンである。
一番長くルーデルとつき合ったのは、4人目、ガーデルマン。
(なお、ガーデルマンは「シュトゥーカ・ドクトル(爆撃医者)」の異名を持つ、後部銃撃手で有りながら鉄十字勲章を戴いた「後ろの撃墜王」でもある)
本業は医者であり、循環器官の専門である。戦後は、ミュンヘン五輪のスポーツドクターをしてたりする。


~ルーデル語録~

「全てが静かで、まるで死んだように思える」(戦車28両を撃破し、その後の偵察飛行において)

「自分に価値が無いと思っている人間が、真に価値無き人間なのだ!」(怯える部下に対して)

「休んでなどいられない。すぐ出撃だ!」(特別休暇中――またの名を負傷療養中ともいうが――ソ連軍接近の知らせを受けて)

「今、このまま帰国する気持ちにはなれないな」(満身創痍の状態にて帰還した際に)

「総統、もし私が飛行大隊と行動を共にするのが許されないのでしたら、私は受賞と昇進とを辞退申し上げたいと存じます」
(黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字章受賞式にてヒトラー総帥に対して)

「ちょっと試験飛行をしただけです」(無断出撃について問い詰めてくる上官に対して)

「私を墜としたくばハルトマンでも呼んでこい」

「ここはドイツだ。たとえ英語が話せたとしてもドイツ語以外話そうとも思わないし、どんな敬礼をしようと君らの知ったことではあるまい。我々はドイツ軍人としての敬礼法を教わり、それをそのままやっているだけの話だ。シュトゥーカ隊は空の戦いで敗れはせぬ。我々は囚人ではない。ドイツ兵は全ての戦闘に負けたものではなく、ただ物量の重圧に屈したに過ぎない。我々がここに来たのも、ソ連地域にとどまるのを欲しなかったからだ。 ま、そんなことはどうでもいい。身体を洗わせてもらいたい。それから何か食べ物が欲しい。」


1976年には、本当に自重しない閣下のお蔭で
「ルーデル・スキャンダル事件」
が起きた。
簡単に言えば閣下に関わった有能な空軍幹部二人と無能な大臣が退陣に追い込まれた。
が、閣下はお咎めなしだった。

いかに政治的に問題のある人物であろうと、実績が図抜けていれば手を出せないという証左であろう。
+ 特に面白みのない政治の話




ルーデル閣下「休んでいる暇は無いぞ。ガーデルマン。すぐに追記だ」
ガーデルマン「それには先ず編集をする必要がありますね、大佐」

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